Music:tasogare
23. 汗だくの夜 オールドマーケットの川側の出口を出て、両替所の反対側の角にその中国系旅行社は所在していた。 入って行くとカウンターにシルバーの眼鏡をかけた無愛想な女性が座っており、顔つきからして明らかに中国系だと思われたが、僕が明後日のバンコク便のチケットを買いたいというと、テキパキとPCのキーを叩き、「OK、145ドルです。 それと手数料を4ドルいただきます」といった。 手持ちの現金が少なかったのでVISAカードを手渡し、計算書にサインをして控えを受け取ると、説明通りの金額が打たれていた。 前回の旅行中に、ラオスの首都・ビエンチャンで、初日11人のバックパッカーが集まって賑やかな夕食を楽しんだのだが、その時のメンバーで、女子大を卒業後アジアを旅していた23才の女性が、マレーシアで1万円余りの買い物をした際にカードで支払ったら、日本に帰ってから20数万円の請求が来て驚いたという話をしていた。 結局支払う破目になってしまったらしいが、海外でカードを使用する際には、目の届く範囲でカードを通してもらうようにしないと不安だと、彼女は切実に話していたのを思い出す。 このように、旅先で知り合った旅行者から、実際体験した失敗談を聞くことは、一つの有効な情報として頭に入れておく必要があるということだ。 さて、微熱を感じる体ではあったが、ヨレヨレしながらも何とか宿まで歩いて帰り、まだ皆サンセットから戻っていないので、少し空腹を感じて宿の長男さんにサンドイッチとレモンシェイクを注文して、中庭でTVを見ながら食べた。 食欲があって下痢ではないので、体調が悪いといっても、どうにも起きてられないという状態ではなかった。 遺跡めぐりで2度会った関西の女子大生さんが6時半頃に来るので、少しだけ部屋に戻って横になった。 目覚まし時計を6時20分に合わせて、目を閉じるとみるみる全身から汗が噴出し、腕には玉の汗が浮き出てきた。 少しうとうとして目覚ましの音に目が覚め、シャワーで汗を流してから中庭に出ると、SさんもK君もM君も帰って来ていた。 「ペロ吉さん、体調はどうですか?」 「食欲があるから大丈夫だと思うよ。 ところで今日バンテアイスレイで、昨日アンコール・トムで出会った女性と偶然再会したから、夕食に誘っておいたよ。 可愛い女子大生さんだから御期待を!」 どんな女性ですかと彼らから聞かれる間もなく、その女子大生が登場した。 「こんばんは、○○です。 よろしくお願いします」 彼女は物怖じしない性格で、しっかりした口調で皆に挨拶をした。(物怖じするようでは一人旅は無理だけど) 皆お腹がすいているようだったので、今夜も川沿いの屋台レストランに繰り出した。 Sさんとその女子大生は同じ年令ということもあり、話が弾んでいたようだが、結果的に僕はいつもの体調ではなかったため、彼女の名前を聞くのも忘れていたという訳である。 W大学のトモ君は、僕達より数日早くシェムリに着いてから、夕食はずっとこの屋台レストランで済ませているので、もはや顔馴染みになっており、レストランの娘さんや女将さんと冗談などを言い合っており、お勘定の際も彼が皆から適当な金額を集めて、女将さんに「これくらいで勘弁してね」といった感じで、若干融通を利いてもらっていたようだった。 彼は将来外交官にでもなれば活躍するのではないか、などと思いながら僕はこの夜、焼きうどんを食べながらビールは控えて、マンゴーとパイナップルとパパイヤをミックスしたシェイクを飲んだ。 シェイクは前にもいったように、素晴らしく美味しかったが、焼きうどんは麺が短く、味付けもしっかりしておらず、決して美味しいとはいえなかった。 カンボジア滞在中の食事は、屋台を中心としたこともあるかもしれないが、美味しい!と素直に感じられる料理には結局めぐりあわなかった。 インドシナ三国とタイとの四つの国では、カンボジアが最も料理が美味しくないように思うのだった。 9時頃にオヒラキとし、女子大生さんとも別れて宿に戻り、僕は明日サンライズに出るつもりをしていたので、何とか熱を下げようと思ってK君に風邪薬を一包もらって流し込んでから午後10時には寝た。 彼は旅の前に近所の医者から処方箋までもらっているとのことで、なんとも用意の良い面白い青年だ。 M君に風邪を移さないように気遣いながらシーツに包まって寝たら、夜中に何度も汗だくで目が覚め、そのつどシャツを着替えては再び寝た。 このようにしてシェムリアップの3日目は過ぎて行った。 |
夜中に何度も目が覚め、腕を見ると大粒の玉の汗が一杯貼り付いていた。 汗をドンドン出して、ミネラルウオーターを喉に流し込むと、熱は簡単に下がるものだ。 これは何度も経験しているから、きっとサンライズには行けると確信していたら、朝4時頃に目が覚めた時点では体調はすっかり回復し、むしろ体が随分軽く感じられ、飛び跳ねて歌でも歌いたい気分になったが、隣のベッドではM君が熟睡しているので自重した。 水シャワーで汗を流し、着替えをしてまだ真っ暗な中庭に出ると、既に長男さんが待機しており、バイクに跨って出発した。 (彼等は本当に仕事熱心で、しかもタフだ。 365日一日も休まないらしい) こんなに朝が早いのに、暗闇の中にバイクや車のヘッドライトが所々に見える。 きっと、殆どがサンライズを見に行く観光客なのだろう。 アンコールワットの西参道正面テラス前の付近に到着しても辺りは真っ暗で、バイクのヘッドライトでかろうじて通路が分かるという状態だ。 観光客が次々と到着していて、懐中電灯で足元を照らしながら参道を歩いている人も多い。 参道から最初の門を入った辺りに大勢の観光客が待機しており、ここから200m程向こうの尖塔の裏側に昇ってくる太陽を今か今かと待っているのだ。 午前5時を過ぎた頃になると尖塔の向こうが少しだけ明るくなってきた。 周囲にはサンライズを待ちわびている観光客で溢れていたが、グルリと見渡した範囲では、やはり半数が日本人のように思えた。 いや半数以上が日本人で、欧米人の方が圧倒的に少ない。 通路から下の芝生に降りて、三脚を立てて高価そうなカメラで本格的に撮影をスタンバイしている中年の日本人男性もいた。 さらに日本人の若い男女のグループや、大げさなカメラをぶら下げた中年の日本人夫婦も見える。 暗闇の中で、「こっちの方が良く見えるよ!」 「まだかなぁ。 もっとゆっくり来てもよかったんとちがうん?」などと日本語が飛び交い、ズッコケそうになる。 【朝早くからご苦労なこった】僕は自分もその中の一人なのに、嫌味を込めた気持ちで眺めた。 それほどアンコールワットのサンライズは優美なものなのか? 波乱に満ちた悲惨な歴史を刻んでいる国に、唯一残されたクメール遺跡のサンライズが、そんなに絵になるものなのか? この国の人々は、アンコールワット遺跡群に一体真実はどのような意識を持って日常を送っているのだろう。 僕はサンライズを待つ間、思いもよらなかった大勢の観光客を醒めた目で見て、醒めた感慨を抱きながら一種苛立ちに似た気分に変って行った。 もとより物事の裏表を見る癖のある僕だから、アンコールワットのサンライズにこれ程大勢の日本人が押し寄せていることに、素直に一緒になって楽しめないのだった。 それでもいよいよ尖塔の向こうが少しオレンジ色になり、それとともに紺色の空が明るさを増してくると、僕もカメラを構えて無意識にシャッターを次々と押していたのだった。 朝焼けが広がると、何ともいえない優美さに、僕のひねくれた心でも感動を隠すことができずに、周りの人々と一緒になって「オー・・・・!」と声にならない感嘆詞を発していたのだった。 太陽が完全に昇り、辺りはすっかり爽やかな朝となってからも、しばらくは3つの尖塔の向こうに輝く太陽と朝焼けを見ていた。 それはカンボジアの国の将来を象徴しているかのように僕には感じた。 それ程アンコールワットを背にしたサンライズのひとコマひとコマが、僕の心を捉えて離さなかった。 理屈でも何でもないんだ。 素晴らしい景色は素晴らしいのだ、と僕は一時苛立っていた自分が恥ずかしくなって、それを感じると同時にアンコールワットにクルリと背を向けて参道を戻って行ったのだった。 |
サンライズから宿に戻るとまだ午前6時半頃だった。 部屋に入るとM君がスヤスヤと寝ていたので、物音を立てないように注意しながらベッドに横になるとすぐに寝入ってしまった。 午前8時過ぎに目が覚めて中庭に出ると、M君とSさんがGHがサービスしてくれる朝のパンをかじっていた。 しばらく3人で雑談をした。 「サンライズが見れましたか」と聞くので、綺麗な朝焼けとともに浮かぶアンコールワットの雄姿を拝めたと答え、「大勢の観光客がいたでしょう?」との問いには、「日本人と白人のカメラ小僧で一杯だった」と答えた。 【本当の大勢の観光客がいた。 アンコールワットは素晴らしかった】 僕はもっと感動を上手に表現するのに適したセンスある言葉を探したが、いくら頭の中を忙しく走らせてもこれ以上の返答はできないと思い、話題を変えた。 今となってはどのような朝の会話を楽しんだのかは、明確には憶えていないが、Sさんが「ペロ吉さんは、どなたかお付き合いしている彼女はいるのですか?」と急に聞いてきたのは明らかに記憶にある。 僕は口に頬張っていたフランスパンの粉を喉に詰まらせて咳き込みながら、「ど、どうして急にそんなこと聞くの?」と逆に聞き返した。 「旅をしている間、彼女は心配しませんか? 一人旅に出ることに反対されませんか?」 Sさんはあたかも僕にステディーな彼女がいるものと決め付けたかのような質問の仕方だった。 「僕なんか中年の冴えないおっさんだから誰も相手にしてくれないよ。 確かに普段食事をしたり、僕が好きな蕎麦を食べに一緒に行ったり、山登りを付き合ってもらったりする女性はいないことはないけど、それは男と女という認識のない相手なんだ」 Sさんはアイスティーを飲みながら、「フーン・・・」と下を向いて首を上下に少し揺らしていた。 するとM君が、「Sさんは彼氏いるんだろ?」と聞いた。 「いるんだけどね。 私が時々こうして一人旅に出ると言うと必ず喧嘩になるの。 だから皆さんはどうなのかなって思っただけ」 「俺も彼女いるんだけどさ、本当は行って欲しくないみたいだよ。 それは相手としたら当然そう思うんじゃないかな」 僕は2人の言うことは当たり前だと思ったが、よく聞く話に、「長期の旅に出るのなら、彼女彼氏はいない方が良い。 きっと帰りたくなるし、帰らないと日本にいる彼氏彼女に新しい恋人ができてしまう」というのがあるから、旅をしている者も日本で待っている恋人も、立場的には同じなんだと思ったのだった。 それからしばらく2人の付き合っている相手の話となり、Sさんは彼氏が職人で、それを両親が余り好意的には思っていないことが不満そうだったし、M君は大学4年で既に彼女の家に何度も訪問して、ほぼ将来の約束めいたものまで行っていると、嬉しそうな情けなさそうな何ともいえない表情で話していた。 僕はSさんには、「職人は素晴らしい。 いつの時代も手に職を持っている人は強い。 サラリーマンなんて放り出されたらどうにもならないから」と意見をし、M君には、「自分が本当にこの人と思った相手なら、結婚に適した年令なんかは関係がないよ」ともっともらしく言ったものだ。 さて、そのような朝の穏やかな会話を楽しんだあと、今日も太陽がこれでもかと照りつける中、アンコールワット遺跡群めぐり3日目である。 9時頃からK君やM君もスタートし、Sさんと僕が9時半頃ほぼ同じ時刻に宿を出た。 宿の次男さんがちょっと風邪気味で、Sさんのバイタクは親戚にあたるというとなしい感じの男性が担当していた。 長男さんは相変わらず元気だ。 「今日はトンレサップ湖に行き、それからアンコール・トム周辺の大回りというコースです」と説明してくれた。 2日間の方向とは逆に、シェムリアップの南方向にバイタクを走らせ、雨季と乾季では湖の大きさが数千平方キロメートルも違ってくるというトンレサップ湖に向かった。 途中、シェムリアップ市内の南の方を走っていると長男さんが、「私は来年の5月に結婚します。 相手の女性はあそこのマーケットで働いています」と言うので、指を指した方向を見ると、そこにはオールドマーケット程ではないが、賑やかそうな市場が見えた。 【今日はどうしたんだ皆、彼氏彼女の話題ばっかりじゃないか】 |