探偵PeroのMusic:hokago


 バンコクのドムアン空港を出て鉄道駅へ。
 さて何処へ行こうかと考えていると、ホームに列車が入ってきた。
 飛び乗ってみると東北線の列車で、ラオスとの国境の町であるノーン・カーイ行きだった・・・。


 プロローグ

 探偵を辞めて、いよいよ長期の旅に出ようと計画をしていたが、またもや目論見は崩れ、やむなくゴールデンウイークを利用しての短期の旅で我慢することとなった。

 昨年は、ラオス・カンボジアを訪問し、一昨年にベトナムを訪ねたことと含めて、とりあえずインドシナ三国を一丁上げた訳で、今回は旅の基点としているバンコクを首都とするタイランドの農村部や、少数民族の居住区域などを旅してみようと思っていたが、ドムアン駅に最初に来た列車が東北線のものだった。

 やっぱりラオスにもう一度行けってことなのか?
 その日の夕刻にノーン・カーイ駅に到着して駅を出ると、日本人旅行者を見かけないと思ったら、一人だけ駅から遅れて出てきた日本人女性が、何とすごい美女だった。

 言葉を交わすと、「ラオスに行くのですが、今夜はノーン・カーイに泊まろうと思います」というので、「じゃあ、僕もそうします。 ご一緒させていただいてよろしいでしょうか?」と半ば強引について行き、タイ最北東部の町でメコンを眺めながら、最初の夜を過ごしたのだった。
 さてこの先、どういった旅になったのでしょうか・・・。  



 1.ラオス国境方面?

 初めて深夜便に乗ることになった。

 関空発深夜125分、バンコク・ドムアン空港到着が早朝515分である。(2時間の時差があるので6時間のフライトである)

 機内は超満員で、カップルや中高年の団体から僕のようなバックパッカーまで、ほぼ旅行者で埋まっていた。 ブランデーを一気に飲んだらウトウトと寝てしまい、目が覚めたら機内食が配膳されていた。

 肉料理のメインディッシュはなかなか美味しく、パンやデザートまで全部平らげてしまい、体調が絶好調であることを確認した。

 コーヒーを飲んで座席にあった雑誌の巻末に付いている世界地図をずっと眺めていたら、間もなくバンコク・ドムアン空港に到着した。(僕は世界地図を何時間見ても飽きないのだ)

 8ヶ月ぶりのドムアン空港に着き、入国審査に並んだが、乗客は随分と少なくなっており、深夜便はバンコクで乗り換えて他の国や都市を目的とする旅行者が多いことが分かった。

 無事に入国して階下のラゲージカウンターでザックを受け取り、空港ビルを出て鉄道駅に向かった。

 いつもはホアランポーン方面行きのプラットホームに立つのだが、今回は反対方面のプラットホームに最初にやってきた列車に乗ろうと決めていた。

 特急列車が来るのか急行列車か、或いは快速か普通列車か分からないが、方面としてはチェンマイ方向の北線とノーン・カーイ方面の東北線と、途中から東のウポンラチャタニーに向かう列車とに分かれる。

 内心は北線の列車が最初に来てくれないかと思いながら、暑くてすぐに汗が噴出してきたので、駅のコンビニでミネラルウオーターを買って喉に流し込んだ。

 北線の列車を期待していたのは、チェンマイヤチェンラーイに行って少数民族の居住地へトレッキングをしてみたかったし、途中の駅で降りてスコータイの遺跡にも興味があったからである。

 しばらくして到着した列車の3等席に飛び乗った。

 直角になった背もたれの席に腰を下ろし、しばらくしてやってきた乗務員に、「この列車は何処に行くの?」と、夢遊病者のような台詞を言った。

 すると彼はこの中年日本人はおかしいのじゃないかといった雰囲気で、怪訝そうな顔をしていたが、理解不明のタイ語の中で明らかに聞き取れる「ノーン・カーイ」という駅名を発したのだった。

 ノーン・カーイ? やはり神はラオスにもう一度行けというのか?

 僕は乗務員から終点までの2等座席のキップを購入し、示された席に移動してザックを降ろした。

 リクライニングの利くソフトシートの指定席で、なかなか快適そうだし、なにより隣の席には若いタイ人の女性が座っており、バンダナを巻いた怪しげな日本人の突然の登場にも、少し微笑を浮かべて迎えてくれたのだった。

 

 つづく・・・



 2.ミステリアスな光景

 

 ドムアン駅から終点のノーン・カーイ駅までは10時間あまりを要する。

 昨年はバンコク・ホアランポーン駅を午後8時半の寝台エキスプレスに乗り、あいにくエアコン寝台席がFullで、天井で扇風機が生暖かい空気をかき回しているだけの2等ファン寝台席でノーン・カーイまで行ったのだったが、暑いながらも疲れていたので何とか寝ることができたものだ。

 今回はソフトシートの2等指定席といっても、扇風機がカラカラ回っているだけで、やはりちょっと猛烈かなり暑く、みるみる汗が湧き出てきた。

 汗が出るとミネラルウオーターを補給するのだが、それと同量の汗が体内から押し出されるため、トイレに用足しに立つ必要がないのだ。

 何と僕は夕方5時過ぎにノーン・カーイ駅に到着するまで、座席から腰を浮かしたことは3度程で、そのうち1度は隣のタイ人女性がウドンタニーで下車する時に立ったもので、あとの2度程は彼女がトイレに立った時に通路側の僕がやむなく腰を上げたというもので、実質座席から一度も離れなかったのである。

 かといって途中ずっと眠っていたかというとそんなことはなく、夜行列車では見ることのできないタイ東北部の広大な原野や田園風景、途中の停車駅周辺の雑踏や人々などを興味深く見ていたのだった。

 あれはどの辺りだったのだろう? ふと窓の外を見ると、まるで列車が海の上を走っているような感じで、川などという生易しいものではなく、対岸が見えないどころか360度見渡しても、どう考えても水上を走っているのだ。

 しかもそれは鉄橋を走っているのではなくて、海の上に列車が走る分だけが陸地になっているという状態だと思うのだ。

 僕は急いでガイドブックの巻頭にあるタイの地図を目を皿のようにして見たが、おそらくこの辺りだろうと思われる位置にそのような大きな川や湖は存在していない。

 僕は延々と水上を走り続ける列車の窓から見える風景を指差して、隣のタイ人女性に、「これは川ですか?湖ですか? だとしたらこの地図のどの辺りですか?」と半ば興奮状態で聞いた。

 しかし、彼女は全く英語が分からないし、地図を提示しても勿論地図は日本語表示なので、微笑みながら首を横に何度か振るだけで、要領を得ないという仕草だった。

 サンシャインがギラギラと照り返す広大な海の上を列車はガタゴトと走って行く。 海の上には何も見えない。 それは本当に存在するのか、それとも水の上ではなくてそれは大雨で沈んでしまった水田なのか、などという疑問も頭をよぎったが、タイは今降水量が少ない季節なのでそんな筈はない。

 やがて列車は海を横切り()、もとの高原をドンドン走りぬけて行ったのだが、今でもあれは一体どの辺りで何という川或いは湖なのか、僕の心の中にミステリアスな情景として残っている。

 

 暑い国に来ると日本での食生活から一変してしまう。 明け方機内食を食べたきり、ミネラルウオーターを流し込むだけで、お腹が全然空かない。

 焼き飯の上にチキンを乗せて、さらに目玉焼きを乗せた、何ともいえない良い匂いの食べ物を売りに来たが、体調が悪い訳ではないのに食べたいとは思わない。

 「ガイヤーン、ガイヤーン!」と男性がバリトンのだみ声で美味しそうな大きな焼き鳥も売りに回ってきたが、残念ながら買う気にはならなかった。

 列車は東北部の大都市であるウドンタニーに到着し、ここで乗客の多くが降りて行き、それから1時間程で終着駅ノーン・カーイに午後5時過ぎに着いた。

 見覚えのある駅舎を抜けて外に出る前から、トゥクトゥクの男性が僕のそばを離れない。

 僕は今日のうちにラオスに入国しようか、ノーン・カーイでゆっくり一泊しようか迷った。

 グルリと周りを見渡しても旅行者らしき人物は1人もいない。 やっぱり皆夜行列車で来るんだろうな、と思っていたら1人の女性が後ろから歩いてきた。 どう見ても日本人に思われ、僕は救われたような気持ちで話しかけた。

 「こんちは、今日中にラオスに入る予定ですか?」

 すると彼女は笑みをたっぷり顔に表して、「今夜はここに一泊しようと思っています」と答えた。

 僕は何のためらいもなく、「じゃあ、もしお邪魔でなければご一緒させていただいてよろしいでしょうか?」と丁寧に聞いた。 このように旅先では特に女性と話をする場合、最初の言葉や態度がとても大切なのだ。

 僕のように中年は、若者のノリで「一緒に行こうよ!」とか、「夜一緒に食べようよ」なんて軽く言ってはいけないのだ。

 年輪を感じさせるような穏やかな物腰で、しかも丁寧に相手の気持ちを気遣いながら、控えめにかつ強引に話すことがポイントである。

 彼女は内心は分からないが、外見上はとても好意的に接してくれて、トゥクトゥクをシェアして乗り込み、ノーン・カーイの街中に向かって走り出した。


 3.Mut-Mee ゲストハウス

 ノーン・カーイはラオスとの国境の町で、昨年はラオスからの帰路でバンコクに戻る列車の待ち時間を利用して、Hさんという日本人女性と少しだけ街歩きをしたことがある。

 実はラオスの首都・ヴィエンチャンにある、ブッダパークというおかしな仏像を並べた寺院を建てた人物が、この街にもワットケークという寺院を建立しており、それは同様に訳の分からない仏像で一杯だそうなので、この町に滞在する機会があれば立ち寄りたいと前々から思っていたのだった。

 駅で知り合った日本人女性と2人でトゥクトゥクをシェアして、適当な宿に連れて行ってくれと言うと、やはり気を利かせてメコン川を背にした絶好のロケーションにあるGH(ゲストハウス)に案内してくれた。

 トゥクトゥクを降りた通りから小道をメコン川方向に歩くと、途中にアメリカ人が営んでいるらしい貸し本屋があり、熱帯植林のような木々に囲まれた通路をさらに川縁に進むと、Mut-Mee GHというバンガロー風の宿がある。

 ここはタイ人の奥さんを持つイギリス人が経営しており、中庭にはオープンレストランがあって、そこからメコン川が眺められる。

 「なかなか感じのよいGHですね。 あなたはいつもどんな宿に泊まるのですか?」

 「大体200Bまでの部屋が多いですね。 カオサンでは100Bとか150Bとかの部屋に泊まります。 基本的に安い宿しか泊まらないのです」

 彼女はそのセンスある風貌に似合わず、いわゆる安宿を定宿としているとのことであった。

 受付の小柄で明るいタイ人女性に部屋を案内してもらった。

 最初案内してくれた部屋は、窓からメコン川が眺められ、ダブルベッドにファン、トイレ・ホットシャワー共同で280B(840円・・・この時期1バーツはほぼ3円でした)という。

 「なかなかいい部屋ですね。 どうしますか? ここが気に入ったならどうぞ」と僕はあくまでも彼女を優先的に考えて言った。

 しかし彼女は280Bに少しこだわった様子で躊躇していたので、他の部屋も見せてもらうことにし、次に案内された部屋は、中庭のオープンレストランを横切ったところにあり、窓からメコン川は見えないが、ちょっとしたコテージ風の室内で、なかなか感じがよい。

 ここもダブルベッドにファンが回り、トイレ・ホットシャワーが共同だが、値段を聞くと250Bというので、彼女は「私がこの部屋を選ばせてもらっても構いませんか?」と随分と気に入ったようだった。

 結局、最初に案内させてもらった部屋に僕が泊まることとなり、午後6時半頃から中庭のレストランで夕食にしましょうと言って、それぞれ部屋にザックを置いて、暑かった10時間あまりの列車での汗を洗い流すことにした。

 昼間は37度を越す暑さも、この時間になるとむしろ涼しく感じられ、清潔で広いシャワールームの温かいお湯がありがたい。

 心身ともにスッキリとしてオープンレストランに出ると、既にあちこちのテーブルで何組かの欧米人が食事をしている。

 灯りはかなり暗めで、流れる音楽は穏やかなクラッシックだ。 タイの東北部の町の宿で、このようなロマンティックな雰囲気で食事が出来るなんて想像もしていなかった。

 この宿は受付の奥が厨房になっており、厨房の横に様々なメニューが値段とともに書かれており、その近くに並べられたルームナンバー別のノートに、注文したい料理や飲み物を書いて従業員の女性に渡すのである。

 僕はかなり猛烈空腹感があったので、カオパッド(焼き飯)とサラダ、それにシンハビールの大瓶を注文して、メコン川を背にしたテーブルについた。

 しばらくして彼女も部屋から出てきて、自分の料理を注文をしてから僕の前に座った。

 「お名前をまだ聞いていませんでしたよね」と、僕は自分でもはっきりと分かるやや上ずった声で問いかけた。

 何故って、正面からキチンと見ると、驚くような美人に今頃になって気がついたのだから。



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