探偵Peroの
ワット・ケーク その3 ワット・ケークの本堂のような建物の内部に足を踏み入れると、広い部屋の正面の壁には、縮れた長髪の厳つい顔の男性の写真か絵か分からないカラーの肖像が掛かっていた。 その前にはヒンドゥー様式の絵や仏像が並べられており、部屋を開けてくれた中年の少しふっくらしたインド人っぽい女性が、こんなに朝早くから何ごとかなどという態度ではなくて、にこやかに微笑んでくれたことをいいことに、僕達はずけずけと上ってしばらくそれらを見て楽しんだ。 正面の部屋の男性像はおそらくこの寺院の建立者であるルアン・プーのものに違いないが、それらを特に確認することもなく、十数分その部屋にお邪魔しただけで僕達は外に出てきた。 おかしな仏像群に朝から目眩をしそうになりながら寺院を出て、すっかりお腹がすいたので宿に帰って朝食にしようと、待ってくれていたトゥクトゥクに乗って戻った。 ところがトゥクトゥクの男性は、僕達を宿からワット・ケークまで往復するだけでは150Bは取り過ぎたと思ったのか、それとも暇だったのか個人的事情は不明であるが、国道から町中に土手を降りて少し走ると、白壁にオレンジ色の壮大な屋根といった見事な建築物の敷地内に僕達を連れて行った。 「ワット・ポーチャイ!」と彼はニコッとしながら自慢げに言って、僕達に中に入ってお参りするように胸の前で手を合わせてジェスチャーで促すのだ。 この寺院はバスターミナルの近くに所在し、ノーン・カーイの人々に最も人気のある寺院ようで、この時間でも既に十数人の参拝人が訪れていた。 僕達もサンダルを脱いで、朝の太陽で既に熱くなっているコンクリート階段をつま先で上り、正面に祀られている仏像の前に正座をし、彼の言うとおりに手を合わせて「おはようございます」の挨拶を言った。 朝からおかしな寺院と敬虔な雰囲気の寺院との両方を参拝したことに、功徳を積んだ満足感で満たされたので、今度はすっかりハラペコの空腹感を満たすことにした。 宿のオープンレストランで、僕はオムレツとフランスパンにヨーグルト、コーヒーを注文し、彼女はフレンチトーストとなにやらシェイクを選んだのだが、このヨーグルトがちょっと大きめのカレー皿のような器に一杯入っていて、いくらヨーグルトが好きな僕でもこれだけでお腹が一杯になりそうだった。 今日も快晴だ。 僕の旅は最初の数日は必ずこのように快晴なのだ。 今朝は早い時刻からの寺院参拝と美味しい朝食で、僕の心身は充足しており、嬉しさのあまりこのままメコン川に飛び込んで対岸のラオスまで泳いで行きたい衝動に駆られたが、彼女の手前ここは何とか踏みとどまり、宿をあとにすることにした。 「国境に行く前にちょっと両替をしたいのです」 彼女はバーツが殆どなくて、ドルと円を持っているらしく、「ラオスではやはりバーツですか?」と聞いてきた。 「ラオスはキープだけど、バーツとそれにドルも通用するよ。 国境で少しだけキープに両替するにしても、ラオス国内で使うにしても、バーツがいいね」 僕達はメインストリートを少し西に歩き、大きな銀行に入って行った。(銀行名は忘れました) 店内はエアコンが強烈に効いており、彼女が両替中、僕はザックをロビーの隅に降ろして近くの椅子に腰をおろし、このまま動くのが嫌になってきた。 しかもこれから先の話を何もしていなくて、国境を越えれば彼女と別れて、再びお互いに一人旅になるのかという残念な気持ちが心を過ぎった。 15分程で彼女が両替を終えたので、仕方なく腰を上げて外に出て、ギラギラと太陽が容赦なく照りつける道路を少し歩いて、走ってきたトゥクトゥクに乗り、国境に向かった。 唸るエンジン音にわざと声を混ぜて、「R子さん! 僕はワンヴィエンまで行くので、貴方がルアンパバーンまで行くのなら、もしお邪魔でなければ、その途中までご一緒させていただけませんか?」と大声で叫んだ。 |
「はい、私もその方が助かります」とR子さんは、独特の笑顔で応えてくれた。本当に笑顔が素敵な人だと思った。 その笑顔は、いくら彼女が日本で食べ物屋さんを営んでいるとはいえ、明らかに作り笑いではないと確信の持てるものだった。 僕はあまりに嬉しくて、トゥクトゥクから飛び降りて国境までスキップで行こうかとも一瞬頭を過ぎったくらいだったが、そこは年輪を感じさせる中年紳士然としなければならない。 「よかった。貴方のような素敵な女性と日本で過ごせるなんてあり得ないですからね」と少しおどけて言ったものだ。 僕は何だか今回の旅も出足からすごく楽しくて、この幸運を神に感謝するために、R子さんに気づかれないようにそっと両手を組んで祈ったのだった。 僕達を乗せたトゥクトゥクは、間もなくタイ側のボーダーに到着した。 ちょうど一年前にこの国境越えは経験しているから、僕は胸を張って彼女を引率できると自信満々だ。 簡単にタイ側のパスポートコントロールにて出国手続きを済ませてから10Bでバスチケットを買って、マイクロバスにザックを押し込んで乗り込む。車内は満員で、僕達2人はザックを積んだ横で立ったままだが、バスはすぐに発車した。 メコン川に渡されたフレンドリーシップブリッジに向かってバスは走る。すると間もなく、僕達の横で同じように立っていた中年男性が話しかけてきた。 「お二人さん、ラオスは初めてでっか?」 いきなりの関西弁にズッコケそうになりながらも彼を見ると、何と顔が以前我社に勤めていたハットリ君にそっくりであった。 君呼びは失礼だからさんづけとするが、ハットリさんはやや頭髪が薄いが、年令は僕と同じか2,3才上か下かと思われた。 日本語でしかも関西弁で話しかけられたので、日本人であることは間違いない。 彼は明らかに日本人ではない若い女性と一緒だったが、彼の服装などは旅行者のそれとは異なり、半そでの柄シャツに半パンとペタペタサンダルといった風貌で、手にはナイロン袋に入ったガイヤーンを持ち、どう見てもチョックラ散歩していますといった感じなのだ。 「あっ、いえ、まあ・・・」 僕はラオス訪問は2度目だが、いきなり中年の日本人男性に「・・・でっか?」ともろに関西弁で話しかけられ、さらに現地人女性と一緒に「ちょっと市場まで買い物を」という風に、気軽に国境を渡ろうとしている彼を見て、頭の中がまとまらなくて返事に戸惑っていた。 「ラオスに入るのは簡単でっせ。ラオスは観光客が欲しいてしかたおまへんのや。そやからヴィザみたいなもん、形だけですわ。私について来なはれ。簡単に発行しまっせ」と彼はたたみかけるようにコテコテの関西弁を連発するので、バスの手すりを持って立っていた僕は目眩がして、その場にへたり込んでしまいそうになった。 メコンの川面を見る間もなく、バスは友好橋を渡り終え、僕達はラオス側のパスポートコントロールに到着した。 カウンター近くで入国書類とヴィザ申請用紙を探していると先程のハットリさんが、「これとこれですわ。ヴィザの申請用紙を先に書いて、30ドルと写真を1枚だけ窓口に出しなはれ。写真は別に要りまへんねんけどな」と、親切におせっかいに世話をしてくれるのだ。 僕とR子さんとは、ハットリさんがなかなか陽気でざっくばらんな面白い人なので、彼の世話を受けることにした。横で彼の関係不明の現地人女性が、ニコニコしている。 ヴィザは4,5分で発行してもらい、今度は入国手続きである。 ヴィザ申請窓口の前から流れに従って歩くと、外国人と現地人とに別れた窓口があり、ここで入国手続きとともに入国税として10Bを支払うと、ラオス入国無事完了である。 アジアの旅人で賑わっているインターネットのある有名サイトでは、ここでの10Bをめぐり、あれこれ意見が飛び交っていたが、ラオスが10B欲しいと言っているのだから、機嫌よく支払えばいいじゃないか。 何でも難しく定義づけしようとする、おかしな日本人の若者が多すぎる。 話は横道に逸れたが、僕達はハットリさんカップルとともにトゥクトゥクに乗ってヴィエンチャン市内に行くことになった。 「国境からタラート・サオ辺りまではトゥクトゥクで150Bと決まってまんねん。それを時々日本人の旅行者が一生懸命値切ってるのを見かけますけどな、絶対に下がりまへんで。無茶したらあきまへん。なんでもかんでも値切らなアカンと思ったら大間違いですわ」 彼はヴィエンチャン在住らしいのだが、一体どういう立場の日本人なんだろう。 |
国境で声をかけてきた中年日本人男性は、その後の会話などからラオス滞在歴が約8年で、旅行代理店などをこちらで営んでおり、日本では京都に本社を置いて、そちらは奥さんに任せているとのことであった。 ラオス側に入り、国境からヴィエンチャン市内のタラート・サオ(市場)まで一緒に行きましょうと誘われ、僕とR子さんとはハットリさんカップルのトゥクトゥクに便乗した。 けたたましい音を立てながらボーダーから国道に出て、懐かしい舗装道路をヴィエンチャン市街に向かって走る。 途中までは殆ど民家がなく、道路の両側は水田地帯である。 「ラオスは安全でっせ。殺人事件なんかは一件もありまへん。去年日本人の女性バックパッカーがゲストハウスで殺されましたけど、その時は新聞の一面にデカデカと載りました。貧乏な国ですよって旅行者を狙った強盗事件がたまにありますわ。そやけどそんな時はいくらかお金を渡したらエエのですよ。下手に反抗するから場合によっては殺人に至るわけですわ」 彼はビニール袋に入ったガイヤーンとカオニャオ(もち米を蒸したもの)を僕達に勧めながら、楽しそうに喋るのだった。 彼の横に座っている女性はタイ人とのことで、「ラオスで暮らしてますと言葉に不自由しまっしゃろ。そやから彼女に通訳を兼ねて手伝ってもろうてますのや」とハットリさんは額に汗しながら言うのだが、僕は手でこねたカオニャオを口に放り込みながら「そーれすかぁ」と頷き、プライベートな部分は深くは聞かないことにした。 「このチキンは美味しいですね!」とR子さんが目を細めて言った。 「そうでっか。タイもラオスも食べ物は美味しいですな。ラオスには日本の讃岐うどんのようなものがありまっせ。麺にコシがあってスープも薄味で日本人に合ってますわ。いっぺん食べてみなはれ」 「讃岐うどんですか・・・。それは屋台で?」とR子さん。 「屋台でもありますけどな。私のお奨めの店は、メインストリートの一本北通りにラオパリホテルというのがありますが、その向こうの最初の角の小さなレストランのものが最高ですな」 ハットリさんは詳しく場所まで説明してくれて、肝心のその讃岐うどんの料理名を聞くと、「カオピャですわ」と言った。 「カオピャ?」「いや、カオピャッですわ。適当に言うたら通じますよ」 カオピャッ?おかしな響きの料理名だが、R子さんは是非食べてみたいと言うのだった。 やがてトゥクトゥクはヴィエンチャンの町中に入り、左右に民家や商店や時々寺院なども見えてきた。 ところがその時、快調に走っていたトゥクトゥクから突然、「パーン!」という大きな音がして、何かの破片のようなものが運転席の後部から飛び出すのが見えた。 音とともにトゥクトゥクは停車し、運転手が自分の左後部の大きなケースのふたを開けた。 するとそのケースの中には、表面のプラグの部分が四分の一程欠けたバッテリーが見えた。 バッテリーが破裂したのだった。僕達はとりあえずトゥクトゥクから降りて、道路わきに避けて彼の様子を窺った。 彼は破損して中のバッテリー液もおそらく少しは飛び散っていると思われるバッテリーをあれこれいじって、再び運転席に座りエンジンをかけた。しかし当然の如く、エンジンは無言のままびくとも動かなかった。 「こりゃあきまへんで。バッテリーの修理か交換でんな」 ハットリさんはトゥクトゥクの男性に言った。 彼は本当に困ったような表情をしながら、通りを走るトゥクトゥクに目を走らせているようだった。 「彼らには仲間があって、自分のグループのトゥクトゥクが走ってくるのを待ってまんねん。一応私らは彼の仲間のトゥクトゥクが来たらそれで市場まで行きましょう。ただ彼もここまでの運賃が欲しいですからな。仲間が来たら値段の交渉をせなあきまへん。ちょっと待ちましょ」とハットリさんは落ち着いて説明をした。 僕達は灼熱のヴィエンチャンで、バッテリー故障のトゥクトゥクから放り出され、汗だくになって佇みながらも、このアクシデントを楽しむ心の余裕を感じていた。それは国境から一緒のハットリさんの存在があるからに他ならない。 |