第五話 2009年12月23日の夜、伊勢丹前に臨時に設けられたビールメーカーのビアガーデンのうち、シンガポールビールで有名なタイガービールのガーデンで僕とN君は辟易していた。 何に辟易していたかというと、舞台から放たれる生バンドの大音響にである。 この大音響は異常なくらい巨大音響で、一メートル前のN君の言葉が全く聞こえないのだ。当然僕がN君に伝えたい言葉も聞こえないわけで、ほぼ口パク状態。 しばらくガイヤーン(焼き鳥)をあてに生ビールを飲んだが、「場所変えまひょか、こりゃあきまへんな」とN君が提案したので、当然僕は同意した。 いったい、タイ人は耳が良いのか、それとも逆に悪いのか、或いは聴覚構造が日本人とは異なっているのか、これだけの大音響だとウエイトレスも客の注文を聞き取れないと思うのだが、謎である。 さて、ビアガーデンの大音響を背後に聞きながら、僕とN君は落ち着く場所を思案した。 「ワールドトレードセンターの上階にあるハイネケンのビアホールならこんなことはないと思うんですけどね」と、N君は見上げたビルの高層階に光り輝く「ハイネケン」の電飾を指差しながら言った。 「そやけど、またビアガーデンみたいに生演奏やってるかもしれまへんから、やっぱり場所を変えましょか」 N君の更なる提案で、僕たちはBTSスカイトレインのチットロム駅から三つ目のアソークまで移動した。 バンコクではBTSの運賃が高く、これくらいの距離で二人ならタクシーのほうが安いのだが、クリスマスイブの前日にもかかわらず、通常の仕事帰りのラッシュアワーとも重なり、市内の交通は麻痺状態だったのでやむなくBTSに乗ったというわけであった。 アソークで降りて少しナーナー方向へ戻ったところのソイに、日本人が経営する焼鳥屋があるとのことで、「長いこと焼鳥を食べてないのでここでいいですか?」とN君の希望に同意した。僕としては好き嫌いはないし、N君とビールが飲めれば何でもよい。 スクンビット通りから入ったソイはかなり広い通りで、近くには高級ホテルや高級レストランなども見られたが、僕たちが入ったのは小さなビルで、階段をトントン二階へ上がったところにある暖簾のかかった店であった。 店内はカウンター席がズラッと十数席、その奥に個室が一つあり、僕たちはその個室へ案内された。N君は以前よく来ていたそうで、かなりここでお金を使った常連とみられ、店主が「お久しぶりです、よく来てくれました、奥へどうぞ!」と丁重な応対を受けたのであった。 こうなれば腰を据えて飲むしかない。僕たちは焼鳥はそれほどたくさん注文しなかったが、シンハビールの大瓶を十数本も空にした。お勘定が、日本で二人で焼鳥屋へ行ってビールをお互いにジョッキ3杯ずつ程度飲んで、焼鳥をたらふく食べた位の金額になった。 N君のタイ人批判話や、僕の日本でのドリンキングライフなどで会話が弾むとともに、二人とも急速に酔いが体を支配してきた。日本では今頃まだスタッフさんたちが残業して、イカれた客の対応をしているのだろうなぁと思うと、今の僕のこのグータラした状況を客観的に見て、嬉しさが交差した苦笑いが自然と出た。 「一等食堂に行きましたか?」 そういえば忘れていた一等食堂の件を、N君が突然話し出した。 「Mさんから、『そろそろ藤井さんが来るころだから、前の店は乗っ取られたので行かないように伝えといて』と言われてたんですわ。行きましたか?」 「昨日の昼間に覗いてみたけど、全然知らない店員がいて、変なオッサンがビール飲んでたけど、乗っ取られた?それはどういうこと?」 N君の言葉に僕は驚いた。乗っ取られたってどういうことなのだろう、それにMさんはどうしているのか? |
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第六話 2009年12月23日の夜は、N君とアソークにある焼鳥屋でしこたまビールを飲んだあと、場所が場所だけに近くに所在する「某所」へ繰り出した。(勘の良いバンコク好きの方ならすぐに「ああ、あそこか」とお分かりになると思いますが) 「某所」とはどこなのか、そしてそこでどのような怪しい展開が繰り広げられたのか、或いは繰り広げられなかったのか・・・この夜の活躍劇は述べられませんが、酩酊して宿に帰ったのは深夜二時を過ぎていた。 従って翌日はフラフラで、遅めのビュッフェ朝食を摂ったあとは、はひたすらベッドで寝続けた。ドミトリーはエアコンが効きすぎていたが、毛布をかぶるとちょうど良く、心地良い睡眠が取れた。 日本での暮らしにはない睡眠の心地良さが、ここのベッドには存在する。このままでは丸一日でも寝続けていられそうだったが、夕方四時ごろにようやく起きて、再びMさんの店に行くことにした。前夜、N君から一等食堂乗っ取られ顛末話を聞いたからである。 それは次の通りの驚くべきタイ人の横暴と呼ぶべき行為であった。 ランナム通りで8年前に「一等食堂」を開業し、地道にコツコツと店の経営を積み上げてきたMさん、酒は好きだが女遊びや博打は一切やらない真面目な性格なので、ランナム通りの賑わいとともに店も繁盛し、ここ二〜三年はかなり儲かるようになったと語っていた。 店は3階建の建物の1階と2階部分を賃借していて、3階に大家が住んでいた。大家の息子は普通のサラリーマンで人柄は良いとのことだったが、大家自身が欲深い性格で、簡単な言葉で形容すると「強欲爺」だったようだ。 もちろんMさんは月々の家賃をきちんと支払っていたのだが、かなり前から大家が家賃の前払いを要求してきて、それが当初は一ヶ月先の分だったものから、二ヶ月分先を要求するようになり、最近は数か月分先の家賃まで前渡ししている状態だったとか。 大家自身が金に困っているわけではないと思われるが、それなら何故こんな法外なことを言ってくるのかというと、Mさんの立場に付け込んだ悪質なもの以外の何ものでもないようだ。 詳しくはMさんのプライバシーに関わるので述べないが(と言いながらさんざん書いているが)、もしかすれば法外な要求に言い返せない何か弱みがあるのかも知れない。 前回の2009年7月に訪ねた時も、「次に藤井さんが来られるまでここで営業しているかどうか分かりません。大家の無茶な要求がいよいよエスカレートしてきて我慢の限界なのですよ」と言っていた。 タイで事業や店を営もうと思えば許可が必要である。当然、納税の義務も生じてくると思われるが、Mさんは長年タイに滞在しているが、いわゆる就労ビザや留学ビザなどの類とは無縁で、観光ビザの繰り返し組みなのかも知れない。 あまりに詳しく述べるとそれこそプライバシーに関わるが(既にかなり詳細に述べてしまったが)この日あらためて一等食堂の前を通ったら、木板に大きく「一等食堂」と書かれた看板もそのままだし、店内を少し覗くと本も調度も何から何まで前と同じだった。 冷蔵庫もそのままのようだ。要するに店がまるごと全部取られたということなのか? ともかくランナム通りを抜けて広い通りへ出て少し歩くと、ホテルの1階に「長月」の暖簾が見えた。N君の話ではこの店が新しくオープンしたMさんの店とのことだ。 Mさんはこのホテルの一室を住処として、長期契約で借りており、つまり住居と同じビルの一階で店を開いたというわけであった。 高級ホテルではないが、僕も以前何度か泊まったことがあり、ごく普通の部屋で、短期滞在の利用客はもちろん、Mさんのようにアパート代わりに使っている人もいる。 「長月」と書かれた暖簾をくぐって店のドアを開けるとMさんが立っていた。 「そろそろお見えになると思っていましたよ」と彼は笑いながら言った。 |
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第七話・ノンカイへ その一 昨日「一等食堂」に立ち寄ったあと、Mさんが長期契約で住んでいるホテル前を通ってBTSのパヤ・タイまで歩いたのだが、ホテルの一階に新しく開いた「長月」に気がつかなかった。 「藤井さんが7月に帰国されたあと、すぐに店のシャッターのキーを変えられてしまったのですよ。店の中の備品すべて、本もCDやDVDも全部やられました」 Mさんは笑いながら言う。 「それって泥棒と同じじゃないですか。警察に相談しなかったのですか?」 日本で同様のことがあると、家賃が滞納していたら別だが、逆に家賃をずっと先まで前払いをしているのだから、これは争った場合100%勝つだろう。日本ではこのような大家の横暴は有り得ないだろう。 「藤井さん、ここはタイです。それに大家は僕の弱みに付け込んでいるのですよ」とMさんは苦笑いをする。つまりMさんは正式な営業届けをしていないかもしれないのである。(していたらごめんなさいMさん) 「まあ、すぐにここをオープンしましたし、従業員もついてきてくれましたから、争いはせずに綺麗サッパリ忘れて、心機一転『長月』でもう一度コツコツやっていきますよ」 屈託のない笑顔でこう言うMさんに僕はホッとした。しかしすぐに新しい店を立ち上げるあたり、Mさんのすばやい動きと経済力に感心する。 さて久しぶりなのでMさんと店でドンドン飲んだ。店の従業員の女性も前と変わりなく、客が来てテーブルについてもなかなか注文をとりに行かないし、客が帰るときもちゃんと見送らず、好き勝手している。(笑) そのたびにMさんがタイ語で何か注意しているのだが、こういう日本では考えられない、一種のナーナー的主従関係が僕は好きである。 ビールのあとは焼酎(タイで作られた米焼酎だとか)を一本二人で空けた頃には閉店の時刻となった。昨夜行きそびれた泣く子も踊るソイ・カウボーイへ行こうということに相成った。 この夜はクリスマスイブである。ソイ・カウボーイは各店の前にセクシー系やコスプレ系や女王様系にいたるまで、様々なダンサーが客を引っ張り込もうと出ており、その怪しげなエロティックに、僕の目玉は驚きのあまり飛び出しそうになった。 これまで度々入ったことのある「バカラ」に飛び込むと、メインステージではおっぱい丸出しトップレスダンサーが踊り狂っており、その周囲のかぶりつきの席では欧米人のスケベオヤジや中国系のハゲオヤジなどがよだれをたらしてダンサーの股間に目が釘付けになっている。 二階席はガラス張りになっており、見上げるとそこには綺麗な星空はないが、ダンサーのスキャンティに隠された股間とピンヒールが見えた。心が躍る。 踊れや騒げ、今夜はクリスマスイブだ。ダンサーへのオヒネは無いのか!この中国系金満スケベケチオヤジ!などと叫んでいると、すっかり酔っ払ってしまって目に映る風景が回りだした。 踊るトップレスダンサーも回っている。イタ公かアメ公かそれとも難しい顔をしたドイツ野郎か、或いはすばしこく動き回っているラエリーか何か分からんが、みんな回っている。隣ではMさんが静かにステージを眺めているのがかすかに見えた。そして僕は酔いつぶれたのであった。 どのようにしてゲストハウスへ戻ったのか定かな記憶がない。目が覚めたらベッドで普通に寝ていたようだ。近くの欧米人も「モーニン」と普通に声を掛けてくるところをみると、特に酔っ払っての迷惑行為はなかったようだ。 一階に降りて朝食を摂ってからメールをチェックしたら、ミャンマーへ同行することになっていたT氏からメールが届いていた |
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第八話・ノンカイへ その二 今回ミャンマーへ一緒に行く予定になっていたT氏からメールが届いていた。 内容は、目下タイ北部の国境の町・ノンカイにいらっしゃって、表面張力という名称の駅前にあるゲストハウス(僕も泊まったことがあります)にて体調を崩し病臥に伏していらっしゃるとのことだった。 「そうか・・・そうなのか・・・」 T氏が体調不良、ミャンマー行きチケットをT氏とカオサンで合流したあと一緒に購入する予定だったのだが、さてどうしよう。僕はコーヒーを注文してゆっくり味わいながらしばらく考えた。(ゲストハウスのコーヒーは最高です、スタバの豆をオーナーが購入しています) 今日は12月25日、三年前にバンコク・ホアランポーンからノンカイ行きのチケットを購入しようと駅窓口で「Full!」と冷たい返事を浴びせられたのが確か12月29日だったはず。今夜の夜行列車のチケットならきっと空いているはずだ。 僕はT氏のメールに返事を送ったあと、思い立ったように身支度をして(といっても短パンにTシャツにバンダナなのだが)、ホアランポーン駅へ急いだ。ゲストハウスには今日の宿泊料も既に支払っているがたいしたことはない。 T氏は既に70を少し超えていらっしゃるのだ。65歳で現役をリタイアして、様々な仕事関係のつながりを断ち切ってバックパッカーとなった凄い人である。(最後はオフィシャル団体の役員だったようだ) 一年のうち、寒い時期に入る11月初旬に日本を離れ、主に東南アジアを放浪して毎年4月下旬から5月初旬に帰国される。留守の間、愛知県の実家は奥様がジッと無事の帰国を祈っていらっしゃるのだ。素晴らしいことである。 T氏と初めてお会いしたのは2008年の1月下旬から2月上旬にかけての3度目のバンビエンを訪ねた際であった。 帰路、ノンカイで3泊ほどしたのだが、前述の、駅前にあるゲストハウス「表面張力」にお世話になっていたら、T氏がタイ北部の秘境と当時はいわれていた「パーイ」から戻ってきた。 ちょうど、その日の夜行列車でバンコクへ戻る僕を駅まで見送ってくれて、缶ビールとおつまみまで差し入れてくれた。そして列車が動き出すまで手を振って見送ってくれたのだった。嬉しかった。 旅行中の出会いは本当に一期一会である。さよならだけが人生ともいわれるが、旅行もさよならの繰り返しである。ただ、そのような繰り返しの中で、共有する時間を、緊張とリラックスとの混在したひと時を過ごせて、コーヒーの一杯、ビールの一杯でも共にすることができれば、それは素敵なことであり、先々の懐かしい思い出となるのだ。 さて、ホアランポーンの駅に毎日来ているような錯覚に陥りながらも、窓口にノンカイ、トゥデイ、20::00デパーチャー、エアコンスリーピング、アンダー!と叫んだ。するとチケット売りのオネイサンは「上段しかないけど、いいかな?」と言う。上等である、エアコン二等寝台680B。 即行でノンカイ行きチケットをゲットした僕は、一等食堂改め長月のMさんに報告と挨拶をするために、地下鉄とBTSを乗り継いでアヌサワリー駅へ向かった。 BTSと地下鉄にも、今回バンコクに到着後毎日乗っているような気がするし(現実そうなのだが)、ソイ・ランナムにも毎日訪れているような気がした。(そうなのだが) ここ数年で急激に人の往来が増した感のあるソイ・ランナムは、ちょうどランチタイムでもあり、タイ人のサラリーマンやオフィスレディや、ネクタイを締めた欧米人やインド人などが通りの両側に乱立するレストランで賑やかに食事をしていた。 長月のドアを押すとMさんがいた。店にはお客さんが数組ランチメニューを食べていた。Mさんはランチタイムと夜しか店には出ない。それ以外は主に部屋で読書をしているようだ。かなりの読書家である。 「あれ?藤井さん、どうしましたか?」 昨夜のソイ・カウボーイでの興奮冷めやらぬうちに訪れたこともあってか、Mさんは少し驚いたようだった。 「今夜の列車でノンカイへ行きます。一緒に行く予定の人が病気でダウンしているんですよ」 「それでは今回はまたラオスですか?」 そうなのだ、僕はもうラオスを6度も訪れている。「なのにあなたは京都へ行くの」というチェリッシュの懐メロがあるが(知らんかな)、「何故にあなたはラオスへ行くの」という印象をMさんは受けているのかもしれない。 でも病臥に伏しているミャンマー戦線突撃予定の戦友を放っておけないではない。勿論、T氏が隊長で僕が部下となるのだが、体調悪化の隊長を、ともかくはお見舞いに行くことに相成ったのでありました。 |
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