Music:hokago ongaku


 第九話 アユタヤへ

 旅の三日目、早朝にHさんが何とか帰国した。

 僕もそろそろ移動をしようと思って腰を上げかけたが、タイの東北部は大雨で大変とテレビニュースが報じている。それなら別の所に移動をしようと思うが、さてガイドブックを見ていても特に気が前に行かない。
 原因は体調不良にもある。

 昨日は朝からガタピシノンエアコンバスでワットファウロンワを訪れ、アクシデントからヒッチハイクを経て目的地へ。そしてバスを乗り継いでバンコクに戻ってきてから、エカマイのタイ式マッサージを受け、夜はシーフードで豪勢な食事を楽しんだ。

 このように一日中パワフルに動き回っていたし、Hさんと一緒だという緊張感から、バンコク到着前後の体調不良を体自体が忘れていたのだった。それが蘇ってきた。

 おでこに手を当てるとなんだかかなり熱がありそうだ。からだの節々も痛くなってきた。いつの間にかベッドの上で布団をかぶって寝入ってしまっていた。
 睡眠は体調を回復するのに最も有効であることは誰でも分かる。

 次に目が覚めると外は既に真っ暗で、時計を見ると午後八時を過ぎていた。ベッドから立ち上がると、何だか体が軽い。回復基調であることは間違いがない。

 腹も減っていたので外に出た。ホテルの隣のインド人経営のよろずやで爪切りを買い、その数軒隣の屋台食堂に入った。

 何でも良かったが細めんのラーメンを注文、鶏がらの薄味スープで、病み上がりのような僕の体にはちょうど良い味で美味しく食べた。
 ホテルに帰ってガイドブックを見ていると、いよいよ体に力がみなぎって来た。明日は行くぞ!と決意し、その夜は早めに寝た。

 行くぞ!と決意したのは、そんなに遠くではない。 

 バンコクから列車で二時間余りのところにある「アユタヤ」である。これまで何度かタイを訪れているが、毎回近すぎて通り過ぎてしまうかつてのタイの古都・アユタヤ。

 首都バンコクから北に約70キロメートルの位置に所在するアユタヤは、1767年にビルマ軍(ミャンマー)に侵略され、破壊されるまで、水運を生かして近隣諸国をはじめ中国、ペルシャ、ヨーロッパ諸国まで貿易を行っていた、南アジア最大の交易地として栄えたアユタヤ王朝の首都である。これは楽しみだぞ。

 翌日は午前八時頃に起きてパッキングを済ませてすぐにチェックアウトし、ホテルの前のバス停に一応行ってみたものの、ホアランポーン駅前を通るのは何番のバスか分からないので、結局タクシーを拾って駅まで向った。

 ホアランポーン駅からアユタヤを通過する列車は頻発している。僕は駅に着くとすぐにチケットを購入して最も早い出発列車に飛び乗った。

 三等の車両はまだかなり空席があったが、十分もしないうちに埋まってしまい、間もなく発車した。バンコクからアユタヤまではバスが便利で、タクシーでもそれほど金額がかからないうちに早く到着する。

 しかし僕は二時間余りも要する列車で行くことにした。

 走り出して間もなく、僕の隣に大学生風の日本人旅行者が座り、斜め前には五十前後の日本人女性が座った。二人は話し始めた。


 第十話 アユタヤ その1

 今回の旅はどうもおかしい。

 バンコクには結局三日間滞在したが、一日だけ子供のように動き回り、おかしなお寺を見ては驚いたり、シーフードに酒池を楽しんだり、Hさんと一日中目一杯遊びまわったという感じだが、あとの二日は宿のベッドでへたっていた。 

 しかも昨日はインターネットカフェに大切なメモ帳を忘れ、今朝は宿の前からホアランポーン駅までタクシーで行ったが、バーツの持ち合わせが三十八Bしかなくて、メーターが四十一Bだったので三十八Bに何を考えていたのか、二ドルもプラスして渡してしまったのだ。

 二ドルといえば八十バーツではないか!

 何をぼんやりしていたのだろう。気がついた時には、タクシーは疾風のごとく走り去って行ったのだった。

 きっとあのタクシーの運転手は阿呆な日本人だと、公園の日陰などで車を止めて今頃腹を抱えて笑っているだろう。自分自身に嫌気がさしてきた。

 そんな精神状態のままアユタヤ行きの列車に乗ったので、出発後、僕の隣に大学生風の日本人男性旅行者が座り、斜め前には中年の声の日本人女性が座って二人が話し始めても、いつもの僕なら気さくに話の中に入っていくのだが、そんな気にもならずに窓の外の景色を眺め続けていた。

 二人の話の内容からすると、それぞれが一人旅の途中で、先ほど駅で初めて話をしたようだった。女性の方が八、男性の方が二の割合で会話をしていたが、女性は一ヶ月余りかけて東欧から南欧を旅して昨日バンコクに到着し、帰国前にバンコク近郊を少し見て廻っているということである。

 男性の方は大学四回生で、来年就職が内定しており、いよいよ社会人となるので、今回は夏休みを利用して二ヶ月間の予定で、東南アジアを旅していると語っていた。

 女性は東欧を旅している途中に日本人男性医師と知り合い、バンコクに行くなら知り合いがたくさんいるので観光案内をさせましょうと親切に言ってくれたが、実際昨日バンコクに着いてホテルにチェックインすると、その日本人医師からメッセージが届いていたのに驚いたらしい。今朝は医師の知人がホテルまで迎えに来て、観光案内を申し出てくれたが、そこまで甘えるわけにはいかないので、丁寧にお引取り願ったと語っていた。

 そのような話を聞きながら窓の外を相変わらず眺めていたが、そんなに親切を受けた女性はさぞや綺麗なのだろうと思い、期待に胸膨らませて顔を動かしてじっくり見たが、何てことはないただの中年のおばさんだった。

 そこはかとなく、ぼんやりと心に映り行くよしなしごとを考えていると、バンコクを出発して二時間弱で古都・アユタヤに到着した。

 それ程大きくない駅を出て真っ直ぐ歩くとすぐに渡し舟の乗り場がある。五バーツを支払って対岸に渡る。

 再び歩き始めると賑やかな通りに出て、トゥクトゥクの誘いに囲まれる。ともかく宿を決めることが先決なので、僕はそれらを無視して市場の角を曲がってバスターミナルの方向に出て、そこを右に曲がると宿が数軒あるとガイドブックに載っていたので、その中のP.Uゲストハウスを目指した。

 その宿は通りからさらに奥に入った場所に所在していたが、ガイドブックにもあるように、最近新たに建て替えられたらしく、外観はとても綺麗だった。

 靴を脱いでフロントに入ると、愛想の良い小柄なタイ人女性が応対に出てきて、300バーツの部屋しか空いていないと言う。見せてもらうとファンのホットシャワーシングルだが、部屋は広いしベランダもあって、これはすこぶる快適そうなのでここに泊まることにした。

 ザックを置いて早速町歩きに出た。


 第十一話 アユタヤ その2

 アユタヤはなかなか僕好みの町だった。

 四方を川に囲まれており、日本の城下町のような印象を受ける。
 宿を出て、アユタヤ遺跡の方向にブラブラと歩いていると、トゥクトゥクに乗らないかと次々に声がかかるが、それらをノーサンキューと断ってVIPバス発着場の辺りを過ぎ、さらに歩くもなかなか遺跡までは遠い。

 腹が減ったので道端の屋台レストランに飛び込んだ。おばあさんとその孫くらいの年令の若い女性とで店を切り盛りしている。

 何種類かの惣菜が鍋に入って並べられており、僕はその中のシチューのようなものと肉じゃがのようなものを指差して、大きな皿に盛られたご飯の上にそれらを載せてもらった。いわゆる「ぶっかけメシ」で、これが三十バーツ。辛さと甘さが同居した濃厚な味付けであったが、なかなか美味しかった。

 広い道路ではトゥクトゥクやタクシーが慌しく走り、完全に舗装のできていない道路では砂埃が舞い上がっている。決して空気の良くない中、大盛り風のぶっかけメシを食べ終わり、遠くに見える遺跡公園を目指して再び歩いた。

 僕のように炎天下を歩いている人は少ない。しかし僕は町歩きが好きなのだ。その町を知るには歩き回ることが基本だと思う。 広い直線道路を随分と歩くと、ようやく遺跡公園に到着した。これがワット・ラチャブラナらしい。
 その南側にはワット・マハタートが所在し、いずれも広大な敷地に、破壊されて廃墟となった寺院跡が残っている。
 これらの各遺跡に関してはインターネットでもガイドブックでも詳細に説明があるので、ここでの記述は中途半端に終わる懸念があるので省く。僕は中途半端が大嫌いなのだ。

 さて、遺跡公園は入り口付近に土産物屋が並んでおり、どこの国でも同じなのだと思いながら中に足を踏み入れた。たくさんの建造物が見るも無残な状態にされながらも、破壊された塀の中に並んでいる。
 金で覆われていたものが、ビルマ軍によって全部剥がされて持ち帰られたという話だ。その際に殆どの仏像の首が胴から叩き離され、今では無残な首なし仏像となって並べられている。
 【本当に廃墟という言葉が当てはまる光景だな】と思いながら、僕はミネラルウオーターを飲みながら隅々まで見て回った。

 観光客は欧米人から日本人ツアー客までたくさんの人が訪れている。
 僕のように一人で観光に来ている人は見当たらなかった。時には若い日本人のカップルも見かけ、石でも投げたくなってしまうが我慢する。

 ちょっと日陰で休憩していると、年配の日本人ばかりのツアー客がぞろぞろと歩いて来た。僕の前を通り過ぎる時に聞こえた言葉は「・・・ちゃうの?」とか「・・・瓦礫の集まりみたいやなぁ」などだったので、おそらく関西人のツアー客だろう。ここでも関西パワーは健在である。

 その中の一人のおばさんが話しかけてきた。僕はよく人に話しかけられる。安全そうな穏やかな顔をしているということなのか。  「日本の人ですやろ?」
 「そうですよ」
 「えらいことしてますなぁ。こんなに破壊せんでもええのにねぇ」
 「そうですね」
 「ツアーで来られているのですか?」
 「バンコクのホテルからのツアーですねん。私らアンタさんみたいに一人で来る元気も勇気もありませんよってな」
 「・・・」

アユタヤを訪れるのにどれほどの元気と勇気を必要とするのか分からないが、こんな遺跡めぐりで関西のおばちゃんと会話をするなど予想だにしなかったので、旅の雰囲気が壊れないうちにその場を離れた。

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