Music:Hokago


   第七章、多国籍コンパートメント

 第一話

 午後五時半が近くなったので僕達は席を立ち、彼等に「See you again!」と挨拶をして店を出た。駅の待合室は大勢の人でごった返しており、改札が既に始まっているので僕達はチケットを出し、駅員に確認してもらって中に入った。

 結局、サ・パの工藤ちゃんの配慮によって彼女も同じコンパートメントの席を取る事が出来たので、C十九と書かれた部屋に入ってザックを最下部の席の下に入れ、僕達三人は落ち着いた。オレンジさんは僕の前の最下部席で彼女は僕の真上の席であった。

 しばらくして「はーい、よろしく」と若い欧米人女性二人が入って来た。さらに若い欧米人男性も彼女の上の最上階席に荷物を置いた。

 これで部屋の定員六人が揃ったわけだが、欧米人男性は恋人と同じコンパートメントになれなかったようで、外の通路で別の部屋になってしまった女性と話をしている。

 列車内はもちろん冷房はないので猛烈に暑い。最上階席の上には小さな扇風機取り付けられているがあまり役を果たさない。窓を半分ほど開けて、さらにコンパートメントの入口も開けて風を通そうとしたが、全く風は入って来ない。

 僕達はミネラルウオーターを手に持って、体全体から流れ落ちる汗と同じくらいの水を補給しなければ脱水症状になってしまいそうな感覚に、列車が発車する前から疲労困憊状態に近かった。

 やがてヴォ〜〜〜ンという長くて大きな警笛とともに列車はゆっくりとラオ・カイを離れ、ハノイに向かって走り出した。

 

 しばらく僕達三人と若い欧米人女性二人との五人で自己紹介などを行った。

 「ペロ吉ィ〜、英会話の練習にちょうどいいじゃない。彼女達にいろいろ聞いてみなよ!」

 彼女は年上の僕に相変らず指図をする。

 僕は英文法上としては少しおかしいかもしれないが、持ち前の語彙力にものをいわせて二人に話しかけた。

 それによると、二人は日本に一年間、中学校の英語教師としてアメリカから派遣されていたらしく、この夏で任期満了となり、帰国する途中にベトナム旅行を組み入れたということだった。

 「日本では何処の学校で教えていたの?」

 「私は佐賀県武雄市、彼女は同じ佐賀県有明町でした」

 「武雄市といえば、昔カンボジアで亡くなった日本の有名なカメラマンで、去年映画のモデルにもなった一ノ瀬泰造さんの故郷がありますが、彼を知っていますか?」

 「I don`t know

 彼女たち二人は一ノ瀬泰造さんを知らないという。そうか、インドシナで彼のことを知っている人は結構多いらしいのだけど、やはり欧米では有名ではないのかもしれない。

 僕は少しショックを感じた。(僕は本当に単純な人間で、「地雷を踏んだらサヨウナラ」という映画を見て、彼の生き様に感動したのだ)

 「日本への派遣はアメリカ政府からの要請ですか、それとも民間の組織からのものなのですか?」

 今度は少し難しい英語力を必要とする言葉で何とか聞いた。

 二人は僕の英語を理解してくれたようで、日本政府からアメリカ政府に要請があって、私達が派遣されたのだと話してくれた。

 一人はバージニア州の出身で、もう一人はカリフォルニア州であるらしく、家に帰ったら特に仕事はないので、日本でいうプータロー状態になるのだと言い、結婚でもしようかなとも冗談交じりに語っていた。

 そして二人が今度は僕達に仕事は何か、年令は?さらに三人はどういった関係かなどと矢継ぎ早に質問をしてきたのだった。


 第二話       

 オレンジさんは「Office clerk、彼女は「run a Food Shopで理解したようだが、僕の職業については「investigation」或いは「researchなどと言っても分かっていないようだった。

 あとで分かったことだが、この場合は「detectiveでよかったのに、僕は仕方がないから、「シャーロックホームズ」「エルキュール・ポアロ」などとわけの分からない言葉を言ってしまった。

 年令の話になって、またしても彼女達は実際の年令より随分下に見られ、特に彼女は喋り方が「ちびまるこちゃん」に似ているので、ますます得をするのだ。いや別に得はしていないが、ともかく僕は傍で聞いていてイライラした気持ちになってしまうのだった。

 僕達三人の取り合わせは、二人のアメリカ女性から見ても少し興味があるようで、「三人の関係は何なの?」と何度も聞いてきた。

 「私と彼女が幼馴染の友人で、このおじさんはE-mail friendなの。私が今夏インドシナ旅行をしている途中に、彼と彼女(オレンジさん)も夏休みを取ってサ・パで合流したの」

 彼女はおそらくこんなふうに説明をしたようだった。しかし、おじさんとは何だおじさんとは!

 僕が心の中で少し憤慨しているのをよそに、二人のアメリカ人女性は少し意外に思ったようだ。

 そして僕の方に顔を向けて、「彼女に会うためにベトナムまで来たということですか?」とストレートに聞くのだ。

 「いや、違うんだ。僕の歴史の一ページにするためなんだ」

 僕はわけの分からないカッコつけた言葉を苦し紛れに言った。

 それからあと、彼女は英会話力にものをいわせてアメリカ女性達と女同士の会話を楽しんでいるようだった。オレンジさんも少し前から英会話教室に通っているとのことで、それなりに理解しているのか、時々その会話の中で笑ったり頷いたりしていた。

 僕はといえば、やはりネイティブな発音の英語はヨーク聞かないと即解は出来ないので、時々彼女の通訳を求めなければならなかった。

 話は男女関係に及んだようで、アメリカ女性たちはさすが恋の先進国(恋に先進国も発展途上もないかもしれないが)だけあって、国に帰ればボーイフレンドくらいは勿論いるとのことだ。

 「このおじちゃんは日本に帰れば何人もの女性がいるんだよ」

 突然彼女がこのような失礼なことを言うので、僕はもうヤケクソ気味に言ってやった。

 「僕は彼女を心の底から好きなのです。でもそれは将来性の全くない、言わば自己満足の類なのです」

 二人のアメリカ女性は笑っていいものか、同情してよいものか分からないような複雑な顔をしていた。

 そんな風な日米親善会話で列車が出発してしばらく盛り上がっていたところに、なんと突然、夕食のレストランで一緒だったジョン・ローンが現れたのだ。彼は食事の時にはいなかった若い女性一人と、彼と同年令くらいの青年とで、僕達のコンパートメントを探し当てたのだった。

僕はとても嬉しくなってしまった。やはり日越親善のために振舞ったBia hoiの威力だなとしみじみ思ったものだ。


 第三話

 「さあ、どうぞ!」

 思いがけないジョン・ローン達との再会に僕は興奮した。ほんのわずかだけレストランで隣り合わせの席になり、ビールを注ぎあっただけなのに、彼は僕達のコンパートメントをわざわざ訪ねて来てくれたのだ。

 彼等を部屋に招き入れ、三段ベッドの二段目を少し上にあげて、僕達八人は向かい合わせで四人ずつ詰めて座った。通路にいるアメリカ人男性にも声をかけたが、彼は「どうぞ気を遣わないで。僕はしばらく窓の外を眺めていますから」と遠慮がちに言った。

 部屋の主役は三人の飛び入りベトナム人に変わり、アメリカ人女性二人も別に嫌そうな顔ではなく、むしろ歓迎している様子だった。

 「私はハノイの医学専門学校の講師で、隣の女性は僕の生徒です。こちらの彼は私の友人で商事会社に勤めています」

 ジョン・ローンは自分と同行の二人について簡単な紹介を、ゆっくりした英語で物静かに話した。

 「医学専門学校の講師ということは、やはりあなたは医師でもあるわけですか?」

 彼女は彼の英語のスピードに合わせるかのようにゆっくりと聞いた。

 「そうです。私は医師としてはまだ新米ですが、生徒を持って教えています」

 「ヤッパリ彼はこの国ではエリートなんだ」

 彼の言葉に、僕は納得したように言った。

 「エリートという表現はあまり好きじゃないけど、ある程度の立場の人や公務員なんかじゃないと、週末に避暑地で過ごすなんてことは出来ないだろうね。普通の人民は生きるために毎日必死だものね」

 僕の決めつけた言葉を補うように、彼女が付け加えた。

 しばらく八人でいろんな会話を楽しみ、ジョンは持参したウオッカのようなかなり強そうな酒をチビチビ飲んで顔が真っ赤になってきた。彼はその酒を僕達にも勧めたが、僕は強烈な匂いに遠慮してひたすらミネラルウオーターを飲んでいた。

 彼もアメリカ人女性達と同様に細くて若く見える女性と、何処から見ても日本人といった感じの女性に、冴えない中年男という僕達三人の取り合わせが不思議なようで、それぞれの年令や職業などを片言の英語と筆談で聞いてきた。

 またしても僕は探偵という職業を説明するのに一苦労してしまうのだったが、ジョンと生徒の女性は僕の必死の英語をじっと耳を傾けて理解しようと務めてくれるので、本当に感激してしまう。
 時折、彼の友人も微笑みながらベトナム語で僕達に語りかけてくる。しかし、残念ながら彼は英語が全く駄目なようで、ジョンが所々通訳をしてくれるが期待に応える返答が出来ず、僕は言語というものの重要性をしみじみと感じたものだ。

こんな風に、暑さと湿気と列車の走る音などで部屋の中は最悪の状態ではあったが、ベトナム人三人とアメリカ人二人と僕達変な日本人三人は、生涯でそう度々経験し得ないディスカッションを楽しんだ。

 あっという間に時刻は午後九時を過ぎ、本当はこの楽しいひと時を皆が眠くなるまで続けていたいと思った。

 しかし、通路でずっと立ったままのアメリカ人男性が気の毒だし、僕はトイレから帰ってきたタイミングでやむなく「そろそろスリーピングタイムにしませんか?」と切り出した。

 アメリカ人女性は少し疲れていたようで、僕の言葉に一瞬ホッとした表情に変わった感じを受けた。

 ジョン達三人はもっと話をしたそうな様子だったが、ここは外にいるアメリカ人男性のことも考えてオヒラキとなった。

 「本当に素晴らしい夜だったよ。日本に帰っても決して忘れないよ。いい思い出が出来た」

 ジョン達にそう言って握手をし、お互いに別れを惜しんだのだった。

 このようにして、ハノイに向かうコンパートメントの楽しい夜は更けていった。


 第四話

 さて少し早いけど疲れているから寝ようかと、彼女とビタミンさんは洗面に立った。

 僕も歯を磨こうとザックを開けてみると、歯ブラシや石鹸、髭剃りから発毛剤(これはアメリカからネットで購入している)までが入ったビニールポーチを、サ・パのゲストハウスに忘れてきたことに気がついた。

 「サ・パのゲストハウスに洗面道具一式と発毛剤を忘れてきちゃったよ。歯を磨けなくなったことは仕方がないけど、発毛剤は継続しないと効果がないんだ」

 「ヤッパ年だよ。ただ、発毛剤はちょっと勿体なかったかもね。これをきっかけに、もう髪の毛は諦めたら?」

 洗面から戻ってきた彼女はこのように冷たく言う。自分のドジに落胆していたが、周りのアメリカ人女性達も寝る態勢に入り、室内の明かりを消したので仕方なく横になった。疲れた体に硬い板敷きのベッドがきつくてなかなか眠れない

 列車内はこれまで経験をしたことがないくらいに相変らず猛烈に暑く、僕は普段の何十倍もの汗をかき続け、そしてひたすらミネラルウオーターを口にした。
 しばらく経って、隣で寝ているオレンジさんが微かにいびきをかき始めた。オレンジさんは本当に逞しい女性だなぁと痛感した。僕の上では、彼女がベッドの端から腕をだらりと垂れながら寝苦しい様子だった。

 狭いコンパートメントでガタンゴトンと列車の規則正しいレール音を聞きながら、僕はその時彼女に対して自然といとおしい気持ちを感じていることに気がついた。彼女は本当に自然な人なのだ。

 彼女の考え、行動、口から出る言葉の一つ一つや態度など、そこには何の打算も装飾もない。
 その時その時に頭に生じたことで、体の機能すべてが動いているといった感じがするのだ。それはまるで赤ん坊の如く純粋といってもよく、普段の彼女は社会を強烈に風刺するようなことを言ったり、人物の批判も厳しい。
 特に僕なんかには遠慮なくストレートに罵詈雑言を浴びせたりするのだが、その奥には実によく配慮された優しい心遣いがあることを僕は感じ取っている。

 明朝、ハノイに着いたあと彼女とは別れなくてはならない。彼女はその後一人でベトナムを南へ南へと旅して行く。
 毎年、二ヶ月間ほどを店の休業として世界のあちこちに旅する。大学を卒業してから、このような旅人を十五年以上も続けているのだ。(年令をばらしてしまうことになるが)

 僕はこのような彼女のライフスタイルを尊敬すると同時に、憧れを感じるのだった。

 【もう旅はいいじゃないか、一緒に日本に帰ろうよ】

 僕のこの感情は、今まで彼女に対して決して感じることのなかったエゴである。いつからこの感情が生まれたのか分からないが、このような気持ちになってしまったのは、きっとあまりにたくさんの汗をかきすぎて尋常な精神状態を保てないからに他ならないのだ。

 自分に対して疲れているんだ、疲れているからなんだとひたすら言い聞かせながら、汗でベトベトのシャツを着替える余裕もないまま、いつしか眠りに落ちていたのであった。


 第五話

 ベトナムの列車はどうしてこれでもかというくらいの大きな警笛を鳴らすのだろう。

 その音は文字にすればヴァ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ンといった感じで二十秒間程も鳴らし続け、時には一度ではなく二度三度と、しかも停車駅を出発する度に鳴らすのだ。

 僕はその都度ベッドから飛び起きて転げ落ちそうになり、眠たい目で窓の外の様子を眺めるのだが、深夜だというのに駅には不思議とたくさんの人々が集まっている。

 隣のオレンジさんはスヤスヤとよく寝入っており、真上の彼女も殆ど動かないところをみると、この競馬場のファンファーレのような音を気にもしないでよく寝ている様子である。

 相変らず気温が三十度は十分に越えていると思われるコンパートメントで、僕は汗でヌルヌルになったゴザの上で(ベッドといっても板に直接ゴザが敷いてあるだけというのは行きの列車の際に説明したとおりであるが)、何度も寝苦しさに寝返りを打ちながら、今回の短期間のサ・パやバック・ハーでの出来事や街の風景など様々なことを思い出していた。

 サ・パのファンタスティックな街並みや黒モン族の少女達。美味しいフォーを無言であっという間に作ってくれた市場のお母さん。日本に研修に来たことがあるという真面目で気のよい鉄道員。圧倒するようなサ・パの教会の雰囲気。トレッキングで世話になった陽気で親切なマイケル青年。雨上がりのライステラスとモヤのかかった美しい山並み。サ・パで最も仕事が出来そうな工藤ボス。バック・ハーの花モン族の綺麗な民族衣装。サンデーマーケットのごった返した風景・・・。

 心に次々と甦ってくる思い出に、僕は感慨に耽り満足していた。
 日常生活からのつかの間のエスケープが、日本よりはるか南のベトナム北部で、こんなに素晴らしい時を過ごせたなんて、僕は日本を発つときには全く予測しなかった。仕事に追われ、人間関係の軋轢やあらゆる欲望が交叉する日々の生活に於ける苦悩や苛立ち。そんなものをすべて忘れさせてくれたほんの暫くのエスケープ。

 ぼくは汗まみれの体を横たえながら本当に満足していた。上で微かに動きながら寝入っている彼女とは、勿論それぞれ異なった暮らしや人間関係があり、その中に立ち入ることは決してないのであるが、例えばそれらを円のような面積とすれば、そのごくごく一部を重ね合わせることが出来たこと、ともに流れる時間を共有出来たことなどにも、僕は何よりも満足していた。

 彼女と知り合わなければ、今年の夏も僕は例年の如くありきたりの生活を送り、アジアの片隅で逞しく生きる人々の暮らしを知ることなく秋を迎えていたに違いないのだ。一つの小さなベトナム旅行をきっかけとして、貧弱だった僕のこれまでの人生に、遅まきながら新たな方向付けをしてくれたような気がするのである。

 これまで十数年に渡り世界の国々を旅して周っている彼女にとっては、僕が今感じているような思いは、それこそ幼稚園児がはじめての遠足で、それまでの行動半径を越えた初体験に驚喜するかの如くかもしれないが、僕にとっては夢のような出来事の数々といっても過言ではなかった。

 【本当に彼女には感謝しなくちゃならないな】

 そんなことを考えながら、僕は再び眠りに落ちていった。

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