ワットファウロンファへの道


この旅行記は2006年9月のものです。2002年に初めて訪れた時の記憶のままたどり着けるか?

その一 N君との再会 
その二  一等食堂  
その三  ムアンボラーン その一
その四 



 その一 

 ワットファウロンファへは四年前の夏に一度訪れたことがある。

 その時はバンコクの南バスターミナル(サーイターイ)発のバスのどれかに乗って、一時間半から二時間走れば、抱腹絶倒の寺院へ到着するという不確かな情報を僕自身の頭の中に持っているだけで試みたのだった。

 結果的に最終的にはヒッチハイクでたどり着いたのだが、その道のりは「運」による賜物だったような気がする。

 あの時、偶然バンコクのサーヤムでカンボジア帰りのN嬢と遭遇し、「もしよければ明日ワットファウロンファへ行きませんか?」という僕の悪魔の囁きに彼女は何も知らずに乗ったわけだ。

 サーイターイからどのバスの乗ってよいか分からず、バスターミナルの職員に片っ端から聞いて周ったが、一向に分からなかった。

 三十分も聞きまわった挙句、「今出発したあのバスよ!」と指差してくれた赤色オンボロガタピシノンエアコンバスに、僕たちは飛び乗ったのだった。

 そしてバスの車掌が「ここだ」と降ろしてくれた場所は、周りすべて田んぼの田園風景がのどかなところに所在する小さな寺院。

 「こんなところじゃないってぇの!」

 この話はこちら  http://www.cybo.jp/~pero/igai2.htm


 そしてあれから4年が経過、僕は再びワットファウロンファを訪れようとチャレンジしたのだった。


 その二

 今回は成田空港からの海外、またチャイナエアラインでの乗り継ぎでバンコクへと、初体験が重なった。

 チャイナエアラインで朝成田を出発し、台北で乗り継ぐと夕方四時にはバンコクへ到着する。

 直行便よりも3時間も、場合によっては4時間も時間を要するが、成田からバンコクへの直行便は、到着が深夜になってしまうから乗り継ぎ便にしたのだった。おかげで二度も機内食をいただくことになり、ちょっと得した気分。(^^♪

 加えてチャイナエアラインのスチュワーデスさんの制服は、シンガポール航空ほどではないにしても、チャイナボディーラインが明確に窺える制服はかなりセクシーで、エロオヤジの僕としては十分楽しめた。

 さて、バンコクドムアン空港への到着は現地時刻で16時、入国手続きを済ませてバックパックを受け取り外に出て、差し当たり1万円を両替した。すると1バーツが3,1円の計算。

 三年ぶりだが、前回は1バーツが2,8円だったはず。このあと滞在中も、以前の物価より一様に上がっていることが分かり、タイの経済成長が窺えた。

 バンコクに住む友人のN君はこの日仕事ということなので、ともかくいつものようにカオサンまで行くことに。リムジンバス乗り場でカオサンまでのチケットを購入(100B)、バスを待つ。

 ところがなかなかバスが来ない。気温はおそらく35度くらいか、汗が滴り落ちる。

 隣にいた日本人と見られる男性がさっきからソワソワしている様子を感じていたが、ついに話しかけてきた。

 「カオサンへ行きたいのですが、どのバスでしょうか?」

 「ああ、A2番のバスですよ、しかしなかなか来ないねぇ」

 この男性が、このあとバスでの会話の中で分かるのだが、何枚もCDを出している結構有名な某デュオの片側のお兄さんだった。カオサンでそのデュオの二人と合流する予定なのだと。



 その三

 一時間近くも待ってようやくA2番のリムジンバスが来た。

 「このバスで終点まで行けばカオサンですよ」

 青年にそう言っていっしょにバスに乗り込んだ。乗客は欧米人が数人と日本人と見られる女性グループが2組と僕達二人だった。

 空いていたが並んで座り、久しぶりに高速道路から見えるバンコクの風景を眺めた。三年前と全然変わっていない。(ま、そりゃそうだが)

 青年は佐賀県出身で、伊万里焼の陶芸師とのことだった。茶碗や湯飲みを焼き、京都などに得意先を持っていると語っていた。

 「僕の弟はミュージシャンなのですよ。
「唄人羽」ってご存知ありませんか?」

 「いや、知りませんね。申し訳ないです」

 僕は正直に答えた。若者音楽にはこのところトンと縁がないので仕方がない。

 彼は少々がっかりしたようだが、福岡のライブハウスを中心に活動をしていたところCDデビューの話が舞い込み、もうかれこれ六、七年前にフォーライフレコードからデビューしたのだとか。

 「フォーライフレコードですか? それはすごい。よしだたくろうとか井上陽水とか泉谷しげるとか小室等などが昔もうけたお金で設立したレコード会社です。今は後藤次利さんかだれかが社長じゃないかな?」

 「えっ?そうだったのですか。それは知りませんでした」

 ともかく彼の弟とその友人とでデュオを組み、コンサートツアーを中心に活動をしているということだった。

 今回はバンコクでその弟と合流し、10日間程度の休暇を楽しむのだとか。

 タイは勿論初めてらしく、どこに行けばいいでしょうかと聞いてきた。

 「初めてのタイでしたらアユタヤに一日行って、そのあと南のリゾートでのんびりするか、海が興味なければ戦場に架ける橋のカンチャナブリとか、或いはバンコクであちこち回ってタイ料理を満喫するとか、いずれにしても退屈はしませんよ」

 などといい加減なアドバイスをしながら、バスはバンコク市内中心部に入り、夕方の渋滞に巻き込まれた。



 その四

 バンコクの渋滞はひどかった。BTSや地下鉄が開通したあとかなり解消されたといわれるが、この日は高速道路から降りたあとバスは全く動かなくなってしまった。

 30メートルから40メートル動いては数分止まる、といったことを繰り返しながらバスはジリジリしか進まない。青年は弟さんと8時に待ち合わせをしているとのことだった。

 「まだ7時前だから十分間に合いますよ」と最初は心配していなかったが、ジリジリっと動いては止まり、止まっては動いてたちまち7時半を過ぎてしまった。青年も落ち着かない様子だ。

 「苛々するよなぁ、いったいどうなってるんだ。大体信号が変わるのが遅いんだよ。だからダーっと動いてから全然動かないんだな」

 3年ぶりだが、前よりバイクの数が随分多くなったような気がする。渋滞の列をスルスルとすり抜けられるからバイクが便利なのだろう。

 しばらくして民主記念塔が見えてきたので、「もうすぐですよ、ここで降りてもすぐなのですけど、終点まで行きましょう」と言うと、青年はようやくホッとした顔になった。

 バスはそれからグルリンとカオサン周辺を一周してようやく止まった。バックパックを背負って歩く。

 警察署近くで待ち合わせをしているというのでその場所へ案内すると、青年とは異なった体形の長身の青年が立っていた。結構ハンサム顔で同じ兄弟とは思えない。

 「すまん、バスが渋滞していたから」

 「どうしたんかと思っちょったぞ」

 青年の言葉に弟さんはちょっと怒った顔で言った。

 「この人藤井さん、ここまで連れて来てもらったけん」

 青年は弟に僕を紹介した。僕は会釈をして、「それじゃ、僕はここで失礼します。今度弟さんのCDを買って聞いてみますね」と言って彼らと別れた。

 いつもとりあえず向かうのは「カオサントラベラーズロッジ」である。

 宿に入ると1階の食堂には誰もいなかった。受付の女性に「空いてますか?」と聞いた。

 「エアコン?ノンエアコン?」

 何とこの3年の間に5階フロアがエアコンドミトリーとなっていたのだ。

 ノンエアコンが100バーツ、エアコンが130バーツ、僕は暑さに負けて迷わずエアコンドミを選んだのだった。


 N君との久しぶりの再会

 カオサントラベラーズロッジは以前と全く変わっていなかった。変わった点は5階のドミトリーがエアコンルームになったことと、少しだけ宿代と飲食メニューの代金が上がったことだけだった。

 二段ベッドの上段にバックパックを放り上げて、ともかくN君に電話をするために外に出た。携帯電話の普及が目覚しいバンコクでも、公衆電話はいたるところに設置されている。

 5バーツを入れてN君の携帯電話番号をプッシュする。すぐに彼は電話に出た。

 「ああ、藤井さんですか、無事に着きましたか。それで宿はどちらですか?」

 「とりあえずカオサンのドミに今日は泊まるよ。預っている荷物をすぐにそちらに持って行こうと思うんだけど、どこへ行ったらいいかな?」

 「そしたらタクシーに乗ってソイランナームにきてくれますか。ランナム通りにはセブンイレブンが2軒ありますけど、奥のほうの店の前あたりに一等食堂というのがありますから、そこに来てくれますか」

 再び宿に戻って、N君の実家から僕に送られてきた荷物を持った。5キロ程度の小さな箱である。中はほとんど本だとか。

 慌しく出たり入ったりする僕の姿を同じドミの日本人旅行者が見て不思議そうな顔をしていた。

 「今日どこかから戻って来られたのですか?」

 「いや、たった今日本から着いたところです。これからバンコクに住んでいる友人に会いに行くのですよ」

 部屋には3人の若者がいたが、いずれも学生風だった。

 「初めて海外に出たのですけどね、とりあえずカオサンと聞いていたので来てみたのですけど、アンコールワットへ行くにはどういう方法がありますか?」

 やはりアンコールワットがバンコクからの旅の定番の一つらしい。

 「1階のフロントでシェムリアップまでのバスの手配をしてくれるよ。この時期なら朝宿まで迎えに来てくれて、夜にはシェムリアップに着くバスが6ドル程度じゃないかな?聞いてみたらどう?」

 分かりましたと言って彼らは下に降りて行った。

 僕も荷物を持って降りる。通りでタクシーをすぐに拾い、「ソイランナム!」と叫んだ。

 ところが運転手は「ランナム?●×※□△!」と何度も言ってどこか分からないようだった。警察署の前に警官がボヤッと立っていたので、運転手が「ソイランナムってどこだ?」てな感じで聞いていた。

 警察官もどうも分からない風だったがともかくタクシーは発車した。

 結果的に何とか目的地に運んでくれたが、「ソイランナム」と発音してはダメで、「ソイラングナーム」の「グ」の部分を発音するかしないか程度に発音し(笑)、ナームと引っ張るらしいのだった。(タイ語は難しい)

 教えられたとおりセブンイレブンの道路を隔てた前に「一等食堂」が見つかった。日本人が経営する小さな日本食レストランである。

 ドアを開けると懐かしいN君の顔が見えた。なんと2年半ぶりの再会である。



 一等食堂


 「どうも久しぶりです」とN君は言った。

 前よりちょっと太ったように見えた。暑い国にきたら痩せると聞いていたが・・・きっと彼はビールの飲みすぎだろう。

 「これ、お母さんから預った荷物。中身は何なの?」

 「ブックオフで注文した本ですわ。イーブックオフといってネットで古本が買えますねん」

 ブックオフのネット書店で購入した本を一旦実家に配達してもらって、それを僕の住む川崎のゲストハウスに送ってもらい、今回バンコクへ運んできたというルートである。

 航空便で荷物を送るとかなりの送料がかかるが、僕がバックパックに入れて運んできたのだからタダだ。

 一等食堂の店内には日本の本がいっぱい棚に並べられている。このソイランナーム辺りは日本人滞在者が多いのかもしれない。お客さんの見回すと、日本人の青年や日本人っぽい若い女性二人、それに欧米人のカップルがいた。

 いくら比較的安い日本食レストランと言っても、タイの屋台やタイ料理店に比べると少し高めなので、タイ人はあまり来ないようだ。

 店はタイ人女性二人がキッチンと店内とを切り盛りしていて、マスターは時々難しい日本料理の注文が入った時にキッチンに入るとか。

 「この人が藤井さんですわ」

 N君が一等食堂のマスターに僕を紹介した。

 「こんばんは、Mです。いつまでいらっしゃるのですか?」

 とんねるずの木梨さんみたいな風貌のマスターで、とても親しみが持てる。

 今回は僅か1週間程度の滞在だが、唯一の目的は「ワットファウロンファ」を再訪すること。前回Hさんと訪れた時は、彼女があまりの変な寺院にあきれ果て、早く帰りたがったために十分見て周ることができなかったのだった。

 「ワットファウロンファへ行きたいのですよ。知ってますか?バンコクの南バスターミナルから2時間程度のところにあるのですけど、位置が全く分からないのです」

 マスターに聞いてみたが知らないという。南バスターミナルからだとパタヤの方向かな、などと言っていたが、僕が知るにはおそらくバンコクより北方向か或いはカンチャナブリ方向だと思うのだが。

 この夜は「かつおのたたき」「肉じゃが」「やきそば」「チャーハン」などを注文して、ビアシンハをグビグビ飲んだ。

 タイではビールを注文すると「氷はどうしますか?」と聞かれる。暑いのでビールがすぐにぬるくなるからだろう。氷の入ったミニバケツとビールがドンドン運ばれる。N君は相変わらず酒量が多い。あっという間に大瓶10本程度が空いてしまった。

 途中からマスターも入ってますますビールの本数が増えるのだった。



 ムアン・ボラーン その一

 久しぶりにN君と会ったその夜、一等食堂が閉店する11時頃までに、3人でビアシンを20本近くも空にしたあと、ゴーゴーバーに行こうという話しになった。

 タイのゴーゴーバーにはそれまで、パッポンとナナに何度か行ったことがあったが、2006年の9月の今回、当時はまだ穴場とされていた「ソイ・カーボーイ」へ初めて行った。

 ソイ・ランナームからタクシーで、深夜だと15分程度で着いてしまう。地下鉄のアソーク近くにある、わずか100メートル足らずの範囲にゴーゴーバーだけが建ち並んでいる、一種異様なソイである。

 夜も遅く、一気に3店ほど回ったが、いずれもかなりの客がいて賑わっていた。午前一時近くになると、イサーン音楽がかかり始め、ダンサーたちが激しく踊りだす。

 イサーン出身のダンサーが多いから、ラスト近くにテンポのよいこの音楽が合う。欧米のディスコティック音楽とは種類の違うアグレッシブな音楽で、僕はイサーン音楽が大好きなのだ。

 巨乳、美乳、微乳にくびれたセクシーな腰に見とれて、口をポカンと開けた状態が一時間ほど続いたあと、ビールを飲みすぎたせいもあって、一気に睡魔が襲ってきた。

 「明日はちょっと珍しいところへ行きましょうか」

 一等食堂のMさんが言った。

 珍しいところとは「ムアン・ボラーン」というところだとか。タイ国内の各県をミニチュアにして、広大な敷地の公園内に建てているらしい。
 
 翌日は土曜日で、N君も仕事が休みということで、昼前頃から行きましょうということになり、この夜はカオサントラベラーズロッジへタクシーで帰った。

 トラベラーズロッジのドミはエアコンが快適だったが、三年前と比べて随分と部屋が汚くなっていた。しかも長期滞在の若者の中に、明らかにイッている奴がいて、この夜も深夜に屋上でマリファナを回し飲むパーティもどきをやっていた。

 そんなこともあって、今回は翌日から一等食堂の近くのホテルに泊まることにした。滞在期間も一週間程度だし、久しぶりのタイなので無理をすることはない。

 目的とするワットファウロンファへは、あさって日曜日にトライしてみることにした。

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