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 28.神の代償

 ブッダパークからバスで一旦宿に戻り、僕も少し大きめのタオルを持っていくことにした。

 薬草サウナは三日前にR子さんと入ったが、裸になって向こうに備え付けの大きな布を纏うだけだから、女性はバスタオルがあったほうが良いかもしれない。サウナから出たら水浴びをするが、ハーブ茶を飲んで休憩しているうちに、暑さのために体はすっかり乾くから、男はバスタオルの必要はない。

 外に出てトゥクトゥクを探していたら、三日前に半日近くも付き合ってもらった男性に偶然出会い、薬草サウナまで行ってもらうことにした。

 薬草サウナには若者と三十才位の日本人男性が二人と、欧米人の中年夫婦が入っていた。Y子さんと一緒にサウナに入った。僕はこの前もR子さんと一緒に、肌を寄せ合って狭いサウナに入ったのだ。

 このところ盆と正月が一挙に訪れたような気になりながら、視界の殆どないサウナ室に十分ほど入り、汗びっしょりになって外に出ると、Y子さんの布から覗いている肩辺りの肌は、お餅を思い浮かべるほど白く綺麗だった。

 ハーブ茶を飲んでリラックスしながら日本人の旅行者と話をした。

 若者は学生で、既に半年程旅に出ているという。学校は単位さえ取れれば良いので、もう少しあちこち回りたいと言っていた。南米を旅した時は各国とも治安が悪く、毎日身を守るのに気を遣い、旅を楽しめなかったと残念がっていた。聞くと、ペルーやチリなんかもドアトゥードアで移動しないと、町を歩いていると強盗に遭うのだという。だからバスで移動したくとも、バス停まで歩いて行けないので、宿の近くでタクシーを拾うのだと。

 でもこれまで南米を旅したことのある旅行者から、そんな物騒な話を聞いたことがないだけに、その原因は彼がかなり小柄で童顔なので、現地人としては狙いやすいのではないかと思うのだ。

 もう一人の日本人青年は、ゴールデンウイークを利用して二週間程度のタイ・ラオスの旅とのことで、「今まであちこちの国に行きましたが、ラオスという国は拍子抜けするほど穏やかですね」と感想を語っていた。

 二人とも余り話しの合うタイプではなさそうだったので、夕食を誘うことはしないで、このあと何度かサウナに入って汗をかき、再びハーブ茶を飲んでリラックスするということを繰り返し、心身ともにこれ以上リフレッシュしようがないほどすっかり気持ちよくなり、待たせていたトゥクトゥクで宿に帰った。

 Y子さんは薬草サウナが随分と気に入ったようで、「ここにもうしばらく滞在して毎日薬草サウナで綺麗になりたい」と言っていたが、何事にも限度があると思うのだった。

 夕食の時間になり、韓国人青年を誘ったが、彼は既にレストランで簡単に済ませたと言い、屋上で本を読んでいるとのことだった。

 それならと、僕は昨夜食事のあとにウイスキーが飲みたいために立ち寄った店に、もう一度行きたくなり彼女を誘った。

 この夜は、大判のピザ、タコス二人分、ビアラオ一本、ウイスキー二杯、シェイク、コーヒーで、約十万Kip(千円前後)と、アジアにしては猛烈に贅沢をしたが、若い女性と今度はいつこのような機会があるか分からないので、勿論僕の奢りである。僕だって出す時は大盤振る舞いをすることもあるのだ。

 Y子さんは、二十代半ばを過ぎた人だが、この二日間共に過ごして感じたことは、他人に対してとても気遣いをする人だと思った。何かを提案する時も、相手の意見を必ず聞いてからだし、僕が彼女に意見を聞くと、すぐに答えずにしばらく考え込んでから答えるという感じだった。

 ただあとで分かったことは、それは単に、彼女が比較的のんびりとした性格で、物事を決めるのに優柔不断の傾向があり、一言で言えば「おっとりした女性」というだけなのだが。

 旅の五日目は、またしても若い女性と一緒にお酒を飲めるという幸運に恵まれ、ほろ酔い加減で宿に戻ったが、神はその代償として暑さと蚊に悩まされた寝苦しい夜を僕に与えたのだった。


 29.ラオスをあとに

 ウイスキーを飲みすぎたからかもしれないけど、夜中に何度も足が痒くて目が覚めた。隣のベッドにはY子さんが寝ていたが、特に寝苦しい様子はなく、他のベッドを見ても皆熟睡しているようだった。

 ドミトリーには大きな扇風機が回っていて、少々暑くてもその風で寝苦しさは免れるが、蚊に対しては降参だ。ムシペールを持ってきていたので、何度も足や手に擦り付けたが、あまり効かなかった。ラオスの蚊にはラオスの軟膏が効くのかもしれない。

 翌朝は八時に目が覚め、洗面を済ませてからインターネットカフェに出向いた。三十分ほどHPに書き込んだり、日本のニュースをヤフーなどで見てから出た。

 宿に戻る途中でY子さんと会ったので、どこに行くのか聞くと朝食だという。それならということで前に行った小さなレストランに入り、今日いよいよラオスからタイに戻るので、最後はフランスパンサンドイッチでしょうとそれぞれ注文し、甘くて死にそうなラオコーヒーも思い切って飲むことにした。

 トマトや大きな胡瓜などを挟んだフランスパンはやはり絶品で、何度も言うようだが、これを食べるためにだけでもラオスまで足を運ぶ価値があるように思った。

 Y子さんも今日の午後タイに入り、明日の朝にはバンコクに着きたいと言う。ノーン・カーイを夕方出たら明朝早くにバンコク北バスターミナルに着く便が出ているらしい。

 「ペロ吉さんはどうするのですか?」と彼女が聞くので、僕は彼女と一緒にバンコクまで行っても良いが、列車の旅が好きな僕は、「夜行列車で行きます。気が変わればアユタヤに少しだけ寄るかも知れません」と答えた。

 ともかく今日で彼女ともお別れだ。ラオス国内の旅は、前半がR子さん、後半がY子さんに付き合ってもらってとても助かった。僕の考え方のように甘ったるいラオコーヒーを飲み終えて宿に戻り、午後の出発まで時間があるのでシャワーを浴びて少し寝た。相変わらず好天で、日差しは強烈だ。

 ベッドで何も考えずにまどろんでいる時間が僕は大好きだ。学生時代の放課後の校庭が脳裏に浮かび、甘酸っぱさが口に広がる。とても懐かしい、胸が締め付けられるような思いに浸る。幸せだ。

 午後一時になってパッキングを済ませ出発だ。このドミトリーはなかなか快適だった。二日間世話になり四ドルだ。今度ヴィエンチャンを再訪した際にも、宿はここにしようと思った。

 宿の前からトゥクトゥクに乗る。三人でいくら支払ったかは憶えていないが、韓国人青年の上手な交渉により、かなり安く済んだように記憶している。

 二度目のラオスからタイへの入国はきわめて簡単に終わり、国境バスの終点から彼女と韓国人青年はノーン・カーイのバスターミナルへ、僕は駅まで、それぞれトゥクトゥクに乗り「サヨナラ!」を言った。

 あっけない別れだなと思っているとすぐにノーン・カーイ駅に着いてしまった。

 トゥクトゥクの男性に待機してもらって駅の窓口に行き、バンコクまでの指定席の有無を聞いた。しかし残念なことに二等ファン寝台車も既に売り切れとの返答だった。去年は結果的に一等エアコン寝台車で帰ることができたので、念のため聞いてみると、「Full!」とのそっけない返事だった。

 予期したこととはいえ、列車で帰れないのは残念に思った。仕方なく待機してもらっていたトゥクトゥクに再度乗り、ノーン・カーイのバスターミナルに急いだ。バスのチケットも売り切れだとなれば、ここに泊まらなければならない。そうなると予定が随分狂ってくるのだ。

 僕はチケットのことと、Y子さんと韓国人青年がすぐにバスに乗って行ってしまっていないかと心配しながら、トゥクトゥクに揺られてノーン・カーイ市内へと戻って行ったのだった。


 30. 再びノーン・カーイ

 列車のチケットが売り切れだったため、急遽ノーン・カーイのバスターミナルへトゥクトゥクを飛ばした。
 昨年とはほぼ同じ時期の旅行程なのに、列車のチケットが全部売り切れていたことに少しショックを感じた。汗びっしょりになってしまうほど暑い、ファンだけの二等寝台車もフルだと言われた。
 昨年は空いていた一等エアコン寝台車もフルだった。やはりラオスは年々ツーリストが増えていることの証明なのだろうか。

 タイ国内での長時間のバス移動は初めてだ。エアコンバスは南極のように冷えすぎて、朝になって目的地に到着した時には、乗客の大部分が冷凍化されていると聞くので、これはかなり心配だ。

 ノーン・カーイのバスターミナルは思いがけず大きかった。やはり東北の果ての都市だけに、バス網の重要都市になっているのだろう。

 バスターミナルのチケット売り場に着いたら、目の前にY子さんと韓国人青年が立っていた。
 「やっぱりチケットはなかったのですか」と僕の姿を見てY子さんが言った。
 「早い再会でしたね」と僕は少しバツが悪く感じながら言う。三人で笑い合った。

 青年は午後三時のウドンタニー行きのバスの乗ると言う。
 「ウドンタニーからチェンマイ行きのバスが出ているから、それに乗るのですよ。じゃあさよなら」と彼は言い、僕とY子さんに手を差し出した。
 この瞬間がいつも切なく思う。彼とはもう二度と会うことはないのだろう。帰国すれば飲食店を経営したいと言っていた青年。成功することを祈って別れた。

 さてバンコク北ターミナルまでの夜行便は、午後六時三十分発らしい。まだ三時間以上もあるから、ノーン・カーイ市内をブラブラしようということになった。

 ともかくバンコクまでのチケットを購入したが、VIPエアコンバスは既に売り切れており、二人とも二等エアコンバスで行くことになった。VIPとの違いはシートである。VIPバスは一人シートが三列に並んでいるものだが、二等エアコンバスは二人シートが二列で、前の席との間がものすごく狭いので長時間は窮屈だ。
 ザックをチケット売り場に預けて出た。

 考えればノーン・カーイの町を歩くのはこれで三度目である。一度目は昨年(平成十三年)の春のラオス旅行の帰りに、Hさんとネットカフェに立ち寄ったあとレストランに入った。あの時は二人ともお腹を壊していて、全く冴えなかったものだ。

 二度目は数日前にR子さんと、早朝にワットケークという怪しげな寺院を訪問し、その後バンコク銀行で両替をしたのだった。僅か数日しか経っていないのに、何週間も前に感じるのは何故だろう。

 こう思うと僕はノーン・カーイの町を歩く時は、いつも若くて綺麗な女性と一緒なのだ。僕にとってはラッキーシティーなのかもしれない。

 そんな馬鹿なことを思っていたら、ヴィエンチャンで朝食を食べたきりなので、随分とお腹が空いているのに気がついた。僕達は道路際の一軒の庶民的な店に飛び込んだ。店の前に並べられた大きな器に、うまく形容しがたい美味しそうな料理が入っていたからだ。

 僕はカオバッドにその器の一つからチキンのようなものを乗せてもらって、ビアチャンの大瓶を注文(合計五十バーツ)、Y子さんは何やら辛そうな色のシチューを白ご飯に乗せてもらったものを注文した。

 彼女はあまりビールも飲まない。コップ一杯だけで、あとは全部僕が飲んでしまった。
 ややふらつきながら店を出て、ここで二人は別行動を取ることにした。
 「じゃあ、六時頃にバスターミナルでね」と言って一旦分かれた。


 31. バンコクへ

 Y子さんと一旦別れた僕は、早速ネットカフェに飛び込んだ。

 今朝ヴィエンチャンでチェックをしているが、旅先ではどうも日本の状況が気になり、メールチェックとヤフーで世界のニュースを見てしまう。

 三十分程でネットカフェを出たところで一人の日本人女性と出会った。彼女のほうから僕に近づいてきて、「こんにちは、ガイドブックを持っていませんか?」と聞くのだ。

 「地球の○き方なら持ってますよ」と僕が答えると、少し見せてくださいというので、ネットカフェの前に設置されていた椅子に座った。彼女はノーン・カーイ市内の情報を読んでいたようだが、読みながら僕にどこから来てどこに行く予定で何日の日程かなどを聞いてきた。

 警察の尋問を受けているように思いながらも、十日くらいの日程でラオスを少し回ってタイに入り、バンコクでゆっくりする予定だと答えた。

 すると彼女は僕が聞きもしないのに、「私は中国を一ヶ月程旅していたのです。でもラオスも行ってみようと思って中国との国境からずっと下って来て、ついでにこうなったらタイにも少し入ってみようと思ってこのノーン・カーイに来たのです。だからガイドブックも何も持っていなくて」と話し始めた。

 この後の話では、彼女は年令が三十六才、既婚で子供はなく、夫は日本で仕事熱心だ、私は旅が好きで今回も一ヶ月間だけ夫の許しを得たが、既に二ヶ月近くになってしまった、夫が怒り出した・・・などと嬉しそうに語るのだった。

 彼女の風貌は、要するに失礼だがかなりの肥満でありまして、それにペラペラとよくしゃべる人でありまして、簡単に申し上げると僕の好みのタイプとは残念ながら大きくかけ離れていたというわけで、本来なら日本の女性と異国で出会えば、余程のことがない限りお茶くらいはお誘いをするのだが、この時は言葉が出なかった。

 彼女は首からかなり高価そうな大きな一眼レフカメラをぶら下げており、少数民族の写真を撮るのが好きなのだと語り、このあとはもう一度ラオスに戻って南下しようか、或いはバンコクに出て夫が怒っているからすぐに帰国しようか悩んでいるとのことで、僕に対し、「どう思いますか?」と聞くので、僕は全く興味のない話だったが、「そりゃあ、ご主人のもとに帰ってあげた方が良いと思いますよ。ご主人は寂しくて仕方がないのでしょう」と、心にもないことを言葉にして彼女とその場で別れた。

 そのあと市内をブラブラしたが、特に何もないし、早めにバスターミナルに戻った。チケット売り場でY子さんを待っていたが、午後六時を過ぎても戻って来ないし、既にバンコク行きのバスが到着していたので僕は自分のバックパックを背負って先にバスに乗った。後で考えてみると、先に一人だけバスに乗り込んだことで冷たい男と思われたかもしれないが、旅とは基本的には一人なのだから仕方がない。

 バスは一応指定席だが、VIPバスではないので前の席とは非常に狭い。それにたまたま僕の前には若いタイ人のカップルが座っていて、彼らはシートを思いっきりリクライニングするので、ますます僕は窮屈になってしまうのだった。

 日本だったら、「ちょっとあんたらもう少し後ろの人のことを考えんかい!」と、絶対にクレームをつけるのだが、ここはこの人達の国だし、タイ語が分からないので我慢して座っていた。

 ほどなくY子さんが来て一番前の席に座り、バスはノーン・カーイより一路バンコクを目指して走り出した。

 暗闇が少しずつ覆ってきた街並みは、夕食を屋台やレストランで楽しむ人々で溢れかえり、一つの街の慌しい日常風景として僕の目に焼き付き、何故か切ない気持ちになってしまうのだった。

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