Music:Hokago
第三章、サ・パの街並み
第一話 サ・パの街は標高約千六百メートルの高地にあり、ハノイやラオ・カイとは全く気温が違っていて、正確な気温は分からないが、夜は少し肌寒くなるくらいである。また、空気がとても澄んでいて、僕達が滞在した三日間は一日雨の日があったことも影響してか、朝起きると街は霧に包まれていて、本当にファンタスティックな景観であった。街はそんなに大きくなくて、一番端の新郵便局辺りから反対側の端のダン・チュンゲストハウス辺りまでは、ブラブラ歩いても二十分もかからないくらいである。 僕達は宿から歩いて三〜四分程のサ・パ市場の一階にある広い屋台で昼食を摂ることにした。 そこは五十才過ぎくらいの女性が(ベトナム女性の年令は予測がつかないが)一人で切り盛りしているフォー屋で、テーブルの上にはトッピングの鶏肉や厚揚げのようなものや豆腐、ゆで卵、香草などがところ狭しと並べられ、決して綺麗な屋台とはいえないが、その煩雑さがなかなか良い雰囲気なのだ。 少し痩せ方で、一見おとなしいが実は芯の強そうな顔つきのその女性は黙々と仕事をしていたが、僕達が指を三本示すと早速フォー作りに取りかかってくれた。 既に茹でられた米粉の麺を日本の丼鉢より少し小さめの器に入れて、そこに香草などを少し入れ、さらに僕達がトッピングしたものを上にのせて、その上に味の素を小匙一杯かけて出来上がりだ。 彼女やオレンジさんはチキンを小さく切ったものと豆腐などをトッピングして、それに橙色をした酸っぱい液体(ライムの代わりと思われる)を少しかけたものを食べていた。僕はよく考えてみるとベトナムに来て初めてのフォーなのでちょっと興奮してしまい、チキンと厚揚げのようなものとそれとそれと・・・とたくさんトッピングを注文したのだが、丼にはそんなにたくさん入らないので、結局チキンと厚揚げとゆで卵だけを入れてもらった。 スープは日本にはない味で、おそらく牛骨や鶏がらからとっているものと思われが、ともかくできあがったフォーに唐辛子とさっきの酸っぱい液体を少し加えるとこれがなかなか美味しくて、ベトナム人が毎日のように食べる理由が分かるような気がするのだ。(ベトナムでは朝食は大体屋台のフォーかフランスパンに野菜などを挟んだサンドイッチにベトナムコーヒーで済ますらしい) 「これは本当に美味しいね!」 僕は日本を出発した日から髭を剃っていなくて、ちょっと白いものが混じった髭はかなり伸びており、頭には紺に赤のペイズリー模様のバンダナを巻き、ジーンズに白の汚れたシャツといった格好で、現地の人から見るとちょっとおかしな風貌であったのかもしれない。 ベトナムの人は概して全然物怖じせずに話しかけてくるし、それによく笑う。周りには丼に御飯を山盛り入れてダイナミックに食べている黒モン族の少女や、御飯とフォーを一緒に食べている現地の男性など、あちこちで食事をしている光景が見え、平日ではあるが昼間の屋台は大勢の人で賑わっており、こんな小さな街に何処から人が溢れてくるのかと不思議に思う。 僕達は食べ終わった後はベトナム茶をいただき、お母さんにお勘定を頼むと、なんと三人で一万五千ドン(百十五円程)であった。(トッピングなしならおそらく一人二十円程と思われる) 僕は昨日の夕方から今まで、日本での生活に比べると何倍もの汗をかいた汚い体を温かいシャワーで落とし、日本から持ってきていた髭剃りで無精髭を剃り、ベトベトの髪の毛も二回も洗った。すっかりリフレッシュして、不審なバンダナも外してブルーのチェックのシャツに着替え、結構いい男になった気分で外に出た。 |
彼女は例のベトナム人民有閑マダム的風貌で、オレンジさんはごく平均的な日本人観光客といった感じだが、二人に下僕のようについて歩く僕は、明らかに彼女達よりかなり年令が上に見える筈なので、(本当はそれほど離れていないんだけど)道行く人達から見ると、この三人は一体どんな取り合わせなのだろうと不思議に思っているに違いない。 街は平日であるが、サ・パはベトナム人にとっても勿論避暑地なので、ハノイや周辺の都市からの観光客が訪れており、さらに欧米人を中心とした旅行者達が、夏休みなどを利用して滞在しているというわけで、市場やそこを抜けて旧郵便局辺りのメインストリートはたくさんの人で溢れていた。 僕達はメインストリートからサッカー場の方にブラブラと歩き、さらに階段を昇って丘の上に建っているゲストハウスの横を通り、坂道を下りて再びサッカー場近くに戻ってきて、この間に所々の露天を覗いたりしながらサ・パの街並みを楽しんだ。 黒モン族というのは、モン族という四十四万人もの人が、北部の中国に近い所で生活を営むマイノリティーで、黒っぽい衣装を身に纏っていることからこう呼ばれているが、元は紀元前三千年前に黄河と揚子江の間に国家を築いていた民族で、漢民族に滅ぼされた一派が今から約三百年前にベトナムに流れてきたといわれている。平日でもいたるところで黒モン族の女性を見かけるが、土日はマーケットが開かれるため、金曜日からは、大勢の黒モン族の人たちが周辺の村から集まってきて、街はますます賑わってくるのである。 僕達は明日の予定を話し合った結果、モン族やザオ族の村を訪ねるトレッキングに行こうということになり、メインストリートに並ぶゲストハウスを兼ねたツーリストを数件回った。 それから僕達はベトナムコーヒーでも飲もうということになり、宿の前の通りをカットカット村方面に下って、ある一軒のカフェに着いた。そこは普通の民家風ではあるが、看板にカフェ・カラオケなどと書かれていて、広いテラスにはテーブルと椅子が幾つも出され、そこから見える街の景観もなかなかのものであった。 オレンジさんは東京の短大の国文科を卒業して、三十七才の今日まで某企業に長年勤務しているのであるが、経済的にも余裕があるようで、これまで欧米には度々旅行に行っているらしく、去年の今頃はスイスに一人で滞在していたとのことである。 彼女はオレンジさんと同級生であることは既に述べたが、短大は美術科だったにもかかわらず会社勤めの経験がなく、今の店を開業して(何かテイクアウトの食べもの屋さんらしいのだが、実のところ彼女に関しては殆ど知らないのである)十数年になるとのことで、年に数ヶ月は店を休業して世界の主に発展途上国を旅しているのである。 この間、彼女は七月初旬から既に旅に出ていて、滞在先のインターネットカフェなどから、頼りない僕に旅の心構えとか注意事項など、心遣いを感じるメールを送ってくれていたのだった。 運ばれてきたコーヒーはこれがまた猛烈に美味しくて、ベトナムコーヒーは濃くって苦めであるが、それに練乳のようなミルクがたっぷり入っていて日本にはない味である。(帰国後ベトナムコーヒーの味を真似ていろいろ試してみたのであるが、うまくいかない。コンデンスミルクが微妙に違うのだ) |
旧郵便局辺りのメインストリートにはレストランやみやげもの屋やツーリストなどが並んでいて、すっかり日が暮れた頃でもまだまだ大勢の人で溢れていた。 ツーリストの並び辺りにはレストランが数軒並んでいたが、彼女は僕達の宿の一階に店の案内の張り紙がしてあったイタリアンレストランを探して、ストリートの一番奥の方で営業しているその店に入って行った。 「お肉を食べたいなぁ」 僕等がブラブラ歩いていると、明日トレッキングのガイドを依頼した例のマイケル君と出会った。(本当にサ・パの街は狭いということがお分かりいただけると思う) 店内は四人から六人掛けのテーブル席が八卓ほどあり、この辺りでは普通規模のレストランであるが、ちょうど夕食時というのに客は一つのテーブルに四人が食事をしているだけだった。僕達は席に座り、彼女とオレンジさんが店員が持って来たメニューをしばらくあれこれ見た。 彼女がポツリといった。どうやら値段が気に入らない様子である。 彼女達は例えば肉とシーフード入りの焼き飯が一万ドンだとか、肉と野菜の春巻きが八千ドンであるとか討論していらっしゃるのであるが、僕なんかは一万ドンが一万五千ドンであっても、それは三十八円くらい高い程度なので【これでいいや!】って思うのだが、本当に女性はシビアで特に彼女なんかは何事にも決して妥協をしない人のようだ。のちに僕が理解したことは、旅先ではその国や町の貨幣価値に気持を順応させないと、ともすれば現地の人達に失礼にあたる行為を無意識にしがちである、ということらしいのだ。 結局そのレストランを出て、二軒隣で営業を行っているほぼ同じ程度の規模のレストランに入った。 店内には八人程が座れるテーブル席が四卓と、四人掛けのテーブル席が二卓置かれ、奥の部屋には八人程が座れる丸テーブル席が二卓あり、外から見たより随分大きなレストランだった。既に先客十数人が四ヵ所で食事をしていて、なかなかの繁盛振りである。僕達はベトナム人とみられる六人の男性が食事をしている隣のテーブル席に座った。 その六人が食べていたものは鍋料理だったので、ベトナムにも鍋があることに驚いたが、彼女の提案にオレンジさんも同意し、さらに春巻きとフライドライス・ウイズ・ビーフアンドシーフードなんていうなんとも長い名前の料理やハムと野菜の炒め物などを注文、二人とも大変食欲旺盛で結構なことだ。 彼女達は僕には何を食べたいかもあまり聞いてくれないのでキョトンとして座っていると、「探偵さんはビールを飲むんでしょ」とオレンジさんがいうので、「じゃあ、ラオ・カイビール!」と下僕よろしく従ったのであった。 ベトナム鍋はスープがほぼ日本の昆布ダシに近く、それに数種類の野菜を入れて、牛肉をしゃぶしゃぶのようにしていただき、最後にラーメン(インスタントラーメン風)を入れるのであるが、これがなかなかいけた。 彼女達はお酒を全然飲まなくて、オレンジジュースなんかを注文し、僕だけがラオ・カイビールをグビグビと飲んでいたのだが、かなり食事も進んだ頃に、隣のテーブルで盛り上がっていたベトナム人風六人グループのすっかりご機嫌そうな一人がこちらに来て、僕に小さなグラスに入ったお酒を勧めてきた。 僕は遠慮なくいただき、お返しにビールを勧めると、彼は嬉しそうにビールを注いだグラスを一気に飲み干した。 |