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タイ・ラオス・ベトナム駆け足雨季の旅



 第十九話


 ラオスのデーンサワンからベトナムのラオパオへ抜ける国境。

 小雨降り続く鬱陶しい天候の中、パスポートもバックパックも持たないまま、いったい何が起こっているのか分からず不安な気持ちでバスとラオス野郎を待つ。

 パスポートはあの小柄で狡猾そうなラオス野郎が持ったままであることは確かだ。バックパックはおそらくあのオンボロバスに載せられたままであるはずだ。そしてその両方ともこのベトナムのイミグレーションを前にして現れないのだ。

 山岳の国境、降り続く雨、次々にベトナムに入国して走り去る大型トラックやバス。僕の乗ってきたバスで一緒だったラオス人やベトナム人もボンヤリと待っているので、僕だけではないから心配することはないのだろう。

 しかし、普段はルーズでいい加減な僕ではあるが、旅行中は極めて慎重になるので、バックパックとパスポートの行方が気になるのだった。特にパスポートは体から離れてしまうとどうも落ち着かない。

 こんな状況においても、フランス人カップルは建物の中にある小さなカフェでウイスキーを飲んでいた。さすがに長期旅行者は違うものだとつくづく小心な自分が嫌になる。

 「バックパックとパスポートを預けたままだが大丈夫かな?」

 僕は彼に言った。

 「ノープレグレムだ」と彼。

 そして「ミステリアスカントリーだ」とも付け加えた。全くその通りである。

 そうなのだ。一連の流れは現地の人々は知っているのだろうが、旅行者は何の説明もないと分からないではないか。

 預けたパスポートを明日のどのタイミングでどの辺りで手渡すからとか、バックパックはバスに載せているから安心しろ、ボーダーを越えたら乗車して出発だ、などキチンと説明をしろよラオス人。僕は最悪の事態になった場合まで想定して策を考えたほどだった。

 つまり、現金は十分所持しているので、万一があればこのままラオス国境を突き破ってビエンチャンまで戻り、日本大使館で事情を話してパスポートを発行してもらおう、そしてバックパックには衣類や日用品程度しか入っていないから、現地調達すればよい・・・などと考えたのだった。

 結局、そういう心配は杞憂に終わるのだが、そういう心理状態になったのも、前夜から降り続く雨のせいかもしれなかった。

 さて、待つこと約一時間あまり、ようやく見覚えのあるオンボロバスがバスポートコントロール手前にどこからともなく現れた。(いつの間に?)

 それと同時に元気良く現れたラオス野郎。

 「ヘイ、パスポートだ。スタンプは押しているぞ。次にそこで入国手続きをしろ!」なんてことをぬかしているようだ。

 手渡されたヨレヨレになった僕のパスポートにホッとすると同時に、この野郎と思う僕だった。パスポートには出国のスタンプだけが押されていて、この時期既にラオスもベトナムもノービザだった。

 あとはカンボジアがそうなれば嬉しいのだが、観光収入が唯一国の頼りである同国では期待は薄い。

 無事に入国した我々は再びバスに乗り込み一路フエへ向かったのだった。相変わらず座席下にはダンボールが敷き詰められていたが、前夜は殆ど寝ていないし、神経を遣ったあとだったこともあり、着席したらすぐに爆睡してしまった。もちろん体育座りで。


 第二十話


 一路ベトナムの古都・フエに向かって走るオンボロノンエアコンバス。

 ラオスの天候とは打って変わっての好天。窓から入ってくる風は熱風に近く、気温はかなり高いと感じられた。

 ベトナムに入るとラオスとは違った町並みである。高地から低地のフエに向かって下っていく道路は綺麗に舗装され、家々もそれほど粗末な家屋は見られない。タイとラオスの差ほどではないが、ベトナムとの経済事情の違いが物語っているような気がする。

 国境のラオパオからフエ市街までは約150キロ程度、しかも下りなので三時間もかからない。

 途中、トイレ休憩が一度あったが、なんと道路端の林で各々が済ませるのだ。つわものの女性などは、バスの窓から少し見える位置で平気にパンツを下ろしていた。日本では決して見られない平和でのどかな光景である。

 さてフエだが、僕の予備知識では「ベトナム中部の古都、グエン王朝が支配していた緑が豊富な街」としかなかった。

 ベトナム戦争時代はTVニュースで北爆が行われたことに加えて、南ベトナムの「グエン・カ・オキ」という首相の名前がたびたび聞かれたものだが、関係があるのかないのか、フエはグエン朝時代、穏やかな独裁政治(?)を行っていたようだ。

 フランスの植民地政策に相当反発して、鎖国政策を頑なに通していたが、ついに屈したとある。フランスは世界各地に植民地を作った歴史を持つ、傲慢この上ない国だったようだ。

 バスは市街地に入った。思ったよりも大都市である。道路の幅も広く、車はもとより大量のバイク軍団が路上を制している。ベトナムは2000年にハノイや北部ベトナムを訪れているが、その時に見たハノイの喧騒ほどではないにしろ、バイクに跨った老若男女が溢れている。

 バスは大きな公園沿いのバス停のようなところに横付けして止まった。フエが目的の乗客はここで降ろされるようだ。僕もフランス人カップルも降りた。

 早速、バイタクと小さなシクロが近寄ってきた。フランス人カップルはバイクのうしろに跨って「バーイ」と手を振って行ってしまった。

 シクロの男性はかなり高齢で、見た感じ六十歳前後。でも意外に若いかもしれない。他に手段も見当たらないので乗った。

 旅行前に旅仲間からフエでの宿の情報をもらっていたので、Binh Duong Hotel(ビン・ジュオン ホテル)と書かれたメモを彼に見せた。「よし分かった」という風にうなずくシクロ男。

 「料金はいくらだ」と聞くと2ドルだという。「アホぬかせ」と思うが、ホテルまでの距離が全く分からないことと、シクロ男性が頼りないほどの細い体で、それでもシクロをこいでくれることに少し心が揺らぎ、「OK!」と言ってしまったのだった。

 けたたましいバイクの音や車の洪水の道路を、僕を前に乗せた小さなシクロは走り出した。シクロがぶつかる時は最も前に位置する僕が最も被害を被るのだな、と理不尽に思いながらも、緑豊富なフエの街にやってきた満足感に僕は浸り始めていた。


 第二十一話


 細身の頼りなさそうな男がキコキコと漕ぐ僕を乗せたシクロは、フエ市内を雄大に流れるフォーン川にかかるチャンティエン橋を渡りグングン進む。

 僕の横を車やバイクが追い抜いて行く。もしぶつかれば即死だなと、ふと思ったりする。しかし、ハノイに比べるとシクロはあまり走っていないようだ。

 シクロ男は迷うこともなく、橋を渡ってさらに広い通りをまっすぐに四百メートルほど走ると止まった。

 「この先の路地を入ったところにある」と彼はキッパリと言った。走行距離としては1.5キロメートル程度か、男の約束だから2ドルを渡した。

 「サンキュー」と言ってシクロ男は走り去った。おそらく2ドルはべらぼうに高いに違いない。僕のような旅行者がいるから「日本人はチョロいもんさ」と思われ、他の旅行者に迷惑を掛けているのだろう。

 言われたとおりに路地を入ると右手にBinh Duong3 Hotel(ビン・ジュオン3ホテル)があった。入ってすぐに小さなフロントがあり、部屋は空いているかを聞くと、ここは満室だがBinh Duong Hotelのほうは空いているとのことだ。

 日本語が話せる若いお兄さんが、通りの奥に位置するホテルまで案内してくれた。

 ホテルといってもゲストハウスだろうとお思いのアナタ。確かに一般に言う「ホテル」ほどの設備や贅沢さはないが、ゲストハウスとも異なります。

 ベトナムにはこの種の「ミニホテル」と呼ばれる宿がたくさん存在する。Binh Duong 3Hotelはミニホテルではなく、レッキとしたそれなりのホテルとのことだが、僕が泊まるのはBinh Duong Hotelで、こちらはドミトリーから30ドルもする部屋まで様々あるらしい。

 残念ながら6ドル程度の手ごろなシングルは空きがなく、目下の空室は12ドルのツインだけと言う。あとで分かったことだが、確かにほぼ満室で、僕よりあとに到着した欧米人は「Full」と断られていた。

 ベトナムは天候も良く、ラオスと違って旅行者が多いようだ。バスを降りてホテルまで来る間に欧米人をたくさん見たし、このホテルのロビー(といってもごく小さなものですが)には日本人の若者が数人いた。

 若い男性従業員が3階の部屋まで案内してくれた。周りに高層建物はなく、とても見晴らしが良い。

 部屋は勿論エアコン、TV、バスルームがあり(バスタブもありました)、さらにパソコンも設置されていてインターネットが無料で使えるのだ。

 これで12ドルなら安いのではあるまいか。ツインだから、カップルで旅行される人はこのBinh Duong Hotelの3階のツイン部屋をお勧めします。

 さて、バックパックを置いてサッとシャワーを浴びて汗を流したあとは、すぐに街へ出かけた。目的は「フォー24」というところ。

 今回の旅行前に、友人から「ベトナムへ行くならフォー24に行ってみて」と言われていたのだ。勿論、ベトナム名物というか、ご存知フォー屋である。

 ただ、この「24」という数字がいったい何なのかが不明だった。それを判明させるべく、僕はフエの新市街、フォーン川沿いにあるという店へ向かった。


 第二十二話


 「フォー24」はレロイ通りに面してあり、向かいはフォーン川ぞいの公園になっている。夜には水上人形劇場なども上演されるらしい。

 入り口はガラス張りの綺麗なレストラン風。ドアを押して中に入ると、外の暑さとは一変してエアコンが効きすぎるくらい効いていて、寒いくらいであった。

 店内は比較的広く、また清潔で、やはりレストランといっても良いくらい。先客は日本人風の中年カップルが一組だけ、時間的にランチタイムが終わっているからだろうか。

 カップルの席のひとつ奥の席に着くと、すぐに店員がメニューと冷たいオシボリを持ってきた。なかなかサービスが良い。

 メニューを見ると、フォーがほぼ一律24000ドンである。一万ドンがこの時期65円程度だったと記憶するので、160円程度か。つまりフォー24の24とは24000ドン均一料金ってことなのだ。(何じゃそれ)

 ベトナム人は24000ドンもするフォーなんて食べないと思うのだが、味の方はまあまあで、もやしなんかもシャキっとした噛みごたえで新鮮だった。

 フォーは翌日、Binh Duong Hotelの路地横に朝出ているオバチャンの屋台で食べたが、味は屋台の方が少し美味しかったように思えた。結局、屋台との違いは食べる環境だけということになるので、したたかなベトナム人が相手では、あまり繁盛しないのではないか。

 キンキンに冷えたフェスティバルビールを飲んで、フォーをハフハフ言いながら食っていると、隣の席のカップルの女性の方が僕に声を掛けてきた。

 「あのう、日本の方ですよね」

 「はい、そうです」

 「話しかけて大丈夫だったかしら?」

 「えっ?」

 「話しかけないでオーラが出てましたから、どうしようかなぁって」

 ご婦人は上品な口調で笑いながら言った。五十歳は過ぎていると思われるが、身なりはオシャレで感じが良い。

 「えっ?そんなオーラが出ていましたか? すみません、ドンドン話しかけてください」

 バンダナに髭面のいかにも冴えない中年オヤジなので、話しかけ辛い風貌なのかも知れない。

 「お一人で旅行すか?」とご主人が聞いてきた。穏やかな物腰である。六十歳を超えているかもしれない。

 「はい、寂しい一人旅です」と僕は笑いながら言った。

 「お一人で旅行ですか?すごいですわ。私は東南アジアは初めてで、主人があちこち行っているのですが、今回は連れて来ていただいたの。ベトナムはちょっと怖いですわ。ホテルも虫が出ますしね、もっと良いホテルに泊まりたかったのですけど・・・」

 聞けば40ドル程度のホテルらしいのだが、十分ではないのか。虫やヤモリ君などを嫌がっていては東南アジアの旅行はできない。このご婦人にとってはやむを得ない話だが。

 ご夫婦は一ヶ月程度の旅程で、インドシナ三国とタイを旅するらしい。定年退職を迎えて、妻を連れてのアジアの旅ということのようだ。羨ましく素敵なカップルだった。

 さて宿に戻り、せっかくなので明日はフエ観光に一日出ることにした。
 このBinh Duong Hotelでは様々なツアーの申し込みが可能だ。

 僕はワンデイツアーを申し込んだ。グエン王朝時代の各所にある王宮や寺院をはじめ、フォーン川をボートでクルーズするらしく、それに昼食までついて6ドルだった。これはお得なのではないか?

 部屋に戻って少しうたた寝をして目が覚めたら、外はもう夕暮れになっていた。ベランダからはフエの町並みが眺められる。今回の旅行は、フエに来てから天候も良く、ようやく旅らしくなってきた。


 二十三話


 2007年7月1日の日曜日、僕はBinh Duong Hotelで前日申し込んだ「ワンデイシティツアー」というものに参加した。費用は僅か6ドル。

 フロントでしばらく待ったあと、すぐに係員に案内された。ホテルから出た通りに大型バスが停車していた。

 「このバスです」と案内されて乗り込むとエアコンのよく効いた快適なバス。今日もカンカン照りの好天、ラオスで雨を眺めていた数日前までとは大違い。同じインドシナの雨季でも、気候が随分異なるようだ。

 参加者は欧米人が8人程度と香港人(後に聞いたのだが)が1人、ベトナムの南部からの団体が6人程度、それと僕である。僅か15名程度の参加者が、その倍以上の定員の大型バスに乗るのだから、二人座席を一人で利用できるのでありがたい。

 さて、午前8時半に出発をした。ガイドは二十台半ば位の俳優の「志垣太郎」(知らないかな)に似た好青年、ベトナムハットを被った精悍そうな顔つきだ。

 流暢な英語で挨拶を始めた。この先の各所でのガイドは、欧米人には彼が行い、ベトナムの団体には中年の女性ガイドが説明をしていた。

 勿論ベトナム語は分からないから、やむなく英語ガイドの彼について回ったというわけだが、ブロークンな英語なので、説明はある程度分かる。

 先ずはフォーン川を渡って少し行った所にあるガーデンパレスというか、つまり王宮を訪れた。王宮近くの広い駐車場にバスは止まり、そこからぞろぞろと、みんな志垣青年に続いて王朝まで歩く。

 正式名称を阮(グエン)朝王宮という広大な王宮は、お堀の橋を渡って「王宮門」から入る。そしてすぐにその門の上に上がり、そこから王宮内部を見るのだ。

 正面には両側にお堀を従えた「太和殿」があり、志垣青年がその歴史と「ベトナム戦争で完全に破壊されて、現在のものは終戦後再建されたのです」と欧米人にガイドしていた。

 ベトナムはフランスの長年の支配のあと、アメリカにいいようにされてしまった歴史があり、この国を訪れるフランス人やアメリカ人は肩身の狭い思いを感じるのかどうか、などと気にしながら彼のガイドを聞いた。

 日本人も中国や朝鮮半島を支配した歴史があるので、それらの国では日本人に対する悪感情を持っていて当然だと思うのだが、終戦後の長い年月がそれを風化させているのか、日本人はとりわけ若い女性やオバチャン達は何も気にせず旅行を楽しんでいる。

 王宮門を降りて太和殿へと足を運ぶ。右から「太和殿」と大きく書かれている。何のヘンテツもないキンキラキンの大きな建物という印象だが、同行の旅行者たちは熱心に志垣青年の説明を聞いている。

 しかし猛烈に暑い。Tシャツ一枚に頭にはちょっと厚めの生地のバンダナを巻いているが、建物の外にでるとジリジリと肌が焼ける。

 このあと広々とした王宮内にある建物をいくつか回ってバスに戻り、次に郊外へ出て阮朝のエンペラー達が居住したいわゆる「廟」をいくつか回った。

 「廟」はいずれもフエ市内を見下ろせる高台に所在している。最初は「トゥドゥック帝廟」を訪れた。広々とした庭園と大きな池があり、まるで公園である。


 フエの風景の一部⇒ http://perorin.sakura.ne.jp/fue1.html

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