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タイ・ラオス・ベトナム駆け足雨季の旅


 第一話


 ラオスの六月は雨季である。

 雨季の旅行は、過去にカンボジアやタイの北部チェンマイなどを訪れたことがあるが、一度も雨に遭遇しなかった幸運がある。だから今回もなんとか雨を切り抜けられるのじゃないかと、何の根拠もなく日本を出た。

 六月二十三日の深夜、タイのスワンナプーム空港に到着、レートはよくないが空港で1万円を両替、この時期(2007年)1Bは3,9円と驚くほど悪い。

 タクシーにてスクンビット・オンヌットGHへ。米国系の飛行機では到着が深夜になり、バックパッカーのメッカとされているカオサンへは、450B〜500Bもタクシー代がかかるとのことで、ドムアンからスワンナプームへ空港が移ってからは、比較的近いオンヌットGHを定宿にしている。でも、チェックインは
 既に1時をかなり過ぎる。

 今や定宿となったスクンビット・オンヌットGH(シダーバーグ) ↓

 http://www.spst.co.th/index.php/ja/


 このGHは二十四時間、フロントにはスタッフがいるので深夜到着でも早朝到着でも心配はない。いつものように若いタイ人男性が迎えてくれた。

 二日分の宿代440Bを支払ったあと、スタッフさんがバックパックを持ってくれて四階のドミトリーの部屋に案内された。何と、五つある二段ベッドに先客は一人だけ、ほぼ貸しきり状態。やっぱりこの時期は旅行者が少ないようだ。

 疲れていたし、エアコンで汗も引いたこともあって、シャワーも浴びずにすぐに寝た。就寝はAM2:00。

 今回の旅行はこの時点では行き先をまったく決めていなかった。明日一日、バンコクでのんびりしながら行き先を考えよう。

 18日間の旅程なので、思い切って初ネパールか初ミャンマーへ飛ぶのも良いかもしれないと思ったが、2000年以来、足を踏み入れていないベトナムも魅力的だ。

 しかし毎回のことだが、バンコクに着くと思いっきりリラックスできるのは何故だろう。おそらく、何度も訪れていることの安心感と、日本での人間関係や仕事のことがすっかり頭から消え去っているからに違いない。

 翌日は目覚ましのセットもしていなかったが、八時半ごろに目が覚めた。シャワーを浴び髭をそり、一階へ降りていくと欧米人の旅行者が数人いた。

 昨年の暮れ以来だが、スクンビット・オンヌットGHは以前にも増して良くなっている感じ。一階から通じている隣の建物に新たにノンエアコンドミトリーを増設し、1階にはヘアサロンとミニライブラリーもできていた。オーナーの杉山氏は意欲的に頑張っていることが窺えた。

 85Bの贅沢なアメリカンブレクファストをゆっくり食べてから、ともかく出かけた。6月下旬のバンコクは猛暑、バンダナでカバーした地毛がジリジリ焦げる。目的の場所はホアランポーン駅、明日のノンカイ行き夜行列車チケットを買いに行くため。

 前回の年末は時期的なこともあって、30日には「Full!」と冷たく言われ、未練たらしく大晦日にもう一度窓口に行ってみたら、最後の一枚を幸運にもゲットできた経緯があったが、今回はすんなりエアコン寝台席688Bで購入できた。

 「ノンカイということは、またラオスか!」とご指摘もおありだろうが、とりあえずビエンチャンから基点にという考えであった。

 さて、昼食をMBK(マーブンクロン)のクーポン食堂で済ませてから、プロンポンのハタサット2でマッサージを受けた。日本の疲れが一気に引いていくのだった。


 第二話

 プロンポン駅周辺はバンコク滞在の日本人向けの飲み屋やマッサージ店が多い。

 ハタサット2は駅を降りてスクンビット通りをアソーク方面へ少し戻り、シンキット公園を越えて左折したところにあるニューハーフショーが行われる「マンボー」の裏手に所在している。

 ハタサット2はかなり大きなマッサージ店、日本人も多く訪れる。中に入ると妖艶なタイ女性が迎えてくれて、エロと一種怪しげな雰囲気・・・は残念ながらない。普通のマッサージ店である。

 日本での半年あまりの間で堆積した全身のコリを取ってもらうため、ボディーマッサージをお願いした。

 フットマッサージを中心にたっぷり二時間、最後のあたりはまるで器械体操でもしているかのようなダイナミックなマッサージで、間接がゴキゴキと鳴る。

 全身がフワリと軽くなったような気がするほど丁寧なマッサージで、これで300B、マッサージ嬢は「嬢」ではなく「オバチャン」だったが、満足したのでチップを100B渡した。

 こうなると差し当たりこの日はすることがない。目指すは当然「一等食堂」。

 BTSアヌサワリー・チャイ駅(戦勝記念塔)で降りてラングナム通りを歩く。この通りは半年単位で訪れるごとに、ますます賑やかになって変貌が顕著である。

 一等食堂の並びにも欧米人向けのバーが新しくオープンしていて、歩道にまで客があふれていた。

 午後五時過ぎで、当然(?)一等食堂のオーナーのMさんはまだ店には出てきていない。この日のお勧めメニューボードに書かれていた「焼きサバ」と、やっぱり「冷やっこ」でビールを飲み始めた。

 店の女の子たちも変わりない。因みに、この店はオーナーのMさん以外はタイ人の女性四人がスタッフである。

 店を切り盛りしているのは女性たちと言っても過言ではなく、Mさんは馴染みのお客さんの相手をすることが、ほぼ毎日の仕事となっている。(つまりお客さんの酒を飲むわけだが)

 元バックパッカーのMさんだが、バンコクに根を下ろし、この一等食堂を開業して八年程(いや、九年だったか?)、しっかりしたタイ人女性たちのおかげで商売は順調に運んでいるようだ。

 以前はラングナム通りに滞在する日本人が相手で、売り上げはそれほど伸びなかったとのことだが、味付けの工夫や新メニューをどんどん増やしていったことなどで、高級店に比べてうんと安い価格の日本食に、地元のタイ人や欧米人客が増えてきたようだ。

 因みに、讃岐うどんをメニューに加えたらいかがですかと、以前僕が何の根拠もなく言ったところ、今では人気メニューのひとつになっているとか。

 そんな一等食堂のオーナーのMさんだが、僕がシンハビールを二本飲み干したころに出勤してきた。

 「あれ?藤井さん、いつこちらへ?」  とんねるずの木梨さんに似た顔つきのMさんが、いつものようにジーンズとTシャツ姿で僕の席に来た。


 第三話


 一等食堂のオーナーであるMさんを改めて紹介すると、彼はおそらく目下三十台半ば。

 高校を卒業後、三重県内の企業に就職したが、次男という気楽な立場と生来の放浪癖から、ある程度まとまった貯金ができると日本を出た。

 まだガイドブックもなく、当然ネットなどもない、バックパッカーなどという言葉も一部の旅行者しか知らなかった時代である。

 アジア各地からアフリカをチョイと覗き、一応南米などにも渡ったらしいが、結局落ち着き先は微笑みの国・タイランドだったというわけだ。

 どこでどう知り合ったのか、同じ旅行好きの日本女性と婚姻し、バンコクで日本食堂を開業したのが八年ほど前らしい。

 「失敗したとしても、車一台分の損をしたと思えば気楽に開業できましたよ」

 Mさんは飄々と語る。タイでは物価が安いので日本のように開業資金を何千万円も必要としない。

 一等食堂のあるラン(グ)ナム通りは、今でこそ日本人だけでなく欧米人その他の長期滞在者が多い区域だが、開業したころは日本人の沈没組の一端やタイの日系企業などに勤める中途半端な長期滞在組がチラホラいた程度だったとか。
 (日本企業のバンコク支社出張組などは企業からの好待遇でスクンビットあたりに住んでいるのが普通だ)

 バンコクもBTSスカイトレインが出来て以来、市内交通がグンと良くなり、このラン(グ)ナム通りも賑やかになってきたという寸法だ。アヌサワリー・チャイ駅(戦勝記念塔)近くには三流の女子大もあるようで、駅周辺は若い女性で猛烈にごった返している。

 さて、Mさんと話をしながらアッという間にシンハビールの大瓶を10本も飲み干してしまった。

 2001年のラオス旅行以来おなじみの友人N君は、この年の初めからアユタヤの本社勤務からパタヤーの現場事務所へ出張を命ぜられ、目下パタヤーのアパート暮らしで、ちょっと寂しい。

 今回の旅行も、N君にはもちろん事前に知らせていたが、「仕事が忙しくてバンコクに行けませんねん。パタヤーにチョッックラ来ませんか」とメールが返信され、旅の終わりあたりに2,3日行く予定にしている。

 本社勤務のころはこのラン(グ)ナム通りのアパートに住んでいて、一等食堂の常連だったのだが、パタヤーへ出張後はめったにここには来ないらしい。

 「N君は来ませんか?」

 「もう四ヶ月ほど来ていませんよ。ツケがたまっているのですけどね」

 Mさんは苦笑いをしながら言った。

 ビールを確か14本程飲んだあたりでかなり酩酊してきた。Mさんも饒舌になり、そして気分が良くなってくるとお互いに女性の裸を見たくなってきた。(ような気がする)

 「ソイ・カウボーイはまだ健在ですかね?」

 「もちろんです」

 「ちょっと行きませんか?」

 ということになり、11時の閉店までビールを飲み続けたあと、タクシーで繰り出した。

 ソイ・カウボーイはパッポンやナナプラザのような巨大ナイトスポットと違って、ちょっと穴場的雰囲気がある。ガイドブックなどには小さく「うらぶれた雰囲気」と書かれていたりするが、決してうらぶれてなどなく、僅か百メートル程度の通りの両サイドに乱立するゴーゴーバーは、ネオンギラギラ賑やかだ。

 「どの店に入りましょうか?」とMさんに問いかけると、「やはりバカラでしょう」と、二十店程度あるゴーゴーバーから即座に答えるのであった。

 バカラはここソイ・カーボーイに数多ある店の中では、若くて綺麗な女性が多いと評判らしい。

 主にタイ東北部(イサーン)の貧しい地区から出てきた女性が多いとされるゴーゴーバーの世界では、日本人から見ても明らかにバタ臭い女性が、ステージでぎこちなく踊っている姿を見ることもあるが、バカラの踊り子さんたちは垢抜けしているように感じるのだ。

 店内に入ると、大音響の音楽と中央のステージでダイナミックに踊る踊り子さんたちの姿が飛び込んできた。

 ※ ゴーゴーバーといっても、日本のストリップ劇場とはまったく違います。
   尊敬すべき踊り子様たちの名誉のために念のため書き添えます。


 第四話


 ご存じない方のために説明しますと、タイはバンコク各所にあるゴーゴーバーとは、ホールの中央に設けられたポールが数ヶ所立ったリンクで、ほぼトップレスの踊り子さんたちが音楽に合わせてセクシーダンスを踊るものであります。

 音楽は主にハードなダンスミュージックやロック調のものですが、午前十二時を過ぎて弊店が近づくと、イサーン音楽が流れることもあります。

 このテンポの良いイサーン音楽が流れ出すと、踊り子さんたちが俄然嬉しそうな表情になり、ますますセクシーダイナミックダンシングとなる訳です。それは他でもない、彼女たちの多くがイサーン出身だからです。

 さて、僕とMさんとは人気店の「バカラ」でビールを飲みながら楽しんでいた。すると、Mさんを知っているダンサーが僕とMさんの間に入ってきた。(ダンサーさんたちは一定時間の交代でステージに出る)

 一人ではソイ・カーボーイのようなところには決して来ないMさんだが、きっと店の常連さんと時々来ていたのだろう。タイ語が堪能な日本人は、タイ女性に顔を覚えられるのも早い。

 既に一等食堂でビールを浴びるほど飲んでいた僕とMさん、ステージでクネクネと踊るダンサーを見ているうちにすっかり酔っ払ってきた。店も閉店が近づき、ダンスもヒートアップしてきた。

 フト僕が目に留まった踊り子さんがいた。ダンスは控えめな動きなのだが、スタイルが抜群で、驚くべき美乳だったのだ。

 そしてその彼女とついにジッと目が合ってしまった。目が合うと彼女たちは自分のダンスステージが終わるとその客のもとに必ずやって来る。なぜなら、客にコーラを注文させると一部がインセンティブとなるし、また客が持ち出ししてくれると稼ぎになるからだ。

 再びご存じない方に説明しますと、持ち出しとは他でもない踊り子さんを持ち出すわけで、その際に店には400Bを置く。持ち出したあとは、客と女性とどうするかは勝手である。そして、話によってはショートタイムとかワンナイトステイなどになるという寸法だ。(詳細には書けないが)

 僕の横に来て座った踊り子さんは「ミュウ」という名前だった。ステージで踊っている姿はかなり長身に見えたが、隣に来ると以外にも小柄で華奢な体つき。
 胸の美乳に僕の目は飛び出しそうになり、気持ちが動転した。

 「コーラ、飲んで良いですか?」

 ミュウが当然聞いてきた。

 「コーラでも何でも飲んだらんかい」

 既に単なる酔っ払いスケベオヤジと化してしまった僕は、ミュウをステージには返したくなくなってきた。となると持ち出しする以外に彼女とつかの間でも過ごす方法はないのだ。

 隣ではMさんが相変わらず馴染みの女性とタイ語で会話が続いていた。Mさんの隣の女性に反して、ミュウは控えめで殆どしゃべらない。

 僕がタイ語をまったく話せないこともあるが、終始おとなしく性格も良さそうだ。そしてついにミュウが僕の腕を抱えて、その美乳に押し付けた時に、僕の理性はぶっ飛んでしまったのだった。

 「Mさん、ミュウを持ち出します」

 躊躇なく宣言した僕でありました。


 ※ 再度述べますが、ゴーゴーバーといっても、日本のストリップ劇場とはまっ たく違います。 尊敬すべき踊り子様たちの名誉のために念のため書き添えます。


 第五話


 ゴーゴーバー「シーバス」の尊敬すべき踊り子・ミュウを閉店間際に連れ出した僕は、その美乳に酔いしれることもなく午前三時には宿に戻った。何しろ泥酔一歩手前だったので、男の機能を発揮することもなく、少しお話して帰ったという情けない按配だ。

 宿に戻った僕は、なぜか腹が減っていたのでクイティアオ(ヌードルスープ)を注文した。このクイティアオは猛烈に美味しかった。

 この夜のクイッティアオはやや薄味の鶏がらスープに米粉麺がしっとりと溶け込んだ感じで、添えられたビーフやもやしや香草が、それぞれの味と香りをしっかりと出していて最高だった。

 タイの人たちは砂糖やナンプラー、唐辛子などを好みで入れて食べるが、まったく何も加えなくても素晴らしく美味しい。オンヌットGHの料理は、これまで食べたものすべて満足な味だったが、このクイッティアオは格別な気がした。

 満腹になって幸せな気分で、体に悪いがすぐに寝てしまった。ドミには僕以外に誰も宿泊者がいなかった。

 翌日は自然と目が覚めるのに任せていたら、午前九時半だった。シャワーを浴びて階下へ降り、おかゆの朝食を注文した(30B)。

 大きなドンブリに入った普通のおかゆだが、塩茹で卵が添えられており、それを少しずつ切って入れて食べる。美味しい。スターバックスの豆で焙煎したコーヒーがついてこの料金は満足である。

 昼前にチェックアウト、この日から二週間後に二泊の予約を入れて宿を出た。さて、どこへ向かうのか?

 スクンビット通りでバスに乗り、ホアランポーン駅へ向かう。だがバスは途中までしか行かず、仕方なくトゥクトゥクで駅まで、30Bも余計にかかってしまった。バンコク市内のバス路線はしっかり調べて乗らないとどこへ行くか分からない。

 駅の荷物預かりにバックパックを預けて、夜行列車までには随分と時間があるのでブラブラすることにした。

 夜行列車って? つまりやっぱり今度も、差し当たりラオス国境のノンカイまで行くことにしたのだった。

 MBKの1階のスターバックスでコーヒーを飲み(70Bのスタバは高い)、ネットでメールチェックをして、夕刻のタニヤ辺りをブラブラし、再び駅に戻った。

 駅前の古くからの商店街にある一軒の飲食店で、豚足とバミーナーム(ラーメン)、それにリオ(Reo)ビールで105Bだった。安いね。

 ちょっとフラッとしてホアランポーン駅に戻ると、構内では人々が起立を開始しているところだった。18時の国歌が流れる時刻だったのだ。

 人々は改札口の上部に掲げられた国王様夫妻の肖像に向かって起立する。その姿に僕は感動さえ覚えるのだった。

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