MUSIC:Hokago


 32. Y子さんとの別れ

 午後六時三十分にノーン・カーイを出発したバスは、約一時間走ると最初の町ウドンタニーのバスターミナルに到着した。このウドンタニーという日本の讃岐の名物みたいな名前の町は、結構大都会である。

 人口が十万以上の大都市で、ベトナム戦争時はアメリカ軍の空軍基地となっていたもので、今も欧米人が喜びそうな飲食店が多いとのことである。

 韓国人青年はこの夜この町のどこかのゲストハウスに泊まっているのかも知れない。或いは乗り継いで既にチェンマイに向かっているのか。

 バスは国道を快適に走り続けた。時々止まるバスターミナルは、いずれもそこそこ大きなもので、大勢の人々で溢れていた。タイはバス網が発達していることが窺える。

 前のカップルが思いっきり倒してきた椅子の背に悩まされながらも、窮屈な姿勢で僕は知らないうちに寝ていた。車内は冷蔵庫のようにエアコンがガンガン効いている。暑さ寒さに強い僕でさえ、運転手さんにちょっと物言いをしたくなるほど寒かった。Y子さんは前の方で凍っているようだった。

 それでもうとうとしていると、冷蔵庫バスは午前五時過ぎにバンコク北バスターミナルに到着した。バスを降りるとバケツをひっくり返したような土砂降りの雨である。

 傘は持っていないのでタクシーで市内まで行きましょうということになった。

 僕は以前泊まって快適だった国立競技場近くの「Krit Thai Mansion」に行きますというと、彼女も少し考えた末僕についてきた。ところが乗ったタクシーはメータータクシーではなく、交渉制のものだった。

 走り出してしばらくしてから気がついたので、ストップを言ってスカイトレインのモーチット駅で降りた。僕は五十バーツを運転手に支払ったのだが、Y子さんは三十バーツくらいでよかったのではないかと言う。交渉制のタクシー相場がどうも分からない。タイに旅される方は、できるだけメータータクシーに乗ることをお奨めします。

 さて、スカイトレインの始発に乗って国立競技場前駅で降り、目の前のKrit Thai Mansionに入った。フロントの女性にシングル二部屋をリクエストした。

 ところがシングルが一部屋しかないというのだ。仕方がないので、僕はツインをひとりで使おうと思い、彼女にそのシングルを勧めたが彼女は遠慮した。シングルの値段が六百五十バーツで、ツインが七百五十バーツと、バックパッカーにとっては破格の値段だ。

 彼女はその値段を聞いて驚き、「それでは私はカオサンへ行きます」と言う。僕は一応ツインの部屋のシェアを聞いてみたが、こんなオヤジとシェアすることは彼女のプライドが許さなかったのだろう。あっさりと断られた。(涙)

 「世の中が動き出したらバスでカオサンまで行きますから、少し休憩を付き合ってくれますか」

 彼女が言うので、僕はチェックインしてザックを置き、ロビーで時間待ちを付き合った。今から思えば、じゃあ僕もカオサンへ行きます、と言って一緒に移動すればよかったと思うのだが、この時はかなり疲れていて(勿論彼女も疲れていたはずだが)、僕としては早くホットシャワーを浴びて寝たかったのだった。

 つくづく自己中心的な自分を恥じるとともに、一緒に旅を続けるチャンスを自ら放棄してしまったことに、帰国後もしばらくは後悔を続けたものだった。

 彼女を見送り、部屋に戻ってシャワーを浴びたら急に睡魔に襲われた。今日は昨年のラオス以来の付き合いであるN君とこのホテルで会う約束だ。

 僕はラオスでの数々の出来事を思い起こそうとしたが、一つ二つ頭によみがえった時点で深い眠りにおちてしまった。

 


 33. ジム・トンプソンの家

 狭い座席での夜行バスの疲れからか、Y子さんと別れてから部屋に戻るとすぐに寝入ってしまった。

 目が覚めるとお昼前だった。シャワーを浴びて、腹が減ったのでマーブンクローンのクーポンレストランに出かけた。この辺りはバンコクの渋谷といわれるほど若者が大勢たむろしている。

 暑さは半端じゃないが、バンコク東急に入ると今度は寒いくらいにエアコンが効いている。タイはどうしてこんなに極端なんだろう。旅行作家が著書で書いていたが、一年中暑いタイでは、冷やせるだけ冷やすことが客サービスだと思っているらしいのだ。

 百貨店、スカイトレイン、エアコンバス、映画館等々、これでもかというくらいエアコンが効きすぎている。それでもタイの人々はそれをサービスと受けているようで、寒そうにしている様子はない。スカイトレインでフリーズしているのは日本人である。

 

 さて、クーポンレストランでぶっかけメシとシンハビールを飲んでやれやれと落ち着き、何もすることがないので前々から行こうと思っていた「ジム・トンプソンの家」に向かった。

 この「ジム・トンプソンの家」は、タイ・シルク王と呼ばれるジム・トンプソンが生前居住していた家で(そのままだけど)、贅沢な古美術品がたくさん展示されている。生前と言っても、彼は千九百六十七年に休暇でマレーシアを訪れてトレッキング中に行方不明になったわけで、まだマレーシアの山中を彷徨っているかも知れないのだ。

 僕が泊まっているKrit Thai Mansionの裏手に所在しており、マーブンクロンからも徒歩七分ほどで行けた。

 緑の植物が生い茂ったところに入り口があり、綺麗なタイ人女性が立っていた。百バーツの入場料を支払うと、日本語のガイドが良いか英語のガイドが良いかを聞いていた。

 見栄を張って英語!と言いたかったが、素直に日本語のガイドをお願いすると、他の日本人観光客と一緒に案内するからしばらく待てと言われた。待合場所には当然日本人十人ばかりが待機しており、いずれも若いカップルか熟年夫婦という具合で、僕のように一人で観光に来ている者はいなかった。

 孤独感に浸りながら待っていると、小柄なタイ人女性がツカツカと寄ってきて、「さっ、ご案内いたします」と言い、彼女の後ろについてゾロゾロと僕達は続いた。

 住居は概してこげ茶色に塗装した木造建築で、かなり古いが保存状態はとても良いと思われた。生前彼が金に糸目をつけずに収集したものが、各部屋に飾られているが、中には寺院や遺跡からの盗品を買い取ったものもあるらしい。これらはおそらく相当高価なものに違いない。

 館内はエアコンなど効かせていないが、チーク材を使用した木造建築を熱帯植物が覆っているため、ほどよい気温が保たれていた。ガイドのぎこちない日本語による鑑賞だったが、十分満足をしてそこをあとにした。一度訪れれば特に再度来る必要を感じない、そんな「ジム・トンプソンの家」であった。

 今日の夕方にはN君がミャンマーからバンコクインする筈だから、今からカオサンへ友人から頼まれたニセ学生証を作りに行かなければならない。

 ところがホテルに戻ると、ロビーの片隅に設置されているパソコンの前で、見覚えのある日本人がネットの最中だった。

 「何だN君、もう着いたの?」

 「あっ、ペロさん。実は昨日バンコクに戻っていたのですよ」

 真っ黒に日焼けした懐かしい顔がそこにあった。


 34. N君との豪遊(正直に書かなくても良いんだけどなぁ) その一

                                          

 ジム・トンプソンの家から宿に戻ってきたところ、ロビーの片隅のパソコンでネットの最中だった。予定では夕刻辺りに到着するかと思っていたのだが、話を聞くと前日にミャンマーから戻ってきたという。

 「N君、一日早く着いたのだね」

 「いやぁ、ミャンマーは暑くて参りましたわ。でもなかなかいい国でしたよ」

 彼はミャンマーに一週間滞在する予定だったが、首都ヤンゴンからマンダレーに飛んで、そこで暑さのため沈没してしまい、毎日ビールばかり飲んでいたとのことだ。結局、バガンやインレー湖、ポッパ山など見所を訪れることなく帰ってきたらしい。

 「せめてバガンくらいは行っておくべきだったのじゃないの?」

 「それがね、経験したことのない暑さですねん。五十度くらいはあったかもしれませんわ。完全にダウンでした」

 確かにこの季節のミャンマーは極暑と聞いている。でもアジアを旅するのだから、それくらいは我慢しなければと僕は思うのだった。まあN君という奴は、こういうズッコケてしまうところがあるので、僕は好きなのだ。

 「ちょっと僕は今からカオサンへニセ学生証を作りに行くから、夜はご馳走でも食べよう」

 N君と夜の豪遊を約束して、僕はカオサンへと向かった。

 カオサンロード。世界中のバックパッカーが、アジアを旅する際に必ず立ち寄るといっていい刺激的な一角だ。ここには旅人に必要な物は何でもあるといっても過言ではない。

 安宿、あらゆる飲食店、屋台、旅行代理店、マッサージ店、ネットカフェ、寺院、警察署、等々、一度ここで落ち着いてしまうと動くことが億劫になるという。決断力が要求されるバックパッカー天国。

 見覚えのある賑やかな看板が目に付くと、通りを欧米人を中心とした旅人が行き交っていた。

 「ニセ学生証」を作ってくれるところは、カオサン通りに入ってすぐ左の辺りにあった。テーブルにニセ学生証やニセプレス証(報道)など、怪しげなカードが並んでいた。ちょっと目つきの鋭いアニイに「スチューデントIDカード」と言うと、ちょっとこちらに来てくれと言う。

 ついて行くと少し裏手に入り、カードフォルダーを持ってきて、どれが良いかと聞いてきた。どれでも良いが適当に指をさすと、一時間後くらいに再びここに来いと言う。(値段は忘れました。しかし高くはありませんでした。五百円程度だったと思います)

 一応注文をして、待ち時間の間近くのネットカフェに飛び込み、そのあと屋台でパイナップルを買って食いながらカオサンをブラブラしたらあっという間に一時間が経った。

 無事に受け取ったニセ学生証は見事な出来栄えであった。満足してKrit Thai Mansionに戻ると、N君がロビーで待機していた。

 「ペロ吉さん、早く行きましょうよ」

 彼は居ても立ってもいられないといった様子で僕を待っていた。なぜなら、いよいよこれから旅の総仕上げとして、かの有名な歓楽街「パッポン」へ繰り出すからだ。

 ここから先の話はあまり書きたくないのだけど、まあ次号から微に入り細にいり記述をいたします。


 35. N君との豪遊(正直に書かなくても良いんだけどなぁ) その二

 午後六時前になっていたので、N君とパッポンへ出かけることにした。旅の終わりはちょっと贅沢な料理を食べて疲れを癒したいではないか。それにお互いの今回の旅の成果も報告しないといけないしね。

 Krit Thai Mansionからパッポンへは、目の前のBTS・国立競技場前駅から乗ってサラディーン駅で降りるとすぐである。

 パッポンを知らない人がいらっしゃるかもしれないのでちょっとだけ書きますと、一説には東洋一の歓楽街といわれている、男性には胸ときめくゾーンであるわけです。勿論、夜になると屋台や露天がズラーッと並び、偽ブランド品や格安雑貨が売られていて、観光客だけでなく地元の人々も大挙押し寄せるところです。

 まあ要するに、僕とN君とはこの界隈でちょっと大人の楽しみを味わって帰国しようと目論んだわけです。

 さて、サラディーン駅を降りてスリフォン通りを少し歩くと、この年の春にも訪れたシーフードの料理店・ソンブーンが見えてきた。先ずここで生牡蠣などを食べて腹ごしらえをしようということになった。

 店に入るとちょうど食事時なので、一階のレジ付近には数組の客が待っている状態だった。十数分待って二階の席があいたので案内されると最も奥の席だった。

 差し当たり生ビールと生牡蠣を三個ずつ、野菜炒め風のものと海老料理を注文した。周りを見渡すと、前回と同様に日本人の中高年男性と、タイ人の超スタイルグッド女性とのカップルでほぼ支配されていた。何とまあ元気なものだ。

 日本ではこのような美女にエスコートされて酒池肉林を味わうと、一晩で十万円以上の金が飛ぶだろうが、ここでは一晩お持ち帰りしても二万円も要らない。これじゃ、僕のように断固たる信念を持っている男性以外は、おそらく誰もが右へ倣えで楽しんでしまうのではあるまいか。

 彼女たちにとっても、大部分がタイの東北部などの貧農地区から出稼ぎに来ている事情があるので、日本人の金持ち旦那はお得意さんである。日本の一部富裕な男性が、銀座・赤坂などで高級売春クラブに出入りしているのと何等事情は変わらない。

 世の中すべてニーズと供給でバランスが取れているというわけである。

 さて、僕達色気のない二人は、ビールのあとメコンウイスキーを注文し、それを二人でほぼ飲み干し、かなり酔っ払った状態で店を出た。次に行くのはN君の案内でセクシーな女性がたくさんいるというラウンジだ。

 通りを戻ってパッポンに着いた。猛烈な人出と激しい音楽にイルミネーション。日本人や欧米人にタイの人々もこれからの長い夜を楽しんでいるようだ。大阪に住んでいる僕は東京の歌舞伎町の賑わいは知らないが、きっとそんな感じなのだろう。

 「ちょっとウイスキーでも飲みながら綺麗な女の子を眺めますか?」

 N君がそう言って、僕を一軒のラウンジに案内した。


 36. N君との豪遊(正直に書かなくても良いんだけどなぁ) その三

 スリウォン通りとシーロム通りを縦に、かの有名なタニヤ通りが繋がっている。そのタニヤの隣の通りがパッポン1とパッポン2通りとなっている。

 僕とN君はパッポン1通りの中ほどにある一軒のゴーゴーバーに飛び込んだ。大音響のディスコティック音楽が耳をつんざき、驚きも覚めやらぬうちに目の前には全裸一歩手前のビキニ姿の大勢の女性が踊っていた。

 僕達は広いお立ち台で踊っている彼女達を下から覗ける位置のカウンター席に案内された。目の前に細くて綺麗な足が飛び跳ねているのだ。セクシーダンスを目の前で見せられると、普段若い女性のこのような姿に全く縁のない僕は、目玉が飛び出てしまいそうなほど驚いた。N君は横でニヤニヤしているだけだ。

 案内してくれた中年の女性に五十バーツを支払い、間もなくビールが運ばれてきた。これが一応セット料金のようだった。

 しばらくあっけに取られてダンスを見ていると、突然僕の隣に一人のダンサーが体を摺り寄せてきた。見ると巨乳の美女だ。僕は頭の中がパニック状態になりながらも、その巨乳から目が離れない。

 「コーラ飲んでいいですか?」                                            

 片言の日本語で彼女が言う。

 勿論このような状態の時に断るわけがない。オーケーと言うとすぐにコーラが運ばれ、五十バーツを支払う。乾杯をしたあとは、なにやら僕に話しかけてくる。隣に目をやると、N君もグラマーな女性と話しながら鼻の下があごの辺りまで伸び切っている。何ともまあ男というものはどうしようもない生き物だな。

 横の彼女にもう一杯飲み物をおごったが、彼女が店外に連れ出して欲しいという希望を僕が拒否したので、諦めて離れて行った。すぐに別の女性が横に座った。今度はやや小柄でスリムな女性だ。

 彼女はやや控えめな感じだったが、同じように飲み物をねだってきたのでコーラをおごった。こちらから話さないと喋らない女性で僕はすぐに気に入ったが、店外に連れ出してどうこうする気は全くなかった。

 三十分以上セクシーディスコダンスを眺めながら、横に座った女性の相手を適当にしていたが、結局この店は女性を店外へ連れ出してくれることを期待するわけである。僕たちのようにじっとダンスを見ているだけでは歓迎されないのだ。(店外へ連れ出すには、店に四百バーツを支払い、連れ出した女性には二千バーツから三千バーツが相場らしい)

 気配を察して僕とN君は退散することにした。僕達は要するに真面目なのだな。ゴーゴーディスコバーに思いっきり後ろ髪を引かれながら、次に小腹が空いたのでタニヤ通りの「すし幸」に入った。

 タニヤ通りには「築地」という有名なすし屋があるが、ここは昼間のランチがお奨め。(百三十バーツでにぎり寿司に小鉢と吸い物がついています)

 この「すし幸」は板さんの本田氏がとても気さくな人で、僕はこのあとバンコクに来たら必ず立ち寄って、タイの様々な現地事情を教えていただく。彼は既に六十才を過ぎているが、某大手ホテルの料理人として長年従事し、そのホテルが海外に店を出したことをきっかけに日本を離れ、数十年が経っているらしい。日本に奥さんがいるらしいが、何年かに一度しか帰国しないと語っていた。

 この夜はシーフードを食べたあとだったので、二人で瓶ビール二本とにぎりを四種類ほどしか食べなかったが、味はとても美味しかった。ただ新鮮だと奨められた「かんぱち」が四百バーツとかなり高めだった。

 でもこのお寿司屋さんはお奨めなので、是非立ち寄ってください。いろいろと情報が聞けますよ!


 Hさんとの再会 そして帰国

 パッポン界隈でシーフードを食して、トップレスゴーゴーバーで驚き、タニヤ通りの寿司店で口直しをした僕とN君は、かなり酔っ払ってしまった。店を出てフラフラ歩いていたら、目の前にモロ見えのヌード写真を突き出された。

 「ソープ、安いよ。若くて綺麗な女の子ね!」

 若いタイ人の客引きが、僕達にしつこく勧める。よっぽどスケベそうな顔をしていたのかもしれない。

 彼を振り切っても再び別の客引きが勧める。これでは酔いも手伝って心が揺らぎそうだ。早くこの場を離れることにした。

 裏通りに入って高架下に出るとタクシーが止まっていた。すぐに乗り込んで宿に戻ることにした。随分と楽しい夜だったが、ゴーゴーバーの巨乳美女がなかなか頭から離れなかった。

 二十分ほどで宿に着いて、二人とももう酩酊していたので寝ることにした。部屋に入りシャワーを浴びるとベッドに倒れるように寝てしまった。

 翌朝はベッドわきの電話の音で目が覚めた。寝ぼけ眼で出ると女性の声だった。

 「お久しぶりです〜、Hです。今朝早く着きました」

 そうだ、去年ラオスで知り合って以来、N君ともども友人関係を保っているHさんが、ラオス南部旅行から今朝バンコクに帰って来たのだった。

 「お疲れさま、N君の部屋ですか?」

 彼女はさっきこの宿に到着してN君の部屋を訪ねたのだと言う。早速顔を洗って服を着てN君の部屋に向かった。

 

 一年前にHさんと知り合ったあとも、僕が東京方面に用事があった時にお酒を飲んだり、彼女が大阪を訪ねてきた時はN君と二人で関西を案内したものだ。だから久しぶりではあるが、数ヶ月ぶりということである。

 「やあ、ラオス南部はどうだった?」

 「暑さに参りました。それに北部と違ってあまり見るべき観光地がないのです。でもまずまず楽しい旅でした」

 彼女はラオスの首都・ヴィエンチャンからバスで南へ南へと下り、サワナケート、パクセーと滞在、コーンの滝やワット・プーを観光して、ウポンラチャタニーから夜行列車に乗ってバンコクに着いたというルートである。

 しばらくお互いの今回の旅を報告しあった。僕は正直者だから旅の初日から綺麗な女性と知り合い、彼女と三日間一緒に移動してワンヴィエンで別れ、ワンヴィエンからの折り返しでは別の女性と知り合って、バンコクに帰るまでの三日間を同行したことを話した。

 「ペロさんはヤッパリ女性とすぐ仲良くなっちゃうんですね。結局今回もずっと女性と旅していたのですね」

 「別に女性に意識的に近づいているわけじゃありませんよ。ひどいなぁ」

 名誉のために弁明しておくと、この物語の最初からもう一度お読みいただいたらお分かりと思うが、決して僕が目をギラギラさせて女性に近づいたわけではありません。

 「ミャンマーはどうでしたか、Nさん」

 「いや、それがあの、暑くて暑くてたまりませんでしたわ」

 「ちゃんと遺跡とか回ってきたのでしょうね。ビールばかり飲んでいたのじゃないですよね」

 Hさんにこのように言われてN君は額に汗していたのだった。


 Hさんとの再会 そして帰国 その二 (完結)

 Hさんに、「ミャンマーでビールばかり飲んで、肝心の遺跡を訪ねたの?」と問い詰められ、N君は正直者だから言葉に窮したようだ。

 「えっ?そりゃ行きましたよ。マンダレーのお寺は暑い中二ヶ所訪ねました。マンダレーヒルにも登りましたよ、マンダレーの町を一望できる絶景でしたわ」

 N君にしては動いている方かもしれない。何しろ彼はこちらから行こうと言わなければ、その土地の見所を積極的に訪ねようとはせずにビールばかり飲んでいるのだから。

 「バガンには行かなかったのですか?」

 さらにHさんの執拗な問いに、N君はエアコンのよく効いた部屋なのに汗だくになっていた。

 「暑さに参って動けなかったのでバガンには行かなかったのですよ。それに遠いし・・・」

 「バガンが遠いですって?飛行機で三十分、船だと十時間かかりますけど、それくらい旅行者にとっては普通でしょ?冬にルアンパバーンからフェイサイまでボートで行った時より楽かもしれませんよ」

 「あの時は暑くなかったですから」

 苦しい言い訳をしているN君と、それを厳しく攻め立てる二人を僕はニヤニヤしながら眺めていた。勿論Hさんだって本気で言っているわけではない。旅先でドップリ浸かりがちのN君に対するアドバイスの一つのようなものだ。

 

 さて、朝食に出かけようということになった。ホテルを出て通りを少しサーヤム方面に歩くとヌードル食堂がある。何度かここで食べたことがあるので味は安心だ。しかし時刻が早かったので細麺しかないと言う。

 ヌードルスープ・ウイズ・チキンを三人が注文したが、Hさんだけはノーパクチーなのだ。彼女は香草が大の苦手。

 「今日はこれからどうしますか?」

 HさんもN君もバンコクにもう一泊できるのだった。

 「僕は今日の午後便で帰国するから、昼過ぎには空港に行かないとね」

 この日は土曜日だったので、ウイークエンドマーケットに行くことで話が決まった。一旦ホテルに戻り、パッキングを済ませてロビーで落ち合い、三人だからタクシーで行こうということになった。

 僕だけがバックパックを背負ってのマーケットだ。簡単にお土産をいくつか買ったら空港へ早い目に行こうと思っていた。

 ところがウイークエンドマーケットに着く少し前から雨が降り出した。タクシーを降りて素早くマーケットに入った。ここは屋根がある市場だから大丈夫だ。広い市場内の様々な店を覗いて歩く。僕だけが重いバックパックを背にして。

 一時間ほど雨宿りをかねて市場を歩いたが、雨はやむどころかますます激しくなってきた。店の中には雨が商品にかかってしまうので、一旦閉めるところも出てきた。マーケットの端でバケツをひっくり返したような大雨を眺めながら、三人はしばらく佇んでいた。

 今回の旅は恵まれた。行き当たりばったりで、バンコクに到着した朝、ドムアン駅に最初に来た列車に乗ることに決めていたが、それがラオス国境・ノーンカーイ行きだったことが幸運の始まりだったのかもしれない。

 旅の前半を同行してくれたR子さん。こんな怪しげなオヤジにも係わらず三日間も一緒に過ごしてくれた。屈託のない笑顔が懐かしく思う。

 後半をたまたま付き合ってくれたY子さん、それに韓国人青年との出会いも初めてドミトリーに泊まるきっかけとなった。Y子さんは恐縮するくらい気遣いをする人だった。最後にホテルをシェアしようと言って断られたけど、僕には何のたくらみもなかったことを念のため申し添えたい。

 そして旅の終わりにN君とバンコクの歓楽街を楽しんだ。Hさんとも再会できた。

 「N君、Hさん。雨はやみそうにないし、僕は早めに空港へ行くよ。また日本で会いましょう」

 「そうですね。じゃあまた」

 二人の言葉を背に受けて、僕は降り続く雨の中を視界に止まっている青いタクシーめがけて走ったのだった。

 

 - 完 -

 

  最後までお読みくださりありがとうございました。

  この旅行記の感想をお寄せくださると嬉しいです。今後の旅行記などへの参考にしたいと思っています。

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