突撃!アンコールワットPart ]

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21.一ノ瀬泰造さんの墓標

 

 アンコールワット遺跡群めぐりは、バイタクで移動するので、感覚としては1人で見物をして回っているということになる。

 今回偶然一緒のピックアップトラックで来て同じGHに泊まっている3人も、それぞれ1人ずつバイタクがつくので、遺跡めぐりは1人行動である。 それぞれ回るルートや時間が少し異なると、見物中に会うことも殆どなく、昨日今日と2日間で途中K君とバイクですれ違った程度であった。

 しかしこの小柄な日本人女性とは、昨日アンコール・トムの中の休憩所で会い、今日はバウンテアイ・スレイで再会した。

 彼女もアンケートに記入したあと、案内の男性に交代で写真を撮ってもらい、2人並んだショットもドサクサにまぎれて撮ってもらったが、これは帰国後現像してみると残念ながらピンボケであった。 きっと案内の男性が意地悪をしたのだろう。()

 彼女は兵庫県在住で、関西の某有名私大4回生で、今回はベトナムを南下してきてカンボジアに入り、プノンペンから昨日シェムリアップに到着したとのことである。

 GHには日本人旅行者が一人も見当たらず、欧米人宿泊者が数人いるだけで、夕飯はバイタクの男性と現地の人が行くような屋台ですましていると言うので、『もしよければ、今夜僕が泊まっているGHに来ませんか? 貴方と同年代の日本人大学生が4人いるので、一緒に食事をしましょう。 楽しくやりましょうよ』と誘ってみた。

 彼女は僕に警戒もせず、『いいのですか? じゃあお邪魔させていただこうかな。 それでGHはどの辺りですか』と少しはにかんだような独特の笑顔で答え、ガイドブックの地図を見ながら、バプーンGHの場所を指差すと、偶然にも彼女のGHとは100m程しか離れていなかった。

 夜6時半頃に僕のGHで約束をして彼女と別れ、バンテアイ・スレイをあとにして、今度は2年程前に映画化された“地雷を踏んだらサヨウナラ”で有名な、戦場カメラマンである故一ノ瀬泰造さんの墓を目指してバイタクを飛ばした。

 一ノ瀬泰造さんの墓標は、僕の師匠でもあるベテランバックパッカーの女性の話では、田んぼの中にポツンとあって、そこに行くには土手を少し降りて沼地を渡って行く必要があるとのことだった。

 彼女は去年泰造さんの墓を訪ねた際は、墓への方向の標識に書かれたスペルが間違っていたので、訂正してきたと言っていた。 

 こんなところに一ノ瀬泰造氏の墓地が

 【一体どんな場所に泰造さんの墓があるのだろう】と思っていたら、バンテアイ・スレイから10分程戻って、左にターンして小さな部落に入り、部落の子供達が手を振ってくるのに『ヤア!』と応えていたら、急に細い道を上って土手を走り、両サイドが田園という道をちょっと走って間もなく止まり、『ここです』と長男さんが言うのだった。

 長男さんが土手から指で示す方向50m程先に、確かに田んぼの中にポツンと墓地が見えた。

 土手には板にTAIOと書かれた古びた標識があったので、僕の師匠はこれのスペルを訂正したというのだろうか。

 僕と長男さんとは土手から墓まで架けられた渡し板を歩いて行き、5メートル四方の敷地に設置されている泰造さんの墓を訪ねた。

 平成13年春に造りかえられた墓標

 墓地には管理を任されている男性が一人いて、僕が泰造さんの墓に手を合わせて祈ったあと、彼のことを書いた書物や写真集を見せて、『この墓は今年の春にこの墓石に建て替えられました。 ここを訪れる人のカンパで運営されているのです。 今度はここに屋根つきの休憩所を造っています』と言った。

 確かに敷地内の一角に建築中の休憩所のようなものがあり、これだけ暑いと訪れる人の休憩所があったほうが良いと思い、僕はポケットから1ドル紙幣を取り出して彼に手渡した。

 今になって思えば、たった1ドルしかカンパしなかったことをかなり後悔しているが、彼の死後二十数年が経過していても、現地の人から大切に管理されていることに、彼が現地で有名であることが窺い知れる。

 僕は今回の旅の3つの目的をこれで果たし、感無量になって泰造さんの墓標をあとにした。

 


22.体調悪化

 

 僕はこれまで数少ない海外旅行で、いわゆるパックツアー旅行では体を壊した経験はないが、たった2度のバックパッカーとしての個人旅行ではいずれも途中体調を崩している。

 最初のベトナム旅行では、マイノリティーの部落を訪ねる半日トレッキングで、当日が雨だったということもあったが、宿に戻ってから急に熱が出て食欲もなくなり、その夜はうなされて部屋の天井にはホーチミンが現れ、ベッドの周りをベトナム兵に取り囲まれた。

今春のラオス旅行では、世界遺産の町・ルアンパバーンで、2日目に小雨の中テルテル坊主よろしく、おかしな雨合羽を着て市内を歩いたあと急に体調が悪くなり、途中から一緒だった旅仲間が洞窟や酒造りの村を訪問している間、僕はずっとGHのベッドでうめき声を上げながら汗だくで寝ていたのだった。

 今回は旅も短期間だし、体調も万全の状態で臨んでいるから絶対的な自信があったのだが、なんてことはない、一ノ瀬泰造さんの墓をあとにして午後12時半頃にGHに戻って来てシャワーを浴びたあと、急に体に変調を感じ、明らかに熱があるようだったのですぐに寝た。

 汗を出せば今なら最悪の状態になる前に治るだろうと思って、タオルケットを被って1時間ほど寝たが、2時頃に皆が帰ってきた物音に目が覚めた。

 中庭に出ると皆がくつろいでおり、M君が『今日は暑いですねぇ。 でもあちこち回りましたよ。 今日もサンセットに行こうと思うのですが、ペロ吉さん、疲れた顔をしてどうかしたのですか?』と僕がちょっと冴えない顔をしているのを見て言った。

 『うん、朝から2ヶ所回ったんだけど、かなり遠かったのと暑いから体調を崩したようなんだ。 熱はないと思うんだけどね。 今夜のサンセットはやめておくよ』

 今日はこんなに良い天気だし、昨日見ることができなかったサンセットを、今日はおそらく見物できるだろうと思ったが、プノンバケンの山道を登り、さらに急な石段を登る元気がないような気がしたので断った。

 無理して行ったら、「アンコールワットを旅行中の中年日本人探偵が、遺跡の石段から転がり落ちて、頭を強打して死亡」という記事にもなりかねない。

 探偵とは報道されないかも知れないが、いずれにしてもそんな記事を読んでも、僕を知る人は誰も同情はしてくれないだろうから、慎重な性格の僕は無理をしないことにした。

 しばらく中庭で雑談をしてから、皆はサンセットに行く前にちょっと昼寝をするというので、僕は一人で街歩きに出た。

 大通りに出て10mも歩かないうちに、20代くらいのバイタク青年が声をかけてきた。

 オールドマーケットの方向に行きたいと言うと、『オッケー、ワンダラー』と言う。

 なんでもかんでもとりあえず、『ワンダラー!』と彼等は言うのだが、僕はリエルが少し残っていたので、ポケットからクシャクシャになったリエル紙幣を取り出し、『2500リエル(1$US3900リエル程度)あるから、これで行ってくれよ』と言った。

 彼は苦笑いしながらなにやらブツブツ行っていたが、オッケー後ろに乗れということになり、オールドマーケットの裏手のネットカフェまで行ってもらった。

 ネットカフェ前で料金を支払う段になって、ちょっと2500リエルでは可愛そうに思えてきて、ポケットをあちこち探してあと1000リエルを加えて支払った。

 このあと翌日知り合った日本人が同じくらいの距離を1000リエルで乗ったと言う話もあり、バイタクの料金はかなり曖昧のようだ。

 1時間程友人にメールを送ったり、自分のHPに書き込んだり、ヤフーなどで同時多発テロの報道を読んでいたが、やはり体は熱っぽく、どうもこの体調では帰路を再びピックアップトラックで砂埃まみれになって戻る自信がなくなってきた。

 僕はネットカフェを出て、オールドマーケットのお菓子屋さんの店先にロールケーキを発見したが、それを買う精神的余裕もないまま近くの中国系旅行社に飛び込んだ。

 シェムリアップ〜バンコクの航空券を購入するためである。【弱気だなぁ】

 


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