Music:Hokago
第五話 翌日、朝八時頃にドンドンとドアを叩く音がかすかに聞こえたが、僕は頭が朦朧としており、それに気がつかずに寝続けた。 前夜からおかしな夢を何度も見たような気がするが、記憶力までボケている状態でどんな内容の夢であったかも分からない。僕は汗まみれになりながら、ひたすら布団を被って寝続けた。 次に目が覚めたら午前十時過ぎだった。 フラフラっと起きてみると体が軽く感じ、熱も下がったように思われたので、汗でべとべとになった体をシャワーで流し、昨夜から何枚も着替えているシャツと下着を洗った。 それから僕は黒のTシャツと綿パンにサンダル姿で彼女達の部屋を訪ねたが、ベランダには下着やシャツが干してあり、二人は外出していて留守であった。きっと市場で買物か、カフェでヨーグルトでも食べているに違いないと思って、僕はふらつきながら外に出た。 週末のサ・パの街はますます賑わいを増している様子で、市場は大勢の人で溢れていた。 僕は露店や屋台が並んでいる市場の一階から階段道路を上ってメインストリートに出て、フラフラと歩きながら彼女達を探したが、いくら探偵の僕でもこれだけの人ごみの中ではその姿を確認することは困難だった。 ゆっくりと喉に流し込むようにしながら僕は、通りの向こうの公園でのんびり過ごしている人々や、時々僕の前を通って行くバイクやバス、騒音に近いくらいの大きなボリュームでベトナム歌謡曲を流している自転車よろず屋、相変らず元気な黒モン族の女性達などをぼんやりと眺めていた。体調を壊してしまったが、週末をこんなにのんびりと過ごすのは久しぶりなので、僕はとっても幸福な気分になり、ヨーグルトをもう一つ注文をしてゆっくり食べたあと十五分ほどしてからカフェを出た。メインストリートの両側にある店やレストランなどを覗きながらブラブラと歩き回った。しかし二人の姿は見当たらない。 列車と明日のツアーチケットは夕方にならないと用意出来ないと工藤ちゃんがいっていたので、きっと市場の中で民芸品でも買い漁っているに違いない。 僕は小一時間ほどブラブラしたが、結局宿に戻ることにした。帰りに市場の露店で、リンゴと思われる黄緑色をした果物を三個買って(三千ドン・・・二十三円くらい)宿に戻ると、一階のロビーに例の日本人若者五人組の一人がボヤーとした感じで立っていた。 「どうしたの?ちょっと顔色が悪いんじゃないか」と、僕は聞いてみた。 すると彼は、「さっき医者を呼んでもらったのですが、はっきりとした症状が分からないって言うのですよ。肝炎の疑いもあるかもしれないと言うので、中国に行く予定をとりあえず変更して、明日の列車でハノイに戻って、日本語が分かる大きな病院があるらしいのでそこで精密検査をしてもらおうと思うのです。背中も少し痛くて参っちゃいましたよ」と、今にも死にそうな表情でポツリポツリと話すのだった。 「僕も昨日の夜から風邪をこじらせてね。いま少し熱が下がっているんだけど、僕のは風邪と分かるからいいけど、君のは心配だね。ハノイの検査の結果次第では、大事を取って帰国した方がいいかもしれないよ。君はまだ若いのだからチャンスは何度もあるじゃないか」 そんなことを話している時に、彼女達が手にいくつかの白いナイロン袋を持って帰って来た。 「ペロ吉ィ〜、もういいの?朝ドアを叩いたのに反応がなかったから二人で買物に出たよ」 彼女は白いシャツにカーキ色の綿パンにサンダル姿で、頭にはサ・パで買ったと思われる白に模様の入った扇子のような帽子を被っていた。(閉じたら小さくなるのだが、開くと円になり端と端を止めると帽子になるっていう代物である) 僕は憔悴して椅子に座っている彼のことを彼女達に話したら、彼女は、「顔色悪いよ〜、早くきちんと診てもらったほうがいいんじゃない」と脅すような感じでいうのだった。 僕は全然食欲がないのだが、オレンジさんがリンゴとマンゴーを剥いて小さく切ってくれたのを少しずつ口に運んだ。彼女は僕達と同じ列車でハノイに戻ることにしたらしく、さっき「工藤ちゃん」に一枚追加で頼んできたといったが、同じコンパートメントになるかどうかは分からないとのことであった。 僕達はしばらく日本での日常生活のことや、将来のことなどを雑談しながら果物を食べて、その後お茶を飲んだ。 |
彼女達は今特に彼氏がいるわけではないが、現在の生活にある程度満足をしているようで、特にオレンジさんなんかは一流企業のOLらしく、十数年も勤めているとそれなりの収入もあるし、欲しい物はよほど高価なものでなければ手に入れる事は容易であるらしい。 今の時代は女性が男性に頼ることなく生きて行くことは、昔に比べると随分たやすくなっており、社会がそういうメカニズムになってきているのではないかと僕も思うのだ。ただオレンジさんはメルトモが何人かいて、そのうちの妻子ある男性と時々会っているらしく、今度東京ドームに巨人・阪神戦を見に行く予定と、楽しそうに話していた。 肝心の彼女の方はいつも「私はもてない、もてない」と口癖のように言いながら、結構いろいろと努力をしている様子で、きっとそのうち誰かがあちこちに張りめぐらした網にかかることだろう。 「ペロ吉はどうなのさ?」 僕はあまり自分のことを言いたくなかったのだが、最近前妻のことで嫌な思いをしたことがあったので、つい喋ってしまった。 僕は結婚して二人の息子がいるのだが、九年程前に離婚に至り、子供は妻のもとで成長して、現在高校生なのだが、離婚後ずっと養育費を十万円以上も支払っているのだ。それは誰に言われるでもなく僕が自ら送っているわけで、離婚当初なんかは毎月十五万円も送っていたくらいなのである。勿論息子とは月に二回程度は会っており、彼等は特に卓越したところはないにしても横道に逸れることなく、素直で真面目な人間に育っている。 そのような状況で離婚後今日まで来たのだが、数ヶ月前に前妻が乳癌を患っていることが判明し、つい最近切除手術をしたばかりである。僕は前夫という立場であるが、要望により手術前の医師の説明を聞くため病院を訪れた。そこには前妻の両親や兄、姉が来ていて、僕は九年ぶりに顔を合わせた。 「ご無沙汰しています」 ところが前妻の父親や姉は僕に挨拶もなく、完全に無視をしているような態度だった。 確かに彼女はいろいろと苦労があったかもしれないが、全部女手一つで育てましたというわけではないのだ。金銭的なことはともかくとして、子供に対して社会的なことはいろいろと僕が教えてきたし、高校入試前には毎週僕の家に呼んで勉強を教えていたじゃないか。僕だって自分のことだけ考えればもっと違った人生があったのかもしれないが、子供が一応十八才くらいになるまではと思って、僕なりに考えて協力してきたのだ。それが何だ、あの態度は。 僕はこんなプライベートなことを話している自分にふと我に返り、彼女達にとっては何にも面白い話ではないことに気がつき、恥ずかしくて黙り込んでしまった。 時刻はまだ午後一時前だったが、僕は体がまた熱っぽくなってきたので、オレンジさんに風邪薬と抗生物質を分けてもらって部屋に帰り、熱を計ると三十八度九分もあったので、再び布団にくるまって寝た。話したくないことを話してしまったことに、僕は少し自己嫌悪に陥ってしまった。 これもきっと熱のせいに違いないのだ。 |
高熱があるためか、僕は彼女達の部屋から戻るとすぐに寝入ってしまった。何時間経ったのだろう、外の喧しい音に目が覚めた。 窓の外を見ると、宿の向かいの少し高台に建ち並んでいる一軒の家からその音は絶え間なく聞こえて来ていた。それは鐘と太鼓を使って独特のリズムで奏でられていた。僕はよろけながらベッドから降りて、窓からその様子を窺った。 ベトナムの葬式は日本のようにしめやかなものではなく、ラッパや太鼓の鳴り物が入ると聞いたことがある。しかし葬式にしては人がそんなに大勢いないようなので、おそらく宗教の儀式ではないかと考えられた。 ベトナムの宗教は国教にあたるものはなく、大乗仏教、儒教、道教という伝統的な宗教の他、カトリックや少数民族に信者が多いとされるイスラム教やヒンドゥー教など、複雑に入り組んでいるらしい。 ベトナム人は信仰心が強く、ホー・チ・ミンに代表されるような歴史的な英雄やあらゆるものを神聖化する傾向があるようだが、やはり日本と同ように先祖供養は殆どの家庭で行われている。 僕は朦朧とした意識の中で、昨夜食べたチャーハンの油が内臓に染み込み、それが僕の体の細胞と血管をべとべとにして、呼吸困難になっていくような気がした。僕は誰かに首を締められているかのような息苦しさに我慢ができず、微かに目を見開くとベッドの周りには勇敢なベトナム兵士達が僕を見下ろしていた。天井にはホー・チ・ミンの肖像が写り、白の制服にベトナム帽を被って手に銃を持った大勢の兵士がホー・チ・ミンの周りでざわめいている様子が見えた。 さらに昔テレビで見たベトナム戦争のドキュメント放送にあった映像が、次々と天井に映し出された。アメリカの爆撃機から種を撒いているかのように落とされる爆弾。泣き叫びながらぐったりしたわが子を抱えてさまよう血だらけの母。ゲリラ戦に勝利し、高々と国旗を掲げるベトナム兵の姿・・・。 君達が波乱に富んだ歴史を潜り抜けてきた底力は素晴らしい。ベトナム人民が愛国心に満ちた粘り強い民族であることはもう十分理解した。 「しかしもういい加減にその規則正しい喧しい音をやめてくれないか!」 僕は声にならない小さな声で何度も何度もつぶやいている自分を、天井から見つめているホー・チ・ミンと、ベッドの周りに立っているベトナム兵士とともに眺めていたのであった。 次に目が覚めると窓の外はもう真っ暗で、一体何時だろうと時計を見たら午後九時だった。 ベッドから降りて立ち上がると、すっかり体が軽くなっている気がした。彼女達はどうしているのかなと思って外に出ようとしたら、ドアの下から一枚の白い紙切れが覗いていた。 「Good morning, Vietnam! I paid your room,
and got your passport. So, If you want it,
Win with the cardsgame rich and poor!」 彼女らしいメッセージが書かれていて僕は苦笑いをした。 |
彼女がドアに挟んでいたメッセージには、要するに「明日早朝からバック・ハーのサンデーマーケットへ行くから、今夜のうちに宿代を清算して預けてあったパスポートも返してもらった。欲しければ大富豪のトランプゲームに勝ちなさい」というものだった。 なんと優しい配慮あるメッセージなのだろう、クソ! 「ようし!取り返してやろうじゃないか」 僕はシャワーを浴びて髪の毛を洗い、下着もシャツも全部新しいものに着替えて、最後の戦闘態勢に入った。ドアを開けて外に出ると、サ・パの最後の夜景が月明かりに照らされて、まるで写真を見ているような錯覚を感じた。 階段をトントンと下りていくと、彼女達はサ・パでの最後の夜をのんびり部屋でくつろいでいる様子で、オレンジさんは荷物の整理をしていて、彼女はベッドに横になって本を読んでいた。 「パスポートを取り返しに来たよ」 僕は真剣な顔つきを装って彼女に向かって言った。 「風邪はどうなの?大丈夫?」 「・・・・」 「あれからずっと寝てたんだねぇ」 僕は彼女の意外な優しい態度に拍子抜けしてしまった。 「うん、何かわけの分からない夢を見たような気がするよ。天井には何も書かれていないのに、ホー・チ・ミンの肖像画が見えるんだから、相当参っていたようだよ」 彼女達はあれから少しして、明日の列車のチケットとバック・ハーのツアーを申し込みに「工藤ちゃん」のツーリストに行ったらしい。それから買物少し買い物をして、サ・パの最後の夕食は市場のあのおばちゃんの屋台でフォーを食べたとのことであった。 「ペロ吉、食欲はあるの?」 彼女が妙に今夜は優しそうに聞く。一体どうしたっていうのだろう。 「いやあ、ねえな」 僕はおどけて答えた。 「フランスパンとロールケーキ買ってきたよ、それに果物もあるけど食べる?」 ますます彼女は気を遣ってくれる。何だか気味が悪くなってきた。 僕はフランスパンをちぎって少しずつ口に運び、ベトナム茶で流し込んだ。ベトナムのフランスパンは買物袋から飛び出るほどの長いものではなくて、日本のコッペパンを少し大きくした程度のもので、これが柔らかくて噛むほどに甘く、とても美味しい。 僕はさらにクリームの入ったロールケーキを食べた。疲れている時の甘いものはなぜか本当に美味しく感じる。 「さあ、やろう!臨戦体制は整ったぞ」 最後の名誉挽回戦を始めた。ところがこの大富豪というゲームは、最初の配パイ(配カード)で、大方が決ってしまうわけではないことが分かった。それは最初の時点でジョーカーや一や二などの有効カードが少なくとも、革命という逆転方法があって、ゲームの途中に弱い数字でも同じカードが四枚揃ったら(ジョーカーが入ってもよい)「革命!」と叫び、優越感を顔に思いっきり出して場に投げると、それまでの数字の優劣が逆になってしまうというものである。 これは大げさにいえば、一挙に社会的立場が逆転してしまうという意味で、あの中国文化大革命やフランス革命などに似ているのではあるまいか。まあそんなことはどうでもいいが、僕はようやくある程度コツのようなものが分かって来たような気がした。 どういうわけか今夜の彼女は調子が悪くて、僕は平民の立場が多かったが大富豪にも何度かなって、ほぼパスポート奪回を果たし、彼女は大貧民のまま終始冴えない状態が続いていた。一時間半くらいの激戦のあと、僕達はマンゴーやリンゴなどの果物に例の如くレモンを絞って食べながら、昼の雑談の続きを始めた。 オレンジさんはいわゆる結構いいところのお嬢さんで、都内 また、彼女の方は中学校が同じだったということは、実家が 彼女は二十才くらいの頃にバイクで生死を彷徨ったことがあるらしく、転倒した際にヘルメットが頭に食い込んで頭蓋骨骨折という状態になり、集中治療室でしばらく意識不明であったが奇跡的に回復したと話した。 「きっとそれがきっかけで英語が急に話せるようになったんじゃないの?」 僕は茶化して言った。 「英語は最初から話せたわけじゃないよ。何年か海外に出ていたら、ある時期から急に頭の中で考える時も英語で考えていたんだよ。そうなったらもう大丈夫だね」 彼女は今夜はなかなか冗談には乗ってこず、真面目なことをおっしゃる。 「そうだよね、自転車でも水泳でもなかなかうまくならないと思っていたら、何故かある日急にできるようになった経験があるからね」 僕は自信を持って言った。 「それはちょっと違うよ」 何が違うのか分からないが、彼女は僕の意見を否定した。 そんな風にサ・パの最後の夜を彼女達の部屋でのんびり過ごしながら、ようやく熱も下った僕は、こんな素敵な時間をいつかまた持てるだろうかと、この時が終わってしまうことに空しさのようなものを感じた。今夜は眠くなるまで彼女達と一緒に居るんだと何度も心の中で呟いた。 外は人々の声やバイクなどの音が深夜になっても途切れることはなく、週末のサ・パの夜は更けて行くが、この部屋は三人の静かな話声が窓の外の闇に消えていくような気がした。 |