Music:Hokago


 第二話

 ベトナム女性に恋をしてしまった旅人にアドバイスをしてもらおうと、彼女とオレンジさんとを彼に紹介した。
 「すみません、笑ってください」
 と彼は少し恥ずかしそうにしながら、弱気なことを言った。

 ところが彼女は、「あんたその娘と恋愛してどうするのよ。日本に連れて帰るの、それともサイゴンに住む気あるの?ベトナムの女性は日本人女性とは全然違って堅いんだから、軟派みたく気軽に考えていたら駄目だよ!」とまくしたてた。

 「い、い、いえ、中途半端なその場限りなことをいっているのではありません。本当に真剣に惚れてしまったようなのです。僕は彼女を日本にいずれ連れて帰ってもいいくらいに考えています。いい加減な気持ちじゃありません」

 彼はいきなりのきつい言葉にややうろたえた感じで言うのだが、【おいおい本当かよ?】と思った。

 彼はまだ若いから一時的な感情に違いないが、純粋な気持ちであることは確かなのだろう。

 彼は学卒後三年間サラリーマンをしてお金を貯めて、数ヶ月前からインドを起点に旅をしているとのことで、当初は男性二人であったが、タイからカンボジアなどで知り合ったバックパッカーと同行し、現在女性一名と男性四名といったおかしな組み合わせになってしまったらしい。

 「ここで彼等と別れて彼女のもとに戻るべきじゃないか。でないとあとから後悔するよ。そしてもし彼女と駄目だったら再び仲間と合流できるようにしておけばいいじゃないか、今やインターネットもあるのだしさあ。思ったことはしておかないといけないよ」

 僕もとりあえず彼の純粋な気持ちを尊重して言った。

 とどこかの誰かがインドシナを旅する女性に会いに向ったように、彼の気持ちを駆り立てるような無責任なことを散々アドバイスして、僕達は日の暮れかかったサ・パの街に散策に出た。

 

夕暮れのサ・パの街は、それはそれで趣があってなかなか素敵だった。

 僕達は市場の方には行かずに手前を曲がって、サッカー場の横の坂道を登って行った。昨日通った道から左に逸れて、雨で少し歩きにくくなっている道を登っていくと、そこはラオ・カイからのミニバスに連れていかれた例のゲストハウスの近くだった。

 「ここを曲がったところにある、あのゲストハウスに到着したんだよ」

 といってその方を見たら、たまたまあのサッカー大好きベトナム青年コックが玄関に立っていた。(本当にサ・パという街は小さいし、偶然会うことが度々ある)

 手を上げて合図を送ってみると、彼も笑いながら手を振るのだった。
 少し行くと今度は有名なヴィクトリアホテルに通じる道があり、僕達はその方向にゆっくりと歩いて行った。その道は少し高台になっているので、夕方のサ・パの街並みが眺められ、教会の斜塔やその向こうのホテルのネオンサイン、広場や市場に集まる人々、時々聞こえる話し声やバイクや車の音、それらは僕をセンチメンタルな気分にさせる。

 彼女は何を考えているのかさっぱり分からないが、僕の十数メートル前で下を向きながら、足で石ころを蹴飛ばしているような格好で歩いている。

 僕はオレンジさんに語りかけた。

「今日ね、マイノリティーの民家でマイケル君の手作りの食事をご馳走になったり、広大な田園を歩いたりしている時に、何故かちょっと胸が一杯になってきてね。それはどんな感情なのか分からないけど、彼等の貧困に同情したり、自分が今彼等よりも幸せな暮らしをしているなんてことを感じてのものじゃないんだ。彼等は経済的には貧困かもしれないが、決して心は貧しくなくて、むしろ例えば黒モン族の女性達の明るさは、きっと自分達の生き方に誇りを持っているものからだと思うんだ。僕達は日本に帰ればいろいろな情報が溢れていて、それが日常生活とは切っても切れないものとなっていろんなメディアから絶え間なく入ってくるだろ。それに押しつぶされそうになりながらも、自分をしっかり見つめて生きていくなんて、皆至難の技を駆使して毎日暮らしているようなものだと思うんだ。本当に自分が求めている生活スタイルはどんなものなのか、明確に描くことも出来ないまま暮らしてはいないかな?勿論そんな疑問を持たないまま、毎日平然と暮らしている人だってたくさんいるわけだから、それはそれで問題視することじゃないんだけど。僕はきっかけが何であれ、今回自分なりに苦労して、それは彼女やオレンジさんにとっては、本当によちよち歩きの幼児が自宅の庭をさまよって、ようやく玄関にたどり着いた程度の苦労かもしれないが、僕にとってはとってもエキサイティングなことだったんだ。そしてサ・パで君達と会えることができて、本当に日本では経験し得ないリラックスを感じたり、マイノリティーの部落を訪問したり、いろんな人たちと出会ったり、それぞれの暮らしや人生があることが当たり前なんだけど、忘れていたものを思い出したような感じで、日本でそんなに肩を張って生きなくてもいいじゃないかという気分になった。そしてマイケル君の手料理で、しかも部落の民家にお邪魔していただいたことなどに感動してしまって、いろんな感情が一気に頭の中を駆け巡って、不覚にも目頭が熱くなってしまったんだ。僕って変な男に思うだろ?」

 オレンジさんは僕の長い言葉にも嫌な顔をせずに聞いてくれて、「そうだね、私も今日は結構感動したね。探偵さんのいっていることは本当に良く分かるよ」と答えてくれたのであるが、「私達って本当に幸せなんだよね」と少し意味の違ったことをおっしゃるのであった。

そんな会話をしていると、サ・パでは最も一流とされるヴィクトリアホテルの玄関に着いて、僕達は中に入っていった。


 第三話

ツーリストオフィスを併設したゲストハウスが多いサ・パの宿泊事情の中にあって、唯一のリゾートホテルがこのヴィクトリアである。

 中に入ってみると赤い絨毯が敷きつめられた一階のロビーは広く、ラウンジやレストラン、ブティックなどがあり、高級感ただようホテルである。フロントの前では黒モン族の女性達が絨毯の上に布を敷いて、民芸品やアクセサリーなどを並べて宿泊客目当てに逞しいセールを行っている。このホテルを利用するのは僕達のような貧乏なバックパッカーではなく大半が欧米人旅行者で、バカンスをベトナムの避暑地で過ごしている人達である。(宿泊料は八十ドル〜と聞かれる)

 僕達は結局何をするでもなく、一階の民芸品売り場を覗いたり、ビリヤード場などをブラブラしたあと外に出た。来た道を少し戻ってから石畳の階段道路を下って、学校と警察署の前の道を郵便局の方に歩き、一軒のカフェに着いた。

 そこは彼女達が僕を迎に来てくれた際にヨーグルトを食べたところらしく、「ここのヨーグルトはちょっと違うよ!」と二人が言うので、僕等は三つ注文して店の前のテーブルでくつろいだ。

 ヨーグルトは勿論自家製で、透明の小さなコップに入ったシンプルなものだが、これもまた日本にはない濃厚な味でとても美味しく、彼女は二個をあっという間に食べてしまった。(一つ三千ドン・・・二十三円程)

 今日は少し疲れたし、明日は週末の市場も開かれることだからゆっくりしようということになり、明後日のバック・ハーへの日曜市場へのツアーの申し込みと、その日の夜行列車のチケットを予約するために、道路の反対側にあるThanh sonツーリストオフィスに入って行った。

 そこは一階がツーリストオフィスとレストランで二階、三階がゲストハウスになっており、一階にはパソコンも設置されている。

 「ペロ吉達は明後日そのままハノイに戻るのね。私はどうしようかなぁ。ここでもう少しゆっくりしてもいいんだけど・・・」

 彼女はオフィスカウンターの前で少し考えていたが、とりあえず明後日の夜行列車のチケットを、僕とオレンジさんの二枚分を女性スタッフに頼んだ。しかし、この二十才くらいの女性が英語が全然駄目で、こっちの言うことを理解しない。

 「二枚、ハードスリーパー、オッケー」とは言うのだが、何も予約券のようなものをくれないし、パソコンをいじっているのだが、予約の入力をしている気配もなく、全く頼りない。ちょうどその時二階から欧米人が降りてきた。

 「はーい、元気!」と黄色い声でいうので誰かと思ったら、行きの列車で同じコンパートメントになった例の脳天気フランス娘の一人であった。(本当にサ・パは小さい街だ)

 本当によくみれば結構感じの良い女性だなと思ったが、彼女の手前、「あれだよ、行きの列車で同じコンパートメントになった脳天気な女性は」と一応手を振って応えたものの、ちょっと嫌そうにいったものだ。

 ともかく女性従業員が要領を得ないので、オフィスのソファーに座ってボスを待っていたら、数分後に外から帰って来た。

 そのボスは、ダイエーから巨人にトレードされた工藤投手に髭を付けたらそっくりな顔をしていた。僕達は以後彼を、“工藤ちゃん”と呼ぶことにしたのはいうまでもない。

 彼はツーリストのボスだけあって僕達の希望を聞いて、インターネットを使ってテキパキとチケットの予約を入れて、「ハードスリーパーの一番下の席、二枚OKだ。明日夕方チケットを取りに着てくれれば用意できているよ」
と言った。

 僕等は日曜日のバック・ハーのツアーも三人分頼んでツーリストを出た。

 辺りはすっかり薄暗くなっていたが、三人ともお腹が空いているのか空いていないのか分からない状態なので、時間つぶしにバス発着場近くにあるキリスト教会を訪ねた。大きな扉を開くと、ちょうど夜の礼拝の真っ最中で、二十人程の男女が礼拝堂に飾られている神に向って真剣な表情で祈っていた。

 しばらく茫然と見ていたが、何故か言葉も発っすることが出来ないような雰囲気に圧倒されて、僕達はただその様子を静かに眺めているだけであった。


 第四話

 バス発着場近くのキリスト教会を訪ねて、ちょうど礼拝の真っ最中だったその雰囲気に圧倒され、僕は少し頭が痛くなってきた。

 「急に頭が痛くなってきたから外に出て待ってるよ」
と僕が言ったら、彼女達も何かに取り付かれたような元気のない表情で後に続いた。

 やっぱり今日は皆疲れているんだなと思いながら、市場に続くメインストリートを下っていくと、そこは昨日と同ように大勢の人で賑わっていた。

 オレンジさんが友人に送る絵葉書を買うために一軒の土産物屋に立ち寄ってから、市場の近くをうろうろした後、僕達はともかく夕食にしようと、宿に近い小さなレストランに入った。

 僕はトレッキングの疲れかあまり食欲がなく、彼女達も同様に昨夜ほど食欲がないようで、彼女はカレー味のビーフ入りチャーハンにオレンジジュース、オレンジさんはシーフードチャーハンとマンゴージュースを注文し、僕はラオ・カイビールと普通のチャーハンという風に、今夜は全員チャーハンだった。

 彼女達はそれでも全部平らげてしまったが、僕はビールもチャーハンも半分程残してしまった。少し前からちょっと体が熱っぽい感じがしていて、ビールを半分も残してしまったことに対してオレンジさんが、「探偵さん、少し元気がないんじゃないの?」と心配そうに言ってくれた。

 この時も彼女は、「ヤッパ年だよ!」の一言で片付けてしまい、僕はガックリきてしまうのであった。

 ともかく宿に帰って昨日の雪辱戦をしないと気が済まない僕は、「よし!ここは大貧民がご馳走してやるよ」と言って、三万ドン程(約二百三十円)を支払って店を出た。

 再び彼女達の部屋で大富豪ゲーム(大貧民ゲーム?)を始めたが、僕はその前にオレンジさんから体温計を借りて(オレンジさんは用意が良くて、風邪薬や胃薬はもとより抗生物質まで持ってきていた)熱を計ると、三十七度少しあった。

 「微熱があるんじゃないの?」とオレンジさんは心配そうな顔であったが、僕は比較的平熱が高めで、いつも三十七度近くあるだけに、これくらいは平熱だ。雪辱戦を開始した。

 ところが相変らず僕は平民には時々なるが、概して大貧民が多く、午後十時頃にオヒラキにする時はやはり大貧民の身分であった。トランプなんかで何度も負けると、このあとますます偉そうに言われるから、一度はギャフンと言わせたかったが、返り討ちに遭いさらに落ち込む僕だった。

 戦いのあとはオレンジさんがマンゴーを食べようよといって、丁寧にナイフで皮をむき、一口程度に切ってお皿に入れてくれた。(オレンジさんは本当に優しい人だ。きっといい奥さんになると思う)

 「風邪に良く効くんだよ」と彼女はマンゴーにレモンやライムをたっぷりかけて僕に勧めた。

 彼女は常にレモンを持ち歩いているといっても過言でないくらいにレモンが好きなのだ。このように本当に個性的な二人の女性と過ごしている僕であるが、いよいよ体は熱っぽく、少し寒気もしてきたので、オレンジさんに風邪薬を二つ分けてもらって、ミネラルウオーターで流し込んでからヨタヨタになって部屋に戻った。

 ベッドに倒れ込み、TVのスイッチを入れると、ベトナム国営放送はホー・チ・ミンの肖像や独立戦争の模様などを放映しており、ますます頭が痛くなって来た。(別にホー・チ・ミンがどうのこうの言うわけじゃないんだが、ベトナム語の甲高い声でのアジテーションやホー・チ・ミンの肖像とベトナム軍隊の画面ばかりが写っていて一種異様な感じを受けてしまうのだ)

 ますます寒気がひどくなるので、布団にくるまってすぐに寝たが、夜中に何度も目が覚め、その度にTシャツが汗でびっしょりになっており、朝まで三度も着替えた。今日のトレッキングで、雨で濡れたシャツのまま長時間いたのできっと風邪を引いたのだと思うが、僕は結構健康には自信があって、風邪なんて三年に一度くらいしか引かないのに、一体どうなってしまったのだろう。

 【やっぱり彼女の言うとおり年なのか】

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