19.バンテアイ・スレイ その1 旅の4日目、シェムリアップ3日目は、同室のM君がサンライズを拝みに行くために、朝4時にガサゴソと起きだして慌しく出て行ったが、僕は今日はやめておこうと思い、午前7時過ぎまで寝た。 シャワーを浴びて髭を剃り、中庭に出て行くとしばらくしてパンとバターがテーブルに出された。 ここのGHは朝のパンはサービスらしい。 パンは小さめのフランスパンで、バターを塗って食べ、ミネラルウオーターで流し込んだ。 バターは何ともいえない濃厚な味で、大変美味しく思った。 8時半になり、長男さんが出てきて行きましょうと言うので、バイクに跨り出発した。 今日の予定は美しい遺跡で有名なバンテアイ・スレイと、地雷を踏んだらサヨウナラの一ノ瀬泰造氏の墓参りである。 バンテアイ・スレイはシェムリアップの中心地から北東方向に約40キロメートルの位置に所在し、ガイドブックによればかなりの悪路で、車なら1時間から1時間半を要すとあり、バイタクで行くのはかなりハードであると書かれていた。 シェムリアップの街から昨日通った道を走り、チェックゲートで2つ目のパウチを開けてもらい、アンコールワット遺跡群の方に向かう。 天候はほぼ快晴に近く、昨日のサンセット時の曇天は残念だったが、今朝のサンライズはきっと大丈夫だったのだろう。 正面にアンコールワットの外濠が見えてきて、そこを左に曲がるとアンコール・トムの方向だが、今日は右に曲がって森の中をドンドン突き進んで行った。 長い森を抜けると広大なライスフィールドに出て、それを貫く一本道をバイクは快調に走って行く。 【どこが悪路なんだ?】僕はガイドブックに書かれていたことを信用していたので、シャツがドロドロになることくらいは覚悟していたのだが、道路は綺麗に舗装されており、当然土煙などは上がらない。 一本道沿いには所々で高床式住居の集落があり、子供たちが遊ぶ姿も見える。 のどかな風景だが、このあたりになると電気や水道は通っておらず、住居もかなり粗末なもので、シェムリアップの中心地に住む人々との暮らしの差が大きいことが窺える。 カンボジアの社会構造や経済構造には無知なので、ここで無責任なことを述べるわけには行かないが、感想としては、このあたりの人々は農業に生きており、シェムリアップ中心地地の人々は観光事業に関連した仕事に就いているということなんだろう。 カンボジアの農業人口は国民の80%以上で、やはり長年農業に従事してきた者は、アンコールワットを前面に出した観光事業関連の仕事に簡単に転換できないのだろう。 前にもどこかで述べたように、いつの時代も先見の明がある器用な人間が、時代に即応した方面に自分を持って行き、のし上がる者はのし上がり、現在の状況から脱却できない者はいつまでもその状態のままなのである。 これは現実として仕方のないことなのだ。 話は大きく逸れてしまったが、僕は長男さんのバイクで、ガイドブックに書かれていたこととは全く違って、快適なままバンテアイ・スレイに到着した。 どれくらい時間がかかったかは明確には憶えていないが、途中休憩もなく30分から40分程で着いたように記憶している。 バイタクが着いた場所には、土産物屋や屋台レストランなどがズラッと並んでおり、ここもやはり観光ルートの一つに入っているのを感じた。 長男さんと別れてカードチェックの要らない入り口から入って行く。 このバンテアイ・スレイは、ガイドによれば967年に当時の王師の菩提寺として建築された、「女の砦」の意味を持つ寺院らしい。 寺院は周囲400メートル四方と比較的小さいが、長い参道を通って第一周壁の門を入るとそこには、濠の向こうに赤茶けた美しいミニチュアのような寺院が僕を待っていた。 僕は吸い込まれるように第二周壁の門に歩いて行った。 |
環濠を見ながら第一周壁の門から第二週壁の門へ歩いて行った。 赤色砂岩とラテライト(赤土)で建築された仏塔が壁の向こうに見え、これはアンコールワットやアンコール・トムには見られなかった華やかな色調だと思った。 第三周壁の門を入ると、狭い敷地にたくさんの塔が所狭しと並べられているという感覚である。 目の前の第三周壁の門にはヴィシュヌ神を描いた繊細なレリーフがあり、両側の南経堂と北経堂には魔王ラーヴァナやインドラ神(雷神)を描いているとガイドブックには書かれているが、何のことかサッパリ分からないし、ここでの詳しい説明は僕自身が不可能なので省略します。 ただここの遺跡は小さな寺院ではあるが、ヒンドゥー神話を描いた彫りの深い神秘的な彫刻を見ることができるということで、その方面に興味と基本的な知識がある人にはたまらないと思います。 この遺跡の中で有名なレリーフである“東洋のモナリザ”は中央塔と北塔の間付近に所在し、離れた場所からでもその優美な女神の彫刻は光っていたが、残念ながらロープが張られていて、近づいての写真撮影はできなかった。 狭い敷地内を欧米人観光客グループが、一つ一つの塔に対しての現地ガイドの説明を聞きながらぞろぞろと歩いており、僕もその説明を聞こうとついて行ったが、英語力不足ではっきりと何を言っているのか分からない。 僕としては比較的ゆっくりと鑑賞したつもりでも、一周回るのに30分程しかかからなかった。 グルリンと一周回って最初に入った第三週壁のところに戻って来て、汗びっしょりになった顔を拭っていると、昨日アンコール・トムで休憩していた時に、バイタクの男性がいなくなったと駆け寄ってきた女性と遭遇した。 『やあ、こんにちは』とお互いに挨拶し、二言三言言葉を交わしたあと、『それじゃぁまた』と別れた。 何が『それじゃぁまた』なんだろうと不思議に思いながら外に出て、再び環濠を左右に見ながら第一週壁の門に戻って行った。 もう一度この門の前で振り返ると、やはりバンテアイ・スレイの遺跡は、来る前にインターネットの旅行記などで多くの人が賞賛していただけのことはあるものだと思った。 しばらく周壁内の石の上に腰を下ろして遺跡をゆっくり眺めてから門を出て、参道をブラブラ歩いていたらでっぷり太った現地人から声をかけられた。 英語と片言の日本語を喋る男性で、彼はこの遺跡の案内や警備などを行っている公務員であることが分かり、バンテアイ・スレイの遺跡を見物した感想のアンケート調査を行っているということだった。 『もちろんいいですよ』と僕は快諾し、近くの木陰に座って、彼から手渡された数ページにわたるアンケート用紙に丁寧に書き込んで行った。(質問は日本語と英語とで書かれていました) アンケート内容は、遺跡についての率直な感想や、遺跡でのガイドの数や質についてとか、土産物売り場の数や応対についてなど、殆ど忘れてしまったが、取るに足りない質問まであり、カンボジア政府の観光産業に賭ける姿勢を少し感じた。 僕がじっくり考えながら書いていると、彼がいろいろと質問をしてきた。 『あなたはおいくつですか?』 『いくつに見えますか?』 『うーん、学生さんじゃないですよね』(この質問は本当です) 『勿論ですよ、大人の子供が2人いますよ(おかしな答え方だけど)。 47才ですよ』 別に正直に年令を答えることもなかったのだが、僕の年令を聞いて彼はオーバーに驚いた素振りを見せた。 アンケートを書き終えて彼に渡し、少し話をしていると、先程の女性が遺跡を見終えてこちらに向かって歩いて来た。 彼女にもアンケートの協力を勧め、その間カンボジアの観光政策について彼と話をした。 彼が言うには、やはり遺跡を訪れる観光客の半分以上は日本人であるらしく、日本語習得が彼等の仕事にとっては不可欠で、仕事の合間に日本語学校に学んでいるとのことで、ここでもできるだけ日本人と話すように務めていると語った。 僕はアンコール遺跡群の観光客の半分以上が日本人と聞いて、何故かガックリしてしまったが、GHのスタッフやアンコール・トムで話をした土産物売りの女性の例もあり、カンボジア人は総じて勉強熱心だと認識した。 これは隣国ベトナムでの怠惰なお父さんや、ラオスでのんきそうな人々を見てきた僕には、かなり異なった民族であるような気がした。 |