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  ★第三話★ワット・ファウロンワ その1

 バンコク市内にはバスターミナルが北と南と東と三ヶ所あり、それぞれ目的地の方向によって決まっているようだ。

 ワット・ファウロンワはバンコクから北西方向に位置すると思われるが、地図には載っていないので、その位置を確認することはできない。ともかく南バスターミナルからバスで1時間半程度とは聞いていた。

 寺院の名前も、ある本ではワット・ファイロンファとなっていたり、ワット・ファイロンワとも呼ばれているが、僕はワット・ファウロンワで貫きたいと思う。

 さて、なんとかバスを乗り換えてようやく1時間程を要して南バスターミナルに到着したが、バスターミナルの係員に、「ワット・ファウロンワ!」と叫んでも、「何だそれは?」という感じだった。女性の係員は面倒がらずに他の係員数名に、「ワット・ファウロンワ?」とリレー形式で聞いてくれたところ、四、五人バトンを受けたあと一人の係員が、「あのバスよ。今出発したばかりの!」と叫ぶのだ。

 バス会社の征服の良く似合った彼女の指差す方向には、赤色のノンエアコンのオンボロガタピシバスが、今まさにバスターミナルを出ようとするところだった。

 僕とHさんは急いでそのバスの方向へ走り出した。しかしどういうわけか、Hさんのほうが僕よりも足が速く、彼女がバスの後部から乗り込んだ時点では、ぼくはまだ二十メートルも後方を必死になって走っていた。

 彼女が乗務員に何かいってくれたおかげでバスはややスピードを落とし、ようやく僕もバスに乗車することができたが、既にバスは国道のかなりの距離を走っていたのだった。(ヤレヤレ)

 

 バスは八割がた座席が埋まっていた。僕とHさんとは並んで座り、しばらくして車掌がアルミでできた丸い物を持って運賃を集めに来た。「ワット・ファウロンワ」というと彼は十五バーツを徴収し、「よし、分かった」前方に戻って行った。

 しばらくは幅の広い道路沿いに商店などが続いたが、数十分走ると、景色は田園風景に変った。すっかり実った稲穂の中をバスはドンドン走って行く。

 一時間も経っただろうか、Hさんは気持ち良さそうに寝ているが、僕は暑さが駄目でミネラルウオーターばかり飲んでいた。外の景色は相変わらず緑一色である。

 「なかなかですね」とR子さんが呟いたので、僕はその「なかなか」の意味をあれこれ考えた。「なかなか着かないですね」なのか、或いは「なかなかいい景色ですね」かもしれないし、どう相槌を打ったらよいのかと思い悩んでいると、右側の方向に大きな建築中の仏像のようなものが見えてきた。

 僕は車掌に、「あれがワットファウロンワですか?」と聞いてみたが、彼は首を左右に振って、「違うよ」というのだった。

 それからまた三十分ほど走ると、車掌が僕達の席までやってきて、「ここがワットファウロンワだ」というので、僕達はその風景を確かめもせずに降りてしまった。                                   

 しかしそこは全然違う寺院だったのだ。【しっかりしろよ、車掌】

 

 バスから降り立った所は、広大な田園風景の中にポツンと経つ寺院の前だった。

 確かにタイで一般的に見られるそれなりに大きな建築様式の寺院であったが、僕が事前に聞いていたファウロンワはまだまだ建築中で、しかも寺院の広さも桁違いとのことであり、決め手は遠くからでも分かるくらいの大きな仏像があるということだったので、ここではないことは明白だ。

 仕方なくHさんとその寺院の中に入って行った。

 寺院は特に門がなく、何処が入り口か分からない曖昧な造りだ。横には古い木造の屋台レストランがあり、近隣の住民が昼食を摂ったり、男性たちはテーブルの上で賭け事をしたり、小さな仏像のアクセサリーを並べて自慢しあったりしていた。

 僕達はちょっとお腹が空いたので中に入っていった。

 調理は中年の女将さんが切り盛りし、中学生くらいの可愛い娘さんが手伝っていた。バンダナを巻いた怪しげな中年日本人男性と、ペコちゃんのような可愛い若い日本人女性の突然の登場に、店の中の客たちは一瞬手を止め、興味深く僕達をじっと見入っていた。

 Hさんはそんな視線をものともせずに、調理をしている女将さんの所に行き、「これをお願いね。香草抜きで」などといって早速料理を注文しているようだった。

 僕はともかく喉の渇きを癒すことが先決で、ペプシを注文して空いている席に座った。

 しばらくして近くの男性が何やらタイ語で話しかけてきた。おそらく「お前たちこんな辺鄙な寺院に何しに来たのだ」とでもいっているのだろう。来たくて来たわけじゃないといっても始まらない。僕は相変わらず念仏のように、「ワット・ファウロンワ!」と叫び続けた。

 しかしこれはあとで聞くとタイ語では、「ワット・パウロンファイ」と発音したら通じたかもしれないとのことだ。【何だ、ぜんぜん発音が違うじゃないか】



第四話 ワット・ファウロンワ その 2

 

 Hさんがカオパッドにチキンを乗っけたようなものを半分ほど食べてから僕に勧めたので、好意に甘えて食べてみるとこれがなんとも美味しいのだ。

 僕も同じものを食べたくなったが、それよりも頭の中はファウロンワだ。しかしHさんは相変わらず強い。僕達はバンコクのかなりの外れで迷子同然になっているにもかかわらず、「ちょっとこのお寺、見物してみましょうか」と言うのだった。

 僕達は屋台レストランを出て、寺の奥のほうに歩いて行った。

 その寺院は敷地に入ってみるとなかなか広大だった。

 僧侶の2階建住居が数軒並んでいて、オレンジ色の袈裟を纏ったお坊さん達がのんびりとくつろいでいる様子だ。のどかな雰囲気の中、彼らは静かに暮らしている印象を受ける。僧侶という職業は、娑婆の欲望から隔絶されて、考えようによれば穏やかな人生を営めるような気がした。勿論それはあらゆる煩悩から解き放たれるまでの、辛く苦しい修行の賜物には違いないが。

 しかし、彼らはこんな辺鄙な寺に日本人が二人で何を見に来たのだ、という視線で僕達を見ている気配を感じたので、僕達は最も奥の方に所在していた一際立派な仏像に祈ってから引き返した。

屋台の娘さん。親切に感激!

 再び屋台レストランの辺りに来たが、さてこれからワット・ファウロンワまでどうして行こうか。屋台の娘さんが僕達のところに近づいてきた。タイ語で何やら話しかけてくるがサッパリ分からない。

 「ワット・ファウロンワ!」僕は相変わらず念仏のように叫んだ。Hさんはアホの一つ覚えのような僕の言動に呆れた顔をして、「Do you know ワット・ファウロンワ?」と彼女に問いかけた。

 するとその娘さんは、ちょっと考え込んでややどぎまぎした感じであったが、「I know it’s 16km distance.」と言うのだ。

 「ここから16キロもあるって言ってますよ。どうします?」

 「タクシーもトゥクトゥクも走っている様子はないからね。ここの人誰か送ってくれないかな」

 屋台レストランにたむろしている男性数人はバイクと車で来ているようで、レストランの外の敷地には車が一台とバイクが2,3台止まっていた。しかし彼らは不意の訪問者を怪しげには見るが、何か困っている様子はないかなどと興味は持たないようで、すぐに仲間と賭け事に戻るのだった。

 ともかくバスから降ろされた大通りに戻ってみようということになり、僕達は道路を反対側に渡ったところにあるバスの待合場所のようなところに立った。

 すると屋台の娘さんもあとをついて来てくれて、僕達を心配そうに見守ってくれるのだった。

 「How many buses come in one hour?

 娘さんはちょっと首をかしげていたが、数秒間考えてから、「It hardly comes.」と言うのだった。

 聞くと彼女は15才で、学校で英語は少しだけ習っているとのことで、片言なら通じるのだった。

 殆どバスは来ないと聞いて、僕とHさんは愕然としたが、ともかく策を考えないといけない。こんな田舎のど真ん中で降ろされて、目的地まで16キロも歩いては行けない。

 「じゃあ、こうなったらヒッチハイクをしましょう!」

 Hさんは元気よく言うのだった。【強い人だ】

 この道路は路線バスが走っているから国道になるのかもしれないが、いくらバンコクの郊外といっても周りは農地ばかりのド田舎だから、車自体が頻繁には往来しない。大体二〜三分に一台が通過する程度である。

 僕は男らしくトップバッターで、車が近づいてきたら右手を少し上げて、親指をピン!と立てて数台に合図をしてみた。しかし車は僕がヒッチハイクの合図をしているのを分かっているのか分かっていないのか、スピードを緩めることもなく通り過ぎてしまうのだった。

 「止まってくれませんか?」

 Hさんはしばらく娘さんと話をしていたが、僕が一向に車を止めないので痺れを切らして道路に出てきた。

 「私がやってみましょう。Peroさんはちょっと隠れていてください」

 女性一人ならもしかしたら下心のある男性が車を止めるかもしれない、という狙いだ。止まってから僕が現れて交渉をするという段取りを考えた。僕はしばらく娘さんとバスの待合場所で待機してHさんの様子を見ていた。

 しかし、無情にも五〜六台の車が通過したが、キュートで可愛い彼女にもかかわらず止まる気配はない。タイの男性は女性の魅力が分からないのだろうか?一体どうなってんだ?

 と思っていたら、娘さんがトトトっと道路に出て行き、あっという間に一台のワゴン車を止めた。

 


 ★第五話★ ワットファウロンワ その3

 

 娘さんが止めてくれたワゴン車は、よく見ればカンボジアでアランヤプラテートからシェムリアップまで荷台に乗って、埃まみれになりなりながら行ったピックアップトラックと同種のものだった。

 運転している男性は小錦を五回り程度縮めた感じのかっちりした体躯で、一見とっつきにくそうな印象だが、娘さんがキチンと事情を説明してくれたのを理解してくれたのか、ニコニコして後部席のドアを開けてくれた。

 きっと、「このおかしな日本人男女を助けてあげて!ワットファウロンワに行きたいらしいの」と、可愛く頼んでくれた賜物だろう。

 僕達は窓を開けて娘さんにありがとうを言い、何度も何度も手を振った。こんなところでこんな親切に合うとは思わなかった。しかも十五才の少女から。きっとご両親が善良な人で、丁寧にキチンと育てられてきたのだろう。今度は写真と何かお礼を持って訪れたいと思った。

 さて小錦さんは全く英語が分からず、僕達は全くタイ語が話せないので、お互い五分五分ではあるが意志の疎通は難しい。しばらく彼はタイ語で何やら話すが、僕達の返答は訳が分からないので、そのうちにカーステレオを鳴らし出した。

 CDケースの中から一枚を取り出してかけると、何とそれはテレサテンの昔の曲だった。

 カーオーディオは彼の自慢のようで、ボリュームを最大限に近いほど上げると、彼は運転しながら時々僕達の方に顔を向けて、「どうだ、いい曲だろう」という感じで微笑むのだった。

 ワットファウロンワに向ってテレサテンが大声で歌っているワゴン車はスピードを上げて行く。時々ニタニタ後ろを振り向く。「危ないから前を見て運転してくださいよ」と言っても通じるはずもないか。

 ワット・ファウロンワの入口近く

 でも親切なタイ人二人のおかげで助かった。

 さてワットファウロンワだが、バスの窓から見える大きな仏像を見て僕が車掌に、「あれがワットファウロンワか?」と聞いた寺院が、結局はそうだったのだ。小錦さんの車で来た道を戻っていると、確かに見覚えのある仏像が遠くに見えて、「ワットファウロンワ?」と彼に聞くと頷いたから、バスの車掌は僕達を騙したのかも知れない。

 あの若造の車掌め、きっと僕のような中年の男が若い可愛い女性と寺院回りなどを行っていることにやきもちを焼いたのだ。心の狭い車掌だ。男はもっと心を広く持てよ。

 そんなことを考えていると、間もなく目的地のワットファウロンワに到着した。

 入口近くで車から降ろしてもらい、ユーターンして帰って行く小錦氏に僕達は一礼し、そして何度も何度も手を振って別れた。彼の行き先とは方向が違っていたのに、ここまで運んでくれたことに恐縮した。

 【本当にありがとう。テレサテンの歌も懐かしかった】

 ワットファウロンワは、何とこれが寺院かと疑ってしまうほど広大な敷地に賑やかな仏像と出店と大勢の人々である。こうなればもう遊園地と同じではないか。(敷地内に小さな遊園地も実際にあった)

 この日は休日で、家族連れなど大勢の人が訪れていた。寺院の敷地の真ん中を一本の道路が貫いており、そこをバスが次々と到着して訪問客を降ろしている。道の両側にはズラリと出店が並び、まるで縁日のようだ。

 「ここは本当にお寺なのですか?」Hさんも驚きの声を上げた。

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