第三章、ヴィエンチャンの夜は熱かった

 2.ビアラオ・ウイズ・日本人バックパッカ-達・その2
 
 フランスパンサンドと激甘のラオコーヒーで既に朝食を済ませたことを何故か言えなかったために、お腹が一杯のままN君とタラート・サオの方にブラブラと向かった。
 途中郵便局に寄ってエアメールを出そうと思ったが、今日は日曜日だった。 こちらに来ていると曜日の感覚がなくなってしまう。
 タラート・サオの周辺はヴィエンチャン市内で最も賑やかに思うくらい、乗り物や人々でごった返していた。 向かいにはワンヴィエンや南ラオス方面行きのバス乗り場になっていることもあって、朝から屋台やみやげ物売り場も営業しており、走って行く車が舞い上げる砂埃などを気にもせずに、市民が朝食を食べている姿が見受けられた。
 僕達は市場の前にズラーと軒を連ねた果物屋や野菜売り場の並びで、ヌードルを食べさせている1軒の屋台の前に座り、指を一本立てて注文した。 隣で現地人が食べているヌードルは、ベトナムのフォーのようなものであったので、僕はそれを期待して待った。
 間もなく前に運ばれてきたヌードルは、米粉で作った半透明の白い麺で、まさしくフォーにそっくりだった。 N君は香草が余り好きでないらしく、適当に唐辛子を練ったものを入れて食べ、僕は香草が好きだし、それにテーブルの上に適当に置かれている野菜類や調味料を加えて食べたのだが、ダシはやはり鶏がらスープをメインにしていると思われ、さっぱりとした味で、お腹が一杯でもこれくらいは美味しく食べることができた。
 彼も満足したようで、2人でお勘定を頼むとなんと12,000キープと言うのである。 一人6,000キープはいくらなんでも高すぎると思って、『So Expensive! Each3,000Kip Ok?』と言ったのだが、逞しいおばちゃんは首を横に振るだけで聞く耳持たないといった雰囲気なのだった。
 やむなく6,000ずつ支払ったのだが、これにはN君も、『ちょっとボラれたのと違いますか? あれがビアラオの大瓶とほぼ同じ値段ということはないですもんね』とニコニコしながら言っていた。(ボラれたといっても30円か40円程なんだけど、このあたり既に現地の貨幣感覚に順応していたのかもしれない)
 まあいいやということで、市場内でビアラオTシャツを122,000キープで購入し、昨日のトゥクトゥクのアニイとの約束の時間は10時だから宿に戻ると、既に宿の前ではアニイが準備万端で待っていた。
 『早いねぇ。 ちょっと待って、支度してくるから』といった感じの会話で(まあそんな感じなんだ)部屋に戻り、カメラや貴重品が入ったミニバックを首からぶら下げて外に出た。
 とりあえず値段の交渉を再度行っておこうと思い、『一人30,000キープでブッダパークとフレンドシップブリッジ、博物館の3ヶ所だね』と念を押すと、Okということで出発した。
 僕達を乗せたトゥクトゥクは、昨日来た道を逆方向に戻って行き、30分近くも走っただろうか、フレンドリーシップブリッジの入口を通り越して、ブッダパークという所に到着した。
 入場料を支払い(1,000キープだったと記憶しています)、中に入って少し歩くと、いきなり腕枕をして横になっている行儀の悪い仏様が見えた。 寝仏というらしいのだが、【何だコリャ?】と思ってその方向に行くと、さらに首がいくつもある仏様や、逆立ちをしている仏様など(これは冗談)、おかしなポーズをしている仏様がたくさん無造作に置かれていて、不謹慎だが苦笑いをしてしまった。
 入口付近にはジャングルジムのようなものがあり、勿論僕は上まで登ってパーク全体を見下ろして写真を撮った。 N君もあちこちウロウロしていたが、ここには登ろうとせずに、下から僕を眺めていた。
 きっといい年をして何をはしゃいでいるんだろう、てな感じで見ていたに違いない。
 僕達はトゥクトゥクに再び乗り、次に民族文化公園という所を訪れた。
 ここはブッダパークの近くにあり、入場料は1,000Bだったと記憶している。
 かなり広い敷地には野外劇場があり、その奥にはヴィエンチャン市民がアウトドアを楽しむような森林公園があり、若いグループが輪になって談笑しているのが見えた。
 そこを抜けるとメコン川に突き当たり、川沿いに立つと遥か向こうに友好橋(フレンドリーシップブリッジ)を仰ぐことができるのである。
 他にも敷地内にはラオス国内の民族の生活様式などを紹介した建物があったが、僕達が訪れた時は改装中で、室内はガラ-ンとしていた。
 僅か2ヶ所と、遠くに友好橋を眺めただけなのに、次第に太陽が高くなってきたこともあって、体中から汗が流れ出してきた。 N君はさすがにちょっと疲れ気味で、あちこち動き回り、時にはセルフタイマーで写真を撮ったりしている僕を見て、少し呆れていた様子だった。
 公園を出て道路の反対側で営業している出店に行き、トゥクトゥクのアニイに何か飲まないかと聞いたら、何でもよいというのでペプシを2本買ってちょっと休憩をした。 彼は32才で妻との間に3人の子供をもうけているとのことで、トゥクトゥクは本職だと語っていた。 僕に、『Your familly?』と聞くので、『I am single. But,I have two son.』と答えたら、首をひねって考え込んでいた。
 午後12時を過ぎたので帰ろうということになり、30分ほどかかってGHに戻り、約束どおり2人で60,000キープを支払って、宿の前でアニイと記念撮影をして別れた。 僕より15才も年下だが、しっかりした人物に感じた。 家族を守り、養っていくということは、どこの国の男性にとっても大変なんだと思った。
 そのままメコン川近くのレストランで昼食にすることにした。
 僕はフライドライス・ウイズ・ヴェジタブルにビアラオを飲み、N君は、『せっかくラオスに来たのですから、ラオス料理を食べたいですよね』と言って、地球の歩き方に載っているラオス料理の写真を店の人に見せて、『できまっか?』と聞いていたようだが、店の人は苦笑いをして首を振っていた。
 結局彼は日本でいう焼きそばみたいなものを食べて、ビアラオをグビッと飲んでいた。 かなり汗をかいたので、ビールが相変わらず美味しいと感じた。
 宿に戻り、N君が昼寝をするというので、僕はネットカフェに立ち寄り、再びマイHPに書き込みを行った。 何も更新していないのに、毎日7080ものアクセスがあり、本当にありがたいと思った。
 ネットカフェを出て宿に戻ると、入口の石テーブルで2人の日本人の女性がビアラオを飲んでいた。 僕が近づくと、『お疲れさまぁ』と言ってくれたので、僕はGHの女将さんからペプシを買って彼女達に、『どうもコンニチワ、ちょっと話をしていいですか?』と宗教の勧誘みたいな言い方をして、彼女達の前に座った。
 この2人の綺麗な女性の内一人の女性と、この先帰国まで同じ旅路を行くことになった。 彼女には気の毒だった気がするけど・・・。


  2.ビアラオ・ウイズ・日本人バックパッカ-達・その3

  ヴィエンチャン2日目の夕方に僕がネットカフェから戻ってくると、GHの前のテーブルでは綺麗な日本人女性が2人、逞しくビアラオをグビッと飲んでいた。

 僕は可愛らしくペプシを持って彼女達のテーブルに同席し、自己紹介と今回の旅の簡単な経過などを語った。

 彼女達も一人旅で、タイとラオス国境付近でどちらからともなく声をかけ、一緒に宿を探してきたらしい。 いずれも普通の会社員さんで、ゴールデンウイークを利用して10日前後の短期の旅である。

 2人とも関東の人で、一人はFさん、もう一人はHさんといって、いずれも社会人である。 年令はこの旅行記にはあまり関係がないので述べないが、Hさんは20代後半で、Fさんは彼女より少しだけ年上とのことであった。

 僕と同様に上司などに嫌味を言われながらもバックパッカ-としての旅を貫徹しているとのことで、本当は長期の旅に出たいが、仕方がないですよねぇ・・・とため息をついていた。

 あれこれ話をしていると、日本人の青年3人がGHを訪ねてきた。

 『コンニチワ』と挨拶を交わし、『ここのGHは綺麗ですか?』とその中の1人が聞くので、『まあまあじゃないですか』と僕が自分でも訳の分からない返答をしたら、彼等はともかくフロントに入って行った。

 結局彼等はそれぞれシングルルームを13ドルで(この値段でホットシャワー、エアコンつきらしい)借りて、ザックを降ろしてから再び外に出てきた。

 彼女達はメコン川のほとりのレストランで夕食を食べたいというので、少し早いけどブラブラ行きましょうということになり、ちょうど昼寝から起きてきたN君とを交えて総勢7人で、メコン川の土手の方に歩き出した。 N君はいつの間にこんなに大勢の日本人が集まったのかと、不思議そうな顔をしてニコニコしていた。

 夕方だというのに相変わらずヴィエンチャンの日差しは暑く、僕はバンダナを頭からはずせない状態で、汗もかいているのでちょっと頭が蒸れてきているような気がした。

 僕達は昨日夕食を摂ったところまでは随分遠いので、少し歩いたところの川のほとりに並んでいる野外レストランの1軒に入ることにした。 最も川側に突き出した位置のテーブルを二つくっつけて、男性5人、女性2人の計7人が、とりあえずビアラオを注文して、ラオスと日本とそしてここでの出会いに乾杯をした。(いやぁ〜、のんびりできるねぇ)

 このレストランは河川敷から川側は桟敷になっており、京都の鴨川や貴船などにある川床料理店にも似ていなくはないが、ここはヴィエンチャンで、乾季で殆ど流れのないメコンを見ながらのビアラオなので、風情というものはない。 ただ静かな大河の向こうに沈んで行く夕陽を見ながら、個人個人の人生や現在の取り巻く環境やなどに対し、様々な感慨に耽るひと時に違いないと思った。

 青年3人は、いずれも一人旅で、やはりヴィエンチャンに入る前にバスなどで知り合い、そのまま同行するようになったらしく、僕達と同じ社会人であったが、数ヶ月前に3人とも会社をキッパリと辞めて長期旅行の途中であった。

 しばらくビアラオを飲みながら、各自が注文した料理を食べながら、再度自己紹介のあと雑談をした。 これまでの旅のエピソードや、仕事を辞めるまでの苦悩や決心に至るまでの経過等々・・・。

 僕は彼等に、『この中で最も将来の可能性を秘めた立場だね』と羨ましさを込めて言ったのだが、3人とも口を揃えて、『無職のプーですよ。 でも言い方もあるものですね』と変な感心をされてしまった。

 夕陽がメコンの向こうに沈んでしまい、しばらくして彼女達がボーダー付近で一緒になって、ヴィエンチャン市内に着いてから別れたという男性2名と女性2名と、ナンプ広場当りで午後6時頃に待ち合わせているというので、じゃあ呼んできて一緒に食事をしようよということとなった。

 結局最終的には、男性が7名と女性が4名の計11人の賑やかな夕食となり、我々のテーブルの横にはビールケースが置かれ、その中に次々と飲み干すビアラオの空瓶が入れられて行った。

 11人の日本人の内訳は男性が、N(33)、青年達(30才、25才、もう1名不明)、あとで来た中国在住の現地法人副社長(35才くらいだったかな、ちょっとオタク風で怪しげに思った)、カップルのうちの男性(23才くらいかな)、それに僕。 女性が、同じ宿の2人とカップルのうちの女性(23才くらい)、そしてもう1人の美人(24才、この女性は本当に綺麗だった)である。

 一通りそれぞれの旅話をしたあと、職業についての話となり、中国に在住している現地法人副社長の偉そうな出世話を聞いている時は、無職の3人の男性は複雑な気持ちだったのかもしれないが、僕に対して、
『どのようなお仕事ですか?』と聞いてきて、『怪しげな仕事なんだよ』
と答えると、教えてくださいよと重ねて言われたのでついに、
『探偵だよ』と言ったら、皆身を乗り出して、
『えっ何? 何? 探偵っていう職業って本当にあるんだぁ。 松田優作さんのようにバイクに乗って尾行なんかするのですか?』などと、次々と質問攻めにあってしまった。

 ほらね,だから言いたくなかったんだ。()


   2.ビアラオ・ウイズ・日本人バックパッカ-達・その4


 ヴィエンチャン2日目の夜は日本人バックパッカ-11人で盛り上がった。

 河川敷で営業されている野外レストランで、メコンの静かな流れを横に、ビアラオを飲みながら旅の話やどうでもいいような話をして酔っ払うということは、本当に楽しいものだった。

 そこには何の利害関係も人間関係の憂鬱さや軋轢なども存在しない。

 全ての旅人が一人であった。 一人旅で何の関係も介在しないからこそ、このように楽しい会話で盛り上がるのだろう。

 人間関係、とりわけ男女関係のように気持ちの中にエゴが生じると、会話の中に駆け引きが存在し、このように心から楽しむことが出来なくなるのかも知れないと思った。

 『探偵って、実際どんな仕事をするのですか?』と美人が問い掛けてきた。

 彼女は23才で、短大を去年卒業したといっていたから、それなりに人生の紆余曲折を経験しているのだと思われたが、旅に於いても、『以前マレーシアに行った時に、宝石類を何故かうまく口車に乗せられて買ってしまったのだが、クレジットカードで支払ったところ、莫大な請求書が届き、支払時にカードをコピーされたに違いなく、慌ててカード会社に破棄を手続きし、被害説明を行ったのたが、その請求分については支払うしかなかった』と失敗談を語っていた。

 このように旅の失敗談は、その場の雰囲気をとても面白くするものだ。

 〔どこどこの国に行って、街は綺麗で物価は安く、GHのスタッフも親切で、現地で知り合った人と懇意になっていい思い出が出来た〕などという幸せ話なんか聞いたところで、【それはよかったね】とクソ面白くもない顔をされるのがオチだろう。

 旅の話は、カメラを盗まれたなどという失敗談や、下痢が止まらず大変だった、ビザが国境で取れずに街まで逆戻りしたなどという苦労話などが、聞く側の情報として興味深く面白いものなんだ。

 そういう意味では彼女の話や、3人の若者のうち一人がずっと下痢で、食事がロクに摂れないといった話は、『大丈夫?』と心配顔で声をかけるが、何を食べてそうなったのかや、胃腸薬はどんなものを飲んでいるのか、効果は?などといった話に発展するから面白いのである。

 話は元に戻るが、探偵業の仕事内容を問われた僕が、しばらく何と返答しようかと頭の中が固まっていた時に、さらに3人の若者が、
『どうすれば探偵になれるのですか?』と重ねて聞いてきたので、楽しい雰囲気を壊さないように真面目に詳しく説明することは控えて、
『全然カッコいいものじゃないよ。 泥臭い仕事だし、世間からは胡散臭く見られるのだからね。 実際、事件のなぞを解決するなどという、“明智小五郎”や“シャーロックホームズ”のようなことは絶対にあり得ないんだ。 日本では探偵なんて社会の落ちこぼれかヤクザが就く職業なんだよ。 労働時間は昼夜問わず長いし、収入なんて牛丼
2杯とチャーシューメンを食って、ちょっとキャバクラで遊べば飛んじゃうんだ』
と笑いながら言った。

 そして話を先ほどの美人のように、旅の失敗談や苦労話のほうに持って行った。

 3人の若者はラオスの北部の方から下って来たらしく、中国国境近くのマイノリティーの町やルアンパバーン、そして僕が明日向かおうと思っているワンヴィエンにも滞在したと話していた。

 『ワンヴィエンではタイヤチューブに乗って川下りの簡単なツアーに行ったのですが、ツアーといってもタイヤチューブを持って川の上流まで運んでくれるだけで、あとは自分で下って行くのですが、夕方から始めたら日が暮れてしまって、ちょっと怖かったですよ。 欧米人なんかそれでも必死で下っていましたよ』と、僕のこのあとの旅の参考になる話をしてくれた。

 又、彼等はこれからタイに入って、マレーシア方面に向かうのだと語り、他の8人は、中国赴任中の日本人を覗いて、全員がこれからラオスの北に向かう予定とのことであった。

 このように、思いもかけなかった大勢の日本人バックパッカ-との楽しい夜は更けて行き、そろそろ解散にしましょうかと言ってお勘定をしてもらうと、何と全部で約18kipであった。(2500円位かな)

 皆それほど食べなかったが、ビアラオは20本以上は飲んでいたから、本当に物価が安く、この街でどっぷり浸かっている旅人も結構いるのは納得できる。

 レストランの若い女の子は、夜遅くまで笑い声が絶えない僕達日本人旅行者を見て、呆れたように笑っていた。

 2,500円といえば、ラオスでは公務員の平均月収なのだから、いくら旅行者に対しての料金設定は現地人とは異なるといっても、【ずいぶんと派手にやっているな】というのが、商売とはいえ彼女達の本音なのではないかと思った。

 『じゃあ良い旅を! 気をつけて!』とそれぞれ声を掛け合って別れた。

 宿に戻る途中N君に、『僕は明日の朝早いバスでワンヴィエンに向かうよ。 君はどうするの?』と聞いたところ、『僕は一気にルアンパバーンに向かいますわ』と言うので、『僕もワンヴィエンのあとルアンに向かうから、もしかしたら又会うかもしれないね』と答えた。

 彼とは部屋をシェアしたり、2日間一緒に楽しく過ごさせてもらって感謝している。

 すると2人の美女のうち、Hさんの方が、『私も明日のバスでワンヴィエンに一緒させていただいて構いませんか?』と聞いてきた。

 僕は【構わないどころか是非一緒に行きましょう】と思ったのだが、そこは僕は中年の大人の男性だね。

 『あっ、いいですよ。 でも朝とても早いですよ。 7時のバスに乗りますが、座りたいので6時には宿を出る予定です』と言うと、『頑張って起きます。 もし6時にフロントに出てなかったら、起きれなかったということで、先に行ってください』と彼女は言うのであった。

 【これは運がよければ彼女と2人の4時間のバス旅行になるぞ】と心の中でニヤニヤしながら、『じゃあ明日ね。 おやすみなさい』と言ってN君と部屋に戻った。

 このようにヴィエンチャンの2日目は楽しく終わった。

つづく・・・

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