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タイ・ラオス・ベトナム駆け足雨季の旅


十一話


 目覚ましを五時に合わせていたが、鳴る前に目が覚めた。シャワーを浴びて、パッキングを済ませたらドアをたたく音がした。S野さんが迎えの到着を知らせてくれたのだ。

 階下に降りるとトゥクトゥックが待っていた。迎えが六時に来ると言っていたが、どうせ三十分程度の待ちぼうけを覚悟していただけに、ラオスにしては珍しく正確だと感心。

 S野さんに別れを述べて、まだ薄暗い小雨降るビエンチャンの町を北へ走る。トゥクトゥックが北バスターミナルまで送ってくれる代金は、一昨日支払ったサワナケートまでの520Bの中に含まれていた。

 GHから北バスターミナルまではかなり遠く、ランサーン通りをドンドン進み、バトゥーサイ(凱旋門)を抜けてさらに走って、20分ほど経ってようやく着いた。

 タラートサオ近くのバスターミナルより少し狭いが、朝早いのにかなりの人がバス待ちをしていた。予約チケットを窓口に出すと、係員が指を刺してそこに到着するバスだと言う。バックパックを降ろして椅子に座って待っていたら、十数分してからVIPバスが到着した。

 ところが、バックパックを担いでそのバスに乗ろうとすると、チケットを見た男性が「このバスではない」と言うのだ。「ネクストバス」と言葉が聞こえたので、このバスが出た後に来るバスのようだ。

 やむなく再び待つこと約30分、VIPバスが発車した後到着したバスは、ノンエアコンのボロボロの赤いバスだった。チケットを予約した際にはVIPバスということで520B支払ったはずだ。

 さっきの男に再度チケットを見せて、「これはVIPバスのチケットではないのか?」と聞いてみたが、全く要領を得ず「このバスに乗れ」と言うばかりであった。

 いつまでも待っていても仕方がないのでオンボロバスに乗ることにしたのだが、一体どうなっているのだ?

 おそらくチケットはVIPバス用ではなく、普通バスのものだったと思うのだが、そうなると520Bは適正料金なのかという点と、S野さんが頼んでくれたのにおかしいという点が疑問だ。

 よく考えてみると、S野さんに頼んだが、購入に行ってくれたのはラオス人のスタッフだったから、ちょっとした手違いがあったのかも知れない。(意識的かどうかは別にして)

 さてバックパックをバスの屋根に載せて、ノンエアコンオンボロガタピシバスに乗り込んだのだが、通路や座席の下にはダンボールや米袋が敷き詰めていて、僕の座席の下には布製の米袋があり、そこに足を乗せる格好となった。

 お米に足を乗せるのはちょっとためらいがあったが仕方がない、躊躇する間もなくバスは発車した。雨はまだシトシトと降り続いている。

 バスは国道13号線をガンガン下っていく・・・というほどのスピードはなく、途中所々で乗客を乗せたり荷物を積み込んだりしてボチボチと走って行く。今となっては朝出発したのが八時を過ぎていたと思うのだが、サワナケートに到着したのは夕方五時近くになっていたように記憶する。

 途中、ターケークという立派なバスターミナルにも止まったが、困ったことにKip紙幣の手持ちがなくなり、ドル紙幣も最小が10ドル紙幣しかなく、細かい気遣いを常日頃してしまう性格の僕としては、物価の安いラオスではつり銭を気にしてしまい、食べ物や飲み物を買いたくとも躊躇してしまったのだった。

 旅行者が一人でもいれば両替か一時借用するのだが、ビエンチャンからサワナケートまで一人の旅行者も見かけなかった。

 結局、サワナケート到着まで、あらかじめ持っていたミネラルウオーター以外は全く口にしないままだった。自分にあきれながらサワナケートのバスターミナルに着いた時は、疲労困憊状態になっていた。


 第十二話


 サワナケートのバスターミナルに到着すると、トゥクトゥク野郎が数人近づいてきた。タイのノンカイ駅前やビエンチャンのイミグレーションを通過した所などに比べると拍子抜けする人数だった。これも雨季だからか?

 サワナケートの情報を全く知らないので、ともかく安い宿を案内してくれと一人のトゥクトゥク野郎伝えた。するとバスターミナルから約十分程度のところにある殺風景なGHに連れて行かれた。三階建てのかなり立派なホテル風の宿だ。

 受付にはオーナーの奥さんがいた。部屋を見せて欲しいと言うと、二階の階段を上がってすぐの部屋を案内された。エアコン、ホットシャワー、ツインで残念ながらテレビはないが、これで35000Kip(400円少々かな)、安いのですぐに決めた。

 一階には広々とした会議場のような部屋もあり、部屋の数からして団体客にも十分対応できそうな、ゲストハウスと言うよりもホテル風だ。

 サワナケートはラオスの第三の都市でもあり、2006年12月に完成した第二メコン国際橋が、タイ側のムクダハーンと繋がったことにより、ベトナムへの流通の中継所として今後の発展が期待されているらしい。

 でも、いくら雨季だから旅行者が少ないといっても、この大きな宿はガラガラだった。バスターミナルには旅行者らしき日本人や欧米人も皆無だったし、果たしてこの町は大丈夫なのかと思ってしまうのだった。

 さて、バックパックを置いてすぐに外に出た。何の用かというと他でもない食事のためである。ともかく朝から何も食べていないから食堂を探しに出たのだ。

 ところが、ところがである。ラオス第三の都市だというサワナケートの大通り沿いを歩いても、レストランも屋台も見当たらないのだ。バスターミナルの中には屋台や食堂があったのを確認していたので、街中にもあちこちにあるものと考えていたのだが、いったいこれはどうなっているのだ。

 感じの良いピザ屋も店が開いておらず、昼間は営業している様子のレストランは、まだ夕方六時頃だというのに店を閉め始めている有様であった。これは早く何か食べないと食いそびれる。

 ようやくバスターミナル方向に少し歩いた大通り沿いの一軒の小さな食堂に入り、頼んだものは普通のヌードルスープ。(涙)

 店にはたいしたメニューも見当たらず、オバチャンが一人で営業していて、今日の営業を終えようとしているところだったので、最も簡単だろうと思うメニューを注文したのだ。

 特別美味しくもないヌードルスープを一気に食べてすぐに店を出て、次に宿からここに来るまでの間に確認していたネットカフェを覗いた。

 このネットカフェが以外にも洒落ていて、隣接する美容院と同じ経営者のようで、綺麗なオネエサンがPCのスタートを設定してくれたあとは美容院に戻る。そして終わったら「終わりましたよ」と報告に行くのだ。

 料金も30分で2000Kip(30円程度)だったと記憶する。つまり1分1円程度か?

 外は既に真っ暗、大通りの車の往来も少なく、拍子抜けするようなラオス第三の都市・サワナケート。することもないので宿に戻って本を読むことにした。明日は必ずここを出てベトナムへ行こうと思った。

 この時点では、ベトナムへは簡単に越えられると思っていたのだったのだが・・・。


 第十三話


 2007年6月29日、僕はラオス第三の都市・サワナケートの殺風景な宿のベッドで目が覚めた。昨日は九時間近くもバスに乗っていたためか、夢ひとつ見ることもなく、ぐっすりと寝た。

 メイン通り沿いの小さな食堂でフランスパンサンドイッチのハーフとオレンジジュースで朝食を済ませ、再び宿に戻り延長を手続きした。オーナーの奥さんは夕方までの延長料金を25000Kipとおっしゃる。泊りが35000Kipで延長が25000Kipとはどういう計算なんだ?

 しかしまあ、100円200円の世界なので何も言わずに支払った。(こういうアバウトさが非難されたりするのだが・・・)

 今夜の夜行バスでベトナムのフエへ向かう予定だが、少しだけでもサワナケートの街を歩きたい。日が照ったり曇ったり、天気は快晴とまではいかないが、雨の心配はなさそうなので外に出た。

 昨日はバスターミナルから宿までトゥクトゥクで十数分かかった距離だが、運動のために歩いてみることにした。大通りを一直線に約1キロメートル程度歩き、三叉路を斜め右へ折れ、さらに500メートル程度歩くとバスターミナルが見える。そんなに遠くはないが近くもない。

 バスターミナルはよく観察するとそれなりの広さがあった。敷地内には屋台風レストランが2軒と売店などがあり、反対側にはトイレの隣に簡易宿泊所もあった。ここで泊まってもよかったのだ。

 チケット売り場でフエまでの国際バスチケットを買っておきたい。窓口でいくらかと聞くと12ドルだと言う。でも今夜のバスの分は、19時から発売開始とのことだった。

 メコン川はどの方向にあるのかとチケット売り場の女性に聞いて、散策に向かった。バスターミナルを出て、先程の三叉路を宿の方向と違う方の道路を進み、角々のを覗くとメコン川らしき様子が窺えた。サワナケートの街は、この辺り一角が碁盤の目に近い道路の配置の様子で、位置関係が分かりやすい。

 住宅街をグングン進むとメコン川に突き当たった。この時期、川の水嵩はなみなみと豊かである。

 川向こうはムクダハーンというタイの町、日本では「舞妓ハーン」とかいう邦画が上映されていたことを思い浮かべた。

 川沿いの道を歩くとメコンゲストハウスという宿があった。メコン川が目の前の絶好の位置にある。今回の旅行ではガイドブックの類を一切持ってこなかったため、このゲストハウスの存在を知らなかった。

 ガイドブックがあれば、宿の所在地や料金などが事前に確認できるメリットがある。この後訪れるベトナムのフエに於いても、ガイドブックがあればもっと楽しめたのにと後悔したのだった。

 さて、メコンゲストハウスの隣にある食堂でヌードルスープを食べることにした。
 
 この食堂は入り口も出口もなかった。民家の空いたスペースに屋根をつけて営業を行っている感じ。従って、店には若奥さんとお母さんと、5歳くらいの子供だけだった。

 以外にもここのヌードルスープはとても美味しく、一気に食べてしまった。すると三人がちょうど昼食を食べ始めていて、そのテーブルに僕を招いてくれた。

 テーブルにはカオニャオとタケノコスープ(名称があるはずですが忘れました)、それに少しの肉と野菜を炒めたものが置かれていた。

 「さあ、食べて」と小皿と箸を僕の前に置いて奥さんが勧める。(実際はラオス語なので分からないが)

食堂の親子 カオニャオとタケノコスープ他


 カオニャオを手で適当な大きさにつかみ、それをタケノコスープに少しつけてから食べる。美味しい。

 肉野菜炒めもすごく美味しかったが、猛烈に辛かった。「辛い〜と顔をしかめると、氷の入った小さな容器に水を入れて持ってきてくれた。日本では歯科医院で見るようなステンレスのうがいカップみたいな大きさである。
 
 辛い口にこの水がすごく美味しかった。ご家族は全く英語を話さず、僕は全くラオス語を話せないから、お互い雰囲気で意思の疎通を図らざるを得ない。

 こういう意外性が旅行の面白さである。


 第十四話


 ビアラオを注文してご家族の昼食を肴にして飲む。肉野菜炒めが猛烈に美味しく、タケノコスープは激辛、逆にカオニャオは甘いのでスープにつけて食べるとちょうどよい。

 若奥さんの顔はよく見ると日本のタレントで「ともさかりえ」に似ている。僕が数分食べないでビールを飲んでいると、手でカオニャオの入った竹網カゴを示して、「さあ、もっと食べて!」という風に勧める。

 お互いに理解する言語がないと、身振りと目を中心とした表情で伝達と感知するしかない。それでも食堂のご家族が僕に何を伝えているかは大方理解できるものだ。

 子供はバンダナを巻いた変なオヤジをただ見続けているだけ。顔つきや背格好などは日本人もラオス人も変わらないと思うのだが、それでも彼からすると「外人」と見ているのか。目の前にはメコン川、対岸はタイのムクダハーン、天候も穏やか、言葉は分からなくとも楽しいひと時だった。

 たとえば日本で、休日などにすぐ近くの多摩川を眺めながらビールを飲み、このような幸福感を感じるか考えてみた。河川敷にはパターゴルフをするオヤジたちの姿、川べりには青いビニールシートを掛けた掘立小屋で暮らすホームレスたち・・・。

 ま、日本では川を眺めてビールを飲んでも何も感じないだろうと結論付ける。
 
 さて、大通りまで戻ると「Massage」と書かれた看板が目に入った。店内に入ると1階はフットマッサージのチェアが六台ほど置かれていて、若いマッサージ嬢が数人。(決して日本のファッションマッサージではありません、念のため)

 「フットマッサージ?ボディマッサージ?」と聞いてきた。

 マッサージ嬢が年配なら「フット」と応えるところだが、若くてかわいい女性だったので「バディ!」しかも「ツーナウワ〜」と叫ぶ。

 二階のボディマッサージスペースへ導かれた。

 昼過ぎのこの時間、お客さんは誰もいないようだった。だだっ広い部屋にマットレスが7、8敷かれ、カーテンレールによって分けられていた。部屋には静かな環境音楽が流れていた。

 僕はアジア旅行に出ると必ず何度かマッサージを受ける。日本では数千円で一時間以下だが、アジアでは二時間念入りに体をほぐしてもらっても千円足らず、カンボジアやラオスでは五百円以下である。

 この店でも二時間たっぷりマッサージをしてもらい、階下でお茶をご馳走になって僅か30000Kipだった。(400円足らず)

 満足して宿に戻り、荷物を整理したあと時間まで本を読んで過ごし、夕方六時半にチェックアウトした。バスターミナルまでトゥクトゥクで行こうと大通りに出たが、なかなか来ない。

 後ろを時々振り返りながら歩いていると、一向にトゥクトゥクが走ってこないうちに五百メートル程度も歩いてしまったので、「ええい、歩いて行くぞ!」と自分に気合を入れた。

 十キロもあるバックパックを背負って、汗だくになって歩く僕。道行くラオス人は怪訝そうな顔で見る。そして半分を過ぎたころに「トゥクトゥク!」と声を掛けてくるトゥク野郎。夕方のかき入れ時にどこを走っていたのだ?今更遅いわい、と断る。

 思うようにはいかない今回の旅程だが、これはまだ悪夢の国境越えの序章程度だったとは、この時気付くはずもなかった。(オーバーだが)




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