My Voice

I think about (ペロ吉のひとりごと)

 


13.11.25〕狂ぺろ病
 狂牛病騒ぎはちょっと世間の人の関心が薄れたと思ったら、ここにきて又新たな展開になってきたね。
2頭目の狂牛病感染牛が見つかったことから、農水省は感染源となり得る肉骨粉や血粉などを与えたことのある全国15都道府県で飼育されている約5,100頭の牛について、検査を実施した上で焼却処分するらしい。
 牛肉離れを抑えるための苦肉の策なのだろうが、こんなことしたってどうにもならないんだよね。
 何故って、日本人は物事の正確な認ッをしないまま、様々なメディアからの情報を鵜呑みにして、問題意識や疑問を持たずに右へならえなんだから、しばらく牛肉を食べないアホらしい世相が続くって訳だね。
 狂牛病(正式には牛海綿状脳症)というものは、元々人間にはうつらないとされていたものが、極めてまれに人間にうつり、ヤコブ病となって発病する可能性があると、1996年に英国政府が一転して可能性を認めたことから端を発しているのだけど、正しい認ッをすれば本当にバカバカしいと分かる。
 今まで見過ごされていたものが、今年の910日に初めて狂牛病に感染した牛が見つかったことで、検査体制がキチンとなるのだろうけど、まあ狂牛病に感染した牛肉が店頭に出回る確率は極めてゼロという大前提は変わらない。
 英国での狂牛病感染牛は18万頭で、ヤコブ病の死メは20019喧膜サ在で107人らしい。
 ということは、人口1億2000万人の日本で、仮に狂牛病感染牛が1000頭出たとして、ヤコブ病患者ががようやく1人ということになる。
 我々は、日常生活で様々なリスクと背中合わせで生活しているが、その中でも狂牛病からヤコブ病となる可能性は殆どゼロに近いのに、なぜ多くの人々はリスクの誤った認ッを持って生きているのだろう?
 例えば、僕は生まれてこのかたタバコを一度も吸ったことがないという珍しい人間なのだが、タバコは年間に10万人近くもの日本人を殺しているのに、政府もこれを大きく取り上げないし、国民も疑問を持たない。
 喫煙メが吐き出す副流煙には、発癌物質を含めた有害物質が、喫煙メが吸い込む煙よりも高い濃度で含まれており、その結果非喫煙メでも年間数千人がタバコで殺されている計Zになる。
 要するに何を言いたいかというと、喫煙メの親が子供に副流煙を吸わせておきながら、スーパーで牛肉を買わないなどという行為は、正しい認ッも持たずにマスメディアから流れるうわべだけの情報に流されている滑稽な現象だということなんだ。
 これはさらに言えば、特に感染症に関して、学問的に根拠のない憶測や不安に基づく行動が、らい病患者の隔離やMRSA保菌者への差別を生んだ事タにまで通じる、誤った認ッということなんだね。
 牛肉や牛乳が拒否された結果、まじめに畜Y業に取り組んできた人々や流通業、小売業の人々が大変な苦しみを強いられているという理不尽な社会情勢を、多くの人々が気付かないといけないということなんだ。
 そんな間違った認ッを捨てて、僕のHPに毎日アクセスして狂ぺろ病にかかって、知的でエロティックな日常生活を送りませう。


13.11.29曖昧な文面
 携帯電話のコールを1回で切る「ワンギリ」を悪用し、通知された番号をリダイヤルすると出会い系サイトなどの案内テープが流れる迷惑電話のトラブルが相次ぎ、全国高校PTA連合会(本部・東京、田辺一徳会長)は高校生が巻き込まれる恐れがあるとして、全国の高校PTA連合会に注意を呼びかける文書を配ったことが27日、わかった。

 文書は各都道府県と大阪、神戸、京都3市の連合会あてで「番号を通知した状態で1回コールして切る。着信履歴に発信すると応答のテープが流れる。携帯通話料とは別に10万円程度の請求がくる」と事例を紹介。東京や大阪、名古屋など32の迷惑電話番号一覧を掲載し、26日午後、ファクスで流した。
 上記の文面を読んで、何か疑問を感じないだろうか?
 この文面だと、着信履歴に発信すると応答のテープが流れ、携帯通話料とは別に必ず10万円程度の請求がくることにならないか?
 これは某ポータルサイトのニュースに掲載されていたのだが、このようないい加減で曖昧な文面がオフィシャルサイトに流れたり、ニュース番組で報道されることは、日本だなぁと変な関心をしてしまう。
 おそらくそのテープを長時間も聞いていると、このような請求が来るよ!ということなんだろうけど、対象が高校生などの若者なのだから、いい大人がもっと的確な報道をしなくちゃいけないと思う。

 

 13.12.112月だ
 今日から12月だ。
 11月の次には12月が必ず来る。
 どんなに売上が悪い企業でも、11月が終わり、新たな月が始まる。
 昨日までどんなに愛し合っていた男女でも、今朝ホテルから出てきたら、男はベッドで語った愛のささやきを後悔し、女はその言葉を信じて男に人生の何十分の一かを賭けようとする。
 そして遅かれ早かれその女の錯覚は、相手を罵るという愚かな行為に変わる。(勿論男女逆のケースもある)
 曜日が変わる、月が変わる、年が変わる。
 これらは地球が続く限り永遠に不変であるが、変わらないのは小さな事にしがみついている人間だ。
 平穏無事、特に景気が悪い時はじっとしているに限る、などと言って(景気に関係がなくそのような人はずっとじっとしているんだけどね)、日常生活の小さな行動範囲を守り、その中での上辺だけの人間関係を維持しようと務める。
 しかしいつまで経っても何も変わらない。 
 何も行動しないところから、何も変化しない。 これは幼稚園児でも分かることである。
 話は変わるけど、もう10日以上も前のことだが、いつか僕の掲示板に「ぺろさん、貴方はバカじゃないですか?」とお書きいただいた人がいたのを憶えていらっしゃるでしょうか?
 その方からその数日後、『深酒をしてかなり酔っ払っていたので失礼なことをした』とメールをいただいた。
 僕はその後毎日仕事や私生活の合間に、どのように対処したらいいものかを、メールマガジンの内容展開を考えるよりも真剣に考えていた。
 そしてようやく結論を出して、ここに記述することに致しました。
 『僕はバカな部分がたくさんあります。 そして自信のある部分もたくさんあります。 だからバカな部分を指摘されても、それはそれでいいのです』
 これが僕の返事です。 どうかこれでご了解ください。 メールをいただいて恐縮です。
 本来ならば返事を差し上げるのが、渡世の仁義だとは思いますが、ちょっと僕にはメールを差し上げる行為に及ぶ勇気がありません。
 ただ、人間は年とともに、感動することも少なくなり、相手を傷つけたり傷ついたりする度合いも低くなるようなことをおっしゃってますが、それは違うと僕は思います。
 年をとれば取るほど、世の中の仕組みや人間の本質、さらに小市民的見方からグローバルな見方に転じ、理解出来るようになるのが、普通にいろいろと考えながら生きている人間の姿ではないかと僕は思うのです。
 そして人間は子供の頃の純粋な心から、少年期、青年期、壮年期と、人それぞれの環境によって、主義主張やあらゆるものの見方に差異が生じ、どうにも分かり合えない状態になってしまう。
 でもそんなことは当たり前だから、込み入った話などをしないで、上辺だけの付き合いで人間関係を維持していく方が無難であるし、最良の方法である。
 人によれば、そんな付き合いが我慢できないと我侭なことを言って、相手と親密になろうとするのだが、当然そこでは考え方の軋轢が生じて、結果的に精神的に疲れてしまうという一人相撲をとってしまう。
 相手の意見がどうにも我慢ならないといっても、それは上述のような経緯で、分かり合うことが不可能なくらい考え方が異なっているのだから、咎めたり老婆心を出したってどうしようもないんだよ。
 特に僕のような年令になってしまうと、人から何を言われても考え方の本筋は絶対に変わらない。
 ただ変わる余地があるのは、元々知らなかったことを教えられた時だ。
 その時は“目からうろこ雲口からヨダレ”という現象が起きなくもないが、まあそんな時は稀だ。
 所詮人間なんて、自分が人より優れていると思っている愚かなものなんだから、究極的には理解し合えるなんてことは有り得ないんだ。

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