再びプロンポンへ 「どこのゲストハウスですか?」 N君は我々がいるゲストハウスまで迎えに来てくれると言う。 「ブロンポンの駅近くに行きつけの日本人居酒屋がありますねん。そこへ行きましょう」 僕はN君にスクンビット・オンヌットゲストハウスの位置を教えて、1階のミニレストランでコーヒーを飲みながら彼の到着を待った。ここのコーヒーはスターバックスと同じ豆を使っている(多分そうだったと思います)とかで、非常に美味しい。 フロント前のミニレストランでは食事やネットをしている欧米人が数人いた。このゲストハウスは細長い建物を利用しているため、1階部分もそれほど広くない。むしろ狭い。 狭いスペースにフロントがあり、その前にPCを4台設置したネットコーナーと、6人が座れるミニレストランを設けている。おしゃれなレイアウトなので狭いスペースでも違和感がない。 「遅いなぁ」とN君の到着を待ちわびていた我々は、ゲストハウスの前にあるオープンスペースに出た。ここにはテーブルが3卓置かれていて食事が可能だ。中のミニレストランと違うことは、ここでは喫煙ができるという点である。(僕は非喫煙者なのでここでは食事をしないが) このように小さなスペースを有効利用して、しかも随所にセンスを感じるスクンビット・オンヌットゲストハウスである。 さて、間もなくN君が乗った車がゲストハウス前に到着した。もちろん日本車だった。ホンダの四駆だが、なんという名称だったか憶えていない。 「乗ってください。プロンポンの駅近くまで送ってくれますわ」 助手席に乗っていたN君が言った。 我々二人は後部座席に乗る。運転は同じ会社に勤めるタイ人の男性だった。車は渋滞中のスクンビット通りをノロノロと走り、BTSだと4駅向こうのプロンポン駅近くで我々三人を降ろした。 「小さな居酒屋ですけど、焼酎のボトルを置いてるんですわ。あんまりしょっちゅうは来ませんけど」 N君が時々来るという居酒屋「あざみ」に入った。この辺りは夜になるとあちこちに日本人向けの居酒屋やバーが営業している。よく見回すと、何と昼間来たマッサージ店「ハタサット2」のすぐ近くだった。(笑) 「いらっすぁいますぇ」 タイ人女性の若い従業員が我々を座敷席に案内した。店内はそれほど広くないが、4人卓の座敷席がいくつかとカウンター席が10席ほどだ。カウンターの向こうにはオーナーと思われる日本人の男女がいて、女性の方が「Nさん、どうもお久しぶりです」と言った。 彼が置いているという焼酎は見たことがない銘柄のデカボトルだった。これは一人ではなかなか空けられないだろう。先ずは三人とも生ビール、そして焼き魚や冷奴、焼きそばなどを次々に注文。日本の居酒屋に来ているような錯覚に陥る。 元気そうなN君を交えて我々三人は飲み始めたのだった。 |
さて、プロンポンの居酒屋「あざみ」でかなり飲んだ我々三人は、平日にもかかわらず、初のバンコク訪問であるI君のためにトップレスバーへ突入を敢行した。この夜は「ソイ・カーボーイ」へ。 BTSで二駅隣にある「ソイ・カーボーイ」へはタクシーを利用した。なぜなら僕はN君から頼まれて、日本から書籍のダンボールを手に持っていたからだ。重さは約5キロと大したことはないが、ずっともって歩くには大変不便だ。(でも結局N君が仕事の大きなかばんを持っていたため、このダンボールをずっと手に持っていたのだが) タクシーはあっという間に我々を賑やかな一角へ運んだ。わずか70メートルか80メートル程度の長さしかない路地に、トップレスゴーゴーバーが二十店ほど存在している。 店頭ではそれぞれの店のコスチュームをまとったタイ人女性が客引きを行っている。ネオンサインが超ギラギラ。ミニスカートからむき出しの太ももに目玉が飛び出しそうになる。(笑) 「すごいですね、ここは」 I君は驚きとも感動ともつかぬ複雑な表情で言った。 「ここはまだ小さいところだよ。ナナなんかに行くとビックリするから」 我々はいくつかの店を覗いてから、余り混雑していない店に入った。僕は相変わらず手に小さなダンボールを抱えたまま。 誤解を招くといけないので述べておくと、僕は決してトップレスの若い女性を見るだけの目的で来ているのではない。これまでの旅行記のどれかにも既に書いたが、僕はイサーン音楽が大好きなのだ。あの独特のリズムが大好きなのである。 トップレスバーではディスコ調音楽が殆どだが、時々イサーン音楽が流れるのだ。イサーン出身の女性が多い踊り子さんたちは、出身地の音楽が流れると、それまでとは変わってとても嬉しそうにダイナミックに踊りだすのだ。そこには悲しい背景は感じられない。アッケラカンとした明るい表情が窺えるのである。 ハイネケンを注文して我々は踊り子さんたちの痴態を眺める。痴態というのは大げさで、足の長いスタイルのよいタイ女性を、一種憧れに似た感情で眺めている。そこにはエロティック(日本語で言うスケベ心)な心理はあまりないと思う。 まあ、自己弁護の能書きは置いておいて、僕はN君との再会を喜び、店を出たあとは彼に書籍の入ったダンボール箱を渡して別れた。彼は翌日仕事だから。 そして僕とI君とは再びBTSに乗ってオンヌットゲストハウスに戻った。明日はカオサンに移動する予定だが、I君は一応予約したカオサントラベラーズロッジに泊まるのを躊躇っている。 さて、旅行の二日目はこのように過ぎたが、このあとどうなるのだろう? |
さて、旅の三日目。目覚めてシャワーを浴びて、ゲストハウスの一階で朝食をとった。昨夜はかなり飲んだこともあって爆睡した。僕より少しあとに一階に降りてきたI君に、「どうする?カオサントラベラーズロッジに行く?」と聞いてみた。僕としては定宿だし、泊まっても良いし、I君が嫌ならやめても良い。でも強引に予約してしまったからなぁ。 「泊まらなきゃダメですかね?どうも入り口にいたタンバリン野郎のバカ姿が気に入らないのですよね」 このI君は結構真面目な堅物的思考の持ち主で、普段でも与太者を嫌う言葉が端々に窺えるのだ。ただ、無類の女好きという一面はあるが。 結局、それじゃやめておこうということになった。カオサントラベラーズロッジさん、ごめんなさい。今度行った時に謝りますね。 さて、そうなったら一刻も早くアンコールワットへ向かいたい。僕はI君に今日中に国境の街・アランヤプラテートまで行こうと提案した。 バンコク中央駅のホアランポーンからアランヤプラテートへは一日二便普通列車が出ている。発車時刻は午前六時前と午後一時過ぎ。 僕が最初にアンコールワットを訪れた時は、早朝の列車に乗ってほぼ予定通りお昼ごろアランヤプラテートに到着、そしてボーダーで日本人の大学生三人と知り合って、ピックアップトラックでドロドロになってシェムリアップに着いたのだった。(懐かしいなぁ、あの三人は今どうしているのかな) I君は僕の提案に同意し、急ぎ出発準備に取り掛かった(といってもバックパックを整理するだけだが)。スクンビット・オンヌットGHの杉山さんには「今からカンボジアに行きます。27日に戻りますから、その日と翌28日を予約したいのですが」とお願いした。 一時過ぎの列車に間に合うように出発した。 BTSで5駅目のアソークで地下鉄に乗り換え、6駅目の終点がホアランポーン駅である。NTSや地下鉄ができて、バスに頼っていた昔と比べるとバンコク市内の交通は大きく変わり、水分と便利になったものだ。それにBTSも地下鉄も垢抜けていて清潔感があり、日本のターミナルよりも快適に思うくらいだ。ただ、やはり運賃はバスに比べて高すぎる感は否めないが。 午後一時五分出発の列車は、終点のアランヤプラテートに午後五時半頃に着くという。(そんなに早く着くのかな?) ともかくチケットを購入し、アランヤプラテート行きの相当くたびれた列車に乗り込んだ。出発時刻が近かったので既に座席は埋まりつつあったが、幸いにも四人掛けの向かい合わせの席が二つ空いていた。 |
バンコク中央駅のホアランポーンからタイとカンボジアの国境の町・アランヤプラテートまでは列車で四時間半。前にこのルートを利用した時はもっと時間がかかったような気がしていたが、案の定予定通りには到着しなかった。(笑) 列車の中では隣の座席にいたアイルランドからの女性二人とずっとお喋りをしていたので、時間の経過は早かったが、それにしても外がもう真っ暗になってしまったのに一向に着く気配がなく、我々も最後はもううんざり状態だった。 さて、アイルランド女性二人だが、どうでもいいことだがいずれも金髪、名前はミッシェルとメイに便宜上しておこう。あとで分かったことだが二人とも同い年で僕とも偶然同年、ミッシェルはフランス映画に登場する熟女という感じで、メイはごく普通の少々太めの欧米人女性という風貌。(どんな感じや?と突っ込みを入れないように) メイの方が活発そうで饒舌、我々二人にあれこれ話しかけてきた。一方ミッシェルは物静かな知的女性。時々口を挟む程度だった。もちろん会話は英語なので、こちら側はI君が殆ど応対し、僕は彼女達の言葉を聞き取れたら話すという感じ。(涙) 彼女たちの旅の期間は約二週間、数日前にタイに到着し、今回はアンコールワットをメインとしてカンボジアという国を訪れるのが目的だとか。 シェムリアップでアンコールワットを見て、その後プノンペンへ移動し、メイの方は仕事の関係で数日過ごしてから帰国する予定だが、ミッシェルはプノンペンでメイと別れたあと、南にあるシアヌークビルというリゾート都市で、一人のんびり泳ぐ予定だと述べていた。 ま、いずれにしても日本人の同年齢の女性だと考えられない逞しさである。 彼女達は当初、夕方にアランヤプラテートに到着したら、その日のうちにシェムリアップまでは無理でもバッタンバンか或いは途中の街まで行きたいと言う。 僕はいよいよアランヤプラテートが近くなって来た頃に、彼女達の提案の誤りを老婆心のような気持ちで伝えた。旅の計画は個人の勝手だから放っておいても良いのだが、ここはシェムリアップ訪問歴の豊富な(と言っても過去二回だが)僕としては伝えておかなければならないだろう。 「お二人さん、今夜のうちにバッタンバンってさっき言っていたけど、シェムリアップへは方向が違いますよ。途中でシソポンという小さな町があって、そこで道路が分かれるんですよ。それにカンボジアという国は、まだ夜間移動するのは危険です。タイと違って路線バスもないし、タクシーをチャーターするにしても夜はダメです」 僕は下手な英語にI君の助けを得ながら神妙な顔で説明した。彼女達は少し戸惑ったような顔をして、二人で何か話し始めた。ロンリープラネットでは夜間の移動に関して何も触れていないのだろうか。 「それではヒロ、あなたたちはどうするの?」 僕たちは既に自己紹介をしていたので、彼女達は僕のことを「ヒロ」、I君のことを「ケン」と呼び始めていたのだ。本当に欧米人ってすぐにフレンドリーになるんだな。(笑) 「僕たちは当然、アランヤプラテートで今夜泊まって、明日朝国境を越えてバスかタクシーでシェムリアップへ向かいますよ。それならおそらく夕方日がまだ明るいうちに着くはずだから」 彼女達は数分考えていたようだが、結局僕たちと行動を共にするという結論になったようだ。何しろ僕もI君も紳士的だし、若者にはない落ち着いた信頼感を持たせる雰囲気があるからね。(本当かな) さて列車はようやく国境の町・アランヤプラテートに到着した。時刻は既に六時半を過ぎていた。 |
列車は終点のアランヤプラテートの駅に滑り込んだ。バックパックを背負って列車から降りると、大して広くない駅のホームにトゥクトゥクの客引きが一杯待ち構えていた。次々に声がかかる。 実は昨日、スクンビット・オンヌットゲストハウスにカンボジア帰りの日本人女の子がいて、アランヤプラテートで泊まった宿の情報を聞いていたのだった。 その女の子は、行きはカオサンから大型バスでシェムリアップへ行ったらしいのだが、時間が物凄くかかるし快適ではなかったので、帰りはタクシーをチャーターしてポイペトまで来て、国境を越えてアランヤプラテートで一泊してからバンコクに戻ってきたという。 その彼女からアランヤプラテートでは「アランガーデン」というホテルに泊まったことを聞いた。シングルは広くて清潔で200バーツだったとか。そしてホテルのすぐ近くにはネットカフェや屋台もあったとか。 旅先での宿の選択は「地球の歩き方」やネットで探すのも良いが、実際の泊まった人からの情報で、良さそうな宿があればそこへ行くのがベストだと思う。だたし、その情報をくれた人を信用しての話だが。(不潔でお勧めできない宿をワザと逆のことを言うこともあり得ない話ではないからね) さて駅を出て、トゥクトゥク野郎に「アランガーデンまでいくらだ?」と聞いた。「60バーツ」だと言う。 「どうしますか?アランガーデンという宿がまあまあ良かったということですから、そこに泊まろうと思うのですが」 僕はミッシェル達に聞いた。 「私達もヒロ達と同じホテルに泊まっていいかしら?」(一緒に乱交していいかしらとうことではありません) 「もちろんですよ」 ということになり、4人を乗せたトゥクトゥクはバリバリバリとけたたましいエンジン音を発して走り出した。 ところがこのトゥクトゥク野郎は、アランガーデンホテルではなくて、「アランガーデン2」というホテルに我々を運んだ。鉄筋4階建てのかなり立派なホテルだった。 「ここだ」と言う感じで、トゥクトゥク野郎はホテルの広い敷地に入って止めた。 「おいおい、ここはアランガーデン2とあるぞ、2があるということは1があるだろ?1へ連れて行けよ」 「1の方は今日は営業していない、休みだ」 「そんなはずはないだろう、ホテルが休みなんて聞いたことがないぞ!」 そんなやり取りをしていたのだが、ともかくフロントへ行って値段を聞いてきましょうよとメイが言う。 映画館の受付のような小さなフロントには、女性従業員が二人いた。 シングルが220バーツでツインが450バーツだと言う。部屋を一応見せてもらうと、TV、冷蔵庫、エアコン、ホットシャワー付の、ゲストハウスではなくて立派なホテル風だった。 結局、早く落ち着きたかったことも会ったので、僕とI君はツインに泊まり、メイとミッシェルも同様にツインに二人で泊まることにしたようだ。 明日は朝8時に先ほどのトゥクトゥク野郎が迎えに来て国境まで送ると言うので、彼に任せることにした。送ると言っても勿論有料なのだが。(笑) バックパックを置いてシャワーを浴びてから、少し遅めの晩御飯を食べるため、僕とI君はバンコクとはうって変わった静かなアランヤの街に出た。 ホテル前の通りを国境と反対方向に歩き(おそらく)、最初の角を右に曲がって少し行くと「アランガーデンホテル」があった。勿論、堂々と営業を行っていた。 |
アランヤプラテートの街はバンコクとは比べるべくもない。ビルディングの類は殆ど見かけず、そんなに遅い時刻でもないのに交通量も少なく、気味が悪いくらい静かだった。 我々は大通りに出て、通りに面した一軒の食堂に入った。地元の人達でほぼ満席に近かったので、味が良いのだろうと見込んだのだ。 シンハビールを注文して今日の長い列車の移動に「お疲れさま!」と乾杯。 食事を終えて、寝るのにはまだ早いから少し街歩きをすることに。通りを渡って少し歩くと大きなホールのような建物があり、中の様子がオープンになっていた。どうやら結婚式のパーティーが行われているようだった。 そういえば今日は土曜日だった。そして明日はクリスマスイブだ。いったい僕たちは男二人で何をやっているんだろうと思う。(笑) 宿の方向に戻って歩いていたら、一軒の洒落たレストランのオープン席でメイとミッシェルが食事をしていた。「ハーイ」と声をかける。彼女達はホークとナイフを使ったきちんとした食事で、傍らにはワイングラスが。やっぱり欧米人女性は違うなぁ。 ネットカフェで少し時間を潰したあとホテルに戻ると、フロントでメイとミッシェルが一人の若い欧米人男性と話をしていた。聞けばフランス人で、明日国境を越えてシェムリアップへ行くというので一緒に行きたいとのこと。OKだと答えて部屋に戻った。部屋に戻ると何もすることがない。TVのタイの音楽番組を見ていたらいつの間にか寝てしまった。 翌日、早めに起きて七時過ぎに食事に出た。ホテルの前の通りを渡とすぐのところに、昨夜は既に閉まっていた食堂が営業していた。ヌードルスープを注文。これまたなかなかあっさりとした味付けで美味しい。 8時にバックパックを背負ってフロントに降りて行くと、ホテルの敷地内の裏庭にピックアップトラックが用意されていた。我々二人とメイとミッシェルと、昨夜のフランス野郎だけではなく、あと年配のカップルと真面目そうな男性が乗り込んだ。(いずれも欧米人) 結局、国境までこのピックアップトラックで運んでもらって、そこでヴィザの申請を行い、出国手続きを経てカンボジア側に入り、カンボジア側の男性とバトンタッチしてタクシー乗り場まで運んでくれるという一式が、一人3ドルだった。これが高いのか安いのかは分からない。 天候は快晴、僕が旅行する時はいつも天気が良い。我々はタイとカンボジア国境を越えた。橋を渡ると、そこにはこれまで二度訪れた時とちっとも変わっていないタイとは異なった風景があった。 |
国境を越えてカンボジア側に入ると風景は一変する。溢れんばかりの(既に溢れて落ちそうになっている)荷物を積み込んだリヤカーを引っ張る男性、モトサイの男たちがたむろする一角、あまり綺麗でないトラックや車が中途半端な舗装道路を行き交うため土埃があがる。 下水路が整っていないために道路わきに汚水が溢れ、様々なゴミがいたるところに落ちている。汚れた服を着た子供たちが物乞いをする。この辺りは前に来た時と殆ど代わっていない。少し道路がマシになった程度か。 そういった光景とは逆に、大きな門構えのあるゴージャスな建物が数ヶ所。敷地も広大だ。これはここ数年でできたカジノ施設である。タイの金がここでたくさん落とされていると聞く。 我々は相変わらず窓口が二つしかないカンボジア側のイミグレーションで入国手続きを終え、バトンタッチされた男性の案内のもとに大型バスに乗り込んだ。しばらく待たされたあと出発するが、このバスは五分も走らないところにある小さなターミナルに到着、降ろされた。 ここからタクシーをチャーターしてシェムリアップまで行くことになる。アランガーデンホテルから一緒に来た旅行者が我々を含めて八名、それ以外に欧米人やアジア人が数名到着してタクシーチケットを購入するため交渉を始めた。 シェムリアップまでの相場はいくらか分からないが、一台50ドル〜60ドル程度とのことだ。欧米人男性たちはチケット窓口で値段交渉をしているようだが、一人10ドルにしろとあまりしつこく言うものだから、売り場の担当が切れてしまって「それならタクシーは手配しない!」と怒り出す一幕もあった。つまり一人15ドルはこの時期の相場なのだろう。 チケット購入窓口の反対側には両替窓口があり、ここで1000バーツを一ドル紙幣とカンボジア貨幣のリエルに換えた。次々に旅行者たちが両替を始めた。忙しく応対する両替窓口の可愛い女性。 しばらくそういうやり取りを眺めていると、あとからあとから旅行者が到着する。タクシーチケット窓口の周りは動きが止まっていたが、値段に異論のない旅行者はすぐにタクシーを手配され出発して行く。 旅行者の中に東洋人の若い女性二人がいた。日本人かなと思って聞き耳を立てていたら、韓国語だった。このあとも、数年前と違って韓国人や中国人旅行者が一気に増えていることに驚いた。 結局、僕とI君とメイとミッシェルとの4人が一人15ドルを支払いチケットを購入、電話連絡で到着した超オンボロの乗用車に乗り込んだ。僕が助手席に、I君と女性二人は後部座席に乗る。 |
我々4人を乗せたオンボロタクシー(と言っても普通の乗用車でいわゆる白タクなんだが)は、ポイペトの町をあとにした。そして五分も走らないうちに一気に街並みみは消えた。 田園風景といえば聞こえは良いが、雑種地のような田んぼが延々続く景色と変わり、舗装道路が途切れて土ぼこりまみれる道となった。前回来た時に比べると舗装部分が長くなったような気がするが、少し走ると舗装がなくなる道路事情は変わらない。ただ、凸凹が少なく平らな未舗装道路という感じ。おそらくこの時期は乾季だからマシなのだろう。 雨季になると舗装されていない道路は凸凹の凹の部分に雨がたまり、そこを避けて車が走るから、さらに凸凹が顕著になって、いわゆるダンシングロードとなってしまうことが予測される。でもまあシェムリアップへの道路事情は年々改善されているようだ。 さてポイペトを出て一時間半程度走ったらもうシソポンの街に到着した。 念のため述べておくと、カオサンからのツアーバスは、繁忙期以外はカオサンからシェムリアップまで四ドル程度で行ったりする。 僕も前回はそうだったが、ツアーバスが連れて行ったGHがなかなか良かったので不満はなかった。(スカイウエイGHでしたな) それはともかくとして、シソポンの街はずれにある大きなレストランで昼食となったわけだが、これまでも途中昼食休憩は毎回ここだ。ビアホールのようなだだっ広いフロアにテーブルが三十卓程度も設置されている。 我々四人は適当に座り、I君はチャーハンを僕がヌードルスープを注文、メイとミッシェルは飲み物だけ。 |