第七話 その男性はアタッシュケースを収納箱にしまって、ベッドに腰をかけて新聞に目を置きながらさりげなく僕に何処から来たのかと話しかけてきた。 ビジネスでないことは明白だし、観光目的とは断言はできないが、ともかく「観光なのです」と答えた。 「いや、サ・パに友人が先に行っているのですよ」 彼は大げさに笑いながら驚いた。聞きやすい英語で話してくれるので助かる。 彼は新聞をベッドに置いて、僕の方を向いて興味深そうに話してきた。誰かに似ているとさっきからずっと考えていたのであるが、そうだ日本の俳優の真田広之にそっくりなのだ。なかなか精悍な顔つきで、表情をあまり変えずに話をする。 「バイクの多いのには驚きましたよ。短時間だったからよく分からないけど、ストレスを感じる町という印象です。しかし活気があって僕は好きになるかもしれない町です。君はベトナム人ですか?」 「そうです。これでも公務員なのですよ」 聞けば彼はラオ・カイの中国との国境警備員で、ハノイには研修で数日出張に来ていて、この列車でラオ・カイに戻るとのことである。自宅には奥さんと子供が二人いて、明日朝駅まで迎えに来てくれるらしいのだ。身に着けているシャツはアイロンが綺麗にかかっており、身だしなみもきちんとしている。きっと彼はこの国ではエリートに属するのだろう。 そのようなことを話していると、突然ガタガタと音をたてながら三人の欧米女性が入ってきた。彼女達はちゃっかりと、板のベッドに敷くマットを丸めたものを持ち込んでいた。(マットはいくらか支払えば借りられるらしい) しばらくマットを敷いたり、何やらガヤガヤと止めどなく喋っているのを見て、僕とベトナム青年は顔を見合わせて苦笑いをしていた。 すると彼女達の一人が、「Can you speak English?」と聞いてきた。 僕と青年が黙っているとさらに、「この列車のシャワールームは何処にあるの?」と脳天気なことを聞いてきた。 僕は再びベトナム青年と顔を合わせて苦笑いをして、「シャワールームなんかはないはずだよ」というと、彼女は少しプライドを傷つけられたという感じでツンとしていた。 ここはベトナムだし、この列車にはエアコンも勿論なく、トイレだってタレ流しなんだから、シャワー室なんていう気の利いたものがあるはずないじゃないか。 【きっと僕が器用に英語を話せないことを馬鹿にしたのに違いない。この脳天気娘達め、フランスが何だ、 日本語を勉強しろ!】 しかしベトナム青年はその後少し彼女達と話をして、冗談なんかもいっているようであった。【彼はすごいなぁ】ベトナム人は勿論中学校から英語を習うのだろうけど、本当に流暢に話せる人が多いのに驚く。 やがて列車は大きな長い警笛とともに動き出し、ハノイをあとにこれから十時間の夜行列車の旅が始まるのである。僕はしばらく窓から見えるハノイの町の様子を眺めていた。もう十時を過ぎているというのに、町はまだまだ活気があり、バイクや自転車に乗った帰宅途中の人達や、屋台で盛り上がっている勤め帰りの人達などで、見える景色は人で溢れていた。【これがハノイなんだなぁ】と僕はたった一日だけ、本当にパセンジャーという字の如く通りすがっただけであるが、強烈な印象を受けたのであった。 コンパートメントは個室になっているので、寝る時はカギを掛けて電気を消すのであるが、脳天気風フランス人女性達がなかなかおしゃべりをやめないので、僕と青年はしばらく小さな声で雑談を交わしていたが、そろそろ寝ようかといって硬いベッドに体を横たえた。 室内には扇風機が天井近くに付いているが、気温三十度を越した湿度の高い車内では全く役に立たない。しかし木の硬いベッドで、しかも汗をびっしょりかきながら、外から時々いろんな虫が訪ねて来たりもするが、それでも十分寝られるのである。 いつのまにか眠りに落ちていた。 |
第二章、十時間の列車の旅、やれやれの再会
第一話 夜行列車で向かうラオ・カイは中国との国境がある町で、中越戦争では戦場となり、国境のナム・ティー川に架かる橋が破壊され、貿易も途絶えていたが、一九九三年に再び国境の門が開かれた。そして一九九六年にはハノイからラオ・カイまでの貨物列車が走った後、同年四月に十八年ぶりにハノイと中国の昆明とを結ぶ国際列車の運行が再開されたのである。 ※(ベトナム戦争で全世界を味方にしたベトナムは三年後の一九七八年暮れに紛争状態にあったカンボジアに侵攻した。これに対し以前よりベトナムと対立関係にあった中国は懲罰を加えるとして、翌年早々にベトナム領に中国人民解放軍を送り込んだ。中国は次々とベトナム国境の町を破壊したが、ベトナム軍の激しい抵抗のため、翌年三月に目的を果たしたとして撤退した) 僕は暑さを少し気にしながらも、疲れていたのかぐっすりと眠り、目が覚めたら午前六時半頃で、窓の外を見ると、ホン川沿いに所々に点在する粗末な民家では朝御飯の支度をしている様子が窺えた。窓からは涼しい風が入り、気持ちの良いすがすがしい好天の朝で、僕はしばらく外の風景を眺めていた。 この辺りは全くの田舎で、一応電気は各家庭に通じているらしいが、列車から見える子供達は殆どが裸足で、着ている服も長く洗濯をしていないのか随分汚れており、大人達は農業に従事していると思われるが、その暮らし振りは貧しいものであることは十分推察できた。 時々停まる駅には、迎えの人たちが大勢集まってきていて、車窓から窺える範囲では所々にしか民家がないのに、何処からこれだけの人が集まるのだろうかと不思議に思った。列車から降りた乗客は、出迎えの人とたくさんの荷物を持って、談笑しながらそれぞれの家に散っていく様子が窺え、ハノイにはこの田舎にはない品物を買出しに出かけるのだと思われるが、往復の運賃は貧しい人達にとってはかなりの負担になるのではないかと余計な心配をしてしまう。 そんなことを感じながら窓の外を見つづけていたが、よく寝ていたベトナム青年もそろそろ目が覚めたようだ。 外の風景は次第に民家が多くなってきて、終着駅のラオ・カイが近づいていることを示している。列車内は洗面やトイレに立つ乗客で騒がしくなり、朝食のフランスパンやロールケーキや飲み物を販売するワゴンサービスも狭い通路を行き来している。僕は食欲は十分にあるのだが、何故だか全然お腹が空いてなくて、きっと自分の気が付いていないところで緊張しているのかもしれないと思った。 午前八時を少し過ぎた頃に列車はようやく終点のラオ・カイ駅に到着した。 僕は青年と握手をして、「See you again. Good luck.」と言葉を交わし別れた。(脳天気なフランス娘達は、列車が着いたのも知らないでまだ寝ていた。 しばらくして同じコンパートメントだった脳天気フランス娘達がチケットを購入して、同じ待合室に入って来た。僕は知らん顔していたのだが、そこは社交的な欧米人である。僕に気さくに話しかけてきた。 「は〜い、あなたもサ・パに行くのだね」 |