MUSIC:Hokago


 25. ブッダパークへ

 前夜は午前一時頃まで、屋上のミーティングルームでY子さんと韓国人青年と語った。

 その話の中で、ひとつ面白い話を彼がしていた。

 彼は兵役を終えて大学に戻り、旅に出て三ヶ月近くになるらしいのだが、この間旅先で出会った女性四人と、セックスまでに至ったということで、その四人のうち三人が日本人で一人がタイ人だと言っていた。

 欧米人とも宿の部屋をシェアしたことが何度かあったが、彼女達は、考え方はドライではあるが、セックスになると絶対に強く拒むのだと話していた。その点日本人女性は、シェアまで持っていくと必ずセックスの関係に至ったという。日本人女性は考え方だけでなく行動もドライだと、印象を述べていた。

 誰とどこでセックスをしようと僕は関係がないが、何故だか分からないが彼の話にあまり良い気がせず、少し嫌な気分のままベッドに戻った。

 ドミトリーは扇風機が回っていたが、夜でもあまり気温が下がらなかったので寝苦しかった。それでも他の旅行者達をあまり気にすることなく、比較的ぐっすり寝られたような気がした。

 午前八時頃に目が覚めてシャワーを浴びて、さてどうしようかと考えた。この宿は安くて快適だし、もう一日ヴィエンチャンでゆっくりしてもいいかなと思った。自転車を借りてハットリさん宅を訪ねても良いし、薬草サウナにもう一度入りたいという気持ちも出てきた。それに今日タイに入っても、今日のうちに行きたいと思っていたアユタヤにたどり着くことは無理だ。

 思案の結果、無理をせずにもう一日ヴィエンチャンの町を楽しむことに決めた。

 Y子さんとカオピャックの美味しいレストランへ朝食に出かけた。
 彼女には勿論カオピャックを勧めた。僕はフランスパンサンドイッチとラオコーヒーである。
 死ぬほど甘いラオコーヒーを飲みながら、ハムやトマトなどを挟んだ大きなフランスパンにかぶりつく。とっても幸せだ。

 ここのカオピャックは米粉の麺が美味しいだけでなく、R子さんはスープまで飲み干してしまったが、Y子さんも美味しいと言って、記念にペンタックスのカメラで丁寧に写していた。

 僕が日本の知人に絵葉書を出すために郵便局まで付き合ってもらったあと、目の前のタラートサオで何かお土産物を買おうということになり、入って行った。

 待ち合わせ場所を決めて一時間後に会おうということで別行動を取り、僕は二階でTシャツや敷物などをいくつか購入し、それから一階のオープンレストランでコーラを注文してくつろいだ。なんとものんびりしたものだ。

 結局Y子さんもそれほど大きな買い物はしなかったので、宿に戻らず、彼女がブッダパークに行きたいと言うので付き合うことにした。

 去年はN君とトゥクトゥクで何万Kipも支払って行ったのだが、さすが経済旅行の通であるY子さんは、バスで行くのが当然のようにバスターミナルの方向へ歩き出した。ブッダパーク?と聞き回りながらようやく乗り場を見つけ、マイクロバス程度の大きさのバスに乗り込んだ。ブッダパークまでは千Kip(十円)とのことであった。

 バスは例のごとく、人だけでなく様々な荷物をいっぱい積み込んで、身動きできないくらいの状態で出発した。僕とY子さんもしばらく立ったままだ。

 今日も天気は快晴で、気温はおそらく三十五度を超えているだろう。バスは窓を開けているが、車内に入ってくる風は温風となっており、僕の体からはすぐに大粒の汗が噴出してきた。


 26.小銭詐欺

 バスは特にバス停などないのに、道端に乗客が立っていたら停車し、乗客もバス停で止まるのではなく、自分の家のすぐ近くで何やら声をあげて降ろしてもらっている。そんなわけだからバスの停車する回数は数え切れなく、極端な場合は発車して数十メートルも走らないうちに止まったりするから、目的地のブッダパークにはなかなか着かない。

 トゥクトゥクで行けばヴィエンチャンの中心部あたりから三十分もかからないのに、結局一時間あまりかかってしまったが、これもラオスならではであり、結構なことだ。

 ヤレヤレといった感じでバスを降り、すぐ前にあった店で飲み物を買って休憩した。兎にも角にも汗びっしょりなので水分補給が大切だ。

 店の椅子に座っていると一人のラオス人男性が声をかけてきた。ラオス人にしては彫が深い顔つきで、一見すると南米人風である。

 彼は最初挨拶をしたあと、「私は日本に行ったことがある。東京に行ったことがあるが、大きな町に驚いた」と語った。ラオス人が日本に足を踏み入れることは、経済的にも制度的にもなかなか大変だと聞いていたので、ちょっと訝しい気がしたが、彼の話を聞き続けた。

 彼はワンヴィエンに数日遊びに行っていて、昨日の午後のバスでヴィエンチャンに戻って来たと言い、Y子さんのことをバスの中で見かけたと言った。Y子さんも彼のことを覚えていたらしく、まんざら出鱈目を言っているわけではないと思った。

 しばらく話をしたあと彼が、「東京に行った時に日本の貨幣を使い切らないで持ち帰ったので、ここにいくらかコインを持っているが、それをKipに交換してくれれば嬉しいのだが」と切り出した。

 彼は手に百円銀貨を一枚持っていた。「何だそんな簡単なことならいいよ」と僕は一万Kipを彼に渡し、その百円銀貨を手に取った。間違いなく日本の百円銀貨だった。

 彼はまだいくらかの日本のコインを持っていたようで、それをもっと交換して欲しそうな素振りを見せたが、僕は何やら面倒になってきたので、「そろそろブッダパークに入りましょう」とY子さんに言って店を出た。

 「それじゃまた」と彼に言うと、彼も明るく答えてくれたので、決して悪い奴には見えないし、もう少し交換してやってもよかったという気になった。しかし、一度に多額のコインを交換して欲しいと言わないのは、きっとこのコインは日本人観光客から「記念に日本のコインをくれないか」などと言って、無償で貰い集めたものに違いないと思うのだ。

 おそらくそうだろう。ラオスは貧しい。しかしラオス人はとても親切でシャイで、自分達の国に誇りを持っていて、悪い奴はいない。貧しい国だがそれを卑屈に感じている様子は全くない。旅人からその人の国の話を聞こうと積極的だ。ラオスでは殺人事件など皆無に近いと聞く。

 しかし、貧しいがゆえにこのような金銭の知能犯が生まれることもあるのだろう。それは取るに足りない小さなことかも知れない。奴も明るくていい奴に見える。ただ、僕は結果的にあまり良い気はしなかった。日本を訪問したことがあるという話は、おそらく嘘だと確信のようなものを持ったので、後ろ向きに彼に手を振って僕達二人はブッダパークに入って行った。

 ブッダパークは二度目だが、やはり面白い仏像群は見ていて楽しい。ノーン・カーイのワットケークほど規模は大きくはないが、何を意味しているのか分からない怪しげな仏像が並んでいた。

 それらをゆっくり見て歩くとメコン川の岸に出る。岸辺ではオレンジ色の袈裟を纏った若い僧達が数人たたずんでいた。

 彼らは気さくに僕達に話しかけてきた。


 27.二人の青年

 このブッダパークは正式名称をワット・シェンクアンという。

 前のラオス旅行記でも述べたので、ここでは詳しく触れないが、ともかく様々な仏像が無造作に置かれていて面白い。ゴロリンと横になって行儀の悪い仏像もあれば、タコのようにたくさんの手が伸びているものやヒンドゥー教に通じるようなオブライエン巨大像など、かなりの数の仏像がある。

 規模的には、タイのバンコク郊外にあるワットファウロンワやノーン・カーイのワット・ケークと比べるとかなり敷地も狭いが、それなりに楽しめる。

 仏像を見て回ってメコン川の土手に出たところで、若い僧達に声をかけられ、少し話をした。彼らはカンボジアの仏教寺院からの研修でラオスを訪れており、ヴィエンチャンに一ヶ月ほど滞在しているとのことである。勿論、英語は話せないが、同行している三十才位の青年が彼らの世話役のような立場らしく、彼からカンボジアから来たことや、今回研修に連れてきた若者僧達は、多くの修行僧の中から選ばれた存在であることなどを聞いた。

 青年は名前をサイ・サバン君と言い、彼らは何と、ヴィエンチャンで最高級ホテルといわれる「ラオ・プラザ(Hotel Lao Plaza)」に宿泊しているという。旅行者がこのホテルに泊まるには、一泊朝食つきで少なくとも百ドルはする筈だが、彼らは仏教の修行に来ているので、かなり安く宿泊できる措置があるのだろう。でないと、ラオスよりも貧しいカンボジアでは、公務員の月給が二十ドルもないのだから、百ドルといえば驚異的な金額に違いないから。

 僕とY子さんは、修行僧達とメコン川をバックにした記念写真を数枚撮った。するとサイ・サバン君が、「できれば今撮影していただいた写真を送ってもらえないか」と申し出てきた。

 聞けば彼らはまだ三週間ほどはラオ・プラザホテルに宿泊している予定なので、僕が帰国後すぐに現像して送ってあげれば間に合うだろうから、念のためラオ・プラザホテルの所在地と青年の名前とをメモ帳に書いてもらった。(帰国後すぐに送りましたが、その後返事はきませんでした)

 彼らと別れて今度は入り口近くにあるカボチャのドームに登った。このドームは、カボチャの中に入ってぐるぐると階段少し登ると出口があり、カボチャの頂上に出る。高さは三、四メートルほどだが、ここから見下ろすブッダパークの仏像群は圧巻だった。

 頂上で腰を下ろして向こうのメコン川を見渡していると、一人のラオス青年が話しかけてきた。

 「こんにちは、少し話をしてよろしいでしょうか?」と彼は何と日本語で聞いてきた。

 「いいですよ、しかしあなたは日本語がお上手ですね」

 「私はヴィエンチャンの大学生です。大学では経済を学んでいますが、日本語をこれまで五ヶ月間習いました」

 彼は笑顔がすがすがしく、メリハリのある話し方で好感が持てる。日本人の女性バックパッカーが、ラオス青年に心を奪われることが少なくないことが、彼の笑顔を見て無理のないことだと思った。

 「日本語の勉強の成果を試すために、日本の旅行者の方が訪れそうなところに来て話しかけるのです」と彼は言った。何とも勉強熱心で、かつ積極的な青年じゃないかと思う。これが日本だったら、我々は中学校から英語を習っているにもかかわらず、例えば観光地で欧米人に出くわしたとしても、英語力を試すためにと、こちらから話しかけることはないだろう。

 ラオス人は概してシャイなのだが、このように旅行者に対してはあまり物怖じせずに、結構積極的に話しかけてくる。

 彼と三十分ばかり話をして、「じゃあこれからも日本語を頑張って勉強してください」「いつか日本を訪れたいと考えています。ありがとうございました」と最後に言葉を交わして別れた。

 僕達は次に薬草サウナに行こうということになり、Y子さんがバスタオルをどうしても持参したいと言うので、一旦宿に戻ることにした。

 バスは運良く五分ほど待つとやって来た。

BACK TOP NEXT