第四章、ヴィエンチャン〜ワンヴィエン

 3.タビソックGHのタビソック?
 『よーし、もう一泊するぞ。 明日は川遊びだ!』
 僕はワンヴィエン・リゾートから帰ってきてからベッドに倒れこみ、天井でグルグル回るファンを眺めながら思案した結果、明日朝のバスでルアンパバーン急いで発たなくとも、旅はまだ4日目で半分も経過していないのだし、この町もちょっと気に入ってしまったから、もう一泊することに決めた。
 ここで気になるのは、ヴィエンチャンで大勢の日本人と酒盛りをした時に一緒だったFさんのことである。
 彼女とはルアンパバーンのスカンジナヴィアカフェで、明日の午後6時に待ち合わせをしているのだった。
 今朝GHを出る時に僕が下痢気味だったために、ラッパのマークの黄色いパッケージの正露丸を、フィルムのプラスティック容器に一杯入れてくれたので、そのお礼も兼ねて明日食事の約束をしていたのだ。
 彼女はヴィエンチャンから飛行機でグゥイーンとルアンまで一気に飛んでいるので、今頃はルアンの町を散策している頃だろう。 約束は守るのが僕の人生のポリシーだし、かといってさっきワンヴィエン・リゾートから一緒に帰ってきたK子さんと明日川遊びをするのも楽しそうだし・・・。
 僕はこんなに悩んだのは、大学入試の前に受験校を決めるのに毎日思案していた頃以来だなと思ったが、しばらく身動き一つしないで悩みつづけた。
 でも結論はもう一泊だ。 今は便利なインターネットでメールを送るという方法があるのだ。
 今日のうちに彼女のメールアドレスに、『ちょっと予定が変更になり、明日の夜はルアンパバーンに入れません。 明後日の午後6時に変更できませんか?』と、メールを送っておけば、それが彼女の旅の予定と合わなくて、結局会うことができなかったとしても、約束を完全に破ったことにはならないじゃないか。
 それともN君かHさんが明日ルアンに発つようなら、伝言を頼むという手もあるぞ。
 ともかくほぼ結論が出たので、シャワーを浴びて下に降りていった。

 可愛いタビソック
 中庭ではタビソックGHの名物男(勝手に僕がつけたのだけど)である、この家のタビソックという名前の2才位の子供が三輪車で遊んでいた。

『ヘイ!タビソック』と呼ぶと、彼は小さい体を揺すりながら、裸足で僕のほうに寄って来るのである。 彼はまだ幼児なのに、善人悪人の区別が感覚的につくようで、僕には何の躊躇もなくニコニコしながら擦り寄ってきて、一緒に遊んで欲しそうな素振りを見せるのだった。


 しばらく彼と戯れてからインターネットカフェに行き、自分のHPに書き込んでからぶらぶら町を歩いていると、ヴィエンチャンで一緒に夕食を食べた日本人カップルに偶然会ったので、よければ今夜の食事を一緒にどうかと誘っておいた。(僕は誰彼なく誘っているような気がするが、旅先で大勢で食事をしながらビールを飲み、いい加減な話やわけの分からない話、時には真面目な話などをすることはこの上なく楽しいものじゃないか)
 宿に戻るとHさんとYさんが中庭に出てきていた。
 しばらくしてN君も眠たそうな目をして出て来たので、食事に出かけましょうかということになり、K子さんと待ち合わせの郵便局の方に向かった。
 郵便局までは砂利道を歩いて2分程で着くと、すぐ隣の市場はまだ大勢の人達で賑わっており、小さい町だが結構住民の数は多いのかもしれないと思った。
 まもなくK子さんがやってきて5人になり、僕が、『実はヴィエンチャンで一緒に食事をしたのカップルに偶然会ったから、夕食を一応声かけておいたんだ』というと、皆に、『2人で食事を楽しみたいんじゃないの? 余計な誘いだったんじゃない?』と非難されてしまった。
 10分程待ったが結局来なかったので、皆の言う通りかもしれないと思い、この時ばかりは誰彼なく誘うのも問題だなと、少し調子に乗りすぎていたことを反省したものだった。
 さて今夜の夕食はセンサワン(Sengsavan)というレストランである。
 このレストランは室内と野外のどちらでも食事ができ、インターネットカフェも併設しており、料理の種類も結構多くて、欧米人旅行者もよく利用している。
 とりあえずビアラオ(何度も言うようでくどいが、このビールは最高だった)で乾杯し、それぞれに料理を注文した。 僕はちょっとお腹の具合がおかしかったので、マッシュルームスープとラオスサラダ(どの食材がラオスなのかは不明)を食べたが、スープは塩辛くて半分以上も残し、サラダも皆に手伝ってもらった。
 皆はフライドライスや春巻きやヌードルスープと、ラオスに来てからのお決まりのものを食べていたようだが、春巻きはちょっとベトベトしていたし、ヌードルも麺がチキンラーメンのようで、やはりベトナムやタイに比べると味はかなり落ちるような気がした。
 ラオス料理というものもガイドブックなどには書かれているが、実際レストランでは凝った料理はメニューになかったように思う。 もしかすればもっと高級なレストランでは、本場のラオス料理というものが食べられるのかもしれないが、少なくともワンヴィエンにはそのようなレストランは見当たらなかった。
 ラオスはやっぱりフランスパンサンドイッチが、世界に誇れる食べ物のような気がする。 それにカオニャ-オというもち米を炊いて小さな籠に入れて、手で少しこねながら食べるラオス人の主食もなかなか美味しい。
 さて、食事の最中に3度も停電のアクシデントがあり、その度に店の女の子がろうそくを持ってきたり持って帰ったりと忙しく、それでも僕達5人はろうそくの灯りで食事をするのも面白いし、話が弾んでお互いに日本に帰ったら連絡しますとメールアドレスなどを交換したのだが、近くの欧米人客が度々の停電に、『ファッキン・クレイジー・ビレッジ!』と怒っていた。
 1時間半ほどの夕食後、電気は点きそうにないので宿に戻って飲みなおそうということとなった。

 タビソックGHのご夫婦と家族の一部
 中庭の大きなテーブルを囲んで皆が座り、宿の女将さんにビアラオを5本程注文して昨夜のヴィエンチャンに引き続き酒盛りだ。
 
こんなに毎日飲んでばかりでいいのかなぁといった後ろめたい思いも、フッと頭をかすめたが、日本ではずっと休みなく働いているのだから、たまにはいいじゃないかとすぐに大きな気持ちになった。


 宿の女将さんもご主人も一緒にどうですかと誘って、Yさんが“よかいち”という日本の焼酎とくぎ煮(佃煮の一種)を、部屋から持ってきてご夫婦に振る舞い、ご夫婦はラオスのキョ-レツな酒であるラオラーオをお返しに持ってきて日・ラオ親善酒宴の始まりである。
 中庭ではご主人の弟さんがかけているラジカセの音楽に合わせて、可愛いタビソックが踊りだした。
 ワンヴィエンの夜はこれからだ。

 3.タビソックGHのタビソック?・その2
 
 旅の4日目に、ラオス中部の山裾の田舎町であるワンヴィエンで、旅の途中で知り合った日本人旅行者達と、お世話になっているタビソックGHのご家族とで、GHの中庭に置かれた大きなテーブルを囲んで酒宴が始まった。
 レストランでの食事中に3度も停電をしたのだが、宿に戻ってきてしばらくしてから灯ったあとは、もう停電はしなかった。
 ラオスは水力発電によって電力を隣国タイに輸出している筈なのだが、おかしなことが起きるものだと思った。
 宿に戻って僕達は、Yさん持参のくぎ煮をつまみにして、ビアラオをグビグビッとあおると、今日のバス移動やワンヴィエンリゾートでの洞窟の階段の疲れなども、一気に飛んでしまうかのようだった。
 ご夫婦が僕達に振舞ってくれたラオラーオは、地元の人達にとっては貴重な酒で、アルコール度は種類によって随分と異なると女将さんが言っていたが、総じて度数が高く、ロシアの強烈なウオッカのような酒である。
 僕達はグラスにほんの1センチ程注いでもらって、それを恐る恐る口に流し込むのだが、先ず匂いがアルコール!と強調しているように強烈で、喉から胃に流れて行くと、その部分が焼けるように熱くなり、確かにアルコール度の高さを感じる酒であった。
 それでもK子さんは、『美味しい〜』と言っておかわりを要求し、ご夫婦が心配顔をしながらも何度かグラスに注いでいると、ついにロレツが怪しくなってきて、それとともに顔も赤くなって随分と色っぽい女性に変貌してきたのだった。
 N君は浴びるようにビアラオを飲みまくり、さらにラオラーオもグッと一息で飲んでいるうちに、顔が暗い所でもはっきりと分かる位に真赤になってきた。
 Yさんも年輩の方らしくあまりはしゃぐようなことはないが、旅先での意外な酒宴に楽しそうに持参した焼酎とラオラーオを飲んでいた。
 当初はYさん、Hさん、N君、K子さんに僕と宿のご夫婦の7人だったのだが、しばらくしてご主人の弟さんも加わり、彼だけがこのGHの家族の中で英語が話せたので、ラオスの経済や教育事情などを少し聞くことができた。
 彼は地元の中学校を卒業後、ワンヴィエンには高校がないので、ヴィエンチャンの高校を卒業しているとのことで、毎週月曜日の朝一番のバスでヴィエンチャンに向かい、週末までは高校の宿舎で過ごして、金曜日の夜にここに戻ってくるという学生生活を送ったと話していた。
 高校教育を受けられる家庭は、この国ではかなり裕福な部類に入るとのことで、ワンヴィエンの友人で高校まで進学した者は少ないとも語っていた。
 確かに今日バスでこの町に向かう途中、所々に見かけた部落の住居は、高床式の老朽化した粗末な木造家屋で、そこで暮らす子供たちが学校に通う姿や、途中小学校と思われる学校も見たが、高校教育まで受ける家庭はめったにないというのも頷ける話だった。
 さて酒宴はますます盛り上がり、GHには欧米人旅行者もたくさん泊まっていたが、彼らは外から戻ってきて僕達見ると、『ハーイ、楽しそうだね』といった感じでニコニコするだけで、席に加わろうとしなかったのは、かなりおかしな日本人の集まりだと思ったのかもしれない。(20代から60代までの旅行者が一緒に飲んでいるのだからね)
 中庭では可愛いタビソックが、音楽に合わせて腰をくねらせており、僕達が近づいて、『ヘイ! タビソック!』と言って踊る真似をすると、さらに調子に乗って踊り続けるのだった。
 午後11時を回り、K子さんが、『父が心配するので宿に戻ります』と言うと、Hさんが、『ぺロ吉さん送っていってあげなさいよ』と親切に言ってくれたので、『それじゃ、僕が送りオオカミになるよ!』と皆に宣言し、暗い街中を送って行った。
 K子さんは僕達の宿から一筋北側の通りにある、ドーククン(Dokkhun)GHに宿を取っており、僅か150mほどの距離を2人で歩く幸運に感謝していると、K子さんはとても恐縮して、『ごめんなさい、今日はとても楽しかったです』と色っぽい妖艶な瞳で僕を見るので、本当にオオカミになってしまおうかと真剣に考えたくらいだった。
 彼女がGHに入って行くのを確認してから一旦宿に戻り、夜風に当たったからか、今頃ルアンパバーンにいるF嬢のことを思い出し、今日のうちに明日の6時には約束の場所に行けない旨のメールを出すため、Hさんと一緒にネットカフェに行った。
 今度は暗い街中をHさんと二人で歩くという幸運に恵まれ、盆と正月がいっぺんに来たような嬉しい気持ちのままメールを送信してから宿に戻ると、ご主人はすっかり良い気持ちになっており、横で奥さんがハラハラしている様子が可笑しかった。
 酒宴の途中で、『明日はどうするの?』という話になり、『明日タイヤチューブボートの川遊びをしたいし、この町が気に入ったから、もう一日いることにするよ』と僕が言うと、Hさんもこの町とこの宿が気に入ったらしく、『私はここにずっといます。 この宿で働かせてもらおうかな』と訳の分からないことまでおっしゃる始末で、結局N君とYさんは明日朝のバスでルアンパバーンに発つということとなった。
 このような楽しい酒宴は深夜1時頃まで続いたが、僕は後半ちょっと体調が悪くなり、最後まで席にいることが出来ずに、かなりヨレヨレになって部屋に戻った。
 今日は朝からいろんなことがあった。
 このように旅は何が起こるか分からないという面白さに、ベッドに仰向けになって思い出し笑いをしながら、いつの間にか眠ってしまった。
 つづく・・・