ひねくれ者の物言い


大晦日にワシも考えた (2013/12/31)

 椎名誠さんの著作に「インドでワシも考えた」という面白い作品がありますが、大晦日にちょっといろいろと考えてみました。

年末の29日の夜に長男が大阪からやってきて、彼は一日だけコミケ(コミックマーケット)を訪れたのですが、そのほかの時間はほとんど一緒に過ごし、彼のこの先のことや、大阪で長年の闘病生活を送る妻(彼の母)のことなどを話合いました。

そして今日昼過ぎに大阪に向かって帰っていきましたが、見送りのときは毎年のこととはいえ、切ない気持ちになります。

彼は32歳、大阪にもうひとりいる次男は30歳、彼らと一緒に暮らした日々はもう遥かずっと昔になってしまいました。

家族というのは一緒に暮らしてこそ家族なんじゃないかと思いました。

さて、彼は来年、役所勤めを辞めて新たな世界へ向かうそうです。親としてはそれを止める権利はなく、新しい業種でのアドバイスを少ししただけです。

まあ、生真面目ではありますが柔軟性があり、コミュニケーション能力も身についているし、研究心が強い男ですから、新たな職場でもすぐに馴染めて活躍することでしょう。

問題は末期癌が続いている妻のことです。(ーー;)

彼が新たな仕事の関係で家を出て一人暮らしをすると、大阪には次男と妻だけです。

長男は給与から毎月10万円近くも家に入れていたようで、それに次男が6万円ほど入れて、あとは僕が少し援助して生計を維持してきたのですが、長男の分が来年に三月ごろからなくなります。

妻はどう考えているのでしょうね。

僕は来年こそ日本を離れてタイかラオスで暮らしたいと考えているし、その前には長期の旅にも出たいと思っています。

でも、どうなのかな、新たな事情が発生したことで、再び僕の両足に今以上の巨大な鋼鉄の足かせが嵌められるのかな?

年を越しながらゆっくりと考えてみようと思っています。

つくづく僕は妻によって人生が大きく狂ってきているなぁと、気持ちが消沈してしまいます。(僕みたいな男と結婚した妻にとってはお互い様だと思っているかも知れませんが)

結婚〜離婚〜復縁・・・この間、僕自身が他の女性と幸せになるチャンスは二度ありました。それらを棄てて今に至っているのですが、過去は振り返っても仕方がないとしても、様々なことが頭の中を駆け巡り、ちょっと参っています。

でも彼らにとっては大切な母ですから、角田光代さんの小説みたいに「もうそろそろ死んじゃえば!」なんてことは言えないからなぁ。

僕が逝こうかな。(ーー;)・・・なんてね。

結局、本日締め切りの文藝春秋社の文学界後期への原稿は間に合わず、じっくりと推敲して三月末のすばる文学賞へ出すことにしました。


都知事は健さんかタケシがええんとちゃうかな (2013/12/25)

 猪瀬知事を辞職に追いやった都議会、僕は好きじゃなかったが功績は大きかったと思う。

ノンフィクション作家としても、過去に多くの素晴らしい作品を書いているのだから、5000万円の献金を受けたくらいで追い込むなよ。(-_-)

都議会議員はヤクザの集まりかよ!(笑)

追い込みなんか「うるさいよ!返金したんだから問題ないだろうが!」と居直れば良いのに、小心者の猪瀬さんは辞めてしまったのだから仕様がない。



さて、後任だが、僕の個人的な意見は「高倉健さんか北野武(ビートタケシ)」でオッケーだと思うのだが、出馬しないことにはどうにもならない。

健さんが都知事になって「この歳ですし不器用ですが・・・悪は許しません。ヤクザは覚悟願います。甘ったるい若者は私が徹底的に鍛えますから、そのつもりで」なんて台詞を就任会見で言ってくれれば迫力あるよね。

タケシだったら「赤線復活するってぇの。若者の健全化はこれで決まりってぇの」なんて言うかね?(笑)

巷では東国原が「出る意思はありまへん!」と国会議員辞職時にほざいておきながら、舌の根も乾かずまだネトネトドロドロのうちに(汚いなぁ)「出ま〜す!」と、散々騙した女性の身体を弄んできた汚い手のひらを返している。

僕は目下のところ東京都民で荒川区というところに住民登録をしているが、東国原がまかり間違って都知事になるようなことがあったら、即刻東京を去るよ。(←勝手に出て行けって?)^_^;

良識のある都民の皆様の判断を期待しています。

まあ、真面目な話、誰が出るか分からんが、うわさの出馬される候補者の中では、桝添さんが最も適しているんじゃないかな?

確かもともと国際法の学者さんだったような記憶があるし、国際感覚のある人のほうが良いだろうからね。

もし万が一、小泉元首相が出るようなことがあったら、もちろん僕は支持しますけどね、おそらく出ないだろうけど。


面倒くさいなぁ、毎日 (2013/12/23)

 明らかにこの一ヵ月半ほど体調がおかしい。

尿淡白と糖がおりているとは医者から言われたが、その兆候から果たして軽微な症状だったらいいのだけど、この前腹部のX線撮影をしたから、まあその結果待ちだな。

今年の5月〜6月のホーチミン、カンボジア横断旅行で熱中症にかかったことが尾を引いているとは思えないしなぁ、何なんだろうな、この調子の悪さ。

左半身に痛みと痒みと違和感がずっとあるよ。

左目、左耳、左顎、左の鼻の穴、左わき腹、左腰、左足・・・何で左ばかりなのかな?

歩き方もちょっとおかしくて、安定性がないような気がするよ。

単に酒の飲みすぎなら、ちょっと止めてみようとも思っているが、いずれにしてもレントゲン結果待ちだな。

来年は小説を書く時間を何倍も増やしたいし、仕事も辞めて人間関係も縮小して、ひっそりとしたい気持ちもある。

恋愛もしたいけど、今更この歳では無理だろうしなぁ。(←オッサン何言うてんねん!って突っ込みを入れないように)

誰かに身の周りの世話をしてもらいながら小説に専念するっていう理想を持っていても、それは無理なことだろうな。

面倒くさいなぁ、毎日。

もう身体が本当に悪いのなら、そのまま死んでしまっても構わないな。

でも何か賞を取りたいから、気を取り直して健康にチョイとだけ留意するか。^_^;


シェアハウスで鍋 (2013/12/21)

 一昨日(12月19日)の夜、シェアハウスで鍋をした。

前から玄関口の前のボードに「ミニパーティー(鍋)やります」って、日本語と英語で書いた紙を貼っていたのだが、実質僕とルームメイトの女の子とその友達の女の子との3人だった。

僕が入居する前は、鍋を食べている途中に次々に参加して8人くらいになったらしいんだが、彼女いわく「今は気さくな方が少なくなりましたから」とのこと。

それとも僕の英語が意味不明だったのかな?

途中、もうすぐ退去するアメリカ人青年を誘ってみたり、ガテン系の若者に声をかけたりしたのだが、まあみんな予定もあるだろうしね、3人でガヤガヤとやった。

でもまあ僕みたいなオッサンはどうしようもないね。

料理となると何もできないんだからな。(涙)

ちゃんこ鍋をしようとすることになって、材料は彼女たちが帰りが少し遅いので僕がほとんど買って用意したのだけど、料理と鍋を作るのは彼女たちが全部やってくれました。

そして味は・・・美味しかった。(^.^)

豆腐を買うのを忘れたのと、一味唐辛子がなかったのがちょっと残念だったけど、楽しいひと時だったと思います。

彼女たちは梅酒を、僕はビールを飲みながら、会話の7割くらいは僕がしゃべっていたような気がする。

しゃべりの男はみっともないね。でも彼女たちは興味深く聞いていたように思うんだが、どうなのかな?

僕は興味深い話をしろって言われたら、三日三晩でも話し続ける自信と話題があるからね。

ホントかね。(笑)

彼女の友達が帰ったあと、彼女が通販で買った整理棚っていうのかな?三段で真ん中が縦に分かれていて、右の三段には扉をつける収納棚なんだが、組み立ての最初の二枚の時点でネジが上手く入らないから手伝ってくれませんかって頼まれた。

僕は妻と結婚生活を送っていたころや、昔彼女と暮らしていたころも、尾行は得意だが日曜大工はどちらかといえば苦手。

でもやらないわけにはいかない、男がすたるよね。

組立図を見ながら一生懸命やりました。^_^;

二時間後、完成!(^^♪ ←二時間もかかったのか!って突っ込みを入れないように(^^ゞ

多分、喜んでいただけたように思います。そしてやっぱり女の子の部屋は僕の部屋のようにグチャグチャじゃなかったね。

女性の部屋なんて50年くらい入ったことがなかったんだけどね。(笑)


山口青年の旅は続く (2013/12/19)

 数日前に、今年の五月から六月にかけてのベトナム〜カンボジア横断旅行で知り合った山口青年からメッセージが届いた。

 先月の彼の誕生日に「おめでとう!」とfacebookでお祝いの言葉を送っていおいたその返信だった。

 彼は今年の三月に日本を出て、インドシナ三国を廻り、その後はマレーシアからネパールへ飛び、それからインドで長く旅を続けているところまでは知っていた。

 数日前の返信では、実家の静岡に用事があっていったん帰国していたらしいが、今夜トルコへ発って、再び旅を続けますとあった。

「今夜トルコへ発って」っていうところが凄いよね。

この先、おそらく東欧とかヨーロッパを訪れてから南米へ移動するんじゃないかな?

彼とは僕がベトナムのホーチミン〜プノンペンへ移動し、そこでヘタレて高熱を出し、予定を変更してプノンペンからシェムリアップへ移動するバスの中で遭遇した。

シェムリアップでは一緒にアンコールワットを廻り、その後同じ宿で知り合った秋田美人さんふたりを巻き込んで、あの天空の遺跡「ベンメリア」にを訪れたことが思い出深い。

 
◆アンコールワット遺跡群で休憩中     ◆ベンメリアを探索する山口青年

  

写真をご覧になると感じられると思いますが、彼はとても性格のよい生真面目な好青年です。

僕のようなオヤジとカンボジア滞在中はずっと行動をともにしてくれて、僕も心強かったし、楽しかったね。

これからも長い旅になるでしょうが、山口青年の旅先に幸せがあり、危険が訪れないように祈りたいと思います。


潮時 (2013/12/16)

 ついに仕事に対するどうでもいい感が僕を包みつつあります。

僕はこれまでの仕事を、まあ極めて真面目に取り組み、悩み苦しみ、解説策を模索し、解決したときの喜びに浸り、それを同僚や部下や先輩たちと酒で祝い、或いは自分で商売をしているときは、一人で行きつけの飲み屋で祝ったり、恋人の胸で喜びを分かち合ったり(笑)、誰に文句を言われないくらいに真剣にやってきた。

二十代はスマートな金融会社、三十代はやくざの親分の下で荒っぽくはあったが、客に対しては誠心誠意騙し続けながらも、資金繰りのお手伝いをした。

金貸しを自営していたころは、寝食惜しんで駆けずり回り、自分の利益だけを考えながらも、客に対しては親身になって対応したものだ。

そして探偵時代は、依頼人の知る権利、知りたい権利に応えるために、日本国中、行方不明者や家出人、連絡が途絶えた人を探し回ったものだよ。

やりがいのある仕事でもあったが、プライベートな時間を取る間もなく仕事に集中し、東奔西走する探偵に従事した。

ところが、この八年ほど勤めている職場では、達成感とか、やればやるだけ自分の収入になる或いは親分から評価されて、ポンと50万円ほど小遣いを貰うってな職種ではないので、これまで培ってきた真面目さを継続するだけの仕事ぶりだった。

ひと言で表現すると、つまらない仕事だ。でも、仕事に対する対価を貰っている以上はきちんとやってきたよ。

でも、もう秋田、いや飽きた。(-_-;)

詳しく書くと、クライアントの悪口になるので、退職してから思いっきり書くとして、もういろいろと呆れてしまったよ。

僕のような人間は使い方では有益になるのに、だめだなぁ。大丈夫かなこの企業。

八年もいればたくさんの職場仲間ができる。

僕と同じくらい長く勤めている舞台俳優さんも「藤井さん、今月で辞めることにしました」と突然言ってきた。

「どうしたの?ほかに決まったの、それとも本職で?」

「いえ、もうここは潮時だと思って」

そうなんだなぁ、三百人くらいいるスタッフの、おそらく七割くらいがそう思いながらも、動けない自分自身の何らかの事情に苛立っているのだろうなぁ。

今夜はそんなことを感じたよ。


親友の七回忌にはきっと (2013/12/15)

 いわゆる「親友」と呼べる友達がみなさんには何人いるのでしょう?

僕は若いころあまり人付き合いが上手くなく、友達は少なかったのですが、大学時代に極貧の暮らしを共有した奴とは社会人になってからも連絡を取り合い、お互いの結婚式も出たり、金のないときは貸し借りしたり、要するに気遣いながらも気心を知っているというのでしょうか、そういう人物がいました。

いましたというのは、もうその彼は四年前の暮れに亡くなってしまったのですけどね。

彼をSとします。

僕の大学生活というのは極めていい加減で、大学生らしくない暮らしを京都市内で送り、肝心の大学は大阪の千里にあったので、わざわざ京都から阪急電車に乗って通っていました。

なぜなら、京都の右京区にあった京映アパートという撮影所内のアパートを和歌山の高校時代の同級生が借りていて、そこに二段ベッドを置いて、僕と滋賀県から京都の大学に通っていたSがそこに常時居候していたんですね。

つまり家賃無料なんです。

居候と言っても、和歌山の友人は結構普段から実家に帰ることが多く、加えて夏休みや冬休みなどは完全に帰省していたので、僕とSがまるで自分たちのアパートのように暮らしていたわけです。

昼間Sは京都産業大学へ、僕は大阪の関西大学へ通い、大学が終われば京都木屋町の高瀬川のほとりにある「キャバレー女王蜂」や、その系列店の「洋酒喫茶・ニュー富士」などでボーイをしていました。

どん底の学生生活だったのですが、今思い出してみると懐かしく、楽しそうだったように思えるのはなぜなのでしょうね。

ともかくSは卒業後、大手企業に就職し、二度ほど転職をしたのですがいずれも立派な企業で、最後は日本最大のリサーチ会社で管理職をしていました。

僕はと言えば、ご存知のとおり、大学は途中でケツを割り(facebookなどでは卒業と見栄張っていますけどね)、金融会社から街金を経て探偵調査業界という裏街道、そして目下は小説を書きながら、通信関係の企業に派遣でお茶を濁しているといった寸法です。

話は長くなるが、親友と言っていても社会人になり家庭を持つと、自然と疎遠になるのが当たり前、それでも何年かぶりに会えば昔の関係に時間が戻るというのは、皆さん共通の感覚だと思います。

僕もSも年に一度か二度、お互いが忙しい時は二年に一度三年に一度というふうに会う間隔がそのときの状況によって異なっていました。

2003年に僕が「探偵手帳」「街金狂騒曲」と立て続けにノンフィクションを出版したとき、京都で彼と会って飲み、二軒目は彼の勤務先の幹部だけが利用できる祇園の隠れ家的なバーに行った。

それが最後、僕は上京していろいろとつまらないことで忙しいこともあったし、いつでも会えるという気持ちがだめだったのでしょう、ずっと連絡を取らなかった。

彼の病気の進行を知ることもなく・・・。

彼の死を知ったのはこの記事に

 ⇒友人・知人の訃報 http://perorin.sakura.ne.jp/hiyorimi35.html#fuhou

僕はこの年の暮れ、タイからラオス、そして30時間にも及ぶ移動で中国の雲南へ旅していました。

とてもエキサイティングで素晴らしい出会いも多く、良い旅行だったのですが、そのころSは京都で息を引き取っていたのです。

奥様が「藤井さんに知らせなくていいの?」と聞いてくれても「知らせてくれるな」と言っていたらしいです。

僕は一昨年の8月に彼の死を知り、奥様にまた改めて来ますと言い残しながら、まだ伺っていません。

彼のことを一部書いた小説が本になるまでと思っているのです。

再来年の12月には彼の七回忌があります(亡くなって六年目に行われます)。

そのときには彼のことを書いた本を持って、彼の家を訪ねようと考えているのです。

頑張らないといけないんです。

彼が生前僕と飲んでいるときに決まって言った言葉があります。

「藤井、お前って何でそんなふうに人生を難しくしていくんや?」

難しくしようと思ってしているんじゃないよ、S。

性分なんや、仕様がないわ。(笑)


今年もうひと踏ん張りすることにしました (2013/12/14)

小説を書き始めて二年余り、今年もたくさんの文学賞に作品を投稿した。

三月に「すばる文学賞」「新潮新人賞」「文藝賞」、六月に「文学界新人賞の前期」、七月に「日本ラブストーリー大賞」、八月に「野生時代フロンティア文学賞」、九月に「小学館文庫大賞」、十月に「群像」そして先日出したのは「太宰治賞」。

いやぁ、よくこれだけ書けたよね。

でもじっくり書いているつもりでも、推敲が足りなかったのだろう、現在選考中の三つの文学賞以外は全部選考落ちしたよ。(涙)

そして、ことしはもう終わりで、今書きかけている長編を来年のすばる文学賞へ出すため、じっくり丁寧に書こうと思っていた。

でも、急に新作を書き始めた。思いつきで。

100枚程度の短編なので(短編でもないが)、今月末締め切りの文学界新人賞の後期へ投稿することにしました。

タイトルは「カラスがカァ〜、シックスティイヤーズオールド」の予定です。

何のコッチャと訳分からないと思いますが、書いている本人も分からん。(^_^;)

さあ、今日明日は休みだから集中して書こう。


シックスティ・イヤーズ・オールド (2013/11/08)

昨夜は誕生日。

仕事を終えて、誰と誕生日を迎えるわけでもなく、恋人や家族の存在がない僕は、昨夜の自分が現在の自分を象徴していると、苦笑いをしながらの帰路だった。

でもまあ、60年間生き抜いたことを、チョイと感慨に耽ってみようといつものサナちゃんの店に飛び込んだ。

店はいつもどおり混んでいたが、「ひとりですか?大丈夫よ」とすぐにサナちゃんの担当ゾーンに案内された。

「この前は皆さん揃って楽しそうでしたね」

「そうそう、久しぶりにね。みんな酔っ払ってしまったけど」

刺身のブツ盛と島根の若林酒造のひやおろしの「開春」を7勺注文、飲み始めた。

◆ひやおろし⇒春先にしぼられた新酒に火入れ(加熱処理)を行い、 夏の間に ひんやりした酒蔵の中で貯蔵して程よく熟成させ、 秋になって、蔵の中と外の温度が同じ になる頃から 冬にかけて瓶詰めして出荷したお酒のこと。

「今日はお休みですか?」とサナちゃん。

「いや、仕事が早く終わったからね。少し飲もうと思って」

時刻はまだ6時過ぎだった。

店は相変わらず忙しく、サナちゃんは注文と接客に動き回り、僕はフェイスブックに次々届く「誕生日メッセージ」のレスをiphoneで打ち続け、そして刺身を食べ酒を煽る、彼女と言葉を交わす間合いがない。

ときどき僕の前に来て、今度北海道の友人の結婚式に出る話や、ウインタースポーツ到来なので、身体を鍛えないといけないと言ったり、二言三言話してはあちこちから注文を受けて奥に退く彼女。

僕はサナちゃんに「今夜誕生日なんだ。つまらないことなんだけど」とだけ言いたかった。

それだけ伝えて帰ろうと思っていたが、彼女が忙しくてその合間がない。

酒は開春から佐賀のひやおろしの「七田」を7勺飲み、さらに秋田の「ど辛」を5勺、量的にはたいしたことはないのだが、たちまち僕は酔っ払ってしまった。

なぜか酔っ払ってしまって、地球が途端に動き始めたような気がした。(汗

最近卵を食べていなかったから、出し巻き玉子を注文して、それをササッと食べたら、「サナちゃん、帰るよ」と言って店を出た。

もう一軒、ワインの店を覗こうかと思って向かったが、どうも足元がおぼつかない。

たった二合程度のひや酒で酔っ払ってしまったのは、60歳という年齢になって劇的に身体に変化が起きたのか?

なはずはないな。(笑)

仕方がないので、夜の日比谷公園をぶち抜いて、東京メトロ千代田線に乗って町屋のシェアハウスに戻った。

そしてシャワーも浴びず歯も磨かず、ベッドにぶっ倒れ、このまま死んでしまっても、今の僕には失うものは何もないし、死んで後悔するなんていうのは死んでしまえば「こころ」も喪失するのだから、そんな戯言は人間の思い上がりなんだ・・・などと思いながら眠りに落ちた。

そして朝六時半まで爆睡、9時間も寝てしまったよ。

なんて僕らしく冴えない誕生日の夜だったのだろうと、翌朝もう一度苦笑い。


小説をこの三日間、ひとつの文章さえ書いていないので気持ちが焦るが、ひとつの区切りとして先々思い起こすこともあるだろうからと、ブログだけじゃなくメインWebにも書き留めておくことにした。

誕生日なんてどうでもいいと思い続けて59年だったが、今回は世間浮世の巷では「還暦」なんて呼んでいる、たいそうお目出度い誕生日に該当するらしい。

このWebを始めたのが2001年、前年夏にバックパッカーという個人旅行形態をある女性に教えてもらった翌年の春から、Pero’s Kingdom という王国を立ち上げて早12年半。

ベトナム旅行記 ⇒ http://perorin.sakura.ne.jp/icetoroku.htm

僕の思考や年齢はそのときの47歳で停止している。だから還暦などと言われてもピンと来ないし気にもならない。

だが、昨今はSNSというネットワークサービスを介しての友人知人から、「誕生日メッセージ」をたくさんいただく。

昔の僕なら「フン、誕生日ごときで騒ぐでないわ」などと、鼻で笑っていたものだが、メッセージをいただくというのは悪いものではない。

僕も人間が丸くなったのだろうし、ずいぶんと弱気にもなったのかも知れない。

今年はすでに二回、アジアの旅を敢行しているが、ついこの前旅先で知り合った人からもSNSを通じてお祝いメッセージが届いた。

今も世界旅行を続けているYさんKさん(Kさんはこのところどうしたのかな?)、先日チェンマイで知り合ったばかりのK子さん、Mさん、早速のメッセージをありがとうございました。

いつもいつも僕のブログやSNSの記事をフォローしてくれるたくさんの人や旅関係の友人知人、職場の仲間、飲み友達、皆さんありがとう。

こうして今夜この記事を書いているときに電話をかけてきた大阪の女友達のI、金曜日はいつも酔っ払っているって、いったいどういうことや?

いつも僕が酔っ払って深夜に電話したら「酔っていないときに電話して!」と言って、いきなり電話を切るアンタ!、今夜アンタが酔っ払ってるやないか!(笑)

まあ、一週間の疲れを取るにはアルコールで体内とこころの穢れを消毒する必要があるから、仕方のないことだろうけど。

さて、ノンフィクションとおさらばし、小説を書き始めて二年、様々な文学賞へ投稿し始めて一年半、まだ特にステータスは得ていないが、最近になってようやく「文学」が分かり始めた気がしてきて、それとともに作品のレベルアップができてきたように思う。

選考落ちがトータルで12連敗(うちひとつだけ一次選考通過)だが、そろそろ形が見え始めるような気がする。

目下は角川書店の「フロンティア文学賞」、小学館の「小説文庫大賞」、講談社の「群像」の三つの文学賞が選考中。

これからの予定は、11月の角川春樹小説賞は無理をせず、松本清張賞は作品的に該当するものを今は書いておらず、従って、次の投稿は12月10日締め切りの「太宰治賞」に照準を合わせて素晴らしい物語を書いています。(←自分で言うな!って)^_^;

小説を書いているときは幸せに浸れます。

もっと若いころから小説を書いておけばよかったなぁ。

これって、つまり幸せなことなんだろうなぁ。


太宰、やっぱり凄い (2013/9/12)
血圧が一向に下がりません。

昨年の秋ごろからずっと今年の六月ごろまでは130〜85位で安定していたのです。

もちろん降圧剤2,5mg.を飲みながらなんですけど、一ヶ月ほど前から降圧剤の効果がなく、160〜110位の数値が続いています。

この季節でこの数値なら、冬場になると血管破裂の可能性が高いですね。

1998年の大晦日に血管が切れて病院で点滴を受けたことが思い出されます。あのときは血圧の上の数値が224でしたからね。

どうすれば血圧が下がるのか、食事療法で何とかならないのか、或いは運動なのか、いろいろと調べていますが、飲酒を控えればよいだけのことかも知れませんね。

それは無理なんですけど。(笑)

ところでプロットも作らずに新作を書き始めている僕なのですが、少し休んだときには名作と言われる小説を読んでいます。

西村某や角田某や山崎なおこでよいのにナオコーラ(笑)の作品などを走り読みしていましたが、全く参考にならない。

で、チョイと昔読んだ太宰を再読してみた。

映画にもなった「ヴィヨンの妻」のくだりにこんな部分があります。

「なぜ、はじめからこうしなかったのでしょうね。とっても私は幸福よ」

「女には幸福も不幸も無いものです」

「そうなの?そう言われると、そんな気もして来るけど、それじゃ、男のひとは、どうなの?」

「男には、不幸だけがあるんです。いつも恐怖と、戦ってばかりいるのです」

主人公・大谷とその妻との会話の一部なんですが、僕はこういった会話は凄いって思いますね。太宰さんは文章の特許を取るべきだったと思います。

僕にも僕だけの言い回しがあるはずなんだけど、「男には、不幸だけがあるんです。いつも恐怖と、戦ってばかりいるのです」は僕自身のこころの状態を言われたみたいで、さらにガンと響きました。

太宰のようなセンスがあってガツンとくる文章が書けて、人間の心の内奥や生きることの意味や存在そのものの不幸などを描ける作家は、今の文学界にいるのでしょうかね?

分かりませんね。


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