13.バイヨン シェムリアップ2日目、朝から郵便局とインターネットカフェを回り、町を散策したあと宿に戻ってきて、ようやく9時半からアンコールワット遺跡群めぐりに出発だ。 中庭に出ると、僕を担当する長男さんが既にバイクに乗って待機していた。 ようやくM君やSさん、それにK君も疲れが取れてすっきりした顔で出てきた。 『じゃあ、僕はお先にアンコールワットに行ってきま~す』と言ってバイクの後ろに跨り、スタートした。 シェムリアップの道路事情は思っていたよりもかなり良く、メインストリートは殆ど舗装されていたが、僕たちの宿の前の路地とそこから出た大通りは未舗装で、土埃が舞い上がっていた。 橋を渡って、朝郵便局に行った方向と逆方向に向かうと綺麗な舗装道路となり、快晴の天候下で気持ちの良いバイクツーリング感覚になった。 長男さんは運転も慎重で、アンコールワットに向かう大通りの両側の建物の説明をしてくれるなど、なかなか親切である。 アンコール遺跡群は、誰もがあの3つの斜塔からなる壮大な建物を想像するが、あれはアンコールワットと呼ばれる勿論メインの寺院ではあっても、遺跡群の中では一部にすぎないのである。 遺跡群はシェムリアップ中心部から点在しており、大部分が北方面に所在するが、それは広範囲にあって、アンコールワットから見ても、すぐ北にアンコール・トムがあり、両翼には西バライ、東バライの遺跡群を従えており、さらに北方向に約40キロの位置には、「東洋のモナリザ」で知られる優美なレリーフの小寺院、バンテアイ・スレイが所在しており、その範囲は大げさに言うと大阪市内位の広さに点在しているのではないだろうかと思うのだ。 ともかく今日初日に訪ねる予定の遺跡は、アンコールワットとその北に所在するアンコール・トムなのだが、それだけでも5キロ四方の広大な面積があるのだ。 10分程田園風景の中を走ると三叉路があり、斜め右の道路を入ると、そこはアンコール遺跡群への入場券のチェックポイントだった。 ここで販売している入場券は、一日券が20ドル、3日券が40ドル、7日券が60ドルと3種類あり、顔写真入りのものを即席で発行してくれる。 あらかじめ用意していた写真(3センチ×4センチ)を一枚手渡し、40ドルとパスポートを提示して2,3分もすると、怪しげな親父の写真がパウチされた入場券が出来上がった。(写真はここで撮影も可能) この入場券の料金は、前にも述べたように、カンボジアの公務員の月収が約20ドルとされていることから考えると、猛烈に高額なものと思うのだが、この収入がカンボジア経済復興の基盤となり、さらにアンコールワットの修復存続のための資金になっている訳であるから、やむを得ない金額に思うのだ。 再び出発して元の道路に合流する手前で、この入場券に初日のパンチ穴を開けてもらい、今度こそアンコールワットに続く道路である。 巨大な森の中を、ドンドン奥にバイクは快適に走って行く。 最初の三叉路を左にカーブして少し走ると、右手には大きな池が続いており、これはアンコールワットを囲む外堀なのだが、その向こうにはアンコールワットの尖塔が少しずつ見えてきた。 僕はなんとも形容できない感慨が胸の中でざわめき、長男さんの背中で、『オー、オー・・・』と、言葉にならない声が無意識に出るだけで、いきなりその雄大さに圧倒されてしまうのであった。 バイヨンの入り口 しかしそんな僕の感動もつかの間、長男さんはアンコールワットの参道前を通り過ぎてグングン走り、【どこに行くんだろう?】と少し不安に思っていると、左にプノン・バケン(Phnon Bakheng)の山を見てから、大きな四面塔がトンネルになった南大門を潜り抜けて行った。 この門は3キロ四方もある広大な遺跡群・アンコール・トムの南門で、ここからさらに北に約1.5kmのところにバイヨン(Bayon:宇宙の中心という意味らしい)があり、先ずはここから見物するらしい。 『バヨン!』と長男さんはバイクを止めて言い、彼はバプーオン(Baphuon)の入り口に通じる辺りで待っているとのことであった。 入り口で係員に入場券を掲示してから、僕はゆっくりと東門から入って行った。 |
バイヨンはアンコール・トムの中央に所在し、ガイドによれば12世紀にジャヤヴァルマン7世によって建設された宇宙の中心を象徴した寺院である。 端的に感想を述べると、何とも怪しげな寺院で、至るところが観世音菩薩像の四面塔で覆われており、 しかもそれらの人面はすべて微笑をたたえ、訪問者を快く迎えてくれているように感じるが、どこを回ってもニヤリとした黒い顔で見られているようで、おかしな気分になってしまう。 ジャヤヴァルマン7世はいったい何を考えてこのようなものを建設したのか理解に苦しむが、別に理解する必要はなく、ただ感想としては、これだけの観世音菩薩像の顔だけを強調して建設したところに彼の強烈な信仰心を感じ、このような複雑怪奇な建築を行った当時の石職人や建築家のレベルの高さを思った。 又、寺院内の第一回廊と第二回廊に施されたレリーフは、当時のクメール軍とチャンパ軍(ベトナム中部に所在した国らしい)との戦闘の様子や、人々の日常生活の様子などを詳細に表現しており、こちらのほうも興味深く見ることが出来る。 1時間近くもバイヨンの怪しげで何とも豪快な人面寺院に引きつけられてから、ようやく外に出て屋台レストランが並んでいるところに歩いて行くと、僕の姿を確認してGHの長男さんがバイクで駆けつけてきた。 このように、アンコール遺跡群見物は一人一人がバイクタクシーで行くのであるが、遺跡を回っている間はバイタクの兄貴達はバイクを停めて、屋台レストランや土産物売り場などでずっと待ってくれているのである。 さて長男さんは僕のもとに駆け寄ってから、『次はバプーオンです。 引き続きあの辺りで待ってますからごゆっくり』と言って、すぐ北隣の入り口を指差した。 僕は強烈な日差しの中、汗びっしょりになりながらも興味深い遺跡群にやや興奮しながら、案内されたバプーオンに入って行った。 バプーオンは11世紀中頃に建設されたヒンドゥー教の寺院で、「隠し子」という意味を持つピラミッド型建造物であるが、残念ながら修復工事中で、中には入れなかった。 この修復工事は聞くところによると、去年(2000年)の夏頃から続いているらしい。 次は西隣の王宮を訪れるのだが、正面の門から入らなくとも、バプーオンの北側の城壁が途切れたところから中に入ることが出来た。 王宮は東西600メートル、南北300メートルの広さがあり、中にはピミアナカス(天上の宮殿)や宮殿跡などがあるだけで、だだっ広い敷地内は緑に覆われた公園のような感じだ。 ピミアナカスは11世紀に建設されたヒンドゥー教の宮殿跡で、赤茶けた基壇が3層に積み上げられ、頂上には回廊があるが破壊が進んでおり、これを拝むことは出来なかった。 頂上に上がる階段は東西南北4ヶ所に設けられているが、南側の階段は勾配がきつくて、上るのに躊躇してしまい、比較的緩やかな西側の階段から登って行った。 実際、この階段の昇り降りの際に足を滑らせて、大怪我をするツーリストも少なくないと聞く。 周りの観光客は殆どが欧米人で、日本人はあまり見かけないなぁと思っていたら、僕が降りようとして慎重に階段を一段一段下っている時に、『あんた、早ようこっち来いなぁ。 男やろ、そんなに危いことないでぇ』と、明らかに中年女性のダミ声の関西弁が耳に飛び込んできた。 見ると頂上に4,5人の中年日本人女性がいて、下でまだ階段を登れずにいる男性5.6人に対して言っている言葉だった。 僕はこんなところまで来て、関西弁を聞くとは思いもよらなかったので、危うく足を滑らせてズッコケ落ちそうになったが、何とか踏ん張ってゆっくりと階段を降りて行ったのだった。 【おばはん、カンボジアまで来てバリバリの関西弁を喋るな!】 |