探偵Peroの
4.ノーン・カーイの夜 Mut-Mee GHはもう一度機会があればゆっくりと泊まりたい宿だ。 GHの敷地内は緑の植物が溢れ、点在するバンガロー風の部屋は、建物自体は新しくはないが、シンプルに整っていてシーツやタオルケットも清潔だ。 共同のシャワー室やトイレも広くて使いやすく、トイレは水槽から桶で水を汲んで流すシステムであるが、綺麗で全く問題はない。 何よりも中庭にあるオープンレストランの素晴らしさが、この宿を最もアピールしている。 メコン川を背にズラッと設置されたテーブル席の一角に座り、ノーン・カーイ駅で知り合った彼女と僕は、とりあえずビアラオでメコンに乾杯をしたあと、お互いに簡単に自己紹介を行った。 彼女はR子さんといって年令は31才、 「全くその年令には見えませんよ。 女性には詐欺師が多いので困りますね」 僕はお世辞でもなんでもなく、冗談を含めて正直に言ったのであるが、彼女は中年男のお愛想言葉と解釈しているかのようだった。 旅には会社員の頃から時々出るようになり、ここ数年は年に2〜3回、アジアの各国を一人旅の短期旅行を楽しんでいるとのことで、僕がネパール一度行ってみたいと言うと、ネパールには2回訪れたと話していた。 「ネパールはいいですよ。 子供の表情が素敵で、それに親切です。 私は2度目の時にポカラという町で、1人で田舎を散策していたら、子供が2人近づいて来て、『1人で旅をしているの? どうして?』て聞くのですよ。 そして『寂しいでしょ、うちにおいでよ』と言ってその子供達の家に連れて行ってくれて、食事まで御馳走してくれたことがありました」 それはいい話だね、と僕が相槌を打ち、「それでその家は現地ではどの程度のお宅だったの?」と聞くと、「それがとっても貧しい家族でした。 小さな粗末なお家で、中は暗くて狭かったです。 でも私をお客さんだと言って、精一杯の料理を振舞ってくれました」と懐かしそうに言うのだった。 僕は彼女がその田舎町で、1人たたずんでいる姿を想像した。 きっと寂しそうな雰囲気が漂っていたのだろう。 彼女は笑うと大きな目がなくなるくらい細め、笑顔がとても素晴らしいのだが、ふとしたときに見せる表情がどこか寂しげに写るのだった。 それは初対面の僕でも、知り合って数時間しか経過していないのに、ちょっと気になる程だった。 「どうしてアジアの人々は気さくに自分の家に呼ぼうとするのでしょうね。 それも決して裕福ではなくて、むしろ貧しい家庭なのに、そんなことは関係なく」と彼女は言う。 日本では街角で外人と遭遇しても、初対面で家に呼んだりすることは絶対にないだろうし、話しかけさえしないのが普通ではないだろうか。 「どんな暮らしをしていようと、旅人を家に招待することが誇りであり、礼儀だという考えじゃないかな?」 同じアジアでありながら、慣習や考え方が異なるのは、宗教の違いなどとともに当然のことなのだが、理解しがたい意外な部分が、旅をしていると結構多いのだ。 しばらくこれまで訪れたことのある国や町の印象などをお互いに話し、彼女の方が僕の何倍も旅の経験が豊富なことが分かり、すこし小さくなりかけていた頃に、彼女が、「それでお仕事は何をなさっているのですか?」と聞いてきた。 友人の中には僕の職業を正直に言うことは、ある意味ルール違反だと非難する心ない輩も存在するが、ルール違反の意味が分からないので、今回も正直に答えた。 「いやちょっと、怪しげな職業ですけど、決して怪しいものではありません。 実は探偵です」 「探偵さんって、あの・・・探偵さんですか? 松田優作さんのドラマとかの・・・」 僕は他にどんな探偵という職業があるのだろうと思いながら黙って頷いた。 「えー、本当に探偵って職業があるのですね。 すごいですね。 私前からすごく興味があったのですよ」 こんな風にオーバーに驚かれて、興味を持たれたのは初めてなので、僕は照れてしまったが、「探偵なんて、全くカッコ良いものじゃありませんよ。 泥臭い職業です。 僕を見れば分かるでしょ」と謙遜しながら言ったものだった。 そのようにしてノーン・カーイの夜は更けて行った。 |
前日の深夜便で早朝にバンコクに着き、そのまま飛び乗ったノーン・カーイ行きの列車に揺られること10時間あまり。 しかも激烈な暑さのサウナ列車だったので、やはり猛烈疲れていたようだ。 その夜は静かなGHのオープンレストランでメコンを眺めながらビールを飲んで、素敵な日本人女性と、とりとめのない会話を楽しんだあと部屋に戻ると、僅か数分で深い眠りに落ちていた。 翌朝は6時に目覚ましをセットしていたが、窓からの涼しい風に、タオルケットをお腹の辺りにかけただけでは少し肌寒く感じて、5時半頃には起きてしまった。 シャワー室で温かいお湯を浴びながら洗髪と髭剃りを済ませ、歯磨きと歯ブラシを忘れたので指先で綺麗に歯をマッサージした。 7時にフロントの前でR子さんと約束をしていたが、6時半には準備が出来てしまったので、オープンレストランの横からメコン川の土手に降りて行った。 土手には椅子が5,6脚無造作に置かれており、年配の男性が一人、朝のメコンと対岸を眺めていた。 対岸はラオスの首都・ヴィエンチャンの外れにあたると思われるが、快晴で空気も綺麗なので、向こうの様子がよく見える。 言葉や制度が異なる対岸の人々でも、朝の慌しい雰囲気は同じだ。 しばらく頭の中を空っぽにしていた。 こんな風に何をするでもなく景色を眺めているのが、僕はとても好きなのだ。 これまでの旅では、日中、時間が惜しいかのように年令を忘れて観光に動き回っている僕に対して、「毎日元気ですねぇ」と、旅先で知り合った人達は一様に呆れ顔で言っていたが、僕だって本当はこのように景色を眺めてボンヤリするのが好きなのだ。 ただ短期の旅なので、訪問先では好奇心から、できるだけあちこち行きたいという気持ちになるのである。 今日も前から行きたいと思っていた寺院があるので、前日R子さんにも、「ワット・ケークというおかしな寺院があるらしいのですが、行きますか?」と誘っておいたのだった。 7時になったのでフロントの方向に登って行くと、既に彼女が支度をして待っていた。 タンクトップ姿が眩しい。 目のやり場に困るなぁ、と思いながらも時々自然と目が行ってしまうのは誰のせいでもない。 今朝の好天のせいにしよう。 道路に出ると一台のトゥクトゥクが客を待っていた。 「ワット・ケークまで往復でいくら?」と聞くと、最初は200Bだという。 滅茶苦茶言いやがると少し憤慨したが、彼女の手前あまりセコイことも言いたくない。 結局150Bで往復してもらうことにしたが、今から思えば少し高かった気がする。 片道なら40B程度が相場らしいが、僕達は往復で、しかも寺院を回っている間は待ってもらったから仕方がないにしても、100B位がよいところではないかと思われる。 朝のノーン・カーイの町は既に動いていたが、まだまだ車や人通りは少ない。 メインストリートから南に走り、国道に出て西に伸びた真っ直ぐな道を走る。 15分程走ってから脇道に入って少し行くと、突然目の前に青空にそびえる巨大な仏像がドカーンと現れた。 「な、な、何だコリャ?」 入り口の右側には、未完成の巨大な仏像らしきものが二体もあり、それらが何を意味しているのか全く分からない。 ただ駐車場のようなだだっ広いところに、ともかく二体が建築中なのである。 最初から度肝を抜かれて中に入ると、そこは京都の植物園のような公園という雰囲気だったが、確実に違うのは、いたるところに仏像が無造作に並べられ、所々に大きな怪しげな像が見えるという点である。 “ワット・ケーク”。 インド風仏教寺院ということだが、建立者のルアン・プーはラオスのヴィエンチャンに、ワット・シェンクアン(ブッダパークとも呼ぶ)という同様の寺院を建てたが、ラオスの社会主義化にともないタイに渡り、この寺院を建立したということである。(ルアン・プーは1996年に死亡したと聞かれる) 「面白そうなところですねぇ」 彼女はペンタックスの一眼レフを持って、好奇心一杯の表情で奥に入って行った。 こんなに朝早くに観光客が来る筈もなく、貸し切りの状態で、一種異様な雰囲気を感じる仏像群に僕達は足を踏み入れていったのだった。 |
僕達がワット・ケークを訪れた時刻は早朝午前7時過ぎだったので、入って右側にある寺院は閉まっており、そのため開園時間中に流されるという、まったりとした怪しげな仏教音楽らしきものは流されていなかった。 だからといって、それが何かの救いになるかという問題ではなく、この庭園は音楽の有無にかかわらず僕達を混乱させるに十分なコンクリート仏像群だった。 いや明らかに仏像とはいえない訳の分からない建造物もあった。 ななめ右手にはまるまると太った大仏像が胡坐をかいているが、何故か両手はお腹の辺りをパーの手のひらで押さえており、しかも上野の西郷ドンに似た滑稽な顔で、じっと見ていると噴出してしまうので、5秒ほどで顔を背けることをお勧めする。 しばらく進むと、角々が少し丸みを帯びた四角形の生き物に対して、上段からナタをふるおうとしている人間の像がある。 何故ナタをふるおうとしているのか、或いはふるわれようとしている得体の知れない生物は一体何なのか、これらについても何等説明がないのである。 しかし次の像もまた、外見的にもその像に秘められたる建築的背景のいずれに於いても、全く意味が分からないまま消化不良となってしまうので、神経質な方で普段便秘気味の方は、このワット・ケークを訪れると、おそらくすぐに治ってしまうのではあるまいか。 僕達はそれでも時々カメラのシャッターを押しながら前進し、2人だけの何ともロマンティックな早朝の庭園散策を楽しんだが(彼女は楽しんでいたように思われた)、奥の方に進んで巨大な三面像にブチ当たった時には、僕の頭の中もブチッと切れそうになった。 その三面像は、顔から手が六方に伸びており、その手のひらには右手の人差し指を、「チッチッチ」という風にビンと立てた小さな男が乗っており、手乗りチッチッチ男を見た途端に僕はアホらしくなって、用事を思い出して今すぐにでもこの寺院を出たい気分になったのだった。
見ると入り口横の白い大きな建物の門が開いていた。 僕達は階段の下でサンダルを脱いで、その寺院の中に足を踏み入れていった。 |