突撃!アンコールワットPart X

Backmusic:Royalcafe


 11.早朝散歩

 宿に帰り、中庭のテーブルでしばらくTVを見たあと、皆疲れ気味だったのでそれぞれが早めに部屋に戻り、午後10時前には寝た。

 今日は本当にいろいろな出来事があり、多くの人とも接して疲れていたようで、ベッドに横になると3秒程で寝入ってしまった。

 朝5時頃に起きてホアランポーン駅に行き、555分発の列車に乗り込み、変わらない田園風景を眺めながらの6時間。 列車では驚くほど美味しかった車内販売のぶっかけご飯。 たまたま前に座ったタイ人女性との、言語不通の会話()と写真撮影。 終着駅のアランヤプラテートの喧騒とトゥクトゥクオヤジ。 国境越えの感激とピックアップトラックの貴重な経験。 初日の夜から大勢の日本人との夕食等々。

 今思い起こせば数々の出来事があった初日で、それらは国境で知り合った大学生が皆良い奴で、幸運だったということもあるが、その夜はそんな一日を振り返ることもなく、疲れとともに瞬時に寝てしまったのだった。

 同室のM君がベッド脇で、荷物の整理などでゴソゴソしているうちに僕が先に寝てしまったので、きっと彼は僕のB-29爆撃機のような激しい鼾に、一晩中悩まされたに違いない。

 しかし彼は翌朝、『僕の鼾で寝られなかったんじゃない?』と恐る恐る聞いても、『いえ、何ともなかったですよ。 僕もすぐに寝ちゃいましたから』と言うのだった。【なかなかよく出来た人物だね】

 翌913日は、午前6時に音を立てるようにパチリと目が覚めた。

 夢一つ見なかったので、死んだように8時間以上も寝たようだ。

 今日の早朝にGHを発つと言っていた千葉大の青年を見送るために中庭に出ると、ちょうど彼が部屋からバックパックを抱えて出て来たところだった。

 『一晩だけの付き合いだったけど、これからも気をつけて』とお互いに言葉を交わし、しばらく世間話をした。

 彼は教育学部の3回生で、将来は小学校の教員になりたいという希望を持っており、人懐っこい風貌と穏やかそうな人柄から、きっと夢は叶うだろうと何の根拠もなく思った。

 6時半になって宿の玄関に一台のピックアップトラックが到着した。

 『それじゃぁ、元気で!』と簡単な別れを言い、彼を乗せたトラックは僕達とは逆にタイの国境の町・ポイペトに向かって走り出した。

 一旦部屋に戻り、M君が熟睡しているのを確認し、首掛けポシェットをぶら下げて、早朝のシェムリの町歩きをすることにした。

 宿を出て通りを右に曲がり、郵便局の方向に数メートル歩いたところで、早くもバイクタクシーの男性に声をかけられた。 40才は十分超えているだろうと思われる気弱そうな男性だった。

 『ヘイ! バイタク? ホエアーウイルユーゴー』

 『ポスト・オフィースアンドネットカフェ ワンダラー、オーケー?』

 てな感じの言葉のやり取りで、バイクの後ろに跨り、バリバリという音とともに郵便局に向かった。 早朝だというのに舗装されていない道路には土埃が舞い上がり、昨夜分からなかったシェムリアップの街が少し見えてきたような気がした。

 橋を渡って左折し100m程走ると郵便局に着いた。

 『キャンユー ウエイト アバウト ファイブミニッツ、オーケー?』と言って待たせたのだが、まだお金を払っていないし、彼は待つしかないんだね。()

 こんなに朝早いのに郵便局の窓口は開いており、奈良の大仏さんのような顔をした女性からハガキと切手をそれぞれ3枚購入し、そのうちの一枚に、関東に住む僕の師匠宛に即興で文章を書いて投函したのだが、あとで自分の名前を書くのを忘れてしまったのに気がついた。

 再びバイクの後ろに跨り、オールドマーケット近くのインターネットカフェまで運んでもらい、1ドルを男性に支払って、お互いに満足をして別れたのだが、あとで得た情報などから、きっとこれくらいの距離で1ドルは渡し過ぎのように思うのだった。

 オールドマーケットの裏手にはインターネットカフェが何軒か営業を行っており、その中の中華系の店に入って行った。(店の看板がそんな感じだっただけだから、中華系かどうかは分からない)

 ネットカフェは301ドルと掲示されており、勿論バンコクのドムアン空港内やホアランポーン駅構内のネットカフェに比べると桁違いの安さであるが、ラオスよりは若干高いような気がした。

 PCは富士通のもので、ここでも日本製が幅を利かせているのだと思ったが、接続速度は意外と速くて、ストレスは感じなかった。

 僕のHPのURLを打ち込みエンターキーをエイ!と押すと、出た出た見覚えのあるサイトが。

 Pero’s Kingdom とそのサイトには書かれていた。 

 じっくり画面を見てみると、そのHPは僕のものだったんだ。() 海外で見る自分のHPは、又違った感覚で見ることが出来るから不思議なものだ。

 早速掲示板に無事の書き込みをしようと思ったが、その前に現在インドを旅しているラオスで知り合った青年に、昨日知ったテロ事件のことを知らせなくてはいけない。 ここでも旅仲間の気遣いを忘れない僕だった。

 


 12. フランスパン・サンドイッチ

 シェムリアップのネットカフェは日本語変換が可能で、しかも接続スピードも随分速く感じた。

 インドを旅している友人には、『世界が大変なことになっている。 インドからパキスタンは控えたほうが賢明だ』という内容のメールを送った。

 1時間程、数少ない友人・知人にメールを送ったり、ヤフーのニュースなどを見たあと、ネットカフェをあとにして、僕はGHまでの約1キロの距離をシェムリアップ川沿いにブラブラと歩いた。

 昨日の小雨混じりの曇天とは打って変わって、早朝から雲ひとつない好天で気持ちが良い。

 僕の旅はどうして毎回このように最初は天候に恵まれるのだろう。

 やはり日頃の行いと、常に神仏に祈りながらの敬虔な生活が奏功しているのだろうと、自分本位に思うのだった。

 シェムリアップ川で早朝洗濯 

 オールドマーケットの方からシェムリアップ川にかかる橋を渡り、川沿いの道を歩いて行くと、朝から洗濯をしている女性が見えた。

 洗濯が出来るのだから川の水は随分綺麗なのだろう。

 程なくバイタクの兄貴達が入れ替わり立ち代り、『バイタク乗りまへんか』と声をかけてくれるのだが、こんな気分の良い朝は散歩するに限るから、丁寧に断り続けた。

 時刻はまだ午前8時過ぎなので、それほどバイクや車は走っていないが、屋台風レストランなどは既に営業を開始している。

 川沿いの道は舗装されていて、バイクが走り抜けても土埃は立たないし、町の中心部は一歩路地に入れば未舗装な部分も多いが、表通りは殆どが舗装されており、インターネットで得た少し古い旅行記などは、既に過去の情報となってしまっていると感じた。

 シェムリアップ川沿いの道路

 そんな風にあれこれ取り留めないことを思いながらのんびり歩いていると、小さな屋台を引いているフランスパン・サンドイッチ屋を見つけた。

 僕はラオスを旅して、フランス植民地時代の名残の、このフランスパン・サンドイッチにすっかり魅せられてしまっているので、小走りに追いかけて呼び止めた。

 全体に細身の人の良さそうな若い男性は、『Morning』と微笑み、何やら現地語で喋るのだが、何を言っているのか分からないので、指を一本立ててから、屋台のガラス容器の中に分けられている野菜やハムなどのトッピングを指差して注文した。

 彼は小さな鉄板の上で軽くフランスパンをあぶってから手際よく横にナイフを入れ、僕が指差した野菜やハムを挟み、ドレッシングのようなものをかけて紙に包み、さらに薄いビニール袋にまで入れてくれて、それから僕に手渡すのだった。

 こんなに丁寧に一本のフランスパン・サンドイッチを作ってくれて、代金は僅か1000リエル(30)なのだ。 

 今回の旅で、インドシナ三国を取り合えず一丁あがりにした訳だけど、これまでの訪問国では、このように路上のあちこちで屋台があるのは、経済旅行をするのには非常にありがたいことだ。

 フランスパンのビニール袋をぶら下げながらさらに歩くと、昨夜晩御飯を食べた屋台風レストランの前に来たので、ミネラルウオーター1本を購入してから宿に戻った。

 部屋に戻るとM君はまだ寝ており、随分疲れていたのだなと思った。

 買ってきたサンドイッチを頬張り(期待した通り美味しかった。 読者の方に重ねて言います。 インドシナを旅する目的はこのフランスパン・サンドイッチを食べるだけでも有意義だと思います)、水で流し込んでから中庭に出たら、GHの長男さんが、『9時半頃にスタートしましょう』と言ってきた。

 僕のバイタクはこの先帰国の日まで彼が担当してくれたのだが、彼は26才の折り目正しいなかなかの好青年だった。

 ここバプーンGHは、ファミリーで経営していて、彼の長弟が3兄弟の中でも社交的でちょっとヒョウキンな奴なのだが、GHの運営の中心になっている様子で、市内で日本人が開いている日本語学校の修了証書を中庭の壁に貼り付けていて、確かに日本語はかなり達者だった。

 ファミリーで経営しているといっても、お父さんは警察官で、カンボジアの警察官の平均月収が20ドルと聞くので、当然生活は苦しく、副業としてGHを始めることにしたのだと語っていたが、それが今や本業になってしまっている。

 この家族はカンボジアでも中流以上の家庭であることは間違いがないが、それにしても彼等は年中無休で働いているらしく、このようにアンコールワットを前面に出して観光資源による経済発展を目指している政府の姿勢は、以前より増して国民に浸透しているような気がするのであった。

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