ミャンマーへの第一歩 | 第十一話 | 第二十話 | |||
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第一話 ミャンマーへの第一歩 2009年の年末年始は海外で過ごそうと思った。 少し前に、「突撃!アンコールワット・年末年始は日本で過ごすべきかも篇」というメールマガジンを配信していたことに反する行動となる。 理由のひとつは、今住んでいるゲストハウスで、一人寂しく年越しをするのがやりきれないということ。理由の二つ目は、目下の仕事の繁忙期が毎年1月下旬から四月末頃までなのだが、忙しくなる前だと長い休みを取りやすいと考えたからであった。 今回の目的地はミャンマー。ミクシーやブログなどで、「行くぞ!ミャンマー」などと、数ヶ月前から書いてしまったので、有言実行をしないと恥ずかしいという理由も少しあった。でも、本当にミャンマーは随分前から行きたいと思っていたのだ。遺跡も多いし、国民性は素晴らしくよいらしいからね。 さて、今回ミャンマーへ行くと公表してから、ミクシーのお友達で七十歳を過ぎられたトラベラーのT氏から「ご一緒願えればありがたい」と恐縮するメッセージを頂戴したので、日程が合うなら「旅は道連れ、世は情け」と参りましょうかと了解していた。 T氏は65歳で公務員〜団体役員を晴れて退職し、バックパックこそ背負わないが、肩掛け式のバッグを持ってアジア旅行に出始めたとのこと。これまで東南アジアはもとよりインドや中国への長期旅行を何度も経験されており、バンコクのバックパッカーのメッカであるカオサンロードでは欧米人旅行者から「スーパースター」と呼ばれるくらい有名な人である。 目下は70歳を過ぎられたが、毎年、日本が寒くなる11月ごろから翌年の3月ごろまでを主に東南アジ アで過ごし、日本が暖かくなった頃に帰国される。そして日本の春から初秋までを岐阜の田舎でのんびり過ごされるようだ。 さて、ミャンマー大使館へビザの申請に行ったのが12月の始め、品川の大使館へ足を運んで写真と申請書をパスポートと一緒に提出したが、帰宅後すると大使館職員から携帯電話に連絡が入った。 何かと思って出てみると、今回のビザ申請書に加えて、誓約書と言うものを簡単に書いてFAXして欲しいと言うのだ。 理由は、これまで僕が何冊か本を出版しているので、「ミャンマーへ旅行して帰国後、わが国の悪いことを書かないという誓約書を出して欲しい」とのことだった。 ネットで僕のことを調べたのかも知れないが、僕が出版しているのは探偵物と金融物ですが・・・と言っても通じなかった。それに売れているわけじゃないのだが・・・。 ともかく、簡単な英語でA4用紙にサラサラと英語で打ち(実は翻訳ソフトを利用したのだが)、近くのコンビニからFAXした。 そのあと仕事が忙しくてあっという間に一週間が経過してしまったのだが、携帯にミャンマー大使館から「早く取りに来なさい」と留守番伝言が入っていたので、出発する4日前に再び大使館を訪れて、ようやくビザを受け取ることができた。 十年ほど前にベトナムビザを日本で取得したことがあるが、ここ数年ビザ不要の国が増えている中にあって、今回は本当に面倒な手続きだと感じた。 12月19日と20日は大阪の家族と合流し、4人で本当に久しぶりの一泊旅行を実施した。海外旅行に出る罪滅ぼしの意味もあったが、闘病中の妻と息子たちとの楽しいつかの間を過ごせたことに神仏に感謝した。 そして、年末の追い込みで大変な職場のスタッフさんに「もう帰ってくるな」「人でなし!」「自己中オヤジ!」などと様々なブーイングを浴びながら、12月22日の夕方便・ノースウエストでバンコクへ向かったのでありました。 今回も成り行き任せの旅行であった。本当にミャンマーへ行けるのか? チケットはバンコクにてT氏と合流後購入する予定だったのだが・・・。 |
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第二話 2009年12月22日の深夜、タイ・バンコクのスワンナプーム空港へ到着した。流れのまま入国、ラゲージのベルコンからバックパックを拾い上げて外に出ると、日本との温度差が二十度もある灼熱バンコクの空気に見舞われた。 バンコクへはこれで15回目位の訪問、到着するとなぜか理由は分からないがウキウキした気持ちになる。でも深夜到着の便に乗った時は、毎回油断はしない。 空港タクシー受付にて50Bチケットをもらい、担当のタクシー運転手をにらみつけて乗り込む。なめられたら余計なルートで運ばれたり、運が悪ければ暗いところへ連れて行かれて「金を出せ!」ってなことになるからだ。 空港から定宿のあるオンヌットへ向かって走り出すと、運転手が「ハイウエイ、OK?」と聞いてきた。いつものことである。 「ノーハイウエイ」と意識的に無愛想に答える。 オンヌットまではハイウエイを使っても使わなくても時間はほとんど変わらない。カオサンや市街地へ行くなら、急ぎの際は高速は必要だが、オンヌットは下道でもこの時間グングン進む。高速料金は不要だ。 その代わり僕は少しだけチップを付け足すことにしているのだ。この時もスクンビット・オンヌットGHに到着した時のタクシーメーターは205Bを示していたが、空港からのチケット料50Bにチップを加えて300Bを支払った。 ハイウエイに乗らずに僕を運んだ運転手はここでニヤリとする寸法だ。45Bあればぶっかけメシとコーラ程度にはなるだろう。 スクンビット・オンヌットGHは24時間チェックインが可能だ。受付には見慣れたタイ人の従業員が二人いた。予約している藤井ですと言うとすぐに確認をしてチェックインが完了である。 閑静な住宅街にあるこのGHは、日本人オーナーの杉山氏の経営手腕の高さが随所に見受けられる。(詳しくは下記のURLを参照してください) スクンビット・オンヌットGH⇒ http://www.bangkok-guesthouse.com/ja/ 4階のエアコンドミトリーの部屋に従業員がバックパックを運んでくれた。二段ベッドの下段が僕のスペース、部屋に5つある二段ベッドに宿泊客は2人。ベッドに本などが投げ出されている様子から、館内でくつろいでいるか出かけているようだ。 到着したら必ずシャワーを浴びる。階下のシャワールームへ。ここはもちろんホットシャワーが出る。 スッキリしたところで一階のレストランへ、クイッティアオ(米粉の細うどん、ベトナムのフォーみたいなものですね)とビアチャンを注文、ようやくホッと一息ついた。 明日の夜は、2003年からタイでたくましく暮らす親友N君と飲む約束だ。昼間はタイでたくましく順調に日本食レストラン・一等食堂を営むMさんを訪ねてみよう。そしてもう一人、ホアランポーン駅近くのGHに滞在するルポライター・大田周二さんの近況も気になる。 明日の予定が楽しみな僕だったが、この時点では当然、12月25日に目下ノンカイに滞在するT氏と合流すして、目的のミャンマーへ行く予定だった。 |
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第三話 ドミトリーの寝慣れたベッドは快適で、日本で仕事に追われている日々とは異なり、朝早く起きる心配がないので、翌日は九時前までぐっすり寝た。 同室には男性と女性各1名の欧米人がいたが、軽く挨拶を交わしただけで特に会話はない。シャワーを浴びてきちんとしてから階下へ降りて行くと、朝食は中庭に設けられたスペースでビュッフェ式になっていた。 大きな炊飯器と蓋がついたステンレスのトレーが六つほど置かれていて、平皿に好きなだけご飯を入れて好みのおかずをかける、いわゆるぶっかけメシである。トレーの中には野菜と肉の炒め物やカレーやスパゲティや春巻きまであった。 ここの料理は味付けが素晴らしい。一流の調理師が料理しているのか、或いはタイの料理人はこれくらいの腕が当たり前なのか、ともかく美味しい。 五卓ほどある丸テーブルの一つで食べていたら、従業員がグレープジュースのような飲み物を持ってきてくれた。今日だけのサービスのようだ。 昨年の九月ごろから朝食がビュッフェ式に変わったようで、宿泊料にこれが含まれている。そういえばエアコンのドミトリーが30B程度値上がりしていたので、この朝食ビュッフェと1キログラム以内のクリーニング代と20分間利用可能なインターネット料金が含まれているようである。 これは旅行者にとっては個々に支払うよりは少し得で、2006年の暮れ以来、来るたびにゲストハウスが快適になっていることから、オーナーの杉山氏が常に営業努力を重ねていることが窺える。 バンコクはこの時期、快晴が続く。いつものようにバンダナを頭に巻いて出かけた。今日は大田周二さんを先ず訪ねてみようと思っていた。BTSのオンヌット駅からアソーク駅で地下鉄に乗り換えて、終点のホアランポーンまで約30分程度でつく。 おそらく既に廃業しているだろうファミリーゲストハウスを訪ねてみたら、やっぱりシャッターがおりていて、「For Rent」と書かれた大きな紙が貼られていた。 前回訪ねた時、大田さんが「チェンマイで旅行代理店を営むオーナーが、赤字続きで店を閉めたいと言っている。タイ人に店を任せきりにするとこうなるのですよ」と語っていたので、その通りになったのだろう。 駅に戻って公衆電話から大田さんから聞いていた携帯電話にかけてみた。するとタイ語に続いて英語でのアナウンスが流れた。日本の携帯でも流れる「おかけの番号は圏外にいらっしゃるか電源をきっておられます」という内容のものと思われた。 仕方がないので今日のところは引き上げて、ランナム通りの一等食堂へ向かうことにした。地下鉄ホアランポーン駅から二つ目のシーロム駅で再びBTSに乗り換え、さらにサイアムでモーチット行きに乗り換えて三つ目がアヌサワリー・チャイ駅(ビクトリーモニュメント駅)である。 見慣れた街並みをあるいているとタイにいるのだなぁと実感してきた。今頃日本では厳寒の中、通勤している友人知人や職場のスタッフさんなどのことを思うと、少し幸せを感じるのだった。 一等食堂を訪ねるのは五ヶ月ぶり、前回はオーナーのMさんが店の大家さんと少し揉めていると言っていたのが気がかりである。大家が家賃の前払いをうるさく言ってくるのでうんざりしているとか。大家が金に困ってどうすんねん!って印象なのだが。 一等食堂のドアを開けて中に入ると、ちょうどランチタイムの真っ只中で、この日は平日にも関わらず客は昼間からビールを飲んでいる年配の男性一人だけだった。Mさんは店に来ておらず、店員も見たことのない女の子だった。 女の子に「Mさんは?」と聞くが要領を得ない。いったいどうなっているのだろう? |
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第四話 「一等食堂」には見慣れた店員はひとりもいなかった。店の装飾やテーブルなどの配置に変わったところはなく、書棚にはMさんが集めた大量の日本の書籍が並んでいた。 ビールを飲んでいる男性はかなり年配の人で、僕が女性店員にMさんのことを尋ねている間、心配そうに見守っている様子だった。女性店員は「Mさんはアパートメントにいる」と言う。つまり本日はまだ出勤していないだけなのか? Mさんのアパートにはこれまで何度か伺っているが、いつもほぼ泥酔状態の時にお邪魔して、明け方「じゃあ、また来ます」といった感じで帰るため、実は部屋番号が分からない。今日のところは引きあげて明日再度出直すことにし、屋台でクイッティアオを食ってから一旦GHに戻った。 帰りにテスコ・ロータスでシャンプーを買って髪の毛を洗った。GHでは小さな石鹸は無料でくれるが、シャンプーはない。少し長い旅行の時は、日用品などは現地調達した方が安い。 夕方四時を過ぎてから再び出かけた。オンヌットから四つ目のプロンポンで下車、バンコクに来た時は必ず訪れるハタサット2というタイマッサージ店でフットマッサージを一時間だけ受けた。(300B+チップ50B) 足全体を念入りにマッサージしてもらうと、なぜか頭もスッキリする。日本にも安いフットマッサージ店があればと思うが、物価の比較でバンコクより五倍程度の料金設定の現実では足を運べない。 それならわざわざ航空運賃を使ってタイにまでマッサージを受けに来るのはおかしいというご意見もあるだろうが、マッサージを受けに来るわけではない、目的はあくまでも旅行である。 さて、約束の午後六時ごろに伊勢丹前でN君と待ち合わせをしている。サイアムで降りて約束の場所へ向かう途中、ヤイアムパラゴン前の広場ではクリスマスイベントが繰り広げられていた。大勢の人々とぶつかり合いながら先へ進む。この喧騒はもはや日本の新宿や渋谷のショッピングセンターと何等変わらない。 セントラルワールド前広場にもいくつもの巨大クリスマスツリーが電飾で覆われ光り輝いていた。さらにバンコクのビールブランドのビアガーデンが設けられ、それぞれ生バンドの演奏が行われていた。 目の前にはタイの老舗ブランドであるビアシン(シンハビール)のビアガーデンがあり、通路を隔てて隣には創業まだ20年ほどでタイで売り上げトップに出たビアチャン(チャーンビール)のビアガーデン、さらに反対側隣にはタイガービール(シンガポールのビール)のビアガーデンといった具合である。 今日はクリスマスイブの前日12月23日である。今夜でさえこのような賑やかさなのに、明日の夜はいったいどんな騒ぎになるのだろう。僕は伊勢丹の出入り口付近で口をポカンと開けてあっけに取られていた。 「藤井さん、お待たせしました」と、その時懐かしい顔が目の前に現れた。日本の大手商社系列企業に勤めるN君は、この日も仕事帰りなので会社の制服を着たままだった。 「どないしましょうか?ビアガーデンにちょっとだけ入りますか、生演奏がうるさいですけど、タイ人はこういうの好きなんですわ」 N君は半年前に比べて少しだけやせたような気がしたが、相変わらず愛嬌のある顔でホッとする。僕はタイで彼と飲むのが、目下の僕の生活の中で最も楽しみといっても良いくらいなのだ。 僕たちはタイガービールのビアガーデンに入っていった。席に案内されると、舞台の生演奏の大音響で、お互いの話が全く聞こえないほどだった。 |
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