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タイ・ラオス・ベトナム駆け足雨季の旅

 第六話


 ノンカイ行きの夜行列車に乗るのは今回で何度目だろう。

 最初は、2001年のゴールデンウイーク期間中のラオス旅行の際だった。そして翌2002年のラオス旅行の時は、早朝に当時のドムアン空港に到着すると、空港前の駅に最初に来た列車に飛び乗ろうという無計画な旅行だったのだが、たまたまノンカイ行きの列車がやって来て、夕刻には着いてしまった。これは二等の普通の軟座席でのものだった。

 よくよく考えてみると、二度目の夜行寝台は2006年の大晦日である。つまりこの前連載が終わった無料メールマガジン「突撃!アンコールワット・年末年始はやっぱり日本で過ごすべきかも編」での旅行の際であった。

 従って、今回がまだ三度目のノンカイ行き夜行寝台列車となるわけだが、もう七〜八回は乗った気がするのはなぜだろう。

 ともかく、ほぼ定刻どおりに動き出した列車は、バンコク市内をのし歩くようにきわめてゆっくり走り出した。窓からは時々、暗闇の向こうに、線路沿いの民家の家の中まで見える。スラムと言っても過言でない塗炭屋根の家々で、TVを囲んだひとつの家族の動きまで窺えることがある。

 巨大都市バンコクの中央駅を出てすぐの線路沿いに、こんな粗末な住宅が続いている都市が世界に他にあるのかとさえ思ってしまう。そんな粗末な家々と線路との間には、低い柵ひとつないのだ。

 旅行中のバスや列車での移動の際、窓から時折民家や人の動きが見えると、猛烈な寂しさに襲われることがある。毎回僕は日本をごく短期間離れての小旅行なのだが、日本でも常に家族と離れた暮らしを営んでいることもあって、妻や子供たちと暮らしていた昔を、こんな時に懐かしく思い出されるのである。そしていったい僕は何をしているのかと。

 おそらく僕にとっての旅行というものは、楽しい旅行、エンジョイ・ナイストリップ、などという明るいものではなく、単なる現実逃避だからに違いない。

 確かに以前のメルマガに於いてでも、またこのメルマガの最初のほうでも、「バンコクにとりあえず着くと、本当にリラックスする。それは日本のことなど考えてもどうにもならないところへ来てしまったからだ」と格好つけて書いている。しかしこの気持ちは「仕事からの解放、それに付随する煩わしい人間関係」についてのみのリラックスなのである。

 飛行機に乗ってビュンと飛んでしまえば、仕事のことなど頭から消えてしまう。でもなぜか旅先では、普段あまり考えない家族や身内や久しくあっていない友人知人や郷里のこと、さらにはこれまでの人生についてなど、考えても仕方のないことまで頭に次々と浮かんで来るのだ。

 いったいどうなっているのだろう?

 さて、列車は線路沿いの人々の喧騒から解き放たれ、バンコク市内を抜けるとどんどん速度を増し、田園風景の中をグングン走る。早くも乗務員さんがベッドを作りに回ってきた。

 僕は残念ながらアッパーベッドだ。狭いスペースのベッドで横になり、心に映り行くよしなしごとをぼんやり考えているうちに・・・寝てしまったのだった。

 翌日、ノンカイ駅には朝8時半ごろに到着した。どんよりとした曇り空。駅を出るとたくさんのトゥクトゥクが乗客を待っていたが、肝心の旅行者は少なく肩透かしの様子だ。

 それでも欧米人3人と一緒に国境まで40Bで向かった。出国と入国を済ませるのに、バスでの移動などを含めて小一時間かかって、ようやくラオスに入国して市内へのバスやタクシー、トゥクトゥク乗り場へ。

 ところがトゥクトゥクは市内まで150Bと言うのだ。周りを見渡すとシェアするような旅行者もいない。待っても待ってもだれも来ないのだった。



 第七話


 ラオスに入国して市内へのタクシーやトゥクトゥク乗り場に佇む僕に、トゥクトゥク野郎が次々声をかけてくる。

 「オールドマーケット?ツーハンドレッドフィフティバーツ!」と。(前号で150Bと書きましたが、この時の旅のメモ帳を確認すると、何と250Bでした。お詫びと訂正です)

 それはあまりにエクスペンシブやないでっか!と言ったところで、どうやらこの料金がやはり相場のようだ。

 50バーツで行けと言った時に、人相の悪いトゥクトゥク野郎が「よし、乗れ!」と言ったが、おそらく目的地に着いて支払いの際にはきっちり250Bと言って、ひと悶着あるに違いないと思われたので、僕はあきらめて人の良さそうなトゥクトゥクを選んで乗り込んだ。

 結局、出発間際に乗り込んできたラオス人の女の子2人と、3人を乗せてトゥクトゥクは走り出した。女の子たちの料金は、後に分かるのだが、僕と同じタラートサオで降りて1万キップも支払っていなかったように窺えた。(この時期1万キップは120円程度、250バーツは1000円弱でした)

 市内へ向かう道は、もう四度目のラオス訪問だがほとんど変わっていないように思われた。少し舗装部分が増えたかなと感じる道路と、道路沿いに点在する民家の中に明らかに新築または改装した建物が目立つ程度か。

 途中、トゥクトゥクを一人の若い女性が手を挙げて止めた。まだ3人程度は余裕のある座席へ彼女が乗り込んできた。ところがこれが驚きの美女。

 彼女の容貌はまるでバンコクのBTS車内やバラゴンなどで見られる、携帯電話やコスメなどの大広告に起用されているモデルさんのようなのだ。

 スレンダーな体躯を薄いピンクのブラウスに白のスカートで包み、白のハイヒールをお履きになった彼女は、とても洗練された雰囲気が漂い、しかもブラウスの胸の辺りはハミ乳で、ほのかに甘い香水のにおいがトゥクトゥック内に漂い、男は僕だけだし、まるでキャバクラにいるようだった。(行ったことはな
 いが)

 ラオスにもこんな美女がいるのだ。僕は驚きと好奇でチラチラと彼女の方に何度も何度も目が行ってしまい、クラクラと目まいがしそうなくらい、うっとりとその姿に見とれてしまうのだった。ここで「一枚写真を撮らせてください」と言うのが慣れた旅人なのかも知れないが、残念ながら言えなかった。

 心舞い踊る僕とラオス女性三人を乗せたトゥクトゥクはタラートサオで止まり、全員が降りた。美女はトゥクトゥク野郎と何やら世間話を交わしてからタラートサオに入って行った。

 おそらく美女は、タラートサオの中に前回訪れた際に見た、3階建ての新しいショッピングセンターのどこかの店舗に勤めているのではないかと推測された。宿にバックパックをおろしてから、あとで見に行ってみよう。

 さて、重いバックパックを背負ってチャンターGHに向かった。この年の元旦に訪れた時は、シーズンでもあったので予約メールを入れていた。今回も6月26日の朝に着きますと一応メールを出していた。

 空はノンカイに着いた時と変わらずどんよりと曇っていた。旅行者の姿は見えない。


 第八話


 ナンプ広場からセーターティラート通りに出て、目的のチャンターGHに向かったが、この通りは目下のところ道路工事中だった。道路自体が深く掘られて、その状態がずっと通りの果てまで続いている感じ。人々は両サイドの僅かな歩道を少しよろけながら歩いていた。

 当然、車両通行は不可になっているのだが、人間も両サイドを歩くといっても、掘り起こした土や瓦礫が道を覆っており、さらに道路は少しぬかるんでいて、かなり歩きにくい状態だった。

 何とかGHにたどり着き、バックパックを降ろす。隣に併設しているレストランからS野さんが現れ、「あれ?昨日到着とメールに書かれていたので、どうされたのかなと思っていたのです」とおっしゃる。

 日付間違いでメールを送っていたようなのでお詫びしたが、「いえいえこの時期はフルになる日は少ないので大丈夫ですよ」とのことだった。

 部屋は10ドルのツインを一人で使う。TVとエアコンにホットシャワー付、道路側でないので窓からは裏のお宅の駐車場と物干し程度しか見えないが、まずまず快適である。

 GHのレストランでカオピャック(クイッティアオ)の朝食、そしてコーヒーを注文。コーヒーが美味しい。

 S野さんの話では、前の道路はかなり前から工事をしているらしいが、雨の日が多いこととラオス人特有(?)のいい加減さで、なかなか終わらないのだとか。

 おかげで来客も少し減り気味らしいのだが、「ま、雨季ですから仕方がないですよ」とあまり気にしていない様子。

 ネットでメールチェックをしてから、タラートサオへ歩いた。何の用事かというと他でもない、行きのトゥクトゥクに乗ってきた超ラオス美女を探すため。

 途中、郵便局に立ち寄って、知人と友人に「またラオスに来てしまった」ことを簡単に書いたエアメールを送った。

 知人の女性は、四十半ばにもなってしまった僕に海外個人旅行というものを教えてくれた恩師なのだが、ここ三年ほど音沙汰がない。「いったいどうしたというのだろう?」と思ったりしていたら、目の前にタラートサオ・モールが目に入った。

 ビエンチャンでこんな大きなショッピングモールが果たして流行るのか、それともまさかまさかの中国資本が経営しているのか、個人的には以前からある二階建てのショッピングセンターや煩雑とした市場が好きなのだ。

 一階から二階へとゆっくりと店舗を見て回るが、この当時はまだテナントが入っていない店もあった。記憶では四階建のあまり大きくないモールだがエスカレーターも設置され、中央部分は吹き抜けになっていて、広々としている。

 結局、あの超ラオス美女を探すことはできなかった。考えてみれば、ここに勤めているとは限らない。いったい僕は何をしているのだ?

 フランスパンサンドイッチのハーフ(7000Kip)を買い、この年の正月に伺ったカフェ・ビエンチャンの前を通ったが、店は閉まっている様子で看板もなくなっていた。黒田さんは日本に帰っているのかもしれない。

 GHに戻り、レストランの書棚にたくさんある本の中から適当に数冊借りて部屋でくつろいだ。外は小雨が降り出した。曇天がますます暗くなってきた。

 時間は極めてゆっくり流れる。


 第九話


 小雨は次第に本降りになってきたようで、GHの部屋で本を読んでいても雨音がはっきりと聞こえ始めた。部屋を出て二階にある踊り場から道路側を見ると、深く掘られた工事中の道路の土がますますぬかるんでいるようだった。

 退屈なのでGHを出て、雨に濡れながらメコン川を見に行った。水嵩は溢れんばかり、夕方の川沿いの土手にはシートをかぶせた屋台が寂しく映る。屋根のある桟敷レストランは営業しているが、まだ時刻は早く客はまばら。

 ジトジトと汗ばみ、Tシャツが気持ち悪い。薬草サウナへ行ってさっぱりしたいが、雨がその気持ちをしぼませる。GHへ戻ってシャワーを浴び、まだ客のいない1階のレストランでチャーハンとビアラオ大瓶を注文した。ビアラオはやはり美味しい。(25000Kip)

 「ずっとこのような天候ですか?」

 「ここ数日はずっとこうです。おかげで道路工事が一向に進みません。困ったものです」

 降り続く雨と、無様に掘り起こされた道路を眺めながら、S野さんは言った。

 そろそろ夕食の時間だが、人通りも少なく、いつもの慌しさは全く窺えない。四度目のビエンチャンで、このような情景は初めて見る。

 「雨と憂鬱な気分」

 ふと、最初にラオスを訪れて、ルアンパバーンで体調を大きく崩した時に同様な気分だったことを思い出した。あの時は、ビエンチャンで知り合ったN君やHさんと、バンビエンからルアンパバーンへ一緒に移動して、楽しさに調子に乗っていた矢先、大きく体調を崩したのだった。

 ラオラーオ造りと寺院観光に出かけたのだが、熱と下痢とでやむなく二人と行動を外れ、小雨降る町を、テルテル坊主のような滑稽な雨合羽をはおってトボトボとGHに帰る惨めな自分があった。今となっては懐かしい思い出である。

 ここ数日雨ということは、この先も雨が続く可能性が高い。とっととビエンチャンを出ようと考えた。

 まだ訪れたことのない南部へ行こうと思い、サワナケートへのバスについてS野さんに聞いてみると、「Vipバスが北バスターミナルから出ています」とのことだった。

 二軒隣のGHでチケットを販売しているらしく、S野さんに頼んで明後日の早朝バスチケットを購入した。(520B)

 こうなったら夜は何もすることがない。以前何度か訪れたナンプ広場近くのマッサージ店へ行った。特に旅の疲れはないが、日本でのつまらない仕事の疲れを癒すためである。

 もちろん指名などあるはずもないが、僕の担当になった女性は「女の子」という表現が当てはまるほど、若くて明るい人柄の感じ。それにラオス人にはあまり見かけないエキゾチックな顔立ち。

 今回の旅行は女性が綺麗だ。


 第十話


 2007年6月27日、九時前に目が覚めて、雨降る街角を濡れながらフランスパンサンドイッチを買いに行った。前夜から土砂降りの雨で、チャンターGHの前の道路工事現場は水浸しになっていた。

 丸々一本サイズのフランスパンを食べながら、前日GHで借りた本を読んで過ごした。その中の一冊が「物乞う仏陀」(文藝春秋社、著者:石井光太)だった。

 分厚い一冊の単行本だったが、内容の激しさに愕然としながら一気に読み終えてしまった。著者の行動力と視点の鋭さに驚嘆する作品である。

 石井光太さんのオフィシャルサイト http://www.kotaism.com/index.htm

 アジアの裏に姿を明確に見せずに、だが確実に存在する「物乞い産業」ともいえる貧困層を、現場を踏んで自らも身の危険に遭いながらも取材した、突撃ルポ作品である。

 石井さんの著作に対しては、これが本当にノンフィクションなのかという意見をはじめ、イスラム世界を取材した作品などにも賛否両論あるようだが、こういう作品を書きたくても、生来のものぐさな僕には無理なので、素直に素晴らしいと評価した。

 昼食はGHのレストランでS野さんのご自慢のカツカレーを食べた。(28000Kip)再び部屋で本を飲みながら過ごす。(何しろ外はずっと雨が降り続いているから)

 本当に何もしない一日だ。ベッドに寝転んで本を読み、飽きたらGHの踊り場から、降り続く雨に静かにジッと佇む外の景色を眺め、再び部屋に戻ってタイのMTVなどを見て過ごした。

 日本にいたら、こういう一日を渇望しながらストレスの毎日を過ごすのだが、いざ何もすることがなくGHで一日中いると少し滅入った気分になる。本当に我侭な自分に呆れてしまうのだった。

 夕食はまたまたGHのレストランでお好み焼きとビアラオで済ませ、昨夜訪れたマッサージ店へ。すると前日の女性が担当で現れた。向こうも驚いていた様子。

 「どこのホテルですか?」

 とマッサージを受けながら聞かれた。

 ホテルではなくてゲストハウスなので、口をモゴモゴしていたらそれ以上は聞いてこなかったが、もしホテルに泊まっていたら「今夜行ってもいいですか?」なんてことを言われたかもしれない。

 次にビエンチャンに来るときはGHはやめて、ホテルにしようと強く思ったのだった。(と言いながら、翌年の一月に訪れた時もチャンターGHに泊まりましたが)

 さて、明日はラオス南部のサワナケートへ移動する。朝六時にバスターミナルへの迎えが来るというので、あまり眠くなかったが無理やり11時頃には寝た。

 雨がやんでくれれば良いのだが・・・。



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