突撃!アンコールワットIU

Music:hokago

 26.トンレサップ湖

 長男さんのバイクに跨り、彼が来年5月に結婚する予定の相手の女性が勤めている市場を通り過ぎ、シェムリアップの町を南へ南へと下って行く。

 相手女性の年令を聞くと、何と17才だという。

 「それはひどすぎるんじゃないか?」と僕はオーバーに驚いた表情を作って言った。

 「カンボジアの女性の結婚は早いです。 十代で結婚することは珍しいことではありません」

 彼は少し照れ笑いをしながら言うのだが、ぼくはそんなことを言っているのじゃなくて、年令差のことを指摘しているのに、と思ったが、それは言わないことにした。

 一応舗装した道路にところどころ大きな穴が開いており、そこに数日前に降った雨の水溜りが蒸発しないで残ったままだ。 未舗装の道路もまだまだ多く、でこぼこ道になっているので、長男さんはバイクを右へ左へと操作して出来るだけ衝撃を少なくしようと務めてくれているようだ。

 しばらく走ると一本道に出た。

 その一本道は、車がすれ違える程度の幅で、両側は湖になっていた。 はるか向こうまで一本道は続いており、その先には集落が見え、さらにその向こうには小さな山がポツンとそびえていた。

 長男さんは両側の湖について、「今は雨季なので道の端辺りまで湖水が来ていますが、乾季にはここは広大な水田や原野になります。 雨季と乾季とで湖の面積が大きく違ってくるのです」と説明した。

 トンレサップ湖はインドシナ半島最大の淡水湖で、その面積は何と、乾季には3000平方キロメートル、水深1〜2メートル程しかないのが、雨季になるとメコン川の水がトンレ・サップ川を経て湖に逆流して来るために、最大時は1万平方キロメートル、水深も10メートル以上にもなるというのである。

 ここでは漁業が盛んで、水上生活者にとっては重要な蛋白源になっており、この湖で魚介類が獲れるか獲れないかは死活問題となってくるのだ。

 1960年代には、淡水域としては世界最高の単位面積あたりの漁獲高に恵まれていたが、長引いた内戦や森林伐採に伴う土砂流入による環境悪化、さらに周辺住民の乱獲などもあって、トンレサップ湖の自然環境は悪化の一途をたどっていると聞かれる。

 これが湖?水平線は遠い 

 ともかく長い一本道を走り抜けると、プノンクロムという山の麓に着き、その周辺に集落が広がっており、プノンペンとを結ぶボートの発着場が突端に所在している。

 長男さんは僕にこの辺りの人々の住居と暮らしぶりを見せたかったのか、プノンクロムの麓から左方向に延びているでこぼこ道をボート発着場の方向に走った。 彼は僕がトンレサップ湖を周回しているボートに乗るとでも思ったのかも知れないが、僕にその気がないことが分かると、道路の端まで行ってからすぐに折り返した。

 辺りは魚の腐臭や湖水の臭いや、他にも何かが入り混じったような独特の臭いがする。 湖水近くの高床式住居で暮らす人々の生活臭だ。 洗濯も入浴もすべてここの水で賄う生活である。 

 

 プノンクロムの麓にバイクを止めて、ここから階段を登って山の中腹まで行き、さらに山道を上って行くと、頂上には寺院があるのだが、この時僕は寺院の所在を知らずに、結果的に暑さに負けて途中で降りてきてしまったのだった。

 痩せた少女 

 麓で待つ長男さんと別れて階段をゆっくり登って行く。 熱射が強烈で、石段が焼けている。 

 僕は全身が汗びっしょりになって、ミネラルウオーターを何度も何度も口にしながら、ようやく50段程登ったところで振り向くと、果てしない湖が水平線の彼方まで広がっていた。

 所々に水上生活者の家を浮かべて、湖面でサンシャインを跳ね返し、ギラギラとまるで音まで聞こえてきそうな活発な湖だ。

 【カンボジアは何から何までが暑くてギラギラしているようだ】

 僕は早くも肉体的疲れを感じながらさらにゆっくりと登って行き、ようやく屋根のついた小さな踊り場のような所に着いた。

 するとそこには痩せた1人の少女が立っていた。

 


27.プノンクロム山

 

 【カンボジアは何から何までが暑くてギラギラしているようだ】

 本当に暑くてたまらない。

 汗が体から流れ落ちるなんていう生易しいものではなく、毛穴から噴出してくるといった表現を採用したいほどである。

 トンレサップ湖の湖面の照り返しを背中に感じながら、ようやく日陰のある踊り場で少し休憩した。

 そこに佇んでいた痩せた1人の少女は、綺麗な手芸糸や大きなビーズのようなもので作った縄跳びを持っていた。 足元を見ると裸足である。

 「裸足で暑くないの?」

 僕は驚いて日本語で言ったあと、英語で再度聞いてみたが、彼女は気の弱そうな無邪気な微笑で僕を見るだけで、おそらく彼女の心の中は、【この可笑しげなオヤジさんは、一体何を言ってるのでしょね】といったふうだったに違いない。

 「暑いねぇ。 君の家は何処なの? あの辺りかな?」と僕は遠く湖の周辺に集まっている家々の一つの辺りを指差して言った。

 しかし当然言葉が分かるはずもなく、僕の指差した方向を眺めて、そしてぼくの顔をじっと見てニッコリするだけだった。
 プノンクロムの中腹
 

 近くに売店でもあれば飲み物でも買ってあげたかったが、そんな気の利いたものはこの山にはなくて、仕方なく写真を一枚写させてもらって手を振って別れ、再び太陽の日差しがこれでもかというくらい突き刺さってくる階段を登って行った。

 階段を登りきると今度は緩やかな山道に変り、木々は殆どなくて草が生い茂っている道をゆっくり歩いた。

 左手には、山腹の斜面に作られた段々畑で数頭の馬がのんびりと草を食んでいる。 トンレサップ湖を見下ろしながら、なんとも平和でのどかな光景だ。

 しばらくその様子を観察していた。 こんなに暑いのにその馬達は、鹿毛におおわれた肌から汗一つ流れていないのだ。 考えてみれば馬という生き物はかなり強靭ではないか。

 雪の降る北国でも、カンボジアのように焼けるような暑さの国でも、涼しげな顔をして草を食んでいる。

 犬なんぞは、こんな暑さでは口からだらしなく長い舌を出して、日陰でグターと寝るだけだ。 猫にしたって冬はコタツやホットカーペットの上で、体を丸めて間抜けのように寝ている。

 そんなことを考えながらしばらく尊敬の念で馬を見ていたら、目眩がしてよろけそうになった。 バンダナを巻いた頭頂部が熱い。 布を通り越して日差しは少なくなった毛髪を焼く。

 僕はこれ以上登って行く気力がなくなってきた。 何てことのない、たかが200メートルほどの山じゃないか。 まだ昼にもならないのに、こんなにグロッキー状態では、これからアンコール・トム周辺を大回りするという大躍進は期待できないのではないか。

 それに今日は、初日にアンコール・トムの王宮で約束した土産物売りの女性に会わなければいけない。 初日は荷物になるからと言って、彼女が勧めるものを断って、必ず3日目にもう一度来るから、その時に買うと約束をしたのだった。

 約束を守らないと日本人はうそつきだと思われ、このあとの旅行者に迷惑がかかる。 

 僕はあれこれ考えた末、大義名分により踵を返し、来た道を悠然と戻って行ったのだった。 決して暑さと体力消耗により、途中で諦めた訳ではない。 それにこの時は、このプロンクロムの山頂に寺院があるとは知らなかったのだ。  かなり朽ちた祀堂の寺院らしいが、次回カンボジアを訪れる時はリベンジしようと思っている。

 さて、プノンクロム山からひざをガクガクさせながら降りて、今度はアンコール・トムの周辺のめぼしい遺跡を回る、いわゆる大回りに向かった。

 この大回りという言い方は、勿論僕が言った訳でもなく、ガイドブックに掲載されている訳でもない。

 長男さんが今朝、「今日の予定はトンレサップ湖と大回りです」と流暢な日本語で言ったからである。

 【大回りというからには、随分とハードな遺跡めぐりになるのだろうなぁ】

 僕はアンコールワット遺跡群めぐりの3日目で、ややグロッキー気味となってしまっていた。


 28.大回り その1

 午前中のトンレサップ湖とプノンクロム山観光で、暑さと階段の昇り降りとでかなり疲労困憊していたが、仕事熱心な長男さんは、僕の肉体的大問題など関係なく3日目のアンコールワット遺跡群観光にバイクを飛ばした。

 チェックポイントで3つ目のパウチを開けてもらって、初日に来た同じ道を走り、四面塔の南大門の手前を右折して、アンコール・トムの周囲をグルッと回ってさらに東に進んだ。

 大回りの第一ラウンドは、最初に左手に見えた“タ・プローム”(Ta Prohm)である。

 12世紀の終わりにジャヤヴァルマン7世により建立された、王の僧院と呼ばれる宿坊らしい。

  タ・ブローム
 
建築された当時は
1万人を越す僧侶や踊り子さんの宿舎で、その周辺には7万人を越える人々がこの僧院を維持するために生活を送っていたとされている。

 入り口前の広場でバイクを降り、長男さんと別れて、バイヨンで無数に微笑んでいた人面像のゲートをくぐって中に入って行った。

 東西約1キロメートル、南北約600メートルの広い敷地内の中心部までの長い道を歩いていると、所々に崩れかけた外壁などが見え、保存状態があまり良くない印象を受けた。

 この遺跡は発見当時の状態を残すために、修復工事が殆ど行われていないとのことである。



 

 何故なら、この遺跡には驚くべき自然の威力というものが残されているからで、それは容赦なく無機質な物質に襲いかかっているのだ。

 寺院の内部に足を踏み入れても、破壊の進んだ部分が見受けられ、建物の倒壊を防ぐためのメンテナンスも少しは施されていると思われるが、アンコール・ワットやバイヨンの遺跡と比べると内部も整備されていない。

 本殿から冷やりとした空気の廊下を抜けて、小さな中庭のような所に出ると、その驚くべき光景が存在を示していた。

 石積みの崩れかけた建物に巨大な(スポアン)の根が絡みついており、一見すると寺院を押し潰しているように見えるが、それは積み上げられた石の裂け目に入り込み、逆に破壊を抑えているかのようにも見え、この僧院との共存を誇示しているとも思われるのだ。

 しばらくその光景に目を奪われ、心の中でため息をついたあと、寺院内を回ってみたが、崩れた外壁の石がそのまま無造作に転がっているなど破壊が激しい。

 本殿を出て、参道の石畳を戻って行った。

 再び長男さんのバイクに跨り、さらに東に少し走ると、「スラ・スラン」ですと長男さんが言って、僕を大きな池のほとりに降ろした。

 このスラ・スランは王のための沐浴池で、東西700メートル、南北350メートルの広さがあり、周囲は石段が設けられている。

 僕は池の西側のほとりの石段に腰をおろして、ぎらぎらと輝く水面を眺めていると、遠く正面に見える森の木々が緩やかに動いて見え、太陽の強烈な日差しを感じた。

 遺跡群めぐりとしては、初日のアンコール・トムのバイヨンや王宮、それにアンコール・ワット、さらに2日目のバウンテアイ・スレイを回っている時に比べると、精神的にも肉体的にもこのころからやや意欲が薄れてきているのを感じていた。

 


 29.大回りその2

 

 スラ・スランで、このような素晴らしい旅を与えて下さった神に対し、感謝の意をこめて沐浴をすることもなく、汗にまみれた汚れた体のまま、神聖なアンコール遺跡群めぐりは容赦なく続いた。

 長男さんは次に「タ・ソムです!」と言った。

 タ・ソムの破壊が進んだ様子

 「タソム? そういえば僕の運営しているホームページとリンクしている女性にタソムさんという人がいたなぁ」と思いながら、人面塔の入り口をくぐって行った。

 この寺院もかつては僧院だったらしいが、比較的小さな寺院である。

 中に入り木々に覆われた道を少し歩くと中央祠堂で、そこに入る西と東の各門には美しいデバター像が存在するが、いずれも石を積んでいる組み合わせの部分が少しずつずれてきており、自然の力によっておかしなスタイルに変身を余儀なくされている。

 この寺院はやはり全般的に破壊がかなり進んでおり、崩れた壁石が転がっていたりする。

 救いは、東側の人面塔にはタ・プロームと同じ様に、樹木が絡みついて建物の崩壊を抑えているような気がすることだった。

 灰色がかなり黒ずんでしまった建造物の次から次への登場に、僕は体力の消耗とともに視覚的満腹感を持ち始め、それは心地良い満腹感ではなく、特に好んで食べたくないものをやむを得ず口にしたあとの、何ともいえない違和感の混じったものだった。

 外に出て長男さんのバイクに跨る。

 バイクは疲れを知らず、快調にエンジン音を唸らせながら発信した。

 バイクはひっそりとした森の外れのような場所に着き、「ニャック・ポアンです!」と長男さんがニコッと笑いながら言った。

 【長男君、君は真面目で愛想が良く、本当に好感の持てる青年だ。 来年春の結婚は心から祝福するよ。 でも僕はちょっと疲れてしまったよ】と、「疲れたから休憩しよう」と言い出せないまま、気を遣っている自分に苦笑いしながら歩いて行った。

 ニャック・ポアンとは、「絡み合う」という意味があるらしく、4つの小さな池に囲まれた中央の池の中に、2匹の蛇の像に守られているかのように中央に祠堂がポツンと所在している。 この池は昔どのような使われ方をしていたのかは不明であるが、現在は池には水はなく、草が生えている状態だった。

 さらに次に到着したのはプリア・カンという比較的大きな寺院である。

 「東門から入って中に入り、参道を通って西門から抜けてください。 私は西門を出た所で待っています」と長男さんが言い残し、バイクで走り去った。

 この寺院はジャヤヴァルマン七世が、チャンパ軍との戦争に勝った記念に、王の父の菩提寺として建築したとのことで、「聖なる剣」という意味があるらしく、【アメリカのロックバンドの昔のアルバムと同名だな】などと、関係のないことを思いながらトボトボと向かった。

 東正面大門から中に入り、回廊を歩いていると12,3才の1人の少年に声をかけられた。

 「この寺院は昔・・・」英語でなにやら話し出したが、おそらく寺院の歴史などを解説しているのだろうと思った。

 「OK、OK、ノーサンキューだ。ありがとう」僕は日本語であしらいながら、先へと進んだが、彼は僕のななめ後ろをついて歩き、英語でガイドをやめようとしないのだ。

 「Ok、本当にもういいんだよ。ちょっと疲れているから」と英語で答えてみたが、彼はそれでもやめようとせずに、言葉を浴びせかけてくるのだった。

 「いい加減にしろ!要らないと言ってるだろ!」僕は誰に言う訳でもなかったのだが、彼に向かって自分でも思いがけず声を荒げてしまったのだった。

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