Music:MIKO


19.切ない夜

 洞窟では再三再四手を繋ぐチャンスがあり、時にはお互いにドキドキしているような気もしたが、それは僕の独りよがりだとカッコ悪いから、結局行為に及ばないまま階段を降りてしまった。

 少し奥に行くとちょうど洞窟の真下に位置するところに小さな川が流れていて、その水は底まで見透かせる程綺麗で、現地の子供たちや欧米人が楽しそうに遊んでいた。

 欧米人の女性達は用意がよくて、大きな乳房がポロリと覗きそうなセクシーな水着を着て泳いでいるのを見ると、目のやり場に困ったフリをしなければならなかった。

 「あーあ、水着を持ってくればよかった」とR子さんがとても残念がったが、最も残念だったのはもしかして僕だったのかもしれない。

 しかし僕は半パンにTシャツだからサンダルを脱いで恐る恐る水に入って行った。泳ぎは不得意ではないが、足がつかない深さの所は、洞窟の下の小さな川でも気持ちが悪いものだから、少し躊躇する。

 「もっと奥まで行ってくださいよ。何がありますかぁ?」

 彼女は僕がぎこちない泳ぎをしているのにも気がつかずにいう。僕は洞窟の中に平泳ぎで入って行った。奥の方には欧米人が数人川から岩に上ってお喋りをしている。何やら英語で僕に話しかけるが、今の僕にはそれらを翻訳する頭脳的余裕はないのだ。

 「早くこっちに来いよ!」とでもいっているのだろう。勝手なこといわれたって、僕には奥まで行ってしまうと、今度は無事に元に帰れるかという危惧があったから、そう簡単に君達肉の常食人達と同じようにはいかないぞ。

 平泳ぎで方向転換して再び洞窟の入口の方に泳いで戻っていった。

 「ふー、疲れた。久しぶりに泳ぐと息がもたへんわ」

 僕は正直に関西弁で彼女にいい訳をいった。

 しばらく僕の衣服が乾くのを待ってから、ワンヴィエンリゾートを出て、再び歩いてGHに戻っていった。

 帰り道は彼女も疲れたのかあまり口数が多くなく、僕が途中の道で、「この三日間歯を磨いていないから、歯ブラシとシャンプーを買いに市場に行きます」というと、彼女は宿に帰って昼寝をしますということで、僕達は別れた。

 ワンヴィエンの町には一ヶ所だけ市場がある。それは郵便局のすぐ近くである。古いガイドブックなどでは、市場のすぐ近くにバス発着場があるように掲載されていたように思うが、バス発着場は元米軍の飛行場跡を横切った所にあり、市場の近くには既になくなっている。

 相変わらず市場の中は賑やかだ。こんな小さな町にどうしてこんなに大きな市場が必要なのかと不思議に思うのだが、きっとかなり遠方の村からもここまで買いに来るのだろう。

 僕は歯磨きと歯ブラシとシャンプーを一つずつ購入し、ネットカフェに立寄ってから宿に帰った。ネットカフェは前回来たときよりもさらに店舗が増えていたが、回線のスピードが猛烈に遅く、メールを送受信したあと少しネットを見ていたら瞬く間に一時間が経ってしまった。(一時間一万Kip約100円と高目でした)

 R子さんとは午後六時半頃にGHの中庭で約束をしていたので、宿に戻って少しだけ昼寝をしてから中庭に出るとタビソックがべそをかいていた。どうやら何か悪さをしてお母さんから叱られたようだ。

 僕は一年ぶりの彼の泣き顔や、テーブルの宿帳などに鉛筆で落書きをしている彼の写真を数枚撮影した。

 午後六時半をかなり過ぎてからR子さんが中庭に降りてきた。

 「お待たせしてごめんなさい。ぐっすり寝入ってしまったようなのです」

 「きっと目に見えない疲れがあるんだよ」

 僕達はすっかり暗くなったワンヴィエンの町に出て、ヴィエンチャンやルアンパバーンにもあるカレーの店・ナジムに入った。カレー、ナン、シシカバブ、ビアラオを注文、彼女も同じようなものを食べて、一人当たり二万五千Kip程度。味はなかなか美味しい。

 店の外に設けられたテーブルでビアラオを飲み、素敵な人と話をしながらラオスの田舎町で過ごす。

 文句のつけどころのないシチュエイションである。

 しかし、僕はあまり元気がなく、顔では笑っているものの心の中は複雑な気分だった。

 彼女は明朝九時のバスでルアンパバーンに向う。僕は本当は一緒に行きたかったが、国境を越える時にワンヴィエンまで同行してもよいかといった手前があり、これ以上彼女に付きまとうのは一種のストーカーではないかと思ったのだ。それに彼女自身も今度は、「もしよければ一緒にルアンに行きましょうよ」の一言もないではないか。心になくとも一応声をかけるのが自然ではないか。その言葉がないということは、もうここで結構ですとアンにいっている訳だ。何しろ旅は一人が基本だ。基本を忘れてここまで僕はきてしまったのだから、もうこれ以上はいいじゃないか。

 僕はあれこれ考え悩んだ末、ここは涙を呑んで諦め、男らしく明朝彼女を見送ることにしたのだ。

 宿に帰り、明日朝七時半頃に起こしてくださいといって、午後九時半頃には寝た。

 切ない気持ちになってきたが、なんと隣の現地人の家では結婚式か何かめでたいことでもあったのか、大音響のスピーカーで現地の音楽をドンドコドンドコ鳴らしている。

 「こんな気持ちの時は素直に眠らせろよ!」


 20. さよならR子さん

 おそらく僕の記憶では、隣の大音響スピーカーからのドコドコドンドンは深夜三時頃まで鳴り響いていたと思う。

 しかしそれに対して誰も文句を言わないから鳴り続けていたわけで、ラオス人の寛容さというか、ツーリストたちの順応性というか、僕にはサッパリ分からない。

 僕はかなり寝不足のまま、午前七時半頃にR子さんがドアをトントンと叩く音に目が覚めた。

 慌てて水シャワーを浴びて髭を剃り中庭に出ると、ちょうど彼女が宿代を女将さんに支払っているところだった。昨年と同じで三万Kip(約三百円)である。

 女将さんに、「ちょっと彼女を送ってきます」と言って、僕が彼女のバックパックを背負い、タビソックGHをあとにした。彼女はバックパックを僕が背負ったことを大変恐縮していたが、僕にできることはこれくらいのことしかないのだ。

 飛行場跡の向こうがバス発着場

 飛行場跡を横切ってバス乗り場に着くと、既に十数人の旅行者が集まっていた。

 「早く来てよかったね。座席を確保してから朝食にしましょう」

 彼女はルアンパバーンまでのチケットを購入し、バスの屋根の上で整理をしていた係員にバックパックを預け、座席確保のためにバスに乗り込んだ。幸いにも最も前の一人席が空いていたので、そこにガイドブックと帽子を置いて座席を確保した。

 朝食はバス発着場の近くに出ている屋台に入った。中年の女性が一人で切り盛りしている。

 ヴィエンチャンで食べたカオピャックを二人とも注文した。周りの食材にたくさんのハエがたかっているのも、何故か殆ど気にならない。随分と僕も衛生面の悪環境に慣れたものだと思った。

 七〜八分で出来上がったカオピャックはヴィエンチャンで食べたものとほぼ同じだったが、味付けと麺のコシが微妙に異なり、明らかにヴィエンチャンの方に軍配が上った。

 ルアンパバーンまでのバス・手前の後姿はR子さん

 屋台を出た。

 バスは九時発である。

 現在の時刻は八時四十分。次第にバスの周りに旅行者が溢れてきた。大部分が欧米人である。バスで移動する時は、できる限り早い時刻に来て、座席を確保することをお奨めする。特にこのような七時間もの長時間乗る場合は、万が一座席がなくなると、プラスティックの簡易座席に座るか、立ったままという破目になる。

 バスをバックにR子さんの写真を撮って、いよいよお別れだ。旅の初日から三日間、寝る時以外はずっと一緒だっただけに、少し分かれ惜しくなってしまう。

 彼女の方から、「今度は大阪でお会いしましょうね。携帯の方に電話ください」と言ってくれた。僕はその言葉を聞いて狂喜乱舞しそうになったが、何かを彼女のためにしたくて、近くの店に入ってお菓子やチョコレートを買って彼女に手渡した。

 「それじゃ、このあと気をつけてね。バスが発車するのを見送るのは苦手だからここで宿に帰ることにするよ」

 僕達は最初で最後かも知れない握手を交わして別れた。

 飛行場跡を僕はGHの方にトボトボと歩く。途中何度か振り返るとバスはまだ出発していない。九時になっていないのだから当たり前であるが。

 僕は腑抜けのようになって宿に帰り、ベッドに仰向けに倒れ、そのままうたた寝をしてしまった。


 21.ヴィエンチャンに帰ろう

 一時間あまり転寝して午前十時過ぎに目が覚めて中庭に出た。

 そこではタビソックが宿帳の表紙に落書きをしたり、なにやらイタズラの真っ最中で、しばらくすると案の定女将さんに叱られべそをかいていた。

 この様子を、いつもミニバックに入れているカメラできっちり撮影をした。

 「彼女は行っちゃったのかね?」というふうに女将さんが問いかけてきた。

 「そうなんです、振られちゃいました。だから一人じゃ寂しいので今日の午後のバスでヴィエンチャンに帰ろうと思います。

 「なんだい、もう一泊しないのかい?」

 「ごめんなさい。来年また必ず来ますから」

 もう一泊でも二泊でもゆっくりしたいが、このような気持ちのときはじっとしているのが辛いのだ。動いていると少しは気分も紛れるというものだ。

 部屋に戻り、パッキングをして下に降り、宿代を支払ってザックを預けて昨日昼食を食べたレストランに行った。再びフランスパンサンドイッチとシェイクを注文し、腹ごしらえをきちんとして宿に戻ると、女将さんが出かけているとのことだったので、ご主人の弟さんにサヨナラを言って別れた。

 来年もまたここに帰って来ようと思った。タビソックの写真以外に、今度こそ何か日本のお土産を持参して。

 時刻はまだ十二時十五分なのに、午後一時のバスは半分ほどの座席が埋まっていた。早速チケットを購入し、最も前の右端の一人席を確保した。たまたまこうなったのだが、この席はR子さんがルアンパバーンに向うバスの席と同じ場所である。

 バスの社内を振り返ると、日本人の若者が最後部の座席に三、四人いて、大声でなにやら話しているのが見えたが、どうも見た感じ僕とは合いそうにないから近づくのはやめた。

 バスを降りて店でペプシとお菓子を買っていたら、日本人のホッソリしたキュートな女性がいた。

 お互いに挨拶を交わして、その場は別れた。

 実はこの女性が、この先後半ずっと共に旅することとなるY子さんである。

 それはともかくとして、バスはみるみる満席になり、僕も早々と座席に戻り出発を待った。

 またまた以外にも午後一時丁度にバスは発車した。見覚えのある集落で手を上げている現地人を次々と乗せて行く。走り出して三十分も経っていないのに、車内の通路にはプラスチック製の椅子が並べられていたが、すべて埋まってしまい、運転席の後ろの少し広いスペースには荷物が重ねられ、その上にも人が座っているという有様だ。

 再びオンボロガタピシノンエアコン窓から埃バスは、一路ヴィエンチャンに向って走る。

 バスはやや下り気味の道路なので、スムーズに走って行く。しばらくウトウトと寝ていたが、目が覚めると、何と僕の膝の上に生暖かくて柔らかいものが乗っかっていた。なんだろうと見ると、それは若い女性のヒップだった。そのヒップはシンという巻きスカートでガードされているが、明らかに彼女のヒップの感触が僕の左の太ももから膝の間に伝わってくるのだ。

 スタイルの良い美人のラオス女性だった。僕は席を立って彼女と代わろうかと思ったが、周りには同じ様な状況にあるラオス人が一杯で、彼女だけを代わることはおかしな感じに思えたので諦めた。

 こんな状態のバスなのに、ラオスの人々は全く不平不満を顔にも出さず、大変さを笑いで流しているかのように、車内のあちらこちらで笑い声が聞こえるのだった。僕の膝に乗っかっている女性も、隣に立っている友人の女性と談笑をしている。

 ラオスという国は、本当に真剣に人間性の大きな国民なのではないかと思ってしまうのだった。

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