第五章、ワンヴィエン〜世界遺産の街・ルアンパバーン

 その3 スカンジナビア・カフェ
 
 ルアンパバーンはラオスの北部山岳地帯に位置し、16世紀まではラオス王国(ランサーン王国)の首都として栄えた町である。 首都がヴィエンチャンに移ったあと、ラオスの分裂で、ルアンパバーン王国が成立すると再び首都となった。
 1975年の革命で王朝は廃止されたが、同80年後半より開放政策が発せられると、寺院も過去の栄華を取り戻し、1995年にはユネスコの“世界遺産”に街全体が登録され、その華美な街並みに魅了されて外国人観光客も次第に増えてきているらしい。
 それは街を歩くと欧米人を中心とした多くの旅行者を見かけたし、観光客のための宿やレストランなどもここ2,3年で随分と増えたという話からも知ることができる。
 町はメインストリートだけに限って言えば、端から端までゆっくり歩いても15分程しかかからず、約300m四方の中に、町として機能している官公庁やタラート(市場)、商店街、さらにホテルやGHなどが存在しているといっても過言ではない。
 しかし街外れはメコン川の豊かな水をいただき、緑多い自然が溢れ、有名なプーシーの丘から見下ろす町全体の景観はしばらく安らぎを感じて佇んでしまうほど素晴らしい。
 
 さて僕達はある青年のトゥクトゥクに乗って、街外れにある小奇麗なG・Hに到着した。
 部屋を見せてもらうと、殆どがツインルームで、シャワー室は共同である。 
僕達はやはり個々に部屋が欲しかったので、ツインルームをシングルの値段で交渉し、その青年は最後には25000kip(350)でOK!と言ったのであるが、僕は何故か他を探すと言って出てきてしまった。
 その時の僕の精神状態は、思い出そうとしてもはっきりと甦ってこないのだが、今から思えば3人でそこに泊まってもよかったのに、一体あの時僕は何を考えていたんだろう?【きっと本当はワンヴィエンのようにHさんやN君と一緒の宿に泊まりたい気持ちと、旅は基本的には一人であるという考えとが交叉していたのだと思う】
 結局、Hさんだけがその青年のGHに泊まることになり、昨日の午後6時にヴィエンチャンでFさんと約束していたのに行けなかった街の中心部にあるスカンジナビア・カフェで、同じ午後6時に待ち合わせをして、N君と一緒に他の宿を探した。
 Hさんの宿は街の中心部からはかなりの距離があったようで、僕達は15分程歩き回ってようやく1軒の宿に着いたが、部屋を見せてもらうとあまり綺麗じゃないので、僕は他を探すと言って歩き出した。
 少し歩いて後ろを振り向くと、後ろからついて来ていると思っていたN君の姿がなく、どうしたのだろうと少し心配したが、後で会うことになっているから、僕はともかく宿の確保のためガイドブックを片手に汗びっしょりになりながら歩いた。
 バス発着場に到着してから既に1時間程が経過しているので、先ほど到着したバックパッカー達はとっくに宿を決めている筈と思うと、思いザックを背負って歩きながら少し焦りを感じた。
 町のほぼ真ん中に位置しているタラートの前を通り、大通りを横切って、舗装されていない裏路地を入って少し行くと、ホンタビーというGHが見えた。
 門を入ると、宿の中庭には若い女性が2人佇んでいて、『ドゥーユーハブ シングルルーム・ウイズ・ホットシャワー?』と言うと、『空いてますわよ』と言うのですぐにチェックインした。(一泊3万キープ、420円程)
 案内された部屋は中庭に面した1階の端で、オープンして1年余りということもあり、部屋の中は白を基調に綺麗で、ツインルームを1人で使用してよいということだ。
 しかしザックを置いてシャワーを浴びると、シャーワー室には湯沸かし器のようなものがあるのだが、出てくるのはお湯ではなく少し温かい程度のほぼ水だった。
 ともかく一日遅れだけど、もしかすればFさんが約束していたカフェに現れる可能性もあるので、僕は綿パンに新しいTシャツとバンダナも変えて、約束のカフェにブラブラと向った。
 スカンジナビア・カフェは街の中心、ナーボン通りに面していて、正式名称はスカンジナビア・ベーカリーといって、パン・プリン・クッキーなどのスナック類と飲み物全般の店である。
 僕は530分には店に着き、ペプシを注文して店の前のオープン・カフェで待つことにした。 
 するとどこからか、『こんちわ!』と明らかに日本語の女性の声が聞こえたので、グルリと周りを見渡すと、隣のテーブルに男性2人と女性2人の日本人がコーヒーを飲んでいる以外に客は見当たらず、その声は彼等から僕にかけられたものだと分かった。
 『どうも、4人グループですか?』と僕が聞くと、『いえ、皆1人なんですけど、たまたまバスが一緒だったもので』と当然の返事が返ってきた。
 男性は20代前半と後半くらい、女性は20代前半ともう1人の色っぽい女性は年令不明であるが、皆さん短期ではなく、1ヶ月から3ヶ月の旅の途中で、この町には昨日ヴィエンチャンから到着したらしい。
 このように、本当に羨ましい旅行者が、滞在する町々で結構多いものだ。
 しばらくしてN君がトゥクトゥクに乗ってやってきた。
 歩いても15分程なのに、N君はもっと運動する必要があると思った。【余計なお世話だね】
 しばらくしてHさんも登場したが、彼女は、『G・Hからここまで歩いてきました。 25分ほどかかりますね』と涼しい顔で言っていた。【ほらほら、これが旅人じゃないのかN君!】()
 僕達はヴィエンチャンで知り合ったFさんが、一日遅れのこの場所に現れるかもしれないので、ともかく待ってみることにした。

 

 その4 ルアンパバーン初日
 
ルアンパバーンの初日の夜、僕達はヴィエンチャンで知り合ったFさんと再会を約束したスカンジナビア・カフェでしばらく待った。
 約束したといっても、Fさんとの約束日は昨日の午後6時だったのだから、いくらワンヴィエンからメールで一日遅れになる旨を送ったといっても、彼女がそのメールをチェックしていなかったら分からないし、仮にチェックをしていても、彼女には彼女の旅日程がある訳だから、現れない可能性のほうがずっと高いのだ。
 結局、640分まで店の前のオープンカフェで待ったが、予期した通り彼女は姿を見せなかった。
 僕達はワンヴィエンに1日に多く滞在したため、このようなことになったのだが、旅をしているとこのようなことに一々こだわっていてはいけない。
 何故なら基本的に旅は自分自身のものだし、途中で気の合った旅人と出会っても、それは一過性のものとして捕らえなければならないし、周囲に影響されることなく自分が予定している次の目的地に進む必要があるのだから。【といっても、綺麗な女性と知り合ったらできるだけくっついて旅をしたいものだけどね】
 あとで分かったことだけど、Fさんはルアンパバーンには2日間滞在し、僕達が到着した日の朝に、スピードボートでメコン川をフェイサーイに上り、その後ミャンマーの国境を経てタイに渡り、チェンマイから少数民族の村などを回って帰国したとのことであった。
 彼女に正露丸のお礼が出来なかったことは残念至極であったが、僕達は夕飯をたべようと、スカンジナビア・カフェの斜め向かいにある小奇麗なレストランに入っていった。
 ここではN君はフライドライス・ウイズ・チキン、彼女と僕はヌードルスープ、それにスプリングロール(春巻きのことだね、そのままだけど)を一皿注文し、ビアラオ3本でルアンパバーンの最初の夜を過ごした。
 このレストランのある通りは、ルアンパバーンの街中ではメインストリートで、通りの両側にはカフェやレストランや雑貨やなどの商店がズラッと並び、僕達が食事をした午後7時頃から9時頃は、まだまだたくさんの人達で賑わっていたが、その半分は欧米人を中心としたツーリストであった。
 僕達は外のオープンカフェで、順調にここまでたどり着けたことを祝い、世界遺産の町にいることを喜んでビアラオを飲み干した。 ここで食べたヌードルスープは薄味で食べやすく、春巻きもベトベトしていなくて美味しかった。
 僕は普段はどちらかといえば大食漢に近いのだが、ラオスに来てからはそれほど食べなくなっていた。
 それはきっと、ビアラオというラオス唯一のビールが飲みやすく、しかも大瓶なので、グビグビッと何杯もあおっていると、すぐにお腹が一杯になってしまうからと思うのだ。【でもあとですぐに小腹が空くんだね】
 それぞれビールを1本ずつ飲んだあと、もう1本注文して3人で分けようということになり、結局、ビアラオ4本と前述の食事でお勘定を頼むと6kip(840円程度)だった。
 しかし3人ともkipの持ち合わせが少なく、全部合わせてもぜんぜん足りなくて、バーツで支払うこととなり、ご主人に計算を依頼して言われるままに支払ったのだが、お釣りをもらって、『ちょっと少ないのじゃないですか?』とHさんが言い出した。
 僕は大体がいい加減な男だから、きちんと計算もしなくて、『いいじゃないですか少しくらい』と言うと、『きっちりしてもらいましょうよ。 勘違いかも知れないし』とHさんが毅然と言うので、それに従った。(N君は横でニコニコして眺めていた)
 店の奥のキャッシャーに行き、Hさんが、『さっきのお勘定もう一度計算しなおして!』と言うと、気の弱そうなご主人が計算書とそれにくっ付けていたお釣りの紙幣を出してきて(テーブルごとに計算書とお釣りの紙幣を挟んでいた。 きちんとしていることに少し驚き。 尚、ラオスには硬貨はありません)、しばらく、『願いましてはぁ〜』と計算した結果、『あっ、ちょっと間違っとりましたな』という感じで微笑みながら、5kip(70円程)を返してくれた。
 勿論故意ではなく、kipとバーツとのややこしいレート換算間違いだったのだが、僕達は知らないうちに現地の貨幣価値に順応してきているような気がした。(いや、しっかりしているのはHさんだけかも)
 
 レストランを出て宿の方向に歩くと、まだ午後9時過ぎだというのに辺りは真っ暗に近く、街灯などという代物は勿論ない。
 僕の宿の前の通りを過ぎて、インターネットカフェに3人は入って行ったが、2人とも後ろで見ているだけで、僕だけが自分のHPに書き込みをした。
 PCを打ちながら、明日は帰りの航空チケットを買うため、朝8時にラオス航空オフィスで会う約束をしたら、『じゃあ先に帰ります』と言って、2人とも帰ろうとするのだ。
 僕は彼女の宿がここから随分と遠いし、きっと真っ暗闇なので送って帰ろうと思っていたので、『ちょっと待って。 危ないから僕が大通りまで送っていくよ!』と叫んだのもつかの間、彼女は、『いいです! 心配ありませんから』と言い残して走り去ってしまった。
 【翌日彼女は、帰り道は全くの真っ暗闇で、ここで襲われたらどうにも出来ないと本当に焦ったらしい。 そら見たことか、僕は心配で安眠できなかったんだから】
 このようにルアンパバーンの初日はドタバタと終わった。
 旅もあと4日になってしまった。

 

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