Music:MIKO

 第四話

 ハノイツーリストの建物は鉄筋コンクリート造の三階建ての立派なもので、入口には警備員らしき制服を着た年配の男性が座っていた。

 『飛行機のチケットの状況を聞きたいのですが?』と僕はその男性に尋ねた。
 『今は昼休みだからそこで少し待ちなさい』と彼はいって、小さな待合場所のようなところを指示した。そこには四人ほどが座れるソファーと小さな椅子が置かれていて、オフィスの職員風の男女五〜六人がテレビで放映されているジュニアサッカーの試合の観戦に熱中していた。(ベトナムではサッカーが最も盛んなスポーツらしい)

 席は空いていなかったのだが、職員風の男性の一人が立ち上がって、ベトナム語でどうぞ座ってくださいという感じで勧めてくれた。僕は意識的にニコニコしながら、『どうぞお気を使わないで』という意味の英語で遠慮したが、通じているのかどうか、さらにどうぞどうぞと何度も勧めるので、とうとう甘えてしまった。

 この辺りは市の中心部であるが、昼休みが随分長いのか、一時をとっくに過ぎているのにストリートには屋台もあちこちに出ていて、大勢の会社員風の男女が昼食を摂っていた。ツーリストの職員も何かのんびりとした様子で、日本のビジネス街の昼休みとは全く街の雰囲気が違っている感じがする。あまり興味のないテレビを見ていると、年配の男性職員の一人が気さくに僕に話しかけてきた。

 『何処から来たんだい?』
 『日本からですよ』
 『ここのオフィスには日本語の分かる女性が一人いる、あんたは英語が達者か?』
 『少しくらいは話せるのですが』
 『じゃあ、日本語ができる人がいいね。その女性はズンさんという名前だから、もうしばらくすれば戻ってくるのでテレビでも見ていなさい』
 彼は親切にいってくれたので僕はゆっくりすることにした。

 十五分ほどして職員達はチャイムも何も鳴らないのに、午後の就業時刻になったのか、席を立って各部屋に散って行った。先程の警備員らしき年配の男性が、【そこでゆっくりしていたらいいよ】という感じでニコニコして頷いてくれたので、僕は椅子に座ってズンさんとかいう女性職員を待った。
 しばらくして青いスーツを着たキャリア・ウーマン風の女性が颯爽と現れ、奥の部屋に入って行くのが見えた。

 『あの人がズンさんだから、中に入りなさい』と男性がいうので(ベトナム語なので分からないが、そんな内容のことをいっている気がする)、ドアをノックして入った。

 エアコンのよく利いた部屋には女性が二人と男性が一人仕事をしていて、一見して旅行代理店風で(当たり前であるが)パソコンのキーボードの音がカチャカチャと鳴っていた。

 『ズンさんに用があるのですが・・・』と僕は呟くような小さな声でいった。
 『私がズンですが、どのようなご用件ですか?』
 さっきの青いスーツの女性がしっかりした面持ちを僕に向けて聞いてきた。

 『僕はあまり英語が達者でないので、ズンさんが日本語がお出来になると聞いたものですから訪ねてきました』
 僕は引き続き、気の弱そうな小さな声で助けを求めるようにいった。
 すると彼女はニッコリと笑って日本語で、『はい、ダイジョブよ。イカガシマシタ?』と嬉しそうに尋ねてくれた。

 僕は八月二十二日前後のハノイ発ニャチャン行の飛行機は予約なしで大丈夫か?一日何便飛んでいてそれは何時発か?などを聞いたのであるが、ズン女史は僕の日本語に対してなかなか要領を得ない様子で、こちらの意思が通じないのだ。それに、僕が乗るのじゃなく、二十二日以降に、今サ・パに滞在している日本人女性が乗るのですといっても、全く理解していない様子なのである。

 【何がダイジョブなんだ!】僕は別に早口で喋っているわけではなく、確かにアクの強い関西弁なので、彼女にすればアクセントなどは聞き慣れない日本語であったかもしれないが、言葉自体は標準語で話したつもりなのに。

 結局、英語と日本語を混ぜて話したのであるが、僕の英語があやふやな程度と同じくらいに彼女の日本語もあやふやだったので、僕の意向が明確に通じないまま、二十二日の朝の便を僕の名前で予約した形になってしまったらしいのだ。

 しかし予約金も請求しないし、もしあの人がこの便に乗らなくても何のペナルティーもなさそうなので、サ・パから帰って来て本当にこの便を利用するなら名前を変更すればいいわけだから、僕はズン女史に丁寧にお礼をいってオフィスを出た。

 外は日差しが強烈で、相変わらず時々どこからかお声がかかり、それを丁寧に断りながら歩き、加えてさっきのオフィスでのズン女史との交渉にすっかり疲れてしまい、僕は汗びっしょりになってロータストラベル・ゲストハウスに戻ったのだった。


 第五話

 時刻は二時半頃であったが、僕は残念ながら革命博物館や軍事博物館に行く元気が無くなってしまった。汗だくで宿に戻ってすぐに女将さんに、『Can I take shower?』といって、奥のシャワー室に案内してもらった。

 シャワー室といってもベトナムのそれは、トイレと一緒の小さな部屋にあるもので、日本のユニットバスのようにバスタブはなく、単にトイレにシャワーが付いているというものなのだ。僕は髭剃りを持ってきていたが、何故か面倒に感じて、石鹸で軽く体を洗った程度でシャワーを終えてフロントに行って、「二時間ほど寝たいのだけど、いいですか?」と女将さんに聞いてみた。

 「OK,じゃあこちらに来なさい」
 女将さんは快く僕を一階の小さな部屋に案内してくれた。そこはにベッドが三台置かれていて、それぞれカーテンで仕切られているいわゆるドミトリーで、二つのベッドの上には先客のザックなどが置かれ、その人たちは市内観光に出ているとのことであった。部屋にはエアコンなどという代物はないが、天井には扇風機が取り付けられていて、全然暑くないちょうどいい室温で、僕は少し疲れた体をベッドに横たえた。

 僕は満足と不安とが交叉する中、すぐにうとうとしてしまった。二時間程も寝ただろうか、外の廊下の足音や話し声に目が覚めた。時計を見ると時刻はまだ六時前で、トイレを済ませてからカフェの方に行ってみると、そこには七、八人の欧米人男女がアイスコーヒーなどを飲みながら談笑していた。隅の方にはパソコンが設置されており、欧米人女性がインターネットをしている最中であった。今では旅先で簡単にネットカフェに入って、メールや自分のHPのチェックをするのだが、この時は初めての旅で何もかもが目新しかった。現在はかなりの田舎でもネットカフェが所在しており、インターネットで世界中の友人、知人とメールができる便利な時代なのである。

 僕は空いている席に座り、フロント青年に、「Ice coffee with milk,please.と注文して、窓から見えるハノイのストリートを眺めて、さて夜十時までどうするかなと考えた。

 七時頃までカフェでアイスコーヒーを飲みながら、サ・パの地図を見たり和英辞典をめくったりしながら時間を潰した。窓の外に見えるハノイの町はようやく陽がかげり、室内にいると快適なエアコンで分からないが、おそらく少しは涼しくなっているように思えた。

 僕は「さて!」とオーバーに意を決した感じで立ち上がり、青年に向ってあの人の指示の通り、「How much can I pay for it?」といった。すると青年は意外にも、「二ドル頂きたいのですが」というのだが、よく考えてみると二時間ほど部屋で寝かせてもらったからそれくらいは当然だと思った。
 ザックを背負って青年と握手をして礼をいった。

 「Good luck. See you again.」
 扉を開けて外に出た僕の背中に彼の言葉が返って来た。
  外はもう薄暗くなり始めた頃であるが、相変わらずバイクに乗った男女がクラクションを鳴らさないと走らないかのように、騒音とともにガンガン飛ばしていた。ベトナムでは歩いている人はあまり見かけず、歩いているのは外国人が多い。これはあまりに暑くて、歩いていると日射病や熱射病になりかねないので、現地の人たちは皆シクロかバイクタクシーで移動している様子である。

 ストリートの両側の歩道には、あちこちで夕食を食べさせる屋台や、ComとBia hoi(ビアホイはプラスチックボトルに詰められたアルコール度の薄い生ビールで、値段は一リットル四千ドンー三十円程度である。ベトナム人は仕事帰りなどにビアホイを引っかけて盛り上がるのだ)の看板が出た大衆食堂が並んでいて、ハノイの夜は活気が溢れ、大勢の人で賑わっていた。僕は距離にして一キロメートルあまりのところにあるハノイ駅に向かって歩き始めた。


 第六話

 ハノイ駅はサイゴン方面の統一鉄道が発着するA駅と、ラオ・カイやドン・ダン方面の列車が発着するB駅に分かれていて、改札を入ればプラットホームが隣接しているのであるが、駅が東側のA駅と西側のB駅とに完全に分けられ、それぞれのチケット売り場が設けられている。
 僕がB駅に到着したのはまだ午後八時前くらいで、辺りはかなり暗かったが、駅周辺の屋台や商店などはまだまだ人でごった返していた。

 僕は考えてみたら、バンコクからハノイに着く間に機内食を食べたきり、到着後はアイスコーヒー・ウイズ・ミルクは二度も注文したが、食事は一度も摂っていないことに気がついた。
 駅近くのフォー屋(フォーとは代表的なベトナム麺で、米粉を蒸して作った白い麺を、牛骨スープや鶏がらをベースにしたものに味の素を小匙でドバッと入れ、香草やら肉類や野菜を適当に乗っけて、さらにライムをひと絞りして食べるもので、これは本当に美味しい)にでも入ろうかとも思ったが、どういうわけかあまり腹が減っていないし、(何故だかハノイ駅に着いたらヤレヤレという気持ちになってしまった)売店でタイガービールを購入してベンチに腰を下ろしてゆっくり飲んだ。(因みに五千ドン・・・三八円くらいとちょっと高め)

 ラオ・カイ行き夜行列車は十時発だから改札は九時から行われる予定で、駅の待合室には家族連れや商売人風の男女、旅行者などがポツリポツリと現れてきた。
 僕はビールを飲んだせいでかトイレに行きたくなり、重いザックを背負ったままトイレの入口に座っているおばちゃんに千ドン(約八円)を支払って小便を済ませた。(ハノイには無料の公衆トイレというものはないらしく、公園のトイレも有料で、入口におばちゃんが座っている。また、何処へ行くにも荷物を決して置いたままにしてはいけない。周りは貧しい人民が多いのであるから。これは正しいとか悪いこととかいう問題ではない)

 待合室には新聞の売り子やフランスパンを売りに来るおばあさん、(ベトナムはフランス領インドシナ連邦の時代は、約一万五千人のフランス人が一千八百万人ものベトナム人を支配していた。その時代の長年の習慣で今もベトナムではフランスパンを食べるのだ。)水タバコ屋のオヤジさんなどがいて、あれこれ眺めていて退屈しない。

 しかしどういうわけか欧米人バックパッカーは時々見かけるが、日本人旅行者は全く見かけない。それに駅の待合室全体の雰囲気がどうも退廃的というか元気がないので、僕は若干不安な気持ちがいつまでも消えなかった。

 九時を過ぎるとそろそろ駅全体が人で溢れてきた。チケット売り場には予約していない人が駅員と大きな声で交渉している。

 午後九時半頃には待合室と、駅舎の隣のちょっとした広場の向こうにある大きな鉄扉が開かれ、ぞろぞろと乗客が改札に向かい始めた。

 改札口は日本の駅のものとは全く違っていて、大きな屋敷の入口のような扉を開けて、駅員がチケットをチェックするのであるが、乗客でない人も簡単に中に入ってしまえるようである。僕もザックを背負って中年の太った女性駅員にチケットをチェックしてもらって中に入り、プラットホームに停まっている黒っぽい巨大な列車の方に向かった。

 プラットホームといっても僅か十数センチ高くなっている程度で、これは昔の欧米の映画などによく出てくる駅のプラットホームという感じである。要するに列車に乗る際に手すりを持って、ステップにかなり足を上げないと乗れないくらい低いもので、足の短い僕などにはちょっと大変なのだ。僕はチケットの番号を見ながら歩いていると、十五才にも満たないと思われる少年がベトナム語で、「何番の席なのですか?僕が案内してあげましょう。」という風に話しかけてきて、チケットを覗くのだ。

 「これ何て書いてるんだい?ハードSって書いてるのかなぁ」

 僕はペラペラのチケットに印字された文字が読みにくいので、その少年に見せた。

 Hard sleeperですよ。三一番のコンパートメントです。こちらです」

 彼は僕を親切に案内してくれるので、なんだか分からないままついていった。目的の車両の乗り込み口近くまで来ると、制服を着た女性駅員が僕にチケットを見せなさいといってきたので、ここまで案内してくれた少年は要するに観光客に対しチップを目的にしているのである事が分かった。僕は少年に五百ドン札(四円程)を渡して、「ありがとう」と礼をいった。(この僕の行為に対して、のちにあの人は非難するのであった)

 ともかくハードスリーパーの席というのは、いわゆるコンパートメントで、一部屋に三段ベッドが二列並んでいるのであるが、ベッドといっても木のベッドにござを敷いているだけのもので、硬いからそう呼ぶのだろう。

 僕の席は三段の最下部で、これはあとで分かったことなのだが最も値段の高い席である。因みに値段は約二千円で、このハノイからラオ・カイ間の列車は、ハードシート席(硬座席)、ソフトシート席(硬座席にビニールを張ったものでちょっとだけクッションがあるらしい)、それにこのハードベッド席の三種類があるが、寝台車はハードスリーパーのみである。

 要するに最も値段の高い席に乗車しているわけで、しかも僕はそのコンパートメントの中でも一番値段の高い最下部席であるということなのだ。(最上席は天井との間が狭く窮屈で、真中の席はまだ良い方であるが窓が見えない)

 あの人の心遣いに感謝するのであるが、ベトナムの列車は自国民と外人とは運賃が異なっていて、外人はほぼ倍の値段らしいのだ。しかし殆どのベトナム人はハードシート席か、ソフトシート席に乗車するようで、コンパートメントに乗れるベトナム人はかなり生活にゆとりのある人か、ビジネスマンか公務員という立場の人であるらしい。

 僕は木のベッドを開けてその中にザックを入れて(最下部席のベッドの下だけが収納箱になっている)、窓から出発前のごった返している人々や風景を眺めていた。 

しばらくして同じコンパートメントに三十才前後の男性が入ってきて、反対側の三段ベッドの最下部席に座り、ベッドの下の収納箱にアタッシュケースとショルダーバッグをしまって現地の新聞を読み始めた。そして彼の方から、「どこから来たのですか?」と話しかけてきた。

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