行くぞ!ミャンマーの予定が、なぜか雲南


第二十五話


 
2009年12月29日の夕食は、中国の雲南地方にある小都市・洪景(ジンホン)のバスターミナル近くの小さな食堂に飛び込んだ。

 4人掛けのテーブル席が四つあるだけの小さな食堂だが、店先で大きなフライパンを振り回して、炒め物を中心とした料理を作り、大きなボールにそれらを入れて、仕事帰りの人たちを相手にテイクアウトも行っていた。

 店には紺色の作業服か人民服か分からないが、地味な服装の6人の男性グループがいて、真ん中に置かれた惣菜の入った三つのお皿を全員がつついてご飯を食べていた。

 まったく言葉を交わさないで黙々と食べている姿に少し違和感を覚えながらも、僕は隣の席に着いて適当な惣菜を指差し、そしてビールの小瓶を注文した。

 ビールは青島ビールのような色の瓶だったが、銘柄は違っていた。それでもご飯とスープと惣菜とビールとで8元(ちょうど100円程度)と安かった。

 
ビールは雪花という銘柄ですね
 

 ビールは軽かったがそれなりに美味しく、惣菜は脂っこかったがスープが絶品で、100円で晩飯を食べられるのだったら長期滞在しても良い町かなとフト思ったりした。でもどうも居心地が良くないのを感じていた。

 6人グループは本当に誰もしゃべらず、黙って箸を動かし、口をモグモグしている姿はいったいなんだろうと不思議だった。おそらく現場仕事の帰りに、雇用側が用意した夕食だろうと推測されたが、あまりに寂しい雰囲気の夕食じゃないか。

 食堂を出て少し街歩きをした。街灯がたくさんついていて、街は明るかった。大きな公園から巨大なボリュームの音楽が聞こえてきたので行ってみると、なんと、大勢の市民がディスコティックなサウンドに合わせてエアロビクスの真っ最中。

 
公園でリズムに乗って踊る老若男女(あまり乗っていないが)
 

 若い女性が多いが、おばさんやおじさんも一緒になって手足を動かしている姿は、日本ではあまり見かけない光景だった。

 通りには様々な店が並んでいて、デパートのようなショッピングモールもあれば、日本の家電量販店のような大きな電気店もあった。

 まだ宵の口、カップルや職場の同僚など大勢の人々が通りを歩き、公園のベンチでくつろいだり、ショッピングなどを楽しんでいた。でもなぜか僕はリラックスできなかった。寂しさの風が心の中を吹き抜けたような気がした。

 午後八時過ぎ、まだまだ早い時刻だが、バーや屋台の飲み屋の類が見当たらないので、仕方なくホテルへ戻った。探せばこの洪景市内にも歓楽街はあるだろうが、その気にはならなかった。夜になると少し肌寒く、熱いシャワーで体を温めた。

 フロントに下りていくとさっきの男性が一人で受付にいた。ランドリーサービスはあるかと聞いてみたが、首を振ったのでそんなものはないのだろう。

 部屋に戻って広いベッドに寝転がり、ゴルゴ内籐の「太陽と風のダンス」を読んでいたら、眠くなってきた。明日はもうラオス方面へ戻ろうと思った。


 二十六話


 
随分と疲れていたのだろう。夢ひとつ見ずにぐっすり寝て、目が覚めたら既に七時を過ぎていた。熱いシャワーを浴びてから朝食に出た。

 昨夜、晩御飯を食べた食堂ではベトナムのフォーのような麺が湯気を立てていた。早速注文、少しの野菜と薬味を入れて食べてみると辛目の中華スープのような味。満足の4元(52円)であった。

 宿に戻り、もう一度考えてみた。でもやっぱり今日はラオス方面へ戻ろうと決めた。西双版納(シーサンパンナ)の洪景(ジンホン)の町は、中途半端な町であるような気がした。

 町の規模はそれなりで、商業施設や公園や飲食店や様々なものすべてがそろっている様子であったが、人民が多く、僕が歩いた範囲には人々があふれており、正直なところ全く落ち着かなかった。

 そうなると今日は十二月三十日だ。明日の大晦日はなんとしてもラオスのどこかの町で迎えたい。一刻も早くこの町から出たい気持ちに包まれた。やっぱり中国はじっくり腰と心を据えて、改めて訪問したいと感じる。

 宿をチェックアウトして、バスターミナルでモンラー行きのチケットを買った。(40元−520円)バスはミニバスだという。つまりマイクロバスみたいなものだ。

 ターミナル内の売店でパンやカボチャの種や水を購入、これで5元(65円)だから、やはり物価は安い。待つ時間も少なく、まもなくバスは出発した。

 洪景(ジンホン)からモンラーへは二時間あまりで着いた。かなり高速道路を飛ばしていたようだった。ところがモンラーは国境の町ではない。ラオスと中国との国境の町はモーハンなのだ。

 到着したバスターミナルの窓口でモーハン行きのチケットを求めたが、ここでは売っていないと言う。どこで売っているのかと聞いていたら、小柄で怪しげな男が、「もうひとつのバスターミナルだ。売っているからついて来い」と言うのだ。

 ついていくとその男は自転車の後ろにリヤカーのようなものをつけて走っており、そこに乗れと言う。情況が分からないまま乗ると、五分ほど走ったところにある別のバスターミナルに連れて行かれた。

 「ここの窓口で買えばいい」と男が言うので、10元のお礼を渡して窓口へ向かおうとしたら、もっとくれと言う。うっとうしいのであと5元渡したが、いったいあの男は何なのだと不思議に思う。

 窓口でモーハン行きのチケットを購入、17元(200円弱)だった。ターミナルのトイレを利用しようと思ったら、有料となっていた。料金は忘れたがおそらく1元紙幣を渡しておつりがきた。

 このトイレが驚きで、いわゆるニーハオトイレという代物だった。僕が入った時は、少し上手で一人の男がしゃがんでいた。チョロチョロと水を流している水路に向かって、大も小もいたすわけであるが、僕が水路を覗いてみると、大きな糞がまだほとんど流れずに残っていた。

 さて、モーハンに向かってバスは出発した。僕の席は最後部、隣には若い女性が二人座っていた。ちょっと話しかけてみると、ラオス人だという。名前はシーとレック、二人ともビエンチャン大学のレッキとした女子大生、レックの専攻はジオグラフィと言う。

 ジオグラフィってなんだったかなと、僕の脳の英単語フォルダを駆け巡らせると「地理学」だと分かった。

 レックは、フジTVの「北の国から」に出ていたころの横山めぐみにそっくりの美人、シーもセクシー系の女性で、二人ともとても可愛くて性格も良さそう。

 彼女たちからミカンをもらったり、僕がカボチャの種をあげたりしながら、お互いに危なっかしい英語で会話を続けた。そして彼女たちは今夜、あるところに泊まるのだというのだ。


 第二十七話


 中国とラオス国境の町・モーハンへ到着したのは十二時半を少し過ぎた頃だった。

 モーハンからラオス方面のバスは既に無いと、モンラーのバスターミナルの窓口で聞いていた。チケットがあるならそこで買えたのだが、「没有」(メイヨー)と言われてあきらめた。

 モンラーからの車中での会話で、ラオス人女子大生のシーとレックはラオス北部のルアンナムターという町へ行くことが分かった。国境を越えた先にはバスはないが、どうやってルアンナムターへ行くのかと聞くと、「親戚が迎えに来てくれている」と言うのだ。

 「それなら僕もその親戚の車に乗せてもらえないかな?ルアンナムターで泊まろうと思う」

 国境まで来たが、モーハンでは泊まりたくない。一刻も早くラオスへ入国したい。僕の気持ちはかなり焦っていた。そこに彼女たちの救いの言葉があった。

 「分かりました、頼んでみます。おそらく大丈夫」

 レックが天使のように微笑ながら言った。ラオス人の若い女性は本当に可愛い人、綺麗な人が多い。今回の旅行でも、タイのノンカイから国境を越えて、ビエンチャンへのトゥクトゥックに途中から乗り込んできた二人の女性が、内田有紀と宮崎あおいだった。(似ているという意味ですよ、念のため)

 街中を散歩していてもスリムな体躯、細くて長い足の女性が目に付く。それがどこの国でも同様だが、年齢とともに贅肉がつき始め、中年以降は完全な肝っ玉母さん風に変貌してしまうのは年輪の残酷さか。

 シーとレックは現役のビエンチャン大学生(ラオスではトップらしい)、顔付きから頭の良さが窺える。年末年始の冬休みを利用して、二人で中国の昆明へ一週間ほど旅行に行ってきたらしい。

 大学は新年の4日から早々と始まるので、ルアンナムターの実家へ帰っても、3日にはビエンチャンに戻らなければいけないのだとか。

 モーハンに到着してバスを降りると、彼女たちはバッグの他に大きな袋を手に持っていた。僕はバックパックだけなので、「重いから僕が持つよ」と二人の手から手提げ袋を二つ預かってイミグレーションに向かった。

 中国のパスポートコントロールを抜けてラオスのイミグレーションについた頃には、実は両手が限界に近いくらいであった。他でもない二人から「持ってあげるよ」と言って預かった手提げ袋が意外に重たかったからである。

 レックが「Are you tired?」と聞くので、「No.I has gotten excited. 」と意地を張って訳の分からない返答をしたら、二人は噴出していた。

 日本のオヤジが強がりを言っているよ、って感じだったのか?

 さて、僕の入国手続きだけが随分時間がかかって、彼女たちが待ってくれているのか不安になったが、建物から出てみるとチャンと待ってくれていた。そしてレックが指差す方向を見ると、綺麗なワゴン車が止まっていた。

 レックが彼女の身内の男性に僕を紹介した。僕は「ありがとう」を連発して、彼の勧めに従ってワゴン車の後部席に乗り込んだ。

 ワゴン車は10人程度が乗れる大型で、韓国の現代社のものであった。彼女たちと僕と運転する男性と中年の女性が二人の、計六人を乗せてルアンナムターへ向かって出発した。

 往路は夜中で分からなかったが、山道は比較的綺麗に舗装されていて快適。二人の大学生と知り合った幸運を心の中で神に感謝したのであった。
 



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