Music:Love_letter

 第四話

 「そうですけど、あなたは日本語を話せるのですね」

 「私はベトナムの鉄道員です。数年前に国からの派遣で日本のJRに半年ほど研修に行ったことがあります。函館、行きました。福岡、行きました。広島、行きました」
 彼はゆっくりと言葉を一つ一つ確認するかのように話すのだった。

 彼のグループの五人も僕にお酒を勧めながら、こっちに来て一緒に写真を撮って欲しいというので、オレンジさんのコンパクトカメラで写してもらい、再び彼等が飲んでいるちょっときつめのお酒で乾杯をした。

 彼等は全員鉄道員で、短期間の休暇を利用してサ・パに避暑に来ているらしいのだが、中国系の人達なのか、テーブルの下は食べたもののカスやゴミが散乱していた。(別に中国人を非難しているわけではなく、それが彼等の習慣だというだけなのだが)

 三十分ほど何やらベトナム語と日本語が飛び交い、ワイワイ楽しんだのち五人がお勘定を済まして宿に帰ってしまったが、その日本に研修に来たことがあるという男性は僕達のテーブルに残り、時々筆談を交えていろいろと話をした。

 彼はラオ・カイ〜ハノイ間の鉄道のややハノイよりにあるイエン・バイという小さな町に、看護婦の妻と子供二人と住んでいて年令は三十五才、信号機に関係する仕事に就いているとのことであった。日本には勿論信号機の勉強に行ったのである。
 「新幹線、すごいです。ベトナムの鉄道はまだまだです」
 彼は引き続き日本の鉄道技術の素晴らしさを、ゆっくりとした日本語と、時々英語を交えながら一生懸命話す。

 ベトナムの鉄道事情はまだまだ遅れており、ハノイからホー・チ・ミン市のサイゴン駅までを走る統一鉄道は約千七百キロを三十四時間もかけて走るのである。(ちょうど時速五十キロ)

「早くベトナムの鉄道も五十キロ以上のスピードがコンスタントに出せるように頑張ってくださいよ」
と、期待している旨を日本語で話し、持ってきていたコンパクトカメラで彼を写して、「写真が出来上がったら送りますから、住所を書いてください」といって、メモ用紙を渡して書いてもらったのだが、この字がなかなか読めなくて困った。

それから彼に日本の印象などを聞いたのだが、彼は終始思慮深く、丁寧な語り口調で人柄の良さを感じた。しかし僕は少しお酒が回って来たせいで、また、オレンジさんもお腹が一杯のようで、彼の話を少し上の空で聞くような感じになってしまった。

 「九時を過ぎたからそろそろ帰りましょうか」と僕がいって、その前にトイレを借りに店の奥に入って行ったら、そこはベトナム映画の【青いパパイヤの香り】に出てくるような台所であった。 
 要するにベトナムの台所はだだっ広い土間になっていて、調理は勿論ガスコンロなどを使っていると思われるが、基本的にヤンキー座りをして食器や食材を洗ったり切ったりしているようなのである。宿の僕の部屋から見える隣家の台所も同じような感じで、家人がたらいのようなもので食材などを洗っている様子が眺められた。

 トイレを終えて席に戻ろうとしたら、同じ宿に泊まっている例の日本の若者五人グループが奥の部屋で食事をしていた。

 「やあ!君達もここで食事だったのか。 明日はどこかに行く予定があるの?」

 「いえ何処にも行かないのですよ。サ・パではゆっくりしようということなので・・・」

 「僕達は明日マイノリティーの部落をトレッキングするんだ」

 「元気ですねぇ、ところで明日雨らしいですよ」

などと言葉を交わしたが、彼等のテーブルにはたくさんのご馳走がこぼれ落ちそうなくらい並べられていた。

【その食欲からみて君達の方が元気そうじゃないか】と思いながら、僕は明日の雨が少し心配になった。 お勘定は三人で約八万ドン(六百十五円程)で、こんなに食べて、僕はラオ・カイビールも飲んで一人二百円程なのである。

宿への帰り道に彼女は、
「二人ともさっきの鉄道員さんに対して最後の方はちょっと面倒くさそうにしてるんだからぁ〜。 失礼だよ!」

と注意するのである。 僕は彼女と知り合って以来、メールでも面と向かってでもこれまで誉められたり、肯定的な言葉をいってもらったことがなく、いつも罵詈雑言を浴びせられているといっても過言でないくらいなのだ。(あ〜あ、また、嫌われてしまった)

でも彼女は、
「ペロ吉、宿に帰って大富豪ゲームをやろうよ!」
とおっしゃるのであった。

このようにしてサ・パの初日は過ぎて行った。


第四章、 マイノリティー訪問

 第一話

 翌日、朝七時頃に部屋をドンドンと叩く音で目が覚めた。
 「ペロ吉ィ〜、先に市場の屋台に行ってるよ!」

 本当に彼女達は元気だなぁ、と感心しながら重い体を起こしてシャワーを浴びた。
 昨夜はあれから彼女達の部屋で大富豪というトランプゲームで二時間くらい遊んだのであるが、このゲームは最も早く上がった者が大富豪で、ビリの者は大貧民と名付けられ、中間の者は平民と呼ぶのである。

 しかしシステムとしては弱者いじめというか、大貧民は最初配られたカードから最も有効なカード(ジョーカーが最も強く、次に二のカード、次にエースのカードという具合で、最も弱いカードは三のカードということになる)を一枚大富豪様に進呈し、大富豪様は大貧民に対し、配られたカードの中で最も弱いカードを一枚恵むというものなのだ。

 これは明らかに民主主義の基本に反するもので、いわば戦前の日本帝国主義に通じる、弱いものを抑圧し、支配するするという人間の風上にも置けない行為であり、人類が長い歴史を経てようやく勝ち取った自由と平等の社会に相反するものではあるまいか。

 ちょっと大げさにいったが、要するに僕はこのゲームを普段殆どしたことがなく、勿論やり方は知っているが、彼女達の方がよく知っていて、最初に大貧民になった僕は最後までずっと大貧民のままで、少し気分を悪くして部屋に帰ったのであった。


 そんなことは地球的規模で考えればどうでもいいことなのだが、昨夜彼女達の部屋から帰る頃にはポツポツと雨が降り始めており、今朝は土砂降りというほどではないが、シトシトと鬱陶しく雨が降り続いているのである。

 僕は急いで綿パンにTシャツという格好で、朝食を摂るために市場の屋台に出かけていった。
 昨日の昼食を摂った市場の屋台は、まだ七時半頃だというのに大勢の人でごった返していた。
 僕は彼女達がいる昨日のオバちゃんが切り盛りする屋台の前に座り、人差し指を一本だしてフォーを注文した。

 「ヤッパリ雨だったねぇ」
 「でもどうせトレッキングで汗をかくんだからいいじゃないか」
 「マイケル君達、バイクで迎えに来るかなぁ?」
 「いや、絶対に来るって、彼等は商売なんだから」

 といったような話をしながら朝食を済ませ、(本当にこのフォーというベトナムうどんは美味しくて飽きない)食後のベトナムコーヒーが飲みたいねぇと、昨日のカフェの方向に歩いて行った。
 そのカフェには僕達の宿の前を通って行くのだが、宿の前には二百五十CCくらいのバイクに乗ったベトナム青年三人が既に待機していた。
 彼等は僕達に何か話しかけてきたが、ベトナム語なのでさっぱり分からない。

 おそらく、「今日のトレッキングに行くのはは君達だね」というようなことをいっているのだと思うが、マイケル君がまだ来ないので、僕達はカフェの方向に歩いて行った。
 この時点ではまだ三人とも、「雨だし、どうしようか〜」というふうに、余りの乗り気でなかったに違いない。

 さて、カフェに着いてみると早朝から営業は行っておらず、やむなく宿に戻った。
 すると宿の前には既にマイケル君が到着していて、「モーニン!さあ行こうぜ!」といった感じで気合が入っているのだ。

 「よし行こうよ!」

 僕達はそれぞれの部屋に着替えに戻り、僕は彼女からもらったラオスの半パンに白のタンクトップに青いチェックのシャツを着て、頭には紺に赤のペイズリーのバンダナという、センスの微塵も感じられない冴えない格好で降りていった。

 相変らず雨は降り続いており、彼女は赤の短いレインコートにカーキのパンツとサンダルを履き、頭には例のベトナム人民三角帽(ノン)といった、ベトナムのファッション雑誌に乗っても不思議でないような風貌であった。

 オレンジさんも赤の短いレインコートに茶のパンツにサンダルといった格好で、二人ともなかなかお洒落で用意がいいのだ。
 彼女は僕にピンクの、簡易レインコートとでもいおうか、一応頭から被って両腕を通すことのできるナイロン製の雨具を手渡し、「これはフエ(ベトナム中部の都市)で買った雨具なんだよ。使って!」といった。

 このあたりは割と彼女の心遣いを感じたので、昨日の大富豪の件は帳消しにしてやろうと思った。
 僕達は三人のバイクの後部座席にそれぞれ跨り(マイケル君のバイクは三人乗りで彼女はサンドイッチ状態である)、マイノリティーの部落へ出発した。





第二話、三話連続

 僕達はラオ・カイ方面と反対の道路を二十分程下ったところにあるタバン村を目指し、そこに住む黒モン族やザオ族の村を訪ねるのだ。
 バイクは二百五十CCのもので、日本製ではないが悪路にもかかわらずなかなか走りがよくて、案内人達の運転技術も素晴らしい。
 相変らず雨が降り続いており、時々トラックやミニバスなどと擦れ違ったりする時は、ちょっとヒヤヒヤする。考えてみると万が一転倒して怪我をしても何の保証もないのだが、マイケル君たちが一生懸命に運転しているのを見ると、そんなことはこの際どうでもいいような気持ちになっていた。
 今日は金曜日で今日、明日、明後日とサ・パの市場では週末のマーケットが開かれるので、僕達が下っている道路を逆に、背中に民芸品などを入れた籠を背負って登ってくる黒モン族の女性達とたくさん擦れ違った。

 やがて三台のバイクは小さな茶店辺りに到着して、ここで僕達はマイケル君をガイドにしてトレッキングに向かい、後の三人は三時間後くらいにもう少し下ったところに先回りして待機するらしい。

 僕達四人は雨でぬかるんでいる道を、田園風景の中に点在する部落へと歩き始めた。彼女達はサンダルを履いているが靴下も履いているといった妙な格好で、オレンジさんは時々ぬかるみに足をとられながらぎこちなく歩いているが、彼女はマイケル君と一緒に先頭に立って悪路などものともせずにどんどん歩いて行く。
 僕は宿のシャワー室に置いてあったサンダルを裸足で履いているのだが、このサンダルは、裏がなかなか滑り止めがよく効いていて、ぬかるみでも殆ど滑ることなく歩けるので楽だ。

 僕達四人は五分程も田んぼの中を歩いたところで一軒の民家に立ち寄った。
 そこでは民族衣装を纏った(黒モン族というのは黒っぽい衣装を身につけているモン族ということである)家族が、竹や板で作られた粗末な住居に住んでいるのだが、僕達がお邪魔すると手織りの敷物や帽子などの購入を勧めてきた。

 せっかくお邪魔したのだからとオレンジさんは小さな敷物のような物を買い、僕は家の外で傘をさして立っていた八才くらいの少女から一人分の食卓敷物のような物を一万ドン(この頃のレートで七十六円程度)で買い、少女と一緒に写真を撮ってもらった。

 黒モン族の住居は中に入ると薄暗く、竹などで部屋がいくつかに仕切られていて、寝室は土間に簡素なベッドが置かれているという風であり、居間のようなところには土間に小さな椅子がいくつか置かれ、僕等を接待してくれた。
 壁にはホー・チ・ミンと思しき肖像画が貼られ、これは大抵の家にも同じようにホー・チ・ミンの絵や写真が貼られているところからみて、やはりベトナムの英雄はホー・チ・ミンであることは疑いのないことのようだ。

 一応電気は引き込まれているようだが水道はなく、山から流れてくる水や井戸を掘って飲み水にしているのかもしれない。(普通のベトナム人はミネラルウオーターを飲んでいるようであるが、黒モン族やこの後訪問するザオ族がミネラルウオーターを飲んでいるところは見なかった)

 村人達の収入源は主に男性が従事する農業と、女性が機を織った敷物などの民芸品をサ・パのマーケットで売ることで生計を立てているようだが、この辺りは毎年のように水害が起きて、必要な米の七割程しか収穫を上げることが出来ないので、政府が不足分を支給しているとガイドのマイケル君は話していた。

 マイケル君は英語が達者で、彼はもともとモン族の子供であったらしいのだが、一念発起して英語を勉強したのであろうか、現在の本業は調理師とのことで、それでは経済的に余裕がないので旅行者のガイドなどで稼いでいると話していた。
 いずれにしても、サ・パが現在の観光地に復活したのがここ三〜四年程であるので、彼等の内、先見の明があるものや、機転の利くものが英語をマスターしてガイドなどで収入を増やす努力をしているが、無気力な者は部落で昔からの生活を営んでいくしかないのだろう。

いつの時代も何処の国でも、それの是非は別として、このようにのし上がって行く人間と、現在の状態をどうすることも出来ず、変わりない暮らしを維持するだけの人間とに分かれてしまうのは仕方のないことなのだ。

 そんなことを考えながら僕達はどんどん部落の奥へと進んでいった。



 黒モン族の民家は二軒が続いて建っていることはなく、一軒一軒が離れていて、それぞれの耕作する田畑が家の周辺に所在しているように思われた。

 社会主義国だから農地は国営なのか、それともベトナムではドイモイ政策(一九八六年から始められた改革・開放政策。市場経済の導入、個人の所有権の認可、西側資本の導入などにより経済危機を乗り越えた)以後は財産の所有を認められたと聞くので、個人の所有なのかは分からないが、見事なライスフィールドである。

 稲穂は一メートルくらいにまで伸びており、日本の水田に比べると稲と稲との間が詰まっていて、しかも田植え機などの農機具を使っている様子がないので、規則正しく列をなして育ってはいない。

 しかし機械に頼らずにこれだけの広大な農地を耕作するのは、並大抵のことではないと推察され、田植えや刈り取りの季節には男だけでなく、普段は機織や商売に従事している女性達もきっと手伝うのだろう。できることならその頃の季節にいつの日かまた訪れて、今とは異なった風景を眺めてみたいものだと思った。

 田園を突き抜けて、ゆっくりとした傾斜の農道を僕達は、時々ぬかるみに足を取られてドロドロになりながら部落の中に入って行った。

 点在する民家は、殆どが牛や豚或いは鶏などの家畜がいて、おそらく非常食用に飼育しているものと思われるが、それらの糞が所々に落ちており、うっかりすると踏んでしまいそうだし、それになんともいえない匂いが漂っている。僕達は数件の民家を訪ねたあと、棚田に続く道を登って、それまで歩いてきた所を振り返るとそこは広大な田園風景で、ちょうど雨もあがりかけて遠くの山裾辺りから頂上にかけては霧がうっすらかかっており、なんとも形容し難い美しい景観であった。

「ほら見てよ!すごく綺麗だよ。向こうの山裾の道から私達は歩いて来たんだね」

 と、オレンジさんは振り返ってしばらくその景色に見とれているようだった。

 「足元を注意して歩いているから、知らないうちにこんなところまで来ていたんだ」

 僕達は、はるか向こうに見える山裾の道路から一旦下って田園を横切り、部落に入ってから次第に少しずつ傾斜がきつくなった畦道を登り、棚田が頂上付近まで続く裾野を、今度は横に平坦になった道を歩いて来たのだが、既にその間、一時間以上を費やしていた。

 少し行くとそれ程大きくない川が流れており、吊り橋が架かっているところに着いた。

 「ここはシャッターチャンスだな」

 僕は先に向こう側に渡り、彼女達が渡ってくるのを待ってカメラを構えた。僕は彼女の写真をできるだけたくさん撮って帰りたかったのだが、やはりオレンジさんの手前もあり、これまでカメラを向けることは遠慮していたのだ。

 まだ小雨が降っている中を、彼女はノン(ベトナム三角帽)を片手で抑えながら、少し微笑んでゆっくり渡って来た。その姿は僕の目にはまるで川の妖精の如く写り、周りの素晴らしい田園風景なども彼女の前には、ただの絵葉書のように思えてしまうのだった。(オーバーな)

 それから僕達はしばらく畦道を歩いて、白いコンクリート造の長方形をした建物が二軒並んでいるところに着いた。

 「ここは部落の学校で、その隣の建物は病院です。学校は今夏休み中です」

 とマイケル君は説明した。
 教室の入口には錠前がかかっていたが、その隣の小さな部屋の入口が開いていて、そこには一見少女とも思える白い服を着た痩せた女性が立っていた。部屋の中には入口付近にちょっと古びた木の机があり、簡単な本箱や収納箱のようなものが並んでいて、その上にはミネラルウオーターやお菓子や果物などが置かれ、さらに奥にはベッドが置かれているが、そこは仕切り板で半分ほどが隠れていた。

 「彼女はこの学校の先生です。ここで住んでいます」

 とマイケル君は少女のような先生を僕達に紹介してくれた。

 僕はなんだか女性の部屋に勝手に入ってプライバシーを覗いてしまったような感じで、先生に対してちょっと申しわけない気持ちになった。しかし先生はにっこり微笑んで、「ハロー!」といって僕達を心安く招いてくれた。

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