プロローグ | |
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チェンマイはこれまで三度訪れている。最初が二千三年の六月だった。この年の二月に長年勤めた探偵調査会社を辞めて、さて長期の旅に出ようかなと思っていたところ、ある出版社から僕の本が出ることになったため、最後の校正やその他で忙しく、結局旅に出られたのが五月になってしまった。 五月は二度目のカンボジアを訪れ、アンコールワット遺跡群に改めて感動して帰国したら、二千一年にラオスで知り合ったN君がこの年の春に長年勤めた会社を辞めて、インドからネパールを旅して六月にタイに入り、そのままバンコクでタイ語学校に入学するとメールが届いたので、急遽タイへ向かった次第であった。 前置きが随分長くなったが、もう少し前置きを書くと、この二千三年が初のチェンマイ訪問で、旅行記「チェンマイ・マイラブは ⇒ http://perorin.sakura.ne.jp/chenmai.htm で詳細に記述しています。 未完のままですが(涙)、現在のチェンマイ市内とは少し違っている部分も見られます。是非、時間をお作りになってお読みくださいね。(´∀`) さて、二度目のチェンマイはチョイと間が開いて二千十一年の七月、このときは仕事に疲れて体調を崩したため療養を兼ねたものだった。旧市街から少しだけ離れた閑静な住宅街にあるバニラゲストハウス(Banilah)に数日泊まり、穏やかな時間を過ごしているうちに「お前、ノンフィクションなどやめて小説を書くのじゃ〜!」と神の啓示があった。 Banilah ゲストハウス ⇒ http://www.banilah.com/ それから小説を書くことが日常生活に組み込まれ、これまで十数作品を様々な文学賞などに投稿しているが、未だ日の目を見ずに現在に至っているという塩梅である。 そして三度目のチェンマイは一昨年(2013年)の十月、この年は五月と六月にかけて四度目のカンボジア旅行の余韻も覚めやらぬうちに、十月にタイへ。 でもこのときの旅行では、チェンマイを発つ前の二泊は、ナイトマーケットに近いところにあるグリーンデイズGHに予約を入れていた。そしてそこで知り合った人達が、穏やかなひとり旅に強烈なスパイスを与えてくれたのであった。 Greendays ゲストハウス グリーンデイズには、すぐ近くにあるタイ古式マッサージの学校に短期間学びに来ている人たちが泊まっていて、一緒に屋台タイ料理を食べたり、ゲストハウスのリビングで日本でのことやこれまでの人生や、男女のことや社会のことや旅のことなど様々な話をしたり、女の子ふたりと一緒にタイガーキングダムを訪れてビッグタイガーに触れたりと、目まぐるしく楽しい残りの三日間を過ごした。 そして一年後、今回四度目のチェンマイ、再びこころと身体の疲れ、そして八月にランニングで痛めた左足が完治せず、もうどう仕様もなくなった挙句、バンコク〜チェンマイに向かったのでありました。(長い前置きでした) 十一月五日水曜日、成田発午前十時半のキャセイパシフィック航空でバンコクへ、キャセイを利用するのは二千六年の暮れ、三度目のアンコールワットを訪れたとき以来、機内サービスもCAさんもすごく洗練されているように思えて、僕の好きな航空会社のひとつである。いつものことだが、離陸してしまうと仕事のことや浮世の悩みや蟠りなどすべてが身体から昇華してしまったような感覚になるのが不思議だ。 つづく・・・ |
その一 |
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◆成田エアポート 僕を乗せたキャセイパシフィック航空機は(僕だけ乗せているわけではないが)大空に羽ばたき、雲を突き抜けて天空の域まであっという間に達し、香港に向かってグングン進んで行く。昨年の初夏にベトナム〜カンボジアを旅した際に乗った某中国何とか航空と違って、CAの接客態度はもちろんのこと、機内食も飲み物サービスも満足、赤ワインを二杯飲んだあとはiTunesの音楽を聴いているうちに眠ってしまい、目が覚めれば香港国際空港、ここで二時間ほどの乗り継ぎ時間待ちだ。 ◆バンコクへのエアバス(香港国際空港)かなり大きな空港だが何もすることがないしお腹も減っていない、待合シートに座って持ってきた村上春樹の「羊をめぐる冒険」を読み直す。村上さんの小説はずいぶん前にほとんど読み尽くしたが、この作品もほかの作品も、結局最後はミステリーで終わるものが多いと改めて思う。文学には違いないが、嘘だと思うなら再読してみれば分かるはずだ。そんなことを思ったり、滑走路から次々飛び立つエアバスを見ていると乗り継ぎの待ち時間はすぐに過ぎ、再びキャセイパシフィック航空機に乗り込んだ(当たり前だが)。ようやく一路バンコクへ。 ◆キャセイパシフィック航空の機内食 再びなかなかの機内食が出され、赤ワインをお願いして本日二度目の満腹感に包まれてウトウトしていると、バンコク・スワンナプーム国際空港に18時頃に到着した。飛行機が着陸する際のドッスンガガガガ〜の音を聞くとこころが踊る。(笑) 毎回、到着ロビーを出たところの銀行で一万円だけ両替するのだが、今回一万円が何と2700バーツ程度しかなかったことに愕然、ちょうど一年ほど前は3500バーツ程度もあったはずなのに、あまりの急激な円安に腹が立ってきた。八百バーツも差異があると、エアコンホットシャワー付きのシングルなら2泊分に該当するし、屋台のクイッティアオ(タイのウドン風のものです)なら二十五杯くらいは食べられるじゃないかと、両替後の怒りを顔に表しながらエアポートリンクの乗り場に向かう僕。(´∀`) 今夜の宿は、もう僕の旅行記ではお馴染みの、以前は「一等食堂」今は「長月」という屋号で、十数年もこの競争の激しいバンコクで日本食堂を営んでいるM氏の店が入っているホテル、数日前にメールで今夜一泊だけ予約をお願いしておいたのだ。 40バーツでチケットを購入、エアコンがガンガン効いている車両に乗り込むと平日の19時前なのに全然混み合っていない。要するにタイの人達にとってはこのエアポートリンクもそうだが、BTSスカイトレインもMRT(地下鉄)も運賃が高いのだ。 列車は高架を走る。バンコク市内の夜景が三百六十度見渡せる。有名な高層ホテルが遠くに見え、市内を縦横に走る高速道路のオレンジ色のランプがまるで大きなイルミネーションのようだ。 列車はパヤタイのひとつ手前のラチャプラロップ駅に到着、バックパックを背負って下車、エレベータで一階に降り、大通りに出ると帰宅を急ぐ車やバスで渋滞していた。やっぱりこれがバンコクなのだろうと妙にホッとする。通りを北に歩くこと百メートルほど、Rajprarop Placeという、まあバンコク市内では格安に入るホテルに着いた。ここの一階で友人M氏の「長月」が営業を行っている。入口に赤提灯をぶら下げた長月の店のドアを開くと、店の奥のほうの席にM氏がいてパソコンを見つめていた。 「着きましたよ〜」 「お待ちしてました。ともかく荷物を部屋におろしますか?」 彼と一緒にホテルにチェックイン、五階のシングルの部屋に案内された。昨年の秋も一泊だけこのホテルに泊まったのだが、ベッドの掛け布団をめくると小さなゴキブリが数匹逃げ惑っていたのを思い出し、今回はどうかと掛け布団をめくってみると、真っ白な綺麗なシーツだけ。少しはこのホテルも良くなったのかも知れない。 さて、一階の長月に戻って一年ぶりの再会を喜び、早速シンハビールで乾杯した。 「どうですか、日本は?今年はいろいろと忙しかったようですね」 「大変でしたよ〜。でもまあ成るようにしかならないし、夏に痛めた左脚が良くないけど、我慢してタイミングを窺っていてはいつまでたっても旅に出られないからね。思い切って出ました」 店は数人のお客さんがいて、二年前に入れ替わったタイ人の女の子の店員さんがひとりで切り盛りしていた。彼女はテキパキと仕事をこなすし、笑顔が素晴らしく、僕はファンなのだ。 シンハビールのあとはビアリオに変わり、僕とM氏はどんどんビールを飲む。日本ではこんなにビールを飲まないが、暑い国ではいくらでもビールが入る。あっと間に一ダース程度を空にしてしまった。 「やあ藤井さん、お久しぶりです。一年ぶりくらいですか?」 「どうもです」 口ひげを生やし、変わらぬ大阪のイントネーション(G氏は大阪出身)、いつも彼は僕が話す声がアナウンサーみたいだと言うおかしな人なのだ。 |
その二 |
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バンコクに着いて初日から深夜に徘徊することになった。とは言え、そこはM氏もG氏も知り尽くした界隈、エアポートリンクの高架をくぐってISETANやセントラルワールド方面へ少し歩き、路地を入ると深夜だというのにまだまだ大勢の人で賑わっていた。 「ここは夜中から場所よっては明け方までバザーをやってるんです。インド人の店が多いですけどね」 G氏は説明する。 店の多くは露天で、衣類から雑貨や小物やオモチャまで、路地といってもかなり広い通りの両はしに並んでいたが、そろそろ店じまいを始めている店もチラホラ。周辺には四、五階建ての古びたアパートが建ち並び、その奥には高層のホテルも見え、聞くとバイヨークスカイホテルといって、バンコクでは最も高く(高層という意味)、何と88回建てのホテルだそうだが、日本人にはあまり馴染みがないようだ。
G氏が指さした5階建てのマンションはその高層ホテルの近くにあった。 「このあたりのマンションは大体月に6000バーツもあれば十分ですよ。今、僕とMさんとが住んでいるホテルはもっと安いですけどね」 G氏は笑いながら言った。 6000バーツなら今のレートなら二万円くらいだろうか、部屋にはクローゼットから冷蔵庫やテレビやネットなどすべてが完備しているらしく、それなら僕が現役リタイア後、この界隈に住んで、毎日ビールを飲んで、たまにトップレスゴーゴーバーで綺麗なお嬢様の目玉が飛び出るような踊りを見て、特に切り詰めなくとも年金の半分位で暮らせるのではないかと、やや楽観的感想を抱いたものだ。 「ラーメン食いましょう。あそこのオバちゃんの店が旨いんですよ」 G氏の行きつけらしく、「チワ!」ってな感じで屋台の奥に置かれているテーブルの前に座った。 ラーメンはすこぶる旨かった。日本の太郎や二郎(太郎はないか)、家系のなんとかいうラーメン店など、どれだけ束になってかかって来ても、オバちゃんの作る牛骨あっさり系スープのバミーナームにはかなわないだろうと思った。おそらく少し酔った身体にはこの手のラーメンがピッタリなので、抜群に美味しく感じたのかも知れないが、35バーツのラーメンは大満足であった。 さて、オバちゃんのラーメン屋台をあとに、ソイ・ラチャプラロップ3から1へとぐるりと回ったところにある大きなビルの前に屋台バーが営業を行っていた。屋台を少し大きくしたような厨房?と、その前には丸い金属製のテーブルが五つ、六つあり、客はひと組だけだった。 「ここは僕がおごりますわ」 G氏はこの店も顔なじみのようで、ウイスキーの水割りを三つとナッツを注文、深夜でも蒸し暑いバンコクの夜空を見上げながらさらにアルコールを体内に注ぎ込んだ。 僕の本日の宿であるRajprarop Placeはバンコク市内で1605件のホテルの中で97番目の人気と以下のサイトにありますが、そんなに良くはありません。(笑) ◆Rajprarop Place
Rajprarop Place⇒ http://jp.soidb.com/bangkok/hotel/rajprarop-place.html 上記のサイトのストリートビューにはM氏の店「長月」の入口が見えますね。彼は一階で営業しながらこのホテルを長期契約しているわけです。長期だと随分安くなるようで、彼の部屋は一ヶ月4000バーツとか言っていました。そんなホテルに僕は一泊600バーツで泊まるわけですね、何だか損した気分ですね。(笑) さて、ホテルに戻り、M氏もG氏も「藤井さんの部屋で飲みましょう」と綺麗な僕の部屋で第三ラウンドの提案、おそらく彼らの部屋は散らかしまくっているんだろうと思われた。(´∀`) M氏が店からシンハの缶ビールをいくつか持ってきて、G氏がつまみのスルメやおかきを持参、もう少し酒盛りをしながらタイの話や日本の話に花を咲かせることとなった。しかし僕は時差の関係で、もうすぐ二十四時間起き続けていることになる。しかも酔が回ってきて猛烈に眠くなってしまった。 「藤井さん、半分寝てますやん」 G氏が笑いながら言う。そりゃそうだよと、虚ろなこころで思う。 時刻は二時を過ぎたとき、僕は完全にダウン、彼らも僕の様子を見て「ではお開きにしましょう。しばらくバンコクにいてはりますんやろ?」とG氏が言う。 「三日ほどバンコクにいて、それからチェンマイに行きます。そのあとまたバンコクに戻って来て、四日ほどゆっくりしますよ」 「ホナ、チェンマイから戻ってきたらタイ料理店でも行って飲みましょう」ということになり、ふたりは部屋を出て行った。 |
三 |
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旅の二日目、昨夜二時に睡眠のゴングが鳴ってから、結局、朝九時過ぎまで一度も目が覚めずに寝続けた。といってもわずか七時間ほど睡眠を取っただけなのだが、身体の疲れは完璧に消えていた。さて、今日は宿の移動だ。 チェックアウトは十一時なので、熱いシャワーを浴びてから、ランナム通りとラチャプラロップ通りとの角にある屋台メシ屋でぶっかけ飯を食べた。ここの屋台は朝の数時間と、昼の数時間、そして夜はかなり遅くまで店を出しているのだが、いつも超満員の大人気屋台だ。でも僕が行った時間はすでに朝の忙しい時間帯は終わっていて、オバちゃんと若い女の子が二、三人のお客さんだけで手持ち無沙汰な様子だった。テーブルの前に座る前に、様々なおかずが入った十種類くらいのトレーの中からタケノコの入ったカレー風のおかずとゆで卵を指差し、それをごはんの入った皿にぶっかけてもらって40バーツ(130円程度)、やっぱり旨い、そして辛い。 満足して一旦宿に戻ると、朝っぱらからホテルのロビーでは猫ちゃんがぐうたら寝ていた。 ランナム通りを十数分歩く。一年ほど前と風景はほとんど変わっていないが、二年ほど前まで知人が経営していたお好み焼き店は廃業して、今はベーカリーカフェに替わっていた。このあたりは日本人や欧米人が住むアパートも多く、タイ人だけを相手よりも外人向けの飲食店が流行りそうだが、M氏の話では「やっぱりタイ人が来てくれる店でないと続かない」のだそうだ。 M氏が四年ほど前に乗っ取られた「一等食堂」も変わらず営業を行っていた。 さて、BTSのビクトリーモニュメント駅からスカイトレインに乗り、六つ目の駅、アソークで降りて、ここで地下鉄(MRT)スクンビット駅に乗り換え、わずかひと駅だけ乗って、Queen Sirikit
National Convention Center(クィーンシリキット・ナショナルコンベンションセンター)で降りる。 駅に着いて地上に上がり、自分では今夜からの宿である「EZゲストハウス」のあるロンポーマンション方向に向かっているつもりだったが、少し歩いて「はて?風景がいつもと違う」ことに気がついた。バンコクは新たな建築や建て替えが多く、あちこちで巨大なクレーンを見かけるので、少しの風景替わりは気にしないのだが、でもちょっと違う。 「ラマシー、ロンポーマンション!」 ロンポーマンションはこのあたりでは有名らしく、運転手はウンウンと頷き、車を走らせた。ラーマ四世どおりを突き抜けて、有名なクロントイ市場を左に見ながらグルリと一周回って(一方通行があるからだね)、わずか五分程度でロンポーマンションの敷地内までタクシーを乗り入れて到着、六十バーツ(200円程度)だった。 さて、このロンポーマンションは高層のコンドミニアム型のホテルであり(どんなんや?)、一泊から長期ステイまで可能になっていて、僕はここのホテルに泊まるのではなく、マンション内にある日本人が経営するゲストハウスに数日お世話になるのである。昨年の秋もここに何泊か泊まり、同室の人たちとたちまち仲良くなって、近くに飲みに出たりしたものだが、以前の定宿だったプロンポンのゲストハウスが二年ほど前にミャンマー国境近くのスリーパゴダパスに移転したため、以来、ここのドミトリーに泊まるようになった。 一泊五百バーツとドミトリーにしては割高だし、この料金ならバックパッカーのメッカと言われる喧しいカオサンへ行けばそこそこのシングルもあるだろうけど、何より清潔だということと、スクンビットからかなり離れた静かな環境というのが僕のお気に入りだ。それに三泊だと一泊四百バーツにディスカウントしてくれるし、日本人宿泊者がほとんどというのも気楽で良い。 フロントのスタッフに「EZステイゲストハウス」と告げると内線で知らせてくれ、数分待っているとゲストハウスの管理人さん(オーナーの奥さん)が迎えに来てくれた。 「今回はどちらかからのお帰りですか?」 「いえ、昨日バンコクに着いたところなんです。数日ゆっくりしてからチェンマイに向かいます」 僕と同じ和歌山県の出身の奥さんは、ご主人と世界一周旅行を経てこのバンコクでゲストハウスをオープンし、確かまだ三年目ほどだが、日本人の若者たちが安心して泊まれるドミトリーとしていつも予約でいっぱいだ。それは奥さんの明るく気さくな人柄が人気の理由だと僕は思うのである。 フロント前には僕の他にもうひとり若い女の子が待っていて、ちょうど同じ頃に着いたようだ。ふたりで一緒にチェックイン、ディスカウントしてもらって三泊分千二百バーツとデポジット百バーツを奥さんに支払い、ロッカーのキーをもらった。ドミトリーに入ると宿泊者は皆外出しているようで、誰もいなかった。僕ベッドは上段、バックパックを降ろしてから、リビングに戻り、さきほどの女性と少し話をした。 彼女はTさんといって、実はいったんこのゲストハウスに泊まってから、宿で知り合った人と一緒にプーケットという南のリゾートへ数日遊びに行っていたとのことだった。アクセントが完全に大阪だったので「関西の人?」と聞くと、「大阪です〜」とおっしゃる。笑うとエクボができる可愛い人で、カナダに長く留学していて、その後フィリピンを経てタイにたどり着いたらしい。(僕の記憶が確かなら) 「このあと数日で大阪に帰るんです。そして就活が待っています」 以前は商社に勤めていたというので、「今は景気もまあまあだから、あなたなら直ぐに決まりますよ」と断言して言うと、「そうでしょうか〜。ブランクが長いですから」と、エクボを見せながら苦笑いしていた。 ◆EZゲストハウスのベランダからの風景 部屋に戻ってベッドでしばらく昼寝をすることにした。今回の旅行は「休養」が目的だった。 目が覚めると夕刻四時半、部屋のエアコンの温度がちょうどよく、心地よい昼寝でさらに体調がよくなった。リビングに出ると、Tさんの他にKさんという少しエキゾチックな感じの女性と、男性の若者がふたりいた。男性のひとりは大学生で、もうひとりはTさんと一緒にプーケットに遊びに行っていた男性とのことだった。 「今日はロイクラトンのクライマックスですよ。行かないんですか?」「えっ?」 「ロイクラトンです」 「ああ、精霊流しみたいなやつね」 「チェンマイあたりではコムローイって言うんですよ」 そうだった。それで今回、チェンマイの定宿になりつつあったバニラゲストハウス(Banlaha)に予約のメールを送ったが、この時期はFullと返事が返ってきたのだ。正直言って、この種の祭りにはあまり興味がないのでフンフンと聞いていたが、宿泊者たちは今夜ロイクラトンに行く人もいるらしい。 日も暮れかかかり、顔を洗って再び僕はM氏の「長月」で晩御飯を食べるために出かけた。エアコンが快適なロンポーマンションを出るとたちまち猛烈な暑さに襲われた。 |
四 |
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旅の二日目、十一月六日、この夜タイではロイクラトンというお祭りである。 ビクトリーモニュメント駅に着いて、朝通ったランナム通りを歩くころにはとっぷりと日が暮れていて、通りの両側にはロイクラトンのための灯篭を売る屋台が並んでいた。 「長月」を覗くと、僕と入れ違いに年配の女性が店を出ていくところだった。お洒落な日本人ご婦人といった感じで、M氏に聞くと「この近くの高層マンションに住んでいて、私の店を贔屓にしてくれているんですよ」と言う。 「幾つくらいのご婦人?」 「年齢を聞くことはできないですけど、おそらく七十歳くらいじゃないですかね。ご主人が亡くなって、ひとりでバンコクでのんびり暮らしているようですよ」 まだ五十代にしか見えないエレガントな女性だったが、ときどき若い男性を連れて店に来るとのことだった。 「同じマンションに住んでいて、日本のコールセンターに勤めている男の子のようですよ」 「へー、若いツバメをねぇ、年取ってお金もそこそこあって、物価の安いタイだとそういう暮らしができるんだね。女性版、晩年バンコク享楽人生って感じかな」 この女性と一緒にときどき「長月」を訪れる若い男性が、この旅行で先々めぐり会う女の子(Aiちゃんとして登場します)の知り合いだったとは、この時点では当然だが全く分からなかった。もちろん若いツバメなんかではないことは付け加えておきます。 この夜は昨夜ほどはビールを飲まず、僕とM氏との共通の友人であるN君のことで色々と話しをした。 僕と同じ大学を、彼はよっぽど大学が好きだったようで八年かけて卒業し(N君読んでたらゴメン)、大阪の大手企業に勤め、生産ラインの技術者なのだが、アジア好きがエスカレートして2003年の夏に会社をキッパリやめてタイに住み着いた経緯がある。 「精神的に良くないならタイに帰ってくればいいんですよ。僕もN君とときどき飲むのが楽しみなんですから」 M氏は言う。 「親のことがあるからなぁ、お母さんとはときどき電話で話すけど、まだまだ元気だけどね。お父さんは分からんから、どうなんやろね。簡単にタイに戻ってくるわけには行かない事情があるんやろね」 僕は前から言っているように、妻の病気しだいで人生が急変する立場にあるのは変わらず、長生きしてくれるに越したことはないが、癌の末期と言われて三年半、彼女が次の世界に行ってしまったら、息子たちとあとのことを打ち合わせをして、すぐにでも日本を出たいのである。 アジア以外をほとんど訪れたことがない僕だが、別に世界旅行をしたいわけではない。 時刻も午後十時を過ぎたので、明日また来るからといって帰ることにした。実は、翌日の七日は僕の誕生日でもあり、N君がタイで勤めていた日系企業の上司というAさんとも会うことになっている。 EZステイゲストハウスに戻ると、リビングで数人の若者たちがくつろいでいた。 「お帰りなさい〜」 「どうも、ただいまです」 シャワーを浴びてから僕もリビングに出て仲間に加わった。 ゲストハウスの冷蔵庫に常備された缶ビール(20バーツを所定のところに入れます)を飲みながら、このゲストハウスで知り合った人たちは、まるで以前からの知り合いであるかのように気さくに様々なことを話し合う。 |
◆ワットポーの内部 ◆寝仏様 十一月七日、旅の三日目、今日は僕の誕生日だ。それがどうしたと言われればそれまでなのだが、昨夜から今朝目が覚めても、昨年の誕生日のような特別な感慨はなかった。 昨年は僕のようなとんでもない男でもホームレスにならずに生きていることや、親になる人格など備わっていないにも関わらずふたりの息子をもうけていること、裏街道の職業ばかりを続けた挙句、目下は通信関係の仕事に派遣で従事してどうにかこうにかやって行けていることなどを、自分ひとりで行きつけの店で飲みながら、不思議さと少しばかりの生き抜き感(達成感とでも言おうか)を味わったことを思い起こす。 昨年の誕生日の感慨を記事に残しています。 ⇒ http://perorin.sakura.ne.jp/hiyorimi37.html#birth そして今回の六十一歳の誕生日は前からバンコクで迎えたいと思っていた。バンコクで日本の友人の店で祝ってほしいと、実は密かに計画していたのであった。 目が覚めるままに起きてゲストハウスのリビングに出ると、皆思い思いの滞在スタイルでのんびりしていた。シャワーを浴びてからロンポーマンションを出て、道路向かいに並んでいる地元の庶民的飲食店のうちのひとつに飛び込んでみた。 ゲストハウスの掲示板にはこの並びにあるコムヤーン(豚の頬肉を焼いたもの)が美味しい店が紹介されているが、麺が食べたかったのでこの店を選んだのだ。 表にテーブルが二つと野菜や肉や麺類が入ったガラスケース、そして簡単な調理場があり、店内に入るとテーブルが四つほどといった風に、タイではどこにでも見られる地元と密着した店で、経営者の住居も兼ねている。 ガラスケースに入っている太麺、普通麺と細麺(細麺はまるで針のように本当に細い麺です)から普通の太さの麺を指差して注文すると、オカミさんは「チキン?」「ビーフ?」と訊いてきた。 日本の旅行ガイドなどには、「絶対に屋台などでは水を飲まないでください。お腹を壊します!」と煩いくらいに謳っていて、それも一理あるのだが、完全な屋台でない限りは業務用の大きなミネラルウォーターを店の奥に置いていることが多いので、こういう店では心配はない。 僕は東南アジアの屋台でもどこでも差し出された水は飲む。 朝食のクイッティアオに満足し(40Bでした)、ゲストハウスに戻るとT子さんとS君とバリに住んでいるK子さんとがいて、皆さんワットポーへ行くらしく、一緒にいかがですかと言う。ワットポーにはかれこれ三度ほど訪れているが、何度お参りしても悪いわけがないので「行きましょう」ということになった。 支度をしてロンポーマンションのフロントからタクシーを呼んでもらった。 四人を乗せたタクシーは、ルンピニー公園の南側を通ってホアランポーンバンコク中央駅近くからヤワラー(中華街)に入り、このあたりで少し道路が渋滞したが、ワットポーまでは三十分ほどで着いた。 寺の周辺には大型の観光バスやマイクロバスなど車で溢れ、金曜日だが観光客が大勢訪れていた。100バーツを支払って寺院に入ると、やっぱり何度か来ているだけに懐かしい建物が目に入った。四人でゆっくりと回る。 「コインで煩悩を払いますか?」と僕が皆に提案する。 「えっ?何ですかそれ」とT子さん。 「寝仏様の建物の中に108の壺が並んでいて、コインを買ってその壺に入れていくんです。それで煩悩を払うんですよ」 僕が説明すると、「面白い〜、行きましょうよ」ってことになった。 流石に寺院内は観光客でいっぱいで、寝仏様がいらっしゃる建物もごった返していた。 「チャリン〜」という音とともに、ひとつの煩悩が消えていくということなのだが、僕が持つ煩悩は百八程度なのだろうか?と、疑問を抱きながらも次々と壺めがけてコインを投げていくのであった。 |