第四章、ヴィエンチャン〜ワンヴィエン

 4. 旅行作家・岡崎大五氏との遭遇
 
 翌51日は9時頃目が覚めた。
 ぐっすり寝たので疲れはすっかり取れており、窓の外には明るい日差しが見え、今日もいい天気だ。
 神とご先祖様に感謝するとともに、日本での普段の行いの良さがこのような幸せをもたらせてくれるのだと、自分勝手な解釈をして満足をした。
 シャワーを浴びて下に降りていくと、Hさんがミネラルウオーターを購入して外から帰ってきたところだった。
 『N君とYさんはルアンパバーンに発ったの?』と僕が聞くと、『Yさんは予定通り行ったようですよ。 でもNさんは酔っ払っていたし、部屋にいるようです』とのことだ。
 【な〜んだ、彼女と2人になれなかったのか】と思い、Yさんを見送れなかったことが少し残念な気がしたが、とりあえず朝食を食べようと2人で近くのレストランに入った。
 僕はお気に入りのフランスパンのベジタブルサンドイッチとバナナシェイクを注文(8,000kip・・・112円程度)Hさんはチキンサンドイッチとパイナップルシェイクを注文した。
 しばらく彼女と2人だけのBreakfastを楽しんでいたのだが、アレレ?向こうの方からN君がトボトボと歩いて来た。
 僕は彼に声をかけて一緒に食事をしようと誘い、昨夜はあれからどうなったのかを聞いた。
 Hさんは僕が部屋に戻ってからしばらくして席を立ったらしく、N君はそのあともYさんと宿のご主人とで遅くまで飲んでいたらしい。
 N君はかなり酔っ払って今朝は二日酔いらしいのだが、比較的早くに目覚めて、今までネットカフェにて日本の彼女にメールを打っていたらしいのだ。【彼女のいる人は羨ましいものだ】
 彼はワンヴィエンの町がなかなか気に入ったから、もうルアンパバーンには行かないで、ここにあと2日ほど滞在して、バンコクに戻ってから残りの日を豪遊しようかなと、この時点では言っていた。
 彼も朝食がまだだったので、ヌードルスープとシェイクを注文し、さてせっかくの好天だし午後から何をして過ごそうかと話し合った。
 昨夜GHまで送って行った色っぽいK子さんは、今頃カヤック遊びのツアーに参加しているだろうから、結局僕達も川遊びをしようということになり、タイヤチューブボート遊びを申し込みに行くためにレストランを出た。
 この遊びは、店の前に大きなタイヤチューブをいくつか積んでいるところで申し込むことが可能で、早速交渉したところ、開始場所までトゥクトゥクで運んでくれて一人5,000kip(70円程)で話がまとまり、3人で午後1時に予約をして一旦宿に戻った。
 宿の中庭のテーブルには女将さんがため息をついて座っており、どうしたのかを聞いてみると、ご主人が二日酔いでダウンし、まだ寝ているのだと機嫌の悪そうな微笑とともに呟いていた。(どんな微笑なんだ?)
 ヤッパリ調子に乗ってお酒を勧め過ぎたのか、日本の焼酎が合わなかったのか、ちょっと申し訳ないことをしてしまったと少し反省した。
 階段を上がって部屋に入ろうとすると、ベランダで大柄な日本人男性がくつろいでいるのを見かけたので、早速近づいて行って、『どうも、日本の方ですか?』と声をかけた。
 彼はそうですと言うので、『少し話をしても構いませんか?』 『どうぞどうぞ、退屈していたところですよ』とのことで、テーブルを挟んで椅子に腰をかけた。
 2階のベランダから下を見ると、タビソックが小さな自転車で遊んでおり、僕の姿を見ると手を振るのだった。【可愛い奴だ】
 その男性は、タイで数日過ごしてからラオスに入り、ここには一週間程滞在する予定であると言い、『ここはちょっとしたリゾートで、町は小さいですが、川で毎日泳いでのんびり過ごすのには飽きないですよ。 ヴィザの延長も街中の役所で可能です』と語った。
 『失礼ですが、どのようなお仕事をされているのですか?』と僕が聞くと、『自由業なのですよ』と彼は答えるので、『何かご商売でもされているのですか?』とさらに聞くと、『実はライターなのです』と答えるのであった。
 僕は仕事で取材をしているような感覚になったが、非常に興味を感じ、『どのようなジャンルのものをお書きなのでしょうか?』と問いかけた。
 すると彼は、『旅行記を書いているのですよ』と答えるので、ますます僕は興味深くなり、半ば興奮状態で、『もしお差支えなければお名前を・・・』と言うと、『ペンネームは岡崎大五といいます。 元ツアー添乗員をしていましてね。 その時の経験などを綴った“添乗員騒動記”でデビューしたのです。 これまで8冊程出版しましたが、思うようには売れませんね』と微笑みながら語るのであった。
 僕は自己紹介もしないで、『お名前は存じ上げています。 本は残念ながら読ませていただいたことはありませんが』と失礼なことを言い、これは偶然の良い機会だとばかりに、旅行記の出版状況や彼と交流のある下川○治さんや他の旅行ライターさんの現況などを聞いた。
 彼は“旅行人”という出版社に所属しており、今回の旅は一応仕事オフのバカンス一人旅らしいのだが、雑誌社からの原稿依頼がメールで届いていて、ヴィエンチャンでは仕事に追われたと嘆いていた。
 現在はインターネットで世界の大概の所から、様々な相手と連絡が取れるようになっているが、彼のようにバカンス先まで仕事の依頼が来るようだと、便利も良し悪しだと思った。
 1時間程あれこれ話をして、僕が旅行記をちょっと書いているのですよと言うと、『作品があるなら是非送るべきですよ。 絶対に諦めないことです』と親切にアドバイスをいただき、『それじゃあ、僕は午後から川遊びをしますので』と一旦別れたのであった。
 このように偶然、ラオスのような旅先で、しかもワンヴィエンなどという地図よっては掲載されていない場合もある小さな街で旅行ライターさんと会うということは、神が僕に『早く文壇デビューをしろ!』とハッパをかけてくれているような気がした。【いい様に解釈しすぎかな? 尚、帰国後岡崎さん宛にメールで、僕のラオス旅行記に実名で記述しても良いかを連絡し、快く了解を得ています。 後で分かったことですが、彼はこの旅の最初にバンコクで結婚式を挙げたらしいです。 おめでとうございます
  さてタイヤチューブボートは、レンタル店の前からトゥクトゥクに乗って、適当な川の上流まで運んでもらって、あとは自分達で川を下って帰ってくるというもので、僕達は子供のような気持ちになって川の上流に向かったのであった。



 5.タイヤチューブボート遊び
 
 タイヤチューブボート遊びは、ヴィエンチャンで夕食をともにした若者達から聞いていたので、是非やってみたかったもので、昨日ワンヴィエンに到着したあとワンヴィエンリゾートに行った際に、そこですぐにできるものと勘違いをしていたのだった。
 タイヤチューブボート遊びは、リゾートとは関係がなく、街中のタイヤチューブレンタル店に申し込んで、ナムソン川上流にトゥクトゥクで連れて行ってもらい、あとは勝手に下ってくるというシステムなのだ。(システムという程大げさなものではないけど)
 僕達はトゥクトゥクに大きなタイヤチューブを3つ載せて、国道を15分程走った辺りを川沿いに入り、土手の上で降ろしてもらって、各自タイヤチューブを抱えて河川敷に降りて行った。
 川幅は僅か50m程だろうか、それ程広くなく、水はメコン川に比べると随分と綺麗で、透明とまでは行かないが、かなり澄んでいた。
 僕達は水着などという洒落たものは持って来ていないので、僕とHさんはショートパンツにTシャツ、N君はジーンズのままタイヤチューブにお尻を入れ(ヒンヤリと気持ちが良い)、上向きに乗っかって川面にプカプカと浮かんだ。
 ラオスは今、暑季(3月〜5)から雨季(6月〜10)に入ろうといている時期で、雨量が少ないため、川は最も深いところでも大人の背丈までもない位浅く、浮かびながら水中を覗くと底が微かに見える程である。
 殆ど流れはないと言ってよく、ボンヤリと浮かびながら手を艪にして少しずつ下って行く。
 お尻を深く水に浸けて仰向けになると、雲一つない真っ青な空が僕達3人を見下ろし、目前には釣鐘状の山々が連なって見え、なんとも形容し難い素晴らしい風景である。
 ラオスという日本から遠く離れたアジアの山国、その国の中でもあまり知られていない小さな町で、僕は今タイヤチューブという素朴な乗物に乗っかって、緩やかな川の流れに身を任せて、あたかも日本での目まぐるしい日常生活に逆襲し、嘲笑うかのようにプカプカと間抜けに浮かんでいる。
 日本に於いてのあらゆるややこしい人間関係を、この緩やかな川の流れとともに、はるか大海の果てまで押し流し、そして葬ってしまいたい気持ちになる。
 僕達は日本という情報に満ち溢れた刺激の多い環境で、最先端の文明の利器に囲まれた生活を送っている。 生活の必需品ではない娯楽というものさえ、何の疑問も持たずに生活の一部として取り入れてしまい、無為な享楽の日々を過ごしがちである。
 そこには人間としての本質的な満足は存在せず、感受性の強い人間は満たされない気分のまま彷徨っているのに違いない。

川遊びをする手前がN君、向こうがHさん
 僕は数分間そんな訳の分からない感慨に耽ったが、間もなく人間は何故生きているのかという哲学的な疑問などは、そのような疑問を持つこと自体が愚かしいと感じてしまうような、素朴な川の流れに身を任せていたのだった。
 僕達3人は時々水に注意をしながら写真を撮り合ったあと、それぞれ勝手にゆっくりと川を下流へと流れて行った。
 2人はこんな気持ちの良い川下りで、一体何を考えているのだろう?
 N君は帰りに立ち寄るバンコクでの酒池肉林を想像しているのかな?
 Hさんはこの街にずっといて、GHで働かせてもらうなどと直情的なことを言っていたけど、日本での生活に満足していないのかな?
 そんなことを考えながら、僅か1時間半余りの川遊びで、距離にしてどれ位下ったのだろうか、少し広い浅瀬が続くところでは、現地の子供たちが無邪気に遊んでいた。

川遊び(Hさん) ニヤケたオヤジ

 僕達が流れて来たことにも余り興味を示さず、川に飛び込んだり潜ったりしながら、キャッキャッと楽しそうに声をあげて遊んでいる。
 一旦岸に上がると、子供たちがタイヤチューブを貸して欲しいというので、しばらく彼等が遊ぶ様子を眺めていた。
 無邪気に遊ぶ子供達にカメラを向けると、恥ずかしそうにしながら微笑んでポーズをとる。 屈託のない可愛い笑顔だ。
 僕はもっと下流の方まで行きたかったが、一旦岸に上がると2人はもうたくさんという感じだったので、それじゃあこれくらいにしようかということになった。
 それぞれタイヤチューブを担いで、レンタル店に戻るのだが、一体ここはどの辺りなのかと川沿いをドンドン歩いて行くと、アレレ?狭い道の両側にタライのようなものに野菜や肉を入れて売っている人達が並んでいるぞ。 そうだここは市場の裏側なのだ。
 僕達はちょうどいいところまで下って来たということだね。
 現地の人達は、服がびしょ濡れのタイヤチューブを肩に担いだ日本人を見て、やや怪訝そうにする人やニヤニヤ笑う人など様々であったが、市場の中を図々しく通って外に出ると、見覚えのある建物に出た。
 昨日K子さんと待ち合わせをした郵便局の辺りだったのだ。
 無事にタイヤチューブを返却し、『楽しかったねぇ。 でも疲れたね』と言って、僕達は宿に帰り、少し休むことにした。
 
 宿に戻りシャワーを浴びてから下に降りてみると、Hさんがちょうど部屋から出てきたところで、『ちょっと中途半端な時間だけど、軽く食事に行こうよ』ということになり、昨夜夕食を食べたネットカフェ併設のレストランに行った。
 日差しは強烈で、きっと川遊びをしている時は気が付かなかったが、これはかなり日焼けをしていると思った。
 『Hさん、僕の顔日焼けしていない?』と聞くと、『日焼けというより顔が真赤ですよ。 酔っ払っているみたいです』と失礼なことを言うのだった。
 彼女は僕と同じくらい日差しを浴びたのに全く変わらず、色白の顔に贅肉一つないボディで、僕にはじっと見ることが出来ないくらいフレッシュに映った。
 強い日差しの中で2時間近くも水遊びをしたため、2人とも喉が渇いていて、早速ビアラオを注文し、乾杯するのも忘れてグイグイと飲み干した。(僕は完全にビアラオに参りました)

 

つづく・・・

Back  TOP Next