第四章、ヴィエンチャン〜ワンヴィエン

 

              1.63才バックパッカ- その1 
 楽しい晩餐の翌日、僕は朝7時のワンヴィエン行きのバスに乗るため5時頃に起きてシャワーを浴びた。
 髭をそってサッパリし、ザックをパッキングしているとN君が起きて、『ぺロ吉さん、僕もワンヴィエンに行きますわ。 エエですか?』と眠そうな目をしながら言うので、僕は別に断る理由はないし、旅は道連れだから、『それがいいよ。 小さな町らしいけど、昨日若者が言っていたタイヤチューブ遊びが面白そうだからね』と応えた。
 6時ちょうどに1階のフロントに下りて、2日分の宿代24ドル(16ドル×2人×2)を支払っていると、Hさんが洗面所から出てきた。(彼女はFさんとツインルームに宿泊しているのだが、ファン・共同シャワー・トイレなのだ。 これで113ドルとちょっと高いような気がした)
 『行けますか?』と僕が聞くと、『すみません、今すぐ支度をします』と言って部屋に入った。 Hさんはスッピンでも綺麗だなと思った。
 フロントでN君と彼女を待っている間に、何故か猛烈に下痢に襲われ、慌てて共同トイレに駆け込んだ。 昨夜はあまり食べていないのだが、きっと調子に乗ってビアラオをグビグビのみ過ぎたからに違いないと思った。
 トイレに入り便座にしゃがむと同時に、ほぼ水のような便が勢いよく飛び出した。(汚い話だけど、旅行記ではこういう話はキチンとしておかなくちゃね)
 【参った参った】と思いながらフロントに戻ると、既にHさんが準備万端で待っており、見送りにFさんも出てきていた。
 『駄目だ、下痢だよ』と僕が呟くように言うと、『正露丸がありますから飲みますか?』とFさんが言い、部屋から黄色いパッケージにラッパのマークの正露丸を持って来てくれた。
 差し当たり3粒をミネラルウオーターで流し込んでいると、Fさんはフィルムのプラスティック容器にこげ茶色の正露丸の粒をたくさん入れて、『これだけあればしばらくは大丈夫でしょ』と微笑みながら僕に手渡すのであった。
 僕はこれまでの長い人生で、綺麗な女性から親切にしてもらった経験が殆どなく、このような旅先でちょっとした親切に遭うと、単純にも何だかグッときてしまうのだ。
 Fさんはワンヴィエンには立ち寄らずに、今日の飛行機便で世界遺産に認定されている町、ルアンパバーン(Luang Phabang)に向かうのであるが、僕はこの時点ではワンヴィエンには一泊して、翌日の夕方にはルアンに入る予定だったので、『明後日の午後どこかで会いましょうよ。 正露丸のお礼に食事でもご馳走させてください』と言った。
 僕達は地球の歩き方を見て、プーシーの丘の近くにある“スカンジナビア・カフェ”を選び、店の前で午後6時に再会する約束をした。(これは決して下心があって強引に約束をしたのではありません。 みんなで一緒に食事をしましょうということです。 念のため)
 さて時刻は午前6時を少し回ったので、頑張って行きましょうと出発である。
 GHの前には客待ちのトゥクトゥクがたまたまいたので、3人で3000Kip(42)で行ってもらうように交渉し、Fさんに、『じゃあまた明後日ね』と手を振りながら宿を後にした。
 早朝から客を捕まえて嬉しさのあまりかトゥクトゥクの男性は、ヴィエンチャン市内におそらく12ヶ所しかない信号機の設置されている交差点を信号無視してしまい、偶然にもこんな朝っぱらから立っていた警官に、『おいおい、信号無視だぞ! 罰金だ!』と叱られ(ラオ語なのでサッパリ分からないが、雰囲気からこんな感じであった)、しばらく尋問にあっていた。
 トゥクトゥクの男性は、そんな尋問などニヤニヤしながら意に介さないという風に無視して走り出したら、警官も諦めたのか見逃していた。(日本では考えられないことだけど)
 僕達は6時半頃にタラート・サオ近くのバスターミナルに到着し、ワンヴィエン乗り場を確かめて、キップ売り場の窓口で購入しようとしたら、ワンヴィエン行きはバスの中で買ってくれとのことであった。
 バスターミナルには早朝から乗客や物売りなどが溢れてごった返しており、町から離れようとするこの時になって、ようやく首都・ヴィエンチャンの中心街であることを実感したのであった。
 ワンヴィエン方面の乗り場には既にバスは来ており、乗り込むと半分程の座席に客が座っていた。 ざっと見渡すと欧米人が多く、日本人は一人もいなかったが、このあと日本人と思われる客として、30才前後の青年とかなり年配の男性、さらに年配の男性と若い女性など数人が乗り込んできた。
 僕は下痢だから朝食は控えたが、N君とHさんとは一旦座席を確保してから朝食を買いに出て、フランスパンのサンドイッチとミネラルウオーターを持って戻ってきた。 美味しそうなそのフランスパンを見て、再び食欲がグッと出てきたが、しばらく様子を見ようと思って涙を飲んで諦めた。
 僕はN君と並んで座り、前の席にはHさんが座って出発を待った。 バスが出発するまでに、フランスパンやお菓子や飲み物、果ては時計から雑貨類に至るまで、様々な売り子(といってもおばあちゃんが殆ど)がバスの中に入ってきたり、窓の外から声がかかり、ラオス人の商売熱心さを感じた。
 ターミナルには各方面行きのバスがたくさん止まっていたが、ガイドや旅行記などで噂のトラックバスは一台も見かけず、全部普通のバスだった。
 確かにエアコンなどという贅沢なものはある筈がなく、見るからにオンボロの日本製や韓国製のバスであったが、僕たちの乗ったバスもシートにクッションは殆どなかったが、それほどひどいものではなかった。
 さてバスはどういう訳か定刻の午前7時には出発し()、その時点で既に満席状態であったが、ターミナルをグルグルとゆっくり回りながら、車掌が、『ワンヴィエン方面に行く客はおまへんか〜』といった感じで人々に声をかけていた。 
 ヤレヤレこれ以上まだ乗せるのかよ。

 

    1.63才バックパッカ- その2 

 ワンヴィエン行きのバスはターミナルをゆっくりグルリンと一周して、その間にも2,3人の客をピックアップしていよいよ市街地に出て出発だ。
 社内の座席は全部埋り、客席と運転席との間の少し広いスペースには旅行者のザックや現地人の荷物などが置かれていたが、それでも空いているスペースにそのまま腰をおろす現地人もいた。
 バスはラオスの北部に通じている唯一の国道である13号線を、快晴の青空の下で気持ちよく走り出したが、大阪の漫才師の大木こだま・ひびきのこだま(そんな奴おらんやろ・・・のギャクで有名なんだけど、関西以外の方は知らないかな?)にそっくりな大柄で愛嬌のある車掌が、バスのタラップに立って道路沿いでバス待ちをしている客を見つけると、運転手にストップを言って乗せるのである。
 勿論バス停留所のようなものはなく、現地の人々とバスとの間で暗黙のうちに決められているようなところでバスを待つのだろうと思われた。
 バスはビエンチャン市街地を走る間に、何度もそのような形で止まって乗客を乗せ、窓からの景色から建物が消えて田園風景に変わった頃には、車内は乗客で満ち溢れていた。
 それは勿論日本での首都圏の通勤バスのようなすし詰め状態ではなく、
2人掛けの座席に3人が座ったり、通路までは座らないが、運転席の後ろにゴロリと置かれた大きなスペアタイヤの上に座ったりという状態で、確かにオンボロの座席で、しかも前の座席との間が狭いなど快適とはいえないが、特に息が詰まるというものではない。
 むしろ車掌や現地人などとの楽しそうな会話の様子が窺えたり、時々笑い声などが車内に響くなど、なかなかほのぼのとした雰囲気なのだ。
 しばらくして奥の座席から車掌が運賃を集め始め、僕達にも5,000kip(70円程)を集金したが、現地人からいくら運賃を貰っていたかは分からなかった。
 ベトナムではハノイ駅でも外国人と現地人との運賃の差が明確に表示されていたが、ラオスはどうなんだろう? まあしかし、
4時間のバスの旅が70円なのだから、何も文句を言うような問題ではない。
 時々野菜などの入った大きな荷物を持って乗車してくる現地人が、短い区間で下りて行く際に運賃を支払う時、そのこだま車掌は、『これだけじゃ本当は足りないんだけどね』といった顔で苦笑いをしていた感じなので、現地人に対しての運賃は曖昧な部分があるのかもしれない。
 文字ではなかなか言い表せないが、乗り降りしていく現地の人達は皆、衣服や履物などにやはり貧しさが十分窺え、まだまだラオスという国は発展途上というよりも、フランスの抑圧から抜け出たあとの長い内戦の傷跡から、ようやく何とか腰を上げたという印象を拭えない。
 ただ人々の表情には暗さというものが見受けられず、インドシナの人々特有の明るさが窺えることに、部外者の僕でも少し安堵感を覚えるのであった。
 さてバスは両側に田園を従えてしばらく走った後、少しずつ緩やかな坂道を登り始め、カーブが多いので体が左右に傾くが、緑の多い景観は見ていても飽きることはなく、僕は車酔いもなくバスの旅を楽しんだ。
 隣のN君とも時々言葉を交わす程度で、殆ど彼は眠っていたような気がする。
 しかし前の座席に座っているHさんは、運悪く2人がけのシートに3人が座る破目になり、しかも彼女は窓側の席で、すぐ隣に座った浅黒い青年が彼女を少し意識している様子が後ろから窺え、別にその青年が憎い訳ではないが、個人的にヤキモキしてしまうのだった。
 具体的にどういう状態かというと、道路は山裾をに沿って作られているので当然カーブが多く、バスが彼女の側にカーブした際に、青年の体が彼女の体にググッと押し付けられるという羨ましい状態になるのだ。
 青年は彼女と体が触れると、少し恥ずかしそうにしながらも意識する、といったおかしな素振りで、反対側にはおばあさんがお尻を押付けてくるので止むを得ない部分はあるが、彼女の方に
1時間に1ミリずつ位ににじり寄っているような気がするのだった。
 彼女はそんなことを全く意識せずに、コックリコックリと寝ておられたが、後ろの僕はそれがずっと気になって、なかなか寝るに寝れないのであった。
 そんな小市民的な感情を持ちながらもバスはどんどん走り、2時間程が経過すると、道路沿いの小さな空き地辺りでトイレ休憩のため停車した。
 バスから解放されて少し麻痺状態になったお尻をさすりながら、空き地の奥の方で用を足したが、女性は男性と違ってこんな青空トイレで用を足す訳には行かないだろうし、ちょっと気の毒な気がした。
 いい天気だなぁと空を見ていると、かなり年配の日本人男性が声をかけてきた。
 『あのう、日本の方ですよね』 『はい、そうですけど』 『もしお邪魔でなければ、ワンヴィエンでご一緒させていただけませんか? 何しろ年寄りの一人旅なものですから・・・』 『こちらこそお願いしますよ。 大勢の方が楽しいですから。 僕達3人も1人旅で、ヴィエンチャンで知り合ったのですよ』
 と言葉を交わし、着いたら一緒の宿にしましょうということになり、再びバスに乗って出発だ。
 この男性はのちに分かるのだが、63才のバックパッカ-で、岡山から一人旅をしていて、今回はタイからラオス全域を回りたいとのことで、2週間の予定らしい。
 このような人がいると、僕にとっては本当に励みになっちゃうんだね。


2.      ワンヴィエンリゾート その1
 
 朝7時にヴィエンチャンを出発したバスは、途中1度だけトイレ休憩をしただけで、午前11時後頃にはワンヴィエンに到着した。
 ワンヴィエンはVang Viengと書き、バンヴィエンと読む人もいたり、ガイドブックによっても異なるが、それはどちらでもよい。 でも現地の人がワンと発音していたので、僕は犬のようにワン!ヴィエンと呼ぶことにした。
 首都・ヴィエンチャンより北に約180km、国道13号線をルアンパバーンに通じる山岳道路の入口辺りに位置し、ナムソン川から臨む岩山は、中国の桂林を彷彿させるような景観である。(らしい。 僕は中国には行ったことがないので)
 町は端から端までが大げさに言えば500600m(ちょっと大げさかも)、村という感じがする程小さく、内戦が激しかった20年以上前にはアメリカ軍の基地があり、当時使用していた飛行場跡が町の東側にだだっ広く残っており、そこがバス発着場にもなっている。
 さてバスを降りるとトゥクトゥクが数台待機しており、早速客引きが声をかけてきた。
 僕達は3人に、途中の休憩で声をかけてきた63才の男性と、年配の男性とその娘さんという感じの2人との6人で一台のトゥクトゥクに乗り、あるGHの前に連れて行かれた。
 ここで父娘とみられる2人は他のGHを探しに行き、4人がそのGHで部屋を見せてもらうことにした。(この辺りの経緯は詳しく憶えていない)
 ここはタビソックGHといって、地球の歩き方には掲載されていないが、ほぼ街の中心に位置し、少し歩けば銀行もあり、市場や郵便局までも徒歩3分ほどの距離なのである。
 GHは広い中庭に大きなテーブルが置かれ、向かって右側が家族の住居となっており、奥にある建物は木造2階建ての、各階5部屋、計10部屋で、シングルルームはファン、ホットシャワー・トイレ付きで一泊30,000kip(420)である。
 部屋を見せてもらうとログハウスのような造りで、シーツも清潔で感じがよく、まだオープンしてそれ程経っていないとのことで、宿の女将さんも熱心だし、全員がここに決めた。
 僕は2階の階段を上がったすぐの部屋で、他の3人は皆1階の部屋になり、とりあえずそれぞれがバックパックを降ろし、部屋に入った。
 2階に上がる階段では、若い日本人女性が銀紙の上で何かを炙って、吸引していた。
 きっと大麻のようなものだと思うのだが、僕の顔を見て、『こんにちは』と話しかけて来たので、『やあどうも』と言うと、『今からバスでヴィエンチャンに行かなくちゃならないのですよ。
 ここに来る前にルアンパバーンの
GHで、パスポートを盗まれたのです』と、僕が何も聞きもしないのに言うのであった。
 彼女はルアンのGHでザックの中にパスポートを入れて出かけ、帰って来てザックが開けられてたので確認すると、パスポートだけがなくなっていたと言うのである。
 詳しい状況は分からないが、一ついえることは、やはりパスポートはどこに行くのにも肌から離してはならないということである。
 僕はミニバックに現金とカメラなどを入れているが、パスポートとクレジットカードと帰りの航空券は、汗でベトベトにならないようにナイロン袋に入れてから、首から吊り下げる布製の小さなポシェットに入れて、常に肌から離さない。
 旅では何が起こるか分からないから、少なくともこれくらいは気をつけておかないといけないと思う。
 ところで彼女は欧米人の男性と部屋をシェアしていて、このあと2人でチェックアウトをして、バックを背負ってバス発着場に一緒に向かって行った。
 書物やネットではこのような逞しい女性の存在はよく書かれているが、実際話をしてみると、やはりどこか目が行っちゃってるし、独特の雰囲気を持っているような気がした。
 まあ人生は人それぞれだし、旅も人それぞれ考え方が異なるのだから、とやかく言うことではない。
 僕だって欧米人の若い女性と部屋をシェアしたり、一緒に旅をしようなんて嬉しい事態にはまる可能性がないこともないのだから。
 
 シャワーを浴びて下に降り、GHの中庭に出ると、岡山の63才男性(以下Yさんと呼ぶ)が、椅子に座ってビアラオを飲んでいた。
 『早速ビールですか?』
 『いやぁ、暑いからねぇ』
 『僕は朝から下痢だったので、何も食べてないのですよ。 ハラペコですわ』などと言葉を交わし、【元気な人だなぁ】と感心していると、他の2人も外に出てきた。
 Hさんが、『お腹がすきましたね。 とりあえずお昼にしましょうか』と言うので、4人で銀行に寄ってから昼ご飯を食べようということになり、ブラブラと外に出て行った。

岡山から来られた63才のバックパッカー、Yさんとワンビエンの街並み
 ワンヴィエンは内戦後はさびれた田舎町だったら しいが、90年代に入って観光化が進み、ホテルやGHも次々建てられ、それとともに旅行者のためのレストランも多く営業されるようになったとのことである。
 街の中心部には市場と郵便局や病院、それに銀行がそれぞれ
1つずつ所在している。銀行は小さなカウンターが置かれているだけで、職員は4人、何故か両替には一人ずつしか応対してくれず、僕達は順番にドルをキープに替えた。

 それから1軒のオープンレストランに入り、僕は例の如くフランスパンサンドイッチ(ヴェジタブル)とバナナシェイクを注文、Yさんはカオニャ-(もち米を蒸したようなもので、ラオス人の主食である)とヌードルスープ、N君はフライドライス・ウイズ・チキン、Hさんは僕と同じフランスパンにシェイクを注文し、
『いやぁ、なかなかのんびりとしたいい街だね』
とリラックスして、さて午後からどうしようかとディスカッションを始めたのであった。




 ワンヴィエン・リゾート その2

 ともかくオープンレストランで昼食を食べながら、勿論ビアラオで乾杯である。

 さて午後はどうして過ごそうかと話し合った結果、この町の唯一の観光場所ともいうべき“ワンヴィエン・リゾート”に行こうと結論が出た。

 既述の通り、この町は500m四方程度の小さな街中に、町としての必要な施設や商店などは当然のこと、旅行者のためのゲストハウスやレストランから比較的大きな市場もあり、さらにリゾートゾーンまであるのだ。

 ルアンパバーンは世界遺産に登録されている美しい町で、近年は訪れる観光客も急速に増えており、途中のこの小さな町がともすれば見落とされるが、なんのなんの、なかなか素晴らしい町であることがこれから分かるのである。

 僕達4人はレストランを出て、ワンヴィエン・リゾートに行くためにトゥクトゥクを探したが、十数分間ウロウロしてもどこにも見当たらなかった。 バス発着の時刻は決まっているので、トゥクトゥクのアニイ達は、それ以外の時間を昼寝でもしてのんびりしているのかもしれない。

 暑いラオスでは、昼寝の習慣が生活に溶け込んでいるのである。

 仕方なく到着した所に行けばあるかもしれないと思い、広大な米軍の飛行場跡地を横切って、バス発着場付近まで歩いた。

 そこには数人の現地人が何をするでもなくたむろしており、僕達がトゥクトゥクの手配を頼むというと、少しぐずぐずとやる気のないような雰囲気だったが、1台呼んでやるからしばらく待てということになった。

 僕達はついでだからルアンパバーンへのバスの出発時刻を確認し(午前9時発)、しばらく待っていると賑やかな車体のトゥクトゥクが到着した。

 4人で5000キープ(70円程度)で話をつけ、さあ行こうと向かったのであるが、何てことはなく10分も走らないうちに着いてしまった。 それほど距離がないところにリゾートがあったってことなんだね。

 少し天候が悪くなり小雨がパラつき始めたが、リゾート入口で入場料を支払い(確か1000キープだったと記憶します)、ちょっとしたサファリパークに似た雰囲気がするリゾート内を奥の方へ歩いて行き、赤茶けた鉄製の釣り橋を渡ってさらに進むと山の麓に出た。

 ここから100数十段の石段を登ったところに洞窟があるとのことで、念のため63才のY氏に大丈夫ですかと失礼な確認をして、ゆっくりと石段を登って行った。

 日本の香川県にある金毘羅さん(知ってるかな?)程ではないにしても、かなりの石段を登って行くと、やはり僕はHさんやN君に比べると若干()年令が上なので途中ちょっと一息つき、振り返るとそこにはワンヴィエンの緑溢れた街の景観が、まるで箱庭のように僕の目に写った。

ワンヴィエン・リゾート(向こうがワンヴィエンの町)
 洞窟は山の山腹にあり、あまり期待もせずに入ったのだが、これがなかなか日本の山口県の秋芳洞とまではいかないまでも、ちょっと神秘的で、また外の気温と随分温度差があり、涼しいのでしばらく楽しめた。

 ここでは今日到着してから一緒に街までトゥクトゥクをシェアした父子の、娘さんの方と偶然会って少し言葉を交わした。 彼女はK子さんといって、東京から旅をしているのだが、父上様は、ちょっと腰を悪くしてGHのベッドで横になっているとのことだった。

 洞窟から出て階段を今度は下って行き、僕達4人はいつの間にか別行動になってしまっていたのだが、僕はさらに奥に入って行った。

 少し行くと小さな滝壷があり、家族で遊びに来ている感じの母子連れがいて、子供4,5人が全裸になって岩から滝壷に飛び込んではしゃいでいた。 しばらくしてお母さんも、服を着たままゆっくりと滝壷に入って、気持ち良さそうに泳いでいた。 

 ラオスには海がなく、この辺りは雄大なメコン川からも外れており、支流のナムソン川やこのような滝壷などで楽しむしかないのだが、透明感のある綺麗な水遊びが随分と楽しそうに見えた。

 僕を気にすることもなく遊びに熱中している母子を見て、僕も服のまま入ろうかどうしようかと考えていたが、結局勇気がないまま諦めてトボトボと一人で帰ることにした。

 リゾートから出たところに休憩場があり、そこでペプシを買ってしばしのんびりしていると、先程のK子さんが出てきたので、『やあ!何か飲んでいかない?』と声をかけて、彼女はアイスクリームを買って、少し2人で雑談してから宿の方向に向かって一緒に歩いた。

 宿への砂利道を歩いている途中彼女が、『明日、川でカヤック(12人乗りのボート)をするツアーに行くのですけど、一緒にいかがですか?』と誘ってくれた。

 しかし僕はこの街には一泊だけの予定で、明朝にルアンパバーンに向かうつもりだったから、『それが明日すぐにルアンに向かうつもりなんだよ。 そのツアー面白そうだけど・・・』と残念な顔をして言った。

 しかし彼女が、『もう一泊しましょうよ。 この街結構面白いじゃありませんか』と重ねて言うので、僕は彼女の可愛い瞳に大きく心が動き、『う〜ん、どうしようかなぁ。 もう一泊しようかなぁ・・・』と早くも心が動き出した。【全く女性のお誘いには弱い僕なのです】

 さらにK子さんが、『父の腰の具合が良くないので、夕食をご一緒させていただけませんか?』と聞いてきたので、僕は二つ返事で大歓迎ですよと答え、『じゃあ6時半頃に郵便局の前で』と彼女と別れてGHに鼻歌を歌いながら戻ったのであった。【本当に可愛い人だなぁ】

 GHに戻ると、Hさんが既に帰っていて、中庭でのんびりしていた。

 『さっきリゾートの出口の休憩所で僕がペプシを飲んでいたら、前をトボトボと歩いて行ったね』と僕が言うと、『どうして声をかけてくれなかったのですか〜』と少し怒ったような顔で言うのだった。

 彼女もとてもキュートで可愛い人だと思った。

 階段を昇り降りしたので、ちょっと腹が減ってきた。 

 さて、明日帰るか、それとももう一日この町に滞在するか、一旦部屋に戻ってベッドに倒れこみ、僕は思案することとなった。

つづく・・・

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