第五章、ワンヴィエン〜世界遺産の街・ルアンパバーン


 8.インド料理店「ナジム」
 僕はバックパッカーとしては全くの初心者の部類であるが、日本での引っ込み思案な性格が、旅先では何故か躊躇することなく周囲の人に気軽に声をかけることができるようだ。
 おそらく旅に出ているという開放感と、やはり一人旅では、常に誰かと話をしたいという自分では意識しない気持ちが内奥にあり、それが無意識のうちに行動となって表れるのに違いない。
 勿論、ヴィエンチャンのGHでのように、Hさんが気軽に僕のような冴えない中年男に声をかけてくれたから、このような素敵な旅になったこともあり、僕だけではなく、旅人は旅先ではお互いの気持ちが何故か分かっているような気がするし、又、旅の情報なども聞きたいから、おそらく誰もが日本での日常生活とは異なった気安さで、同じ旅行者に話しかけるものだと思う。
 但し、これは善良な良識ある旅行者間での話で、見るからに危なそうな、何か薬や違法なものを嗜んでそうな旅人には、直感的に危険を感じる時があり、自然と近寄らないものだ。
 要するに、類は友を呼ぶという諺にもあるように、真面目な目的で旅しているものは同じ様な人とめぐり合い、女や薬が目的の輩はお互いに臭いを嗅ぎつけてつるむってことだね。
 まあ前置きはともかくとして、僕は体調があまり芳しくない状態ではあったが、ネットカフェで知り合ったタンクトップの日本女性と、カフェで1時間程話をした。
 彼女は小出さんといい28才、去年暮にOLさんをキッパリと辞めて一旦田舎に帰ったあと、田舎では何もないので再び東京に戻り、4月下旬から1ヵ月半の予定で東南アジアの旅に出てきたという。
 今回の旅は、以前旅先で知り合った男性とバンコクで落ち合い、チェンマイからチェンコーンを経てメコン川を渡ってラオスに入り、スピードボートでルアンパバーンに到着したらしく、この後その男性とは別れて、男性はラオス北部を目指し、彼女はヴィエンチャンからタイに入り、インドネシアのバリ島に向かってゆっくり男漁りをすると語っていた。(男漁りは僕のアレンジです)
 僕は彼女が男性と一緒に旅をしていると聞いて、ショックのあまりにストローで飲んでいたレモンシェイクを鼻に吸い込んでしまってちょっとむせたが、かろうじて平静を保ち、『それで彼は今どうしているの?』と聞いた。
 『実はスピートボートがかなり寒くて、ちょっと風邪をこじらせてしまったらしく、高熱を出して宿で寝込んでいるのですよ。 一応薬は飲みましたので、昨日よりは少し良くなっているようですけど・・・』
 僕は体調を崩している旅行者が他にいるもいることにちょっと安堵したが、『じゃあ、そばについてあげないといけないんじゃないですか?』とその男性の体調が気になって聞いてみた。
 旅先での体調不良はきちんと治さないと、旅そのものが楽しくなくなる。
 『いいんですよ、私がいても何もできないし、それにこれから別行動をとるのですから』
 まあ僕は彼女と彼の関係などに入り込む権利も気持ちもないので、それ以上は彼の話題には触れなかった。
 『今夜6時頃に、この前の通りをズーと真っ直ぐに200m程行った右側にある、「ナジム」というインド料理屋さんに他の仲間といますから、もしよければ食事をご一緒しませんか? 彼も体調が良くなっていれば誘ってあげればいかがですか?』
 こんなセクシーな女性とこれで別れるのがちょっと惜しかったので、僕は一応誘っておいてから彼女と別れ、一旦宿に戻った。
 相変わらず体調が悪く、ベッドに横になってガイドブックなどを眺めていたら眠くなってきた。
 1時間ほど時間があるので、目覚まし時計をセットすると、僅か3秒程であっという間に眠ってしまった。
 『ウーン』という自分のうめき声に目が覚めると、時刻は6時を過ぎていた。
 慌てて顔を洗って歯を磨き、再び汗で汚れたTシャツを着替えてから、620分頃に宿を出た。
 ネットカフェに少しだけ立ち寄ってから「ナジム」に行こうと思って歩いていると、昨日ワンヴィエンからバスで一緒だった日本人青年と偶然出会い、『どこに行くのですか?』と聞くので、『ネットカフェ寄ってから夕食の約束の場所に行くのです』と言うと、『一緒にお邪魔してもいいですか?』 『どうぞ、大勢のほうが楽しいですから』ということになり、HPの掲示板に書き込んでから「ナジム」に着いた。
 彼はO君といい、神奈川県横浜市から旅をしているとのことである。
 既にHさんとN君がビールを飲んでいて、僕たち2人が座り、しばらくしてから僕の代わりに洞窟ツアーに行ったI氏が現れ、ビアラオで乾杯後、各自が本場のインド料理をそれぞれ注文した。
 【小出さんは来てくれないのかなぁ】
 僕は小出さんが現れるかどうか自信がないので、彼女を誘っていることは黙っていた。
 
 ※このインド料理店についてと、小出さんが現れたかどうかは次号をご期待ください!

 

 9.出会いと別れ
 「ナジム」は、ヴィエンチャンにも店を出しており、ガイドブックにも紹介されている本格的なインド料理の店で、なかなかの評判らしい。
 野外テーブルを囲んで、僕達3人とI氏とO君の5人は、やはりカレーとナン、それとタンドリーチキンにインド風フライドライスなどを個々に注文し、ビアラオを飲みながら晩餐を始めた。
 それぞれ初対面同士は自己紹介を行い、日本での個々のプライベートな事柄などを折りいれながら、とても楽しい会話が続いた。
 N君は30代前半、Hさんは20代、O君はちょうど30才と皆まだまだ若く、ちょっと年令の離れた感じのするI氏さえも36才とのことで、最年長の僕とは世代が異なるという表現が妥当であるが、僕は年齢差を全く感じずに違和感なく会話に加わった。
 O君以外はサラリーマンなので、年に2,3回の短期旅行を楽しみに仕事に励んでいるが、なかなか仕事との折り合いが難しく、いつまでこのような旅を続けられるか先行き分からないと言っていた。
 『ペロ吉さんのような年令で、このような旅をされるのは珍しいですね』
 I氏は言った。
 彼は体全体から品の良さが感じられ、話し方も穏やかで丁寧である。
 僕は彼の言葉の意味が分からなくて、『えっ?』と言ったきり言葉を探していたが、『ペロ吉さん位の年なら企業では中堅管理職で、ゴールデンウイークといっても、なかなか休めないのじゃありませんか? それにご家族のこともあるでしょうし・・・』と彼は少し微笑みながら遠慮がちに言った。
 『いや、僕は独身なんですよ。 それにそれ程立派な会社に勤めているわけでもなく、責任ある立場の仕事もしていないのです』
 僕はこの先またまた嫌な話の展開になることを心配した。 旅先で職業を聞かれて、探偵ですと正直に答えると、そこから先は相手が黙り込むか、逆に興味深くてあれこれ聞いてくるかのどちらかなのだ。
 それなら正直に職業を言わなければいいのだが、僕は真面目と正直を絵に描いて額に入れて壁に掲げたような男で、カラオケでも必ずビリージョエルの“Honesty”を歌う位なので、ついつい本当のことを話してしまうのだ。
 しかしちょうどその時に、『こんばんは、少し遅くなりました』と明らかに日本語で、少しトーンの高い女性の声が聞こえた。
 ふとその声の方向に顔を向けると、何と先ほどネットカフェで知り合って少し話をした小出さんが立っていた。
 僕は嬉しさのあまり立ち上がり、隣のテーブルから椅子をひとつ移動させて、『よくきてくれました。 さあどうぞ!』と彼女を導いたのだった。 勿論僕の隣の席に椅子を持って行ったのは言うまでもない。
 ちょっとセクシーな美女の登場に、他の4人はポカンと口をあけて成り行きを黙って見ていたが、『紹介しますね。 さっきそこのネットカフェで知り合った小出さんです。 フェイサーイからボートで下ってきたらしいです』と僕が言うと、『こんばんは〜よろしく』と皆順番に自己紹介をした。
 N君が、『ペロ吉さんはどこに行っても抜け目がないですねぇ』などと、若干呆れたという感じでニコニコしながら言った。
 『いや彼女は男友達とご一緒なんだけど、彼がGHで高熱を出して寝込んでいるらしいんだよ。 もし彼の具合も少し良くなっていればご一緒にどうぞと言ってたんだけどね』
 僕は女性とみれば辺り構わず見境がないと思われたくないから、くどくどと弁解するように言ったが、旅先で日本人女性が1人でいたら、むしろ声をかけるのが礼儀じゃないのかと思うのだ。
 『薬を飲んで熱は大分下がったので、一応声をかけたのですが遠慮させていただくとのことなんです』
 小出さんはグラスに注がれたビールを一気に飲みながら言った。
 僕達は世界遺産の町・ルアンパバーンで、ヴィエンチャンのように11人とまでは行かなかったが、今日知り合った3人とも異国での同郷意識に似たような感覚で、すぐに打ち解けてしまい、ビアラオのグラスを重ねて行った。
 ところで「ナジム」の料理であるが、カレーはバターがたっぷり入っていてかなり脂っこいが、味はすこぶる美味しくて、体調が良ければ一気に食べてしまうだろうと思われた。
 途中蛍光灯の周りに大きな蛾のようなものが集まってきて、客も店の人達も驚いて、ちょっと一騒動あったが、利害関係のない共通の趣味を持つものが集まると、楽しい会話になるのは当たり前で、晩餐は午後9時過ぎまで続いた。
 さてオヒラキになり、Iさんと小出さんには、『じゃあこれからも良い旅を』といって別れ、明日午前便でヴィエンチャン経由でバンコクに向かうN君ともここでお別れだ。
 このように古くは松尾芭蕉が、『人生は旅なり』と言っているように、『人生は出会いと別れ』であるから、旅も出会いと別れだなと思いながら宿に帰ってすぐに寝た。(あれ? このフレーズどこかで使ったことがあるぞ)
 体調はますます悪くなってきた。

 

 10.旅の基本
 旅は出会いと別れだなぁと思いながら、いよいよ体調は最悪となり、昨夜は午後10時頃にはぐったりとして寝てしまい、その後夜中3時頃、明け方と何度も目が覚め、その度に汗でビショビショになったシャツを着替えて再び寝るということを繰り返し、結局 翌54日は昼頃まで約14時間も寝続けてしまった。
 ベッドに腰をかけて、自分が今どこで何をしているかを認識するまで数十秒を要し、そうだ今日N君は午前便でヴィエンチャン経由でバンコクに向かって発っている筈だし、Hさんは今頃GHのニコン青年のバイクで滝ツアーに行っている筈だと思い出した。
 夕方4時にはHさんと一応スカンジナビア・ベーカリーで待ち合わせをしているが、それまで今日の予定は何もない。
 ひどい下痢は相変わらずだが熱は下がったようなので、宿でじっとしていても面白くないからともかく出かけることにした。
 実は、昨日の旅日記を書いておこうと思ってメモ帳を探したのだが、どこにも見当たらなかったのだ。
 これまでの旅の経過を詳細に書き留めていただけに、失くしたショックは大きく、しばらく茫然自失していたのだが、思い起こしてみるとインターネットカフェに置き忘れた可能性が高い。
 汗で汚れたTシャツなどを、水シャワーを浴びながら洗濯し、曇天ではあるがそれらを中庭に干してから、フラフラしながらもネットカフェに歩いて行った。
 通りに出てタラートの前を歩く頃からポツポツと小雨が降り出した。
 体調が悪い中ネットカフェに着き、声を振り絞って『サバイディー! メイビー アイ フォガット ミニノートブック ラーストナイツ ユーノウ?』と尋ねてみると、店番の中年オヤジさんが、『ああ、ちゃんと置いとりまっせ。 あんたでしたか忘れて帰ったのは』と言って、僕の貴重なメモ帳を手渡してくれた。
 少々ズッコケそうになりながらも僕は嬉しさのあまり、日本人として僕の田舎の紀州踊りか阿波踊りでも披露しようかと思ったが、このところ水ばかり飲んでロクに食事を摂っていないため、体力的に断念した。
 丁寧にお礼を述べてHPの掲示板にカキコしてから、近くのオープンカフェに立ち寄り、バナナシェイク・ウイズミルクを注文してくつろいだ。(3,000kip42円程)
 のんびりとしたルアンパバーンの街並みを眺めた。
 小雨の中忙しそうに走るバイクやトゥクトゥク。
 シンを纏った女子学生が微笑みながら僕の前を通り過ぎる。
 同じ様に1人カフェでくつろいでいる欧米人の男性。
 【昨日の小出さんが来ないかなぁ】
 こんなにのんびりするのは日本ではないことだった。
 このような情景は昨年ベトナムを旅した時も確かあったぞ・・・そうだ、雨の中、マイノリティー部落を訪問した後に高熱を出して、丸一日宿のベッドで汗まみれになってのた打ち回り、翌日少し良くなったのでサ・パの街を彼女達を探してフラフラ歩いて、そして探偵の僕もさすがに見つけられなくて、カフェでヨーグルトを2個も食べながら道行く人々や風景を優しい気持ちで眺めていたのだったね。
 旅先で立ち寄った町や村の風景を、のんびりカフェなどで眺めるのは、とてもリラックスできて僕は好きだ。
 日本では都市部に暮らしているせいもあるが、日常生活に追われて精神的ゆとりというものを持てないがために、のんびりと街並みを眺めるなんていうシチュエイションは先ず無理だ。
 短期の旅でもこれだけリラックスできるということは、2ヶ月や3ヶ月の旅に出ることができたら、自分自身をじっくり見つめることができるのではないかと思う。
 じっくり見つめたところで、僕くらいの年令になってしまうと何も変わらないのだけど。
 そんなことを思いながらカフェを出て、途中ドーナツ屋台に立ち寄り、チョコにキャラメルを振りかけた甘そうなドーナツを3個買って宿に戻った。(3個で2000kip 28円程)
 宿に戻ると、中庭に干していた洗濯物が取り入れられていた。
 小雨が降りづついているので、GHの娘さんたちが気を利かせて中に入れてくれたようだ。
 宿のご家族の部屋を覗いて、『洗濯物入れてくれたの?』と聞くと、言葉は通じないが、娘さん2人が部屋の中に干していたシャツなどを持って来てくれた。
 僕はお礼に買ったばかりのチョコドーナツが3個入った袋を手渡し、『サンキュー、ディスイズ マイ マインド』と言うと、2人の娘さんはとても恥ずかしそうな顔をしていた。
 どこの国でも純粋な少女はなんともいえず可愛いものだね。【それとも彼女達はダイエット中で、甘いものは迷惑だったかも知れない】
 洗濯物を部屋に干しなおしてから、中庭の椅子に座って休んでいると、隣の部屋から出てきた20代の欧米人が話しかけてきた。
 『日本人ですか?』
 『そうでっせ。 お宅は?』
 『私はイスラエルから来たあるよ』
 『どれくらいの期間旅してまんねん?』
 『1年半程の予定でんねん』
 『そりゃ、長くて羨ましいね』
 『イスラエルは兵役義務があるので、除隊したら皆 国から逃げまんねん』
 『そうでっか。 パレスチナと仲良くできまへんか?』
 『それは無理ですタイ』
 などという当たり障りのない会話であったが、気分転換になり、ちょっと体調も良くなったような気がしてきた。
 今日は起きてからこれまで、本当にのんびりしている。 
 N君やHさんがいないとちょっと寂しい気もしたが、旅は1人が基本なので、基本に戻ったということだ。

 

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