My Voice File 12

 


13.10.1
紆余曲折
 HPを見やすくするために、僕なりにあれこれ紆余曲折しながらデザインしているのだけど、もともと美的センスがないもので、結局これが精一杯かな?
 フラッシュとかジャバ・スクリプトなどという頭が痛くなるような装飾アイテムもあるのだが、僕には導入するセンスと技術的な手腕はありませんだみつおはどうしているのカナディアンクラブは美味しいお酒でありマスゾエヨウイチは最近TVで大活躍だね。
 ともかく大改造というほどのことではないけど、しばらくこれで変えませんが、ここ数日アクセスしていただいた方は、毎回ちょっとトップページなどが変わっていたと思うので、ぺロ吉は気が狂ったかと思われたかもしれませんが、大丈夫です正気ですから。
 さて、やはり田中真紀子は無能だったことはここしばらくの情勢で証明されたので、僕の見方は間違っていなかった訳だけど、先週の“朝まで生テレビ”を見ていて思ったのは、社民党の気の強そうな女性が出てたよね、辻内だったか名前は憶える気がないから憶えていないけど。 あれがやはり真紀子よろしく頭の中は潮干狩りが出来る位に浅いのに、あれこれカンニングペーパーを見ながら意見を述べていたが、とても見苦しかった
 田原総一朗は全く相手にしていなかったが(それなら出演させるなって)、日本はこんな女性が議員になれるのだからオメデタイこと再認識をした。 僕を出演させたほうが面白いぞ。 探偵の同時多発テロ事件に対する見解! これは視聴率を稼げる。()
 アフガニスタンはきっとベトナムのようになっちゃうんだろうね。
 ただベトナム戦争はアメリカが敗北して、最後は北ベトナムが南ベトナムのサイゴンを陥落させて統一に向かったのだけど、アフガンの問題は正義がはっきりしているからベトナムとは大きく異なっている。北部同盟がアメリカ始めほぼ全世界のバックアップの元で、アフガンの統一を行い、新政府を樹立することになるのだろうが、多くの人命が失われることは避けられない。
 紆余曲折してアフガニスタンに平和が訪れるのはいつのことになるのだろう? 僕は今考える力が少しなくなっている。
 13.10.4一ノ瀬泰造さんの写真集
 今夜遅くに何気なくTVをつけていたら、フジTVのニュ-ス番組で特集があり、10分程、故一ノ瀬泰造さんの両親が、彼の残した2万コマの写真をもとに編集した写真集を、来春に発行すると報じていた。
 僕は今回のアンコールワット旅行で、シェムリアップのはずれにあると聞いていた彼の墓標を訪れることも、目的の中の一つとしていたのだが、それは“地雷を踏んだらサヨウナラ“という映画に感動したことに起因していた。
 この映画はご存知の方も結構多いと思うのだが、ベトナム戦争後のカンボジア内戦で、戦場カメラマンとして現地や前線で、人々や兵士の命の尊さや戦争のむごさを撮りつづけていた彼が、アンコールワットに魅せられて、クメールルージュの部隊が占拠していたその場所に命がけで向かい、結果的にアンコールワットの撮影には成功したが、何等かの理由で処刑されたというものである。
 直向な戦場カメラマンとして命を賭けた彼の生き様に、少なからず感動を覚えた人は多い筈である。 特に目的を暗中模索している昨今の若者にとっては、ある種の英雄に近いような存在なのかもしれない。
 僕が彼の墓標を訪れたのは、アンコールワット遺跡群を訪ねて2日目に、独特のレリーフで有名なバウンティ・アスレイを見物したあとだった。
 彼の墓はアンコールワットの中心から北に数十キロも離れた、小さな集落内の水田の中にあった。 去年まではその墓に行くのに、沼地を膝近くまで足を浸けて渡って行かなければならなかったと、僕の師匠から聞いていたが、僕が訪れた時は沼地には木が渡されていて、しかも墓標は今年の春にコンクリート造りに建替えられていた。
 建替え資金は、同所を訪れる日本人の旅人達が、管理をしている現地人男性に渡すカンパで賄われたとのことであり、墓地にはさらに屋根つきの小さな休憩所のようなものが作られようとしていた。(暑いからね)
 僕もその男性に1ドルをカンパしてきたのであるが、現地で一ノ瀬泰造はかなり有名人だったのには驚いた。(1ドルといっても大金です。 カンボジアの警察官の月給が約20ドルですから)
 おそらく数日以内にアメリカを中心とした部隊が、アフガンを空爆することだろう。
 これは戦争ではなく、極悪非道なテロ行為に対する報復とテロの撲滅であるのは分かるが、再び多くの命が失われる。 アフガンを解放し、平和国家を樹立するためには通らなければならないことなのだが、未来に対して争いごとの悲惨さを伝えるため、一ノ瀬泰造のように命がけの戦場カメラマンが、おそらく現地にいるに違いない。 それは血のざわめきなのか

13.10.7電波少年的アンコールワットへの道
 電波少年という番組で、かなり以前からアンコールワットへの悪路を、日本人がボランティアで舗装しようという企画が遂行されている。
 こんなもの勿論ヤラセなのであるが、実際アンコールワットを訪れた僕としては、赤土の穴ぼこだらけの道や、広大な水田風景、さらに粗末な学校と綺麗な先生などをTVで見てしまうと、あながち“ばかやろう”と一喝することも出来ないんだね。
 何故って実際僕がそれらを本当に見てきているからなんだ。
 カンボジア人は、ある人が世界で最も人柄のいい国だと言ったのが、この前の旅で僕はその言葉に共鳴してしまいそうだった。
 彼等は波乱の歴史を潜り抜けてきているというのに、僕達に親切で笑顔を絶やさず、それはいわゆる“お愛想”というものではなくて、心底気持ちが表情に出ているように感じた。
 長期に渡る悲惨な内紛を目の当たりに見てきたと思われる若者でも、暗さというものは感じられず、これから自分たちの手で国家を構築していくのだというポジティブな姿勢が窺われた。
 精神的にも国民的にも国家的にも、あらゆる点で右上がりの国と、一旦得てしまった享楽社会の停滞に戸惑い、精神的にも物理的にも右下がりの国との、決定的な違いを肌で感じたように思った。
 電波少年のバカバカしいお遊びを、カンボジアの人達は、無知であるが故に受け入れてしまっているのか、本当にボランティアとして喜んで受け入れているのかは分からないが、オメデタ大国ニッポンらしい企画ではある。
 ただ間違った認識のないように言っておくけど、あの道は“アンコールワットへの道”と称するには、全然外れた道で、ずっと北部方向の一般道なんだね。 まあ何でも意義付けたいニッポンらしい大げさな表現だけど。


 〔13.10.9大学受験
 実は来年ある大学の法学部を受験することになってしまった。
 話せば長いのだが、いやそれほど長いことでもないが、昨日浪人中の長男と久しぶりに会ったことから、事は発端した。
 長男は今年関西の中堅大学を7つも受けて、全部駄目だったのだが、予備校生となった今年も、相変わらず遅刻やサボリが結構多いようなのである。
 まあそれについては細かいことをとやかく言わないし、ずっと離れているのだから日常を掴む訳にも行かないから、本人に任せているのであるが、最近は彼女が出来そうな雰囲気があるらしく、現在自分が置かれている立場を分かっていないようなので、
『お父さんも来年お前と同じ大学を受けるぞ。 お父さんが受かって、お前が落ちたら洒落にならんぞ』
と言ったら、長男は嬉しそうに、
『それはムリやわ。 競争してもエエけど、俺の勝ちや』と言うのである。
 『国語は100点満点できっと90点は取れる。 英語は70点は堅い。 世界史は現役の時は100点満点を取ったから、まあ60点はいくらなんでも取れるやろ。 そしたら合格や』と偉そうに言ったら、長男は、『そんな甘いもんやないで。 勝負しようや』ということで、男に二言はなく約束してしまったと言う訳である。
 あ〜あ、ただでさえ忙しいのに、受験勉強か。 アフガンに空爆が始まったというのに・・・。 これは関係がないけど。
 しかし日本はやっぱり遅れたね。 制度的に仕方がないのかもしれないが、空爆が始まり世界各国が全面的に様々な用意があると言って、決定事項を表明しているのに、日本はいまだにチンタラしている。
 田中真○子! 辻内某! 浅い知識で早口で喋るからボロが出るんだ! 考えて喋れ!


13.10.10佐野元春とWindows XP
 来月発売される予定のマイクロソフト社の新しいOSである“Windows XP”のコマーシャルに、僕が20年近くも大ファンでいる佐野元春が出演している。
 コマーシャル製作会社が企画したのか、マイクロソフト社の広報担当に有能な人物がいたのかは分からないが、アフガニスタンにテロ撲滅の空爆が行われている中、ちょっと気持ちが豊かになるコマーシャルだね。
 彼は確か僕より少しだけ年下の筈だが、相変わらずふさふさのライオンヘアーで、それほど大きくはない体躯でステージの隅から隅まで駆け巡りながらの精力的なコンサートツアーを毎年行っている、日本で最も優れたロックアーティストの一人である。
 昨今はポッと出て、たった一曲、或は数曲のヒットを出したと思ったら、どこかに埋もれてしまうミュージシャンや、人真似ばかりを繰り返している創造性のないアーティストが多い中、この佐野元春は終始一貫して日本のロックンロールを歌いつづけている。
 しかも全ての彼の曲にはメッセージがあり、抽象的な言葉の羅列で一体何を言おうとしているのか、又はカッコつけた言葉の連続で、その言葉の持つ雰囲気だけに何だか酔ってしまっているだけのファンしかいないアーティストとは、絶対的に一線を隔てたハイレベルなコンテンツを持っている。
 彼をデビュー当初から知っている人も多いと思うが、僕も彼の曲を初めて聞いた昭和57年頃は、日本語が全く違和感なくロックのメロディーに乗って心地よく聞こえる彼の曲に、ときめきと感動を覚えたものである。
 確かに彼も昔の歌い方や、メロディーラインなどの少し変化が見られ、これはバックバンドを入れ替えた影響もあるのだと思うが、発信している音楽とメッセージは変わらない。
 勝てば官軍の音楽業界にあって、彼の存在は、いつまでも輝いているのを僕は感じるのである。


 〔13.10.13陸奥宗光と真紀ちゃん
 先日のNHKの番組で、僕が内容によっては見る“その時歴史が動いた”は、僕の出身地である紀州の出で、不世出の外務大臣といわれる陸奥宗光について放映していた。
 勿論ご存知の通り、不平等条約の改正を成し遂げた人物であるが、明治維新後の陸奥については、日本史の教科書などに記述されているものの、維新前についてはあまり知られていない。
 陸奥は勝海舟が館長で、坂本竜馬が神戸海軍操練所の塾頭を務めていた頃に竜馬の弟子となり、以後海援隊の設立から彼が暗殺されるまで、彼の片腕として行動をともにした。
 剃刀の異名を持つほどその言動は鋭く、竜馬をして、「独立して志を実行できるのは俺と陸奥お前だけだ」と言わしめたほど、当時より能力を高く評価されていた。
 維新後要職に就くが、新政府転覆計画を企てたとして獄中生活を送るなど、波乱の前半生を送り、さらに40歳からはロンドンに渡り猛勉強をして帰国した。
 そして国内で外国人が起こした事件を裁くことができなかった不平等条約を改正し、近代国家の仲間入りを果たしたのであるが、生前彼は外交について次のように述べている。
 『政治はアートなり、サイエンスにあらず。 政治を行なう人のスキルに帰依している。 巧みに政治を行い、人心を掴むは、実学実才にあって広く世相に熟練する人であり、決して机上の談にはない』
 親の七つの光でぬくぬくと育って早稲田を卒業し、いくら米国に留学したって、人の心を掴むということができないだけでなく、元々能力のない人物が、一生懸命口先でものを言ったって駄目ってことなんだね。
 最近は天皇陛下にまで余計なことを口にしたり、国会で醜態を見せるなど、もはや限界ではないかと思うのです。 真紀ちゃんは。


13.10.17頑張れ佐々!
 僕が見ている数少ない番組の中に、ビートたけしが司会を勤めるノンジャンル討論会のようなものがある。
 先日は勿論アフガンに関することがテーマで、論点は自衛隊の現地協力派遣に関わることであった。
 出演者はレギュラーの大竹まことの他には、桝添要一(漢字合ってるかな?)と最近毎週出ているハマコー親分、それに本日は、かの鉄砲将軍・佐々成政の子孫で、元警視総監の佐々淳行氏、さらに昨今何が魅力でTV局が出しているのか、潮干狩り国会議員・辻元清美(漢字合ってるかな? )等々であった。(実名を書かない方がいいのかな? いいよな、良い良い)
 先ず日本が自衛隊を現地に派遣するべきかという基本的なことを今更議論し、協力派遣については後方支援の具体的あり方、パキスタンに入っての支援活動の問題点などが議論されたが、最初から潮干狩りは現地への派遣に異議申し立て発言を行なうのであった。
 言論の自由なので何をほざいても勝手なのだが、正確な状況把握とグローバルな世界観をしないといけないよ、潮干狩り!
 日本国内にいては気付かないかもしれないが、海外に行けば日本はアメリカの属国という見方が一般的なんだ。
 ハマコー親分も相変わらず傲慢な態度で、
『アンタなぁ、日本がアメリカとの安全保障条約なしで、戦後このように無事に来られたと思うのか? かもすれば日本という国はとっくになくなっていて、アメリカの一州や周辺国に分割所有されていたかもしれないんだぞ。 眠たいこと行ってたら駄目だぞ!』と正しいことを述べていた。
 自分は命の危険を冒さないで金だけ出して、貢献度を高く評価してほしいなどというのは虫が良すぎる。
 潮干狩りの主張は、ボランティア団体を通じて日本が支援物資などを運ぶ手段に、全面的に協力するという方法で貢献するべきだ、というものだ。
 彼女はこれまで発展途上国のボランティア活動に数多くの注力をしてきたと言うのである。 カンボジア支援でも2億円ものお金を協力金として集めた実績があると述べていた。
 そこでそれまであまり喋らなかった佐々淳行氏が若干、かなり、モーレツに切れちゃって、彼女に対してアフガン空爆規模の詰問を開始した。
 『アナタね、アメリカ同時多発テロを一体どのように見ているんだ。 そんなチンタラ発言をしていると笑われるよ。 日本とアメリカとの関係をもっと正確に理解しなくちゃ。 どうしてボランティア活動の一環で、今回のアフガンへの支援が可能だと思うのか? そんな甘っちょろいものじゃない。 アンタとこの社民党だったか、原何とかという女性議員が、ホームページで今回の同時多発テロを「ざま-みろって思っている人も多くいるはずだ」なんて心無いことを掲載しているじゃないか。 犠牲者のことを考えるとこんなことよく書けたものだね。 このような議員は辞職するように勧告する必要があるんじゃないか。 国会でこんな発言をしてご覧。 どうなると思うの?・・・以下まだまだ続く・・・』
 このような佐々氏の詰問に対しても潮干狩りは、頭の中でめまぐるしく言葉を捜して何だかんだと言っていたが、完全に佐々氏の勝利だった。
 別に勝ち負けをどうこう言っている訳じゃないが、何でもかんでも机上の理論で話しちゃ駄目だってことなんだ。
 この前話した陸奥宗光も、『政治は実践でありスキルであり、決して机上の談であってなならない』と言っているじゃないか。 
 潮干狩りのような浅い知識で偉そうに言ってはいけない。 僕も人のことを偉そうに言えないけど。(笑)

 〔13.10.20安っぽいヒューマニズム?
 いよいよアフガニスタンへの軍事作戦が大詰めに入ってきたね。
 主義や思想が異なっていても、平穏な生活を望むことは人間の基本的な気持ちじゃないだろうか。
 従ってアフガンの国民だけではなくタリバーンの兵士達のなかにも、当然現状から脱却したいと思う人々が生まれるのは当たり前のことだ。
 ましてや毎日驚愕的な爆撃を受けて、火力の差をまざまざとみせつけられては、いくらジハードの精神を植え付けようとされても、状況把握の出来る人間ならば疑問を持つものだ。
 ただアフガンは長年に渡っての内紛で、国自体が疲弊しているばかりでなく、まともな教育さえも受けられなかった国民が圧倒的に多く、それらがタリバーンの末端兵士となっているから悲劇的なんだね。
 話はガラリンと変わって、日本ではこれから路上生活者にはつらい冬が訪れる。
 僕んちの近くの公園でも、青いテントを張って生活している人がたくさんいる。
 路上生活者のことを綴った書物も読んでみたことがあるが、勿論その状態に至った原因は様々で、一概に自らの責任で人生を墜落させた人ばかりとは言えないようだった。
 路上生活者を見て、どのような気持ちを持つかは人それぞれだろうが、僕は単に【可哀相だな】と思うだけだ。
 そこに至った経緯やその人間の資質などはその際に何等関係がない。 ただ現状に於いて【可哀相だな】と思うだけである。
 ただそれに対して僕は何もすることが出来ないし、何もしようとは思わない。 ただ客観的に眺めているだけである。
 カンボジアのシェムリアップへピックアップトラックで向かう道中で、小さな村に途中休憩した時、大勢の子供たちが僕たちの周りに集まってきた。
 殆どの子供が裸足で、衣服はボロを纏っていた。 どんな国にも貧富の差があり、それは個々の能力もあるが、生まれ育った環境など運命に頼らざるを得なかった部分も多く、理不尽を感じても仕方のないことなのだ。
 僕はピックアップトラックの周りに集まった子供達の中に、フランス人形のような顔をしたとても可愛い少女を見つけた。 彼女は僕と視線が合うと、『ペン! ペン!』と手を差し出しながら叫んできた。
 【ここではペンが大切なのか? それが分かっていたら
10ダースくらいは持ってきていたのに】と今更ながら自分の予備知識のなさと、旅を自分だけのものとして考えていることに後悔した。 旅先ではこのようなことは当然予測するべきなんだ。 
 僕は何も彼女に差し上げるものがなく困惑したが、バンコクのコンビニで買ったガムがそのままミニバッグに残っていたのに気がつき、それを他の子供に気がつかれないようにそっと渡した。(つもりだった)
 彼女はとても嬉しそうな顔をして何か言葉を僕に言ったが、それを見ていた近くにいたもう一人の少女が、手を口元に何度も持って行って、【私にも頂戴!】という感じで訴えるのだ。
 僕はホトホト困ってしまった。 何てことをしてしまったんだという気持ちにもなったが、そういえば列車の中で少しだけ食べた、日本から持ってきたキシリトール入りのガムが残っていたことを思い出した。
 バッグの中をゴソゴソと捜して、半分あまり残っていたそれを見つけ出し、他の誰にも気付かれないタイミングでその少女にそっと手渡した。
 彼女たち2人は嬉しそうな顔をして僕たちのトラックから離れて行ったが、出発したあと僕は何故か空しい気持ちになってしまった。
 僕の行なったことは、戦後日本に乗り込んできた進駐軍が、日本の子供達に対し、チョコレートやガムを車の上から投げていることと同じじゃないのか。
 僕は単純に、日本の路上生活者に対して持つのと同じ、【可哀相だな】という感情のまま、自然とそのような行為に至ってしまった訳である。
 ただ同じ貧しさでも決定的に違うのは、路上生活者は生まれた時から路上生活者ではなく、人生を自らの手でそのような状況に至らしめたというのに対し、カンボジアの貧しい村の子供達は、生まれた瞬間からの運命的な極貧ということなのだ。
 ラオス旅行以来懇意になったN君とも、このような件について何度か意見を言い合ったことがある。
 彼はアンコールワット遺跡めぐりなどで、物売りの大攻勢に途惑いながらも、
『竹製のブレスレットなんか要りませんけど、
10個で1ドルですわ。 そんなもん5ドル分くらい買ってあげても何てことはないんですけどね。 遺跡の中を見物してたら、子供が寄って来て、頼んでもないのにガイドのようなことをした後、お金を要求してきますけど、1ドルや2ドルどうってことはないんですよね。 僕等にとっては痛くもないお金を、彼等にあげることで、彼等が喜ぶのだったら・・・』 と言う。(カンボジアでは公務員の月給が約20ドルらしい)
 僕は複雑な気分だが、『それは駄目なんだよN君。 そのようにして簡単にお金を得た子供の将来はどうなる? 決して人格形成には良くないと思うよ』と一応言う。
 しかし現地に行ってみるとそんな行儀の良い言葉はぶっ飛んでしまうんだね。
 僕のベトナム旅行記でも記述している通り、あれはバック・ハーだったか、ボールペン1本が大切な所なのだけど、トレッキングで訪れた電気もない山村で、僕達の後を珍しそうについて来る子供達に、『これお母ちゃんにあげるのよ〜』と、彼女は衣服の入った袋を手渡した。
 このような行為を『安っぽいヒューマニズムだ』と言う人もいると思うが、人の行為を頭だけで考えて揶揄するような感情は、本当に貧しい人々と直面すると、自然となくなってしまうものなんだ。
 それらの感情はあくまでもこちら側の一方的な感情であることには変わりはないのだけど、日本では路上生活者にとって辛い冬の訪れが近づき、ふと思ったことだった。


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