チェンマイ・マイラブ

 チャーリーズ・エンジェル

 深夜一時を過ぎて僕とT君はナナ・プラザを出た。外はまだ雨が降っていた。屋台では客とダンサーとが食事をしている光景がたくさん見えた。こんな深夜でもまだまだ多くの人で辺りは賑わっていた。

 タクシーを捕まえてカオサンに戻った。宿に入るとなんとO君が既に帰ってきていた。

 「どうしたの?えらく早いじゃないか」

 「いやぁ、ちょっとトラブっちゃいました。あの女、性格悪いですよ。千バーツ投げて帰ってきました」

 聞けばショートだから(野球のポジションではありません)千バーツと最初に言ったはずなのに、千五百くれというので、腹が立って帰ってきたらしい。しかしやることはちゃんと済ませてきたというから、何をそんなに怒ることがあるのか僕には不思議に思った。

 旅の初日は深夜のナナ・プラザ徘徊で終わった。まだ初日だというのにディープな今回の旅だと感じた。

 翌日はいつものとおり、裏通りの屋台でぶっかけメシに目玉焼きを乗っけてもらって朝食とした。(三十バーツ、これが美味い)
 さて、今日のうちにどこかへ移動しなければと思い、宿のご主人にチェンマイ行きの夜行列車のチケットを頼むことにした。エアコン二等寝台でアンダーのベッドを希望した。

 エアコン車両が空いていなかったら扇風機灼熱列車でもかまわないと思っていたが、運よく空いていた。しかも下段のベッドだ。(
561バーツに宿の手数料が三十バーツほどかかったかな いい加減)

 ドミのベッドに戻るとT君もO君も手持ち無沙汰にしていたので、「どこかへ行こうよ」と声をかけた。

 「フジイさんはまだ移動しないのですか?」

 「今夜の列車でチェンマイへ行くことにした。さっきチケットを宿のご主人に手配してもらったよ」

 「じゃあ夜まで時間があるのですね。伊勢丹でもいきましょうか」

 「ついでに映画を見に行こうよ」

 O君とT君が次々に提案し、結局またタクシーで出かけることにした。サヤームスクエア辺りで降りてサヤーム・ディスカバリセンターに先ず入った。ここはアルマーニやKenzoなどのブランドショップがたくさん営業していて、センター内はかなり洗練されている。

 ショッピングに訪れているタイ人や欧米人の服装のセンスも洒落ており、タイの人では高い所得層しか用のないところに思う。だからショッピングの客は多くない。そんな中でわれわれ三人は短パンにTシャツというだらしない服装で、かなり場違いな感じがした。

 このセンターの上階では映画館があり、上映メニューを見に行ったがちょうど始まったところで時間が合わず、そこで交差点をはさんで南西にあるマーブンクロンセンターの映画館へ行くことにした。陸橋を渡ってそのまま東急の入口からは入ると、先ほどのサヤーム・ディスカバリセンターとは違って大勢の人で溢れていた。

 やはりここはあらゆるショップや飲食店、ゲームセンターや巨大な映画館などがあり、庶民的な雰囲気がするのでこれだけ活気があるのだろう。映画館のフロアへ行くと数本上映されている映画は、「超人ハルク」「チャーリーズ・エンジェル」と韓国映画などだった。

 「ハルクはちょっとねぇ・・・」という意見で、我々はチャーリーズ・エンジェルを見ることにした。(七十バーツ)


 チェンマイへ 

 チャーリーズエンジェルは端的に言って退屈な映画だった。それは当然耳からは英語で届き、字幕はタイ語という環境であるから、頼りは映像だけである。だからいくらチャーリーズエンジェルたちが美人でセクシーだったとしても、物語の進み具合が明確に把握できていないと、単なる軽めのアダルトビデオのようなものだった。

 他の二人はどう楽しんだのか知らないが、僕は一応最後まで寝ないで見たが、消化不良のまま映画館を出た。だからといって日本に帰ってもう一度見ようとは思わない作品だった。

 その後、映画館のフロアのすぐ下にあるクーポン食堂で腹ごしらえをした。広大なこのクーポン食堂はマーブンクロンの六階にあって、僕はほぼ毎回必ず一度はここで食べる。ただし、購入したクーポンはその日のうちに使わなくては無効になるので、あまりたくさん買ってしまうと無駄になる。(払い戻しはしてくれるという話だが) 

 T君はなにやらギトギトの中華料理を、僕はミニトムヤンクンとカオパッドというオーソドックスなタイ料理を、そしてO君は何を食っていたか忘れてしまった。食事のあとはマーブンクロンをウロウロし、それぞれが日本の土産を買いますということで、ここで別行動をとった。

 結果的にはT君とO君とはこのあと会うことがなかった。僕は宿に帰ってからバックパックをすませて、19:40バンコク・ホアランポーン駅発のチェンマイ行き列車に乗るため、夕方六時ごろに宿をチェックアウトした。

 彼らの連絡先もメルアドも交換しないままだったが、まあ縁があればまたどこかで再会することだろう。

 マーブンクロン&サイアム・ディスカバリーセンター周辺はこんな感じ。(画像拝借。ま、いいでしょ)

 http://thai.cside.tv/gallery/list.php?catid=siamsquare&pid=1 

 

 ホアランポーンの駅までは贅沢にもタクシーで行った。旅では何が起こるか分からないから早めに駅に着いたのだが、まだ一時間あまりも時間があり、駅構内の二階のオープンカフェでコーヒーを飲んで時間つぶしをした。

 いよいよこれから今回の旅が始まるような気がした。駅の構内には前回来た時と変わらず大勢の人々であふれていた。上からコンコースを眺めると、やはり欧米人が結構目立つが、日本人はよく探さないと見当たらなかった。

 列車が入ってくる時刻になって中に入った。いつも思うが、夜行列車が止まっている様は、なにか一種不気味な雰囲気がある。日本のようにホームの照明が明るくないということもあるかもしれないが、列車そのものの外観が暗いからだと思う。

 寝台エアコン車両は、ベッドメイクまではアッパーの客とアンダーの客が向かい合って座る。僕の席の向かい側、つまり僕のベッドの上の客はなかなか来なかった。そして列車は出発した。ガタリゴトリときわめてゆっくり、バンコクを離れるのが嫌であるかのように、しばらく全くスピードを上げずに怠惰に走るのだった。


 チェンマイへ その二

 19:40分にバンコク・ホアランポーン駅を出発した列車は、予定では翌朝八時にチェンマイ駅に着く。つまり約十二時間の夜行列車の旅というわけである。

 因みにバスなら一時間か二時間くらい早く着き、飛行機なら二時間程度でビュンと行ってしまう。時間のある人は列車の旅を個人的にはお奨めする。

 しばらく窓の外を眺めていたら乗務員が夕食の注文を聞きにきた。下敷きのようなものに書かれた写真つきのメニューを示されたので、タイ料理定食みたいなものとビアシンハをお願いした。値段は120バーツくらいだったかな?ビアシンハを注文したので180バーツくらい払ったような気がする。少し高目だが列車内だし、こんなものではないか。

 運ばれてきた料理は、野菜と肉の炒めたものやチキン料理にスープまでついていた。味は満足だったがすごく辛くて、大瓶のビアシンハ一本をすぐに飲み干してしまったほどだった。

 旅の二日目、チェンマイへの夜行列車に乗り、美味しい料理にビールだ。僕は非常に満足をしていた。これだから旅はやめられない。回りは欧米人とタイの人ばかりで、日本人は一人も見当たらないが、それがかえってリラックスできる。

 窓の外はいつの間にか田園地帯を走っているのか、真っ暗闇である。時々遠くに明かりが見えるのは、民家の電灯か街灯かわからないが、日本の田舎町を走る列車から見る夜景と何等変わりはない。

 午後九時半頃になってようやく客室係の男性がベッドメイクに回ってきた。食事が終わった客席をガチャーン、ガシャガチャ、ドンっといった感じで、わずか三分ほどで上段と下段のベッドメイクを終える。この手際よさはいつみてもすごいと思う。

 今日は昼間サヤームやマーブンクロンをうろつき回ったし、チャーリーズ・エンジェルという超セクシーダイナミック映画を見たせいで、体がずいぶんと疲れている。ベッドに横になり、少し本を読んでいたらたちまち眠くなってしまった。カーテンを引いて寝た。

 目が覚めると既に夜が明けており、列車は山の中をひた走っていた。かなり賑やかなランパーンの駅に着いたのが午前六時過ぎで、再び山間部や田園地帯を走るともうチェンマイはすぐだ。次第に民家や建物が増えてきた。長い直線レールをしばらく走ると、ほぼ予定時刻にチェンマイに到着した。

 チェンマイ駅は街外れに位置している。駅を出ると早速トゥクトゥクの男性が声をかけてきた。泊まろうと思っていた宿は旧市街までも行かないナイトマーケットに比較的近いファング(Fang)ゲストハウスだ。距離にして駅から一キロあまりだろうか。

 トゥクトゥク男性に「ファングGHまでいくら?」と聞いてみると六十バーツだと言う。
 まあそれが相場のようだ。重いザックをおろして出発した。

 トゥクトゥクはピン川に架かるナワラット橋を渡り、ターペー通りをさらに旧市街に方向に進んで、デパートの手前を左折。しばらく路地を走ると、「ここだ」と言って止まった。
 静かな住宅街に宿はあった。敷地を入ると六十歳くらいのオヤジさんが朝から乗用車を磨いていた。部屋は空いているかと聞くと、いくらでも空いていると言った。二階の部屋のキーをもらってザックをおろした。

 セミダブルベッドはシーツが綺麗でトイレ兼シャワー室はお湯が出る。エアコンはなく、小さな扇風機だけだがこれで一泊二百バーツは納得だ。それにしても宿泊客が殆どなさそうだし、周りも静かでありがたい。


 古都チェンマイ

 チェンマイについては、既によくご存知の方がたくさんいらっしゃると思います。

 「どんなところなんだろう?」と先々の旅の期待をお持ちの方は、ガイドブックやインターネットから情報を得られますので、ここでは省きます。

 最初にチェンマイに着いて、トゥクトゥクで宿まで走った時に見た町並みの印象は、バンコクとは全く異なったものだった。バンコクのように高層ビルはなく、道路もそれほど混雑はしていなかった。

 賑やかな光景はバンコクの裏通りなどと同じで、大勢の人々が朝から行きかっていたが、印象としてはベトナム・ハノイの町の喧騒に似ているように僕は感じた。

 さて、ファングゲストハウスにバックパックを下ろした僕は、朝食を食べに出ることにした。一階に降りると宿のオヤジさんがなにやら話しかけてきた。ツアーを勧めているようだ。

 「ワンデイツアーはとても人気があるぞ。一日でメコン川を渡ってラオスにも行く。そして首長族の村も行くんだ。昼食つきで600バーツだ。どうだ?」

 おそらくこんな感じで、クリアファイルにはさんだメコン川の写真や少数民族の写真などを見せた。朝八時出発で午後八時ごろには戻ってくるという。エアコンの聞いたミニバスを利用し、ガイドも一緒らしい。

 僕は何も予定がなく、チェンマイから一日はチェンライへ行ってみようと思っていたので、このツアーではチェンライの町には少しだけ寄ると聞き、それならと申し込んだ。

 宿の前の路地を出て、南北に走るkampangain通りを少し下がると、何軒かの屋台が並んでいた。目の前の通りではバイクや車が行き交っている。空気はあまりよくないが、良い匂いに負けてテーブルについた。

 フライドライスウイズポークを注文し、美味しそうなソーセージがあったので一本もらった。これで三十バーツ(90)、大きなフライパンで火力を最大にして炒める。何種類かの調味料が良い匂いと味を生み出している。もちろん味の素はたっぷり放り込まれる。()

 七分ほどで出来上がった料理は予想以上に美味しかった。ソーセージは決して太くないが中身がぎっしり詰まっている感じで、これも日本にない美味しさだった。チェンマイに限らず、タイではこのようにちょっとした屋台などの手軽な場所で美味しい料理が味わえる。しかも値段はべらぼうに安い。

 朝食をすませた僕は、一ヶ月ほど前にカンボジアのシェムリアップへ短期の旅をした際、バンコクで知り合った中○君とその後何度かメールで連絡を取っていて、彼が現在チェンマイに滞在しているのを知っていた。

 ネットカフェで彼にメールを出すことにした。数日前の彼からのメールでは、日本人宿とされる「ナナゲストハウス」に滞在しているとのことだった。ネットカフェはチェンマイでもいたるところにあった。中○君に、僕がチェンマイについたことを知らせるメールを送り、次に町歩きをすることにした。

 地図を見ながら旧市街の方向へ歩き出した。


 古都・チェンマイ その二

 今回の旅では写真を一枚も撮れなかった。それは撮らなかったのではない。実はいつものカメラをバックパックのファスナーつきポケットに入れておいたのだが、バンコクに着いてカオサンの宿で確認したところなくなっていたからなのだ。

 空港の売店でフィルムを三巻も買い、少数民族の村も訪問する予定だったし、たくさん撮影するぞと意気も上がっていたのにガックリしてしまった。ファスナーの部分にいつもは小さな錠を取り付けるのに、この時はすっかり忘れていたのだった。

 だからおそらく、というか間違いなく盗まれたのだが、これは僕のミステイクである。大都会バンコクだからカメラなんて安く買おうと思えば買える。使い捨てだって売っている。でも意気消沈してしまった僕は、今回写真を撮らずに旅行しようと決めた。ナイスショットを気にしなくてもいいし、要するに気楽である。

 旅先で写真を撮って帰国後の思い出のアイテムとするのも良いだろう。旅仲間や友人・知人にアルバムを見せて旅のエピソードや自慢話をするのもひとつだ。(笑)

 しかし僕の場合、旅の写真は自分のホームページのためのものだ。だから今回は写真がないということで、Pero’s Kingdom というケチなサイトのありがたい訪問者の方々には、残念ながら我慢してもらうことにした。

 それに、僕の旅の師匠などは、「旅先で写真を取ったり日記を書いたりしないことが最も贅沢な旅」と言っていたし、タイで出会った某旅行作家も同じことを言っていた。まあ、旅の写真や日記は、それを写真集や旅行記としてお金をいただく作家さんは別にして、多くはあくまでも自己満足である。

 

 さて、いつものとおり余談が長々となってしまったが、チェンマイについて宿にザックを置き、腹ごしらえもすませた僕はネットカフェで中○君にメールを送ったあとターペー通りを旧市街のほうへ歩いた。

 この通りはチェンマイでは最も交通量が多いのではないかな?

 ターペー門の辺りを南北に走る通りもかなり交通量が多いが、チェンマイ駅から東西に伸びるこの通りがやはり一番だろう。もちろんバンコク市内のどの大通りよりもはるかに交通量は少ないのだが。

 ターペー通りを西に突き当たると旧市街の城壁である。チェンマイは旧市街と新市街とに別れており、旧市街の周辺は豊かな水をたたえた外濠で囲まれている。ターペー門は東門で、門の前は広場と交番があり、それを抜けると旧市街に入る。

 リンクフリーのサイトから画像をお借りしました。 ↓

 http://www.akijapan.com/thailand/chiangmai/monuments.html 

 

 中○君が泊まっている宿は旧市街に入ってから南へドンドン下った辺りにあるらしい。さっきメールを出したところだが、街歩きのついでに探してみることにした。

 旧市街に入ったからといって急に街が静かになるということはない。通りには新市街と同様にたくさんの車やバイクが走っている。ただ新市街と違うのは、大きな建造物やビルが少なく、寺院があちこちに見られ、ちょっと路地を入ると庶民的な家並みがある。

 中○君から聞いていた辺りも比較的静かなところで民家も多い。ところがそこに所在するゲストハウスは「ナナゲストハウス」ではなくて「バナナゲストハウス」だった。バンコクで「ナナプラザ」という怪しげな歓楽街でトップレス女性ばかり見ていたから聞き間違ったようだ。

 その「バナナゲストハウス」を訪ねてみた。


 古都チェンマイ その三

 「バナナゲストハウス」は日本人バックパッカーには有名らしい。オーナーの奥さんが日本人だからということもあるが、宿代がすごく安くて(100バーツ程度でシングルがあるという。但しトイレ・シャワーは共同)、レストランでは日本食メニューも豊富とのことで人気があるのだろう。

 しかし、チェンマイには日本食を食べさせてくれる店はたくさんある。僕が泊まったFangゲストハウスのすぐ近くには「宇宙堂」という居酒屋風食堂があって、日本食は大体そろっていた。この宇宙堂のオーナーも渡辺さんという日本人で、僕がハンバーグ定食を食べに立ち寄った時には気さくに話しかけてくれた。

 宇宙堂の店内には古本がたくさん売られていて、ちょうど持ってきた本を読んでしまった僕は、ここで青島幸男さんの「人間万事塞翁が丙午」とか東野圭吾の文庫本などを買ったものだ。(古本はそれほど安くはありません。念のため)

 さて、「バナナゲストハウス」に中○君を訪ねたら、彼はちょうど起きて顔を洗ったところだった。(オイオイ、いつまで寝ているんだ)

 「ああ、フジイさん、よく訪ねてくれましたね」

 彼はタオルで顔や頭を拭きながらタンクトップに短パン姿で現れた。以前会った時と同じざっくばらんな男だ。僕達はゲストハウスの前のいすに座り近況を話した。

 彼は前にバンコクで会ってからすぐに日本に戻り、しばらくホテルの皿洗いでもして金をためると言っていたのだが、エエイ!と勝負した競馬で大穴を当て、何と六十万余りの金を一瞬でゲットしてしまったのだ。

 そうなると日本などにくすぶっているわけにはいかない。もともと彼は柔道をタイに教えたいという確固とした目的を持っており、現に今このチェンマイでも地元のチェンマイ大学で柔道を教えている。二十代後半の彼は、いずれタイとラオスの国境の町・ノンカイで柔道教室と図書館風ゲストハウスを経営したいと語っていた。従って、競馬で儲けた数日後には再びタイに戻ってきたというわけである。

 しばらく彼と旅話をしていたが、話題は彼の競馬必勝法に変わり、何しろ彼は大金を当てた実績があるので、口角泡飛ばすといった雰囲気で延々と語るのだった。それは単に勘とか馬の体調や気合などに頼る必勝法ではなく、あくまでも統計学といってよい綿密な研究に基づいていた。

 「・・・ということを僕は掴んだのです。だから日本に帰れば競馬でそこそこ食っていけるのです」

 彼は自信に満ちた表情で断言した。僕は「本当にそんなにうま()くいくのかなぁ」と心では思ったが、「それはすごいじゃないか」と言って、彼の自信と研究の成果を傷つけないように配慮した。これは長年生きてきた僕という人格者の取るべき態度である。

 「じゃぁまたメールするよ」と言って、中○君と別れて、いったん宿に戻ることにした。彼の宿から僕の泊まっているFangゲストハウスまではわずか六百メートルほどなのだが、これだけ暑いとずいぶんと距離があるように感じる。バンダナを巻いた頭髪がジリジリと焼け焦げていくような気がして落ち着かない。

 宿に戻るとオーナーが前の道路に水をまいていた。この宿は敷地内に立派なレストランも併設しているのだが、僕が滞在中は営業していなかった。シーズンオフということもあったのかも知れないが、近くのNice Placeゲストハウスは一階のレストランが活況だったのに比べて、随分とさびしい感じだった。僕の滞在中の宿泊客も数人だったから、やはりあまり人気のない宿なのかも知れない。

 夕方まで昼寝をすることにした。扇風機の風が心地よく、僕はベッドに仰向けになってすぐに寝てしまった。

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