Music:tasogare


 16.ワンヴィエンへ

 翌日、午前五時半に目が覚めた。外は少し明るくなってきていた。

 部屋の外の共同シャワーで体の汗を流し、髭を剃って簡単なパッキングを済ませて階下に降りて行った。途中、R子さんの部屋のドアをトントンと二度ノックをすると、中から「ハイ」と短い応答があった。

 フロントの前の椅子に座って五分も待たないうちに彼女が出てきた。今日もタンクトップの短めのシャツに涼しそうなパンツ、頭には昨日のカラフルとは打って変わって、おとなしい感じのハイキングハットだが、やはり一瞬クラクラとしてしまう。
 七時発のバスだが、すぐに満席になってしまって、あとは悲惨な状態になるのは去年経験しているから、ともかくバックパックを担いで僕達は急いだ。

 ワンヴィエン行きのバスのチケットは発車してから車掌から購入するのだ。(5000Kip)
 六時二十分頃にはバスターミナルに到着し、僕達は最後部の座席を確保した。朝食のフランスパンサンドイッチを買って腹ごしらえをしているうちに、次々と客が乗ってきたが、日本人旅行者は一人も見当たらない。

 みるみるうちにたくさん空いていた座席はほぼ埋まってしまい、僕達の最後部の座席も6人ほどがギュウギュウに詰めるだけでなく、床には野菜や衣類や、ともかく様々なものが入った布袋が運び込まれ、僕の足元には玉ねぎの袋がドカンと置かれた。
 僕はその上に足を乗せてよいものかどうか思案しながら、足を上げたり下げたり試行錯誤していたが、どういうわけか定刻の七時にバスはスタートした。

 出発時点で既に通路までプラスチック製の椅子が並べられて、これ以上乗客は座れないという状態であったが、ラオスのバスはこんなものでは許してくれない。

  ターミナルを出たバスはヴィエンチャン市街で何ヶ所か止まり、必ずといっていいほど荷物を持った客が乗り込んでくる。
 運転席の横や後ろの少し開いたスペースも、これ以上隙間がないくらい乗客と荷物が重なり合っている。
 二人掛けの席に三人ないし四人が座り、通路はぎっしりの乗客と荷物。
 それでも車掌は客がバスを待っていれば必ず乗せる。とりあえず乗せる。
 あちこちで人々の叫び声がする。「もっと奥に詰めてよ!」とでも言っているのだろう。
 車掌が何やら叫ぶ。ニワトリがけたたましく鳴いたりはしないが、この状態を文字で表現するのは、いくら僕に文章力があるといっても容易なことではなく、端的に述べて、バスが膨れ上がっている状態のまま山岳道を一路ワンヴィエンである。

 R子さんは、この凄まじいバスにしばらく目を白黒赤黄青と忙しく動かして驚いていたが、「ワンヴィエンまでは四時間ですよね。ワンヴィエンからルアンパバーンまでは七時間ですか?」と呟くように言うと、半ば失神しそうな表情になっていた。

 「でもワンヴィエンからルアンまでは、こんなにギュウギュウ詰めではなかったと記憶しています。大丈夫でしょう」

 僕が慰めの意味を込めていった言葉も、彼女の耳には届かなかったようで、しばらくしは目を点にして車内の様子を見ていたが、やがて精神的に急激に疲れたのか、寝てしまった。

 バスはブルンブルン、ガリガリ、ガガガーといった音とともに、緩やかな坂道をゆっくり登って行き、田園風景と山裾の集落という景色へと変っていった。天候は昨日と変らず快晴に近い。僕は窓の外の景色とバスの車内を眺めながら、ふと日本の昔の歌に、「田舎のバスはオンボロバスでぇ〜」というフレーズがあったのを思い出した。

 でもこのようなバスを僕は大好きだった。それは隣にR子さんが穏やかに寝ているからではなく、ラオスという国のこのオンボロバスが本当に好きなのだった。

 「田舎のバスはオンボロバスでぇ〜」


 17.タビソックGHへ帰ってきた

 おそらく外から見れば風船のように車体が膨らんでいるであろう、定員の十倍もの乗客と荷物を載せたオンボロバスは、途中何のトラブルもなく、しかし一度のトイレ休憩もなく、四時間あまりの走行を経て午前十一時過ぎには無事ワンヴィエンに到着した。

  昨年は途中で一度、原っぱのような何でもない場所でバスが止まり、トイレ休憩を取ったのだが、今回は少し時間が遅れていたから一気に突っ走ったのかも知れない。やはり一応運行時間を気にしているのだ。

 バスの屋根からザックを降ろしてもらって、数人のGHの客引きを丁寧に断りながら飛行場跡を横切り、見覚えのある道に出た。ワンヴィエン唯一の銀行を通り過ぎて最初の角を左に曲がると、あの懐かしいタビソックGHの入口が見えた。

 タビソックGH

 「去年二泊お世話になったGHですけど、エアコンも何もありませんが、家族が皆さん良い人なのです。そこで構いませんか?」と一応R子さんには了解を得ていたものの、去年と様子が変っていなければいいのだが、という心配も全くの杞憂だった。

 入って行くと中庭のテーブルで昼食中の家族が僕達を見て、女将さんとご主人がそれこそすっ飛んできて歓迎をしてくれた。女将さんはラオス語で何やらギャーギャー叫んでいるが、おそらく、「キャー、よくきてくれたねぇ。ぜんぜん変っていないね、ハンサムな顔もそのバンダナ頭も。今年は彼女と一緒なのかい?綺麗な彼女だね、なかなかやるじゃないか、あんた」といった感じだろう。

 やはり昨年の、「日ラオ親善酒盛り、いいちことラオラーオの競演、ご主人二日酔い大騒動の夜」の強烈な印象が、女将さんの頭の中に残っているのに違いない。

 僕はご夫婦が僕の顔を見た途端に思い出してくれて、すぐに走ってきて歓迎してくれたことに、思わず感激の涙をポロリとこぼしてしまうところだった。しかし僕も男だ。R子さんの手前もあり、テレビ番組のウルルンみたいにメソメソ泣くわけにはいかない。それに僕は何といっても、もう四十半ばを過ぎた中年ではないか。

 タビソックGHのご夫婦は僕を憶えてくれていた

 女将さんは相変わらずラオス語で何やら僕に話し続けながら、僕が「シングルの部屋二つ空いてますか?」との問い合わせにも、「当たり前じゃないか、さあこちらへ!」といった感じで僕達を引っ張って行く。ご主人はその光景を少し離れたところから、ニコニコしながら見ているのだった。

 二階の階段を上ってすぐの部屋をR子さん、一階の入口が僕の部屋となり、ザックを置いて僕は早速昨年この宿で写したご家族の写真を見せに行った。中庭の大きなテーブルにはご夫婦とご主人の弟さんがいて、僕が大きく引き伸ばした写真を数枚並べると、「ワーッ」と、驚きの声があがった。

 写真はご夫婦が並んでいるものや、ご主人のご両親が後ろに並んで立っているもの、さらにあのタビソックが三輪車に乗っているものや泣きべそをかいているものまで、なかなかバラエティーに富んでいて、家族はしばらく写真を食い入るように見ていた。【持ってきて本当に良かった】

 しばらくするとR子さんも中庭に出てきて、一緒になって写真を見ていた。ラオスではまだまだ写真を撮るということは日常化していないのだろう。こんなに喜んでもらえるとは思いもしなかっただけに、これから毎年訪れて、タビソックの成長を写真に撮り続けようかとも考えた。

 ともかく僕達も昼食だ。

 ワンヴィエンの町は端から端まで歩いても五百メートルもないくらいなのだ。GHを出て通りをしばらく歩いたが、昨年と殆ど変っていない。少し変化があるとすれば、新たなGHが増えていたり建築中であったり、ということなので、このワンヴィエンも観光地化されつつあるのかと、少し残念な嬉しいようなおかしな気分になった。


 18.ワンヴィエンリゾート

 近くのレストランでまたまた僕はフランスパンサンドイッチをバナナシェイクとともに注文したが、ここではR子さんも小さめのサンドイッチを頼んでいた。何しろ美味しいのだから、ラオス滞在中はやはりできるだけ食べたいものだ。

 オープンレストランの椅子に座ってワンヴィエンの町の向こうを眺めると、昨年と同様に特徴のある小さな山々が並んでいる。「この山の形は中国の桂林で見られました」と、そういえば昨年の旅で知り合ったO君が言っていたのを思い出す。

 天候は素晴らしく良い。バスも無事にワンヴィエンに到着した。美味しいフランスパンサンドイッチの昼食も食べている、しかもバナナシェイク付きでだ。目の前には美人のR子さんがちょこんと座っている。

 これ以上何を望むものがあるだろう。でもボチボチR子さんを解放してあげないと、いくらなんでも中年オヤジの僕と三日も一緒なのだから、彼女は大人で表情には出さなくとも、【もういい加減うんざりだわ】って思っているような気がしてきた。

 そんなことをボンヤリと考えていると、「ガイドブックに洞窟があるって書いてますよ。行ってみませんか」と彼女が言った。

 僕達は洞窟まで歩いて行くことにした。

 「昨年はね、行きはトゥクトゥクに乗って行ったのですけど、そんなに距離がなかったので、帰りは歩いて帰ってきたのですよ。それほど距離はないし、町歩きを兼ねて行きましょうか」

 僕達はまるで箱庭のような小さな町をブラブラと歩いた。勿論道路は舗装なんてしている筈もない。小さな町にしては旅行者がたくさん滞在しており、その殆どが欧米人で、日本人は見かけない。

 洞窟の入口から見たワンヴィエンの村

 右側にナムソン川を見ながら、学校の運動場を左に見てさらに奥に行き、突き当りを右に曲がって三百メートルほど砂利道を歩くとワンヴィエンリゾートの入口だ。

 入場料を支払い(毎回思うのだが、このような入場料を僕ははっきりと憶えていない。多分千Kipだったと思う)、つり橋を渡って奥へ奥へと進んで行くと、洞窟の入口につながっている階段の登り口がある。

 レストランを出て三十分程歩きっぱなしだが、灼熱の下ではやはり相当暑さが身にこたえる。彼女は帽子をかぶっているから大丈夫そうだが、僕はバンダナを通して熱射が地肌を焦がしている感覚で、せっかく毛髪をプロテクトしているのに、ここラオスでは全くバンダナなんぞ暑さ避けにはならない。

 そんなことを未練たらしく考えていると、「登りましょう」と彼女が言うので、僕達は一段一段足の裏で石段を踏みしめるようにしながら、一歩一歩確実に洞窟の入口に向って前進を始めた。

 だらしないことに、三十段も登ると息が切れてきたので足を止め、「大丈夫ですか」と自分のほうが大丈夫でないのに偉そうに彼女に声をかけた。

 「きついですねぇ。のんびりと登りましょう」

 彼女は人間ができている。僕の痩せ我慢なんかはとっくに見破られているに違いなく、彼女の言葉は僕を気遣ってのものであることは明白だ。こんな女性と結婚する男性は、一生の幸せ者だな、とまたまた取りとめもなく考えていると、「さあ、頑張って登りましょうか」と励まされ、さらに僕達は石段を一歩一歩踏みしめながら登って行ったのだった。(かなりオーバーな表現だが)

 僕も一応は、「暑くないですか?」「疲れてませんか?」などと気遣いの声をかける。その度に彼女は、「大丈夫です」とにこやかに応える。この笑顔は読者の方に見せたいくらい素晴らしいものだ。

 てなことをくどくど言っているうちに、洞窟の入口に到着した。

 振り返ってワンヴィエンの町を眺めてみると、それはしばらく形容する言葉が浮かばないほど素晴らしく、緑溢れた村をナムソン川が貫き、村全体が一つのリゾート地になっているような美しさだった。(ワンヴィエンは町というより村である)

 他に洞窟を訪れている観光客はいなかった。僕達はお互いをカメラに収めてから洞窟の中に入って行った。

 洞窟の中は所々に薄明かりが見えるだけで、ほぼ真っ暗に近く、ここで僕は彼女の手を引こうかどうか迷ってしまった。こんな時は躊躇せずに、「暗いから気をつけて」とか何とか言いながら、どさくさに紛れて手を繋いでしまえばいいのに、僕はいつも肝心な時に全く駄目なのだ。

 躊躇しているうちに間もなく中ほどのテラスに出てしまった。

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