再突撃!アンコールワット

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 一、 ふたたび

 

 「探偵を辞めたら長期の旅に出るぞ!」と強く思って、平成十五年一月に十一年勤務した探偵調査会社を退職した。いや、正確にはちょっとトラブルになって辞めざるを得なくなったのだ。

 そのトラブルとは、ご存知「探偵手帳」を出版することが会社側にバレたからなんだ。
 別に会社や業界の不利になることを書いているわけじゃないのに、会社側にとっては僕が反旗を翻したと解釈したわけだ。書かれてはまずいことを僕はたくさん知っているからね。

 これを暴露するとベストセラーは間違いないのだけど、渡世の仁義を心得ている僕が、そんな心無い手段に出るはずがない。
まあ予定より早く辞めてしまったが、失業給付金をもらいながら、これまで行けなかった一ヶ月単位の旅に何度か出ようとウキウキしていた。

 ところがそれが甘かった。出版が決まると、原稿の校正や本に掲載する写真撮影などで、なかなかまとまって「暇です!」とはならなかった。結局、あれこれ用事をしていると三月末に「探偵手帳」が書店に出た。

 そうなると今度は書店でどのように積まれているか、或いは棚に並んでいるか、さらに売れ行きは、などなどが気になり、余計に日本を離れられなくなってしまったわけだね。

 結局、身辺が一段落ついたと自分が判断した五月初旬。ゴールデンウイークが終わる五月五日に、人気のシンガポール航空午前便でバンコクへ向かった。

 しかしこの時期、SARSの影響が大きくて旅行者は少なく、機内もガラガラだった。ざっと見渡して四分の一程度しか座席は埋まっていなかった。旅行者にとっては快適だが、航空会社にとってはこのような状態が続くと死活問題だろう。

 ガラガラの機内でゆったりと隣の席も使いながら、座席のテレビでビデオ映画「デア・デビル」を見た。
 幼い頃に父親をマフィアに殺された主人公が、事故により盲目となり、訓練により四肢五官が卓越して成長し、さらに盲目の弁護士としても大活躍。昼は売れっ子弁護士、夜はニューヨークの悪と戦う英雄という物語である。
 相変わらず現実離れした作品が人気の映画、ドラマの世界ですが、これは大変よかったのでお奨めです。

 さて、午後二時過ぎに無事に飛行機はバンコク・ドムアン空港に到着した。九ヶ月ぶりのバンコクである。空港を出ると懐かしいモアーとした熱気が僕を包んだ。この感覚になぜかホッとするのは、僕も少しは旅人になったのかもしれない。

 今日はバンコクで一泊して、明日は早朝よりカンボジア国境に向かう予定なので、僕は空港の出発側のロビーを出たところで客を乗せて到着したタクシーを待った。到着ロビーを出たところのタクシーは、空港に手数料を支払わなければならないので、料金が最初から高いからである。

 すぐに一台のメータータクシーが客を降ろした。近寄って行って「カオサンロード!」と言って乗り込んだ。天候は快晴である。

 バンコク市内までの道路は全然混んでなくて、動かない大渋滞という話はもう昔のことなのかもしれない。三十分あまり走ると見覚えのある町並みが見えてきた。バックパッカーのメッカといわれる「カオサンロード」である。メータータクシーは167バーツを示していた。(約470円)

 つづく・・・


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 二、 トラベラーズロッジ その一

 

 「カオサンロード」に到着した僕は、とりあえず昨年夏に二泊世話になった「トラベラーズロッジ」に向かった。ワットチャナソンクラムの前のガソリンスタンドと、ネットカフェの間の路地を入って奥の方にこの宿がある。

 入り口付近に近づくと、この宿のご主人がチェックアウトした客を見送るために出て来ていた。そして僕の姿を見て「お疲れ様、空いてますからどうぞ」と言うのだ。

 なかなか愛想の良いご主人だ。小柄な丸顔メガネで、典型的日本人の容貌である。事実日本人なのだが。

 この宿は殆ど日本人宿泊客で占められているドミトリーである。一階がフロントと食堂、二階が休憩室、三階が女性客のドミ、四階、五階が男性客のドミトリーで、ついでに書くと屋上は溜まり場となっている。

 五階のベッドが空いているというので一旦ザックを置き、翌日のシェムリアップ行きのバスの予約するためにすぐに下りていった。

 ミニバスが早朝に迎えに来て、カンボジアとの国境まで行き、入国後カンボジア側のバスに乗り換えてアンコールワットが所在するシェムリアップまで連れて行ってくれるのだが、何と全部で100バーツ(280円ほど)だと言うのだ。(ヴィザ代は別途要)

 前回は国境の町・ポイペトからシェムリアップまで四ドルだったから、これは随分と安い。僕は躊躇なく予約をした。

 のちに聞いた情報では、「出会いの広場」という韓国系ドミトリーでは五十バーツだそうだ。ただ、僕が到着する二日前までは、このトラベラーズロッジのシェムリアップまでのツアー料金が、驚くことに千バーツ(2800円ほど)だったと言うのだ。日本ではゴールデンウイークということで、このロッジも満員御礼状態だったため、ツアー料金をべらぼうに引き上げたというわけである。

 何ともまあ日本人経営者のすることだと変に納得をしてしまった。

 

 宿の入り口のテーブルには、三十才半ばくらいの日本人男性と若い日本人女性がビールを飲んでいたので「ちょっといいですか」と言って座った。

 彼はこのトラベラーズロッジのTシャツを着ていたので、「この宿には長く滞在しているのですか?」と聞くと、「そうですね、まあ長いですね」と曖昧に言う。

 「もう何年も日本に帰っていないのです。ここには南米から中米、北米と上がって、アメリカから一気にバンコクへ入ったのですよ」
 彼はけだるそうな喋り方で言った。

 「暇で羨ましいですね」

 別に悪気があって言ったわけではないが、僕のこの言葉に彼のビールを持った手が一瞬止まり、そのあと僕のほうは一切向こうとはせず、日本人女性のほうを向いて話し始めた。

 何とも料簡の狭い野郎だと思ったが、まあ日本人の長期バックパッカーなんて、こんな奴ばかりだろうから、かえって安心して席を立った。

 さてシャワーを浴びて自分のベッドに座ると、隣のベッドに無精ひげを生やした青年がいた。簡単に挨拶を交わすと、インドから一昨日バンコクに戻ってきたと言う。

 彼は長野県から旅に出たM君。年令は三十才前後(と言っていたかな?)、会社を辞めて次の就職も決まっているのだが、その間に二ヶ月の旅に出たらしい。ネパール、インドと回ってバンコクイン、今週の金曜日のビーマン・バングラディッシュ航空で成田へ戻る予定が、フライトキャンセルらしく、もう一週間滞在しなければならないとのことだ。

 ここにもSARSの影響が出ているとみられるが、一週間余計に滞在しなければならなくなった保証を、明日航空会社に対し交渉すると語っていた。(翌日に彼とは別れましたが、交渉はうまく行ったのかな?M君、このメールマガジンを読んでいたらメールくださいね!)


 トラベラーズロッジ その二

 M君と一階の食堂に降りていった。暑くてたまらないのでビールでも飲もうということになったのだ。生ビールのジョッキが四十バーツ(百二十円ほど)だから、まあ値段を気にせず飲めるというものだ。

 入り口の長テーブルには、いつの間にか先ほどの長期滞在料簡狭男と、彼を囲んで日本人の若者七、八人がビールを飲みながらワイワイとだべっていた。日本では偉そうにできないから、こんなところで仕切っているのだろう。(笑)

 M君からネパールやインドの印象を聞いた。彼は思ったほどインドはハードではなかったと言っていた。

 旅の快適さや綺麗な国という点では圧倒的にネパールらしいが、インドも意外なことが多くて面白い国だったと言う。道に牛糞や人糞が落ちていて、歩くのにも気をつけないといけないところが多いらしいが、カレーは美味しいし、人々も身構えなければならないほど悪くは感じなかったとのことだ。

 彼は帰国したら長野県内の精密機器製造会社で働くらしいが、もうこのような長い旅は当分来ることがないだろうと、帰国を控えて残念そうだった。

 「旅を続けている間はもう帰りたいと何度も思うのですけど、いざ帰国を前にすると帰りたくなくなります」

 彼は二ヶ月の旅行中に何度か熱が出てダウンしたり、お腹を壊して食べられなかったこともあるらしいが、結果的に出発前より少し体重が増えたらしい。

 「でも結婚して子供がある程度成長したら、仕事をリタイアしてまた旅にでたらいいじゃないか」

 「結婚できるかどうかも分かりませんけどね。藤井さんはご結婚されているのですか?」

 あまりプライベートなことを話したくないので曖昧に誤魔化したが、彼はゆっくりと考えながら話をするタイプで、なかなか僕は好感を持った。聞けば読書が趣味とのことで、様々なジャンルの本を読んでいると言う。ただ、若者に人気のある村上春樹については、「彼の文体には辟易です。一体何を言っているのか分からないのですよ。オーバーな比喩も目障りです」と随分気に入らないようだった。

 読書や音楽鑑賞、映画鑑賞、それにあえて加えて言うと男女の好きなタイプも、本当に個人の好みだと僕は改めて思うのだった。

 「実は僕は一冊本を出しているんだよ」

 「えっ?」

 「まだ発売されて一ヶ月あまりだけどね。週刊新潮に書評で取り上げられてまずまずのスタートかな」

 僕は彼が読書を趣味としていると聞いて、自分の本のことを話さずにはいられなくなってしまったのだ。

 「旅行記の本を出しているのですか?」

 「いや全然違うんだよ。探偵物なんだ。実は僕、元探偵なんだ」

 「えっ、探偵ですか?本当ですか、これは初めて探偵を職業にしている人に会いましたよ。それで何という本ですか?」

 彼の問いに対し、「探偵手帳」という本を出版したことや、出版に至る経緯などを簡単に説明した。それに探偵をなぜ辞めることになったか、今後の方向性はなどなどを僕はいつの間にか熱っぽく語っていた。

 初対面でも普段寡黙な(?)僕をこんなに喋らせるとは、このM君はなかなかの奴だ。このあとも日本食を食べにこの食堂に来ていたフランス人やイギリス人に積極的に話しかけて会話を楽しんでいた。

 彼はそれほど英語が話せるというわけではないが、それなりに語彙が豊富のようで、相手の言うことも理解しながら結構話が弾んでいた。

 まあ、旅先での会話なんて、そんなに難しい単語は出ないのだけどね。経済や宗教の話をするわけじゃないのだから。(笑)

 さて、彼がインドで出会った青年がこの日は日帰りでアユタヤを訪れているらしく、帰ってきたら晩御飯を一緒に食べようと言っていたのだが、その友達がなかなか帰ってこないので二人だけで食事出かけることにした。

 カオサンの夜は今始まったばかりで、外に出ると大勢の人が溢れていた。


 トラベラーズロッジ その三

 九ヶ月ぶりのカオサンはますます欧米色が出ているような気がした。それは単に欧米人がたくさん歩いているからだけなんだけどね。(笑)

 トラベラーズロッジの路地から出て右へ行くとガソリンスタンドがあり、その隣のオープンカフェでは大勢の人達が自由な夜を楽しんでいた。ワゴン車をバーに改造し、世界の酒を陳列している。その周りにはざっと見て二十卓ほどのテーブルが置かれ、ほぼ満席状態だ。スピーカーからは大音響でジョンレノンの「イマジン」が何度も何度も繰り返し流れていた。自由に旅をする者達に共感度の高い楽曲だけに、この雰囲気にピッタリ合っているように感じた。

 「想像してみよう 天国などないと /やれば簡単だ 足元には地獄はなく 頭上には空しかない /創造してみよう 今日のためにみんなが生きているということを /想像してみよう 国家なんてないと /it isn't hard to do nothing to kill or die for no religion too imagine life in peace・・・

 確かにこのカオサンロードは様々な国からの旅行者が集まり、次の目的地へと旅立つつかの間の休息の場所であったり、旅の終わりをここで締めくくって、帰国後の現実へと戻って行くまでの最後の自由の場であるのかもしれない。

 ここには国の隔たりなどない。世界の国々からの旅人同士が酒を飲み、語り合う。タイの若者も融和して、一つのリバティーゾーンだ。世界がこんなふうだったら、争いごとなど起きないだろうに・・・、という感傷的な気分の自分を発見したが、それはあまりにも綺麗に物事を見過ぎである。

 現実は国に帰っても社会に順応できないので、この界隈でどっぷり浸かっている奴が多いのだろう。特に日本人は。だからコカインなどをやって、知り合ったばかりの女性に嫉妬したとかわけの分からないことを言って殺してしまったりするのだ。現実はロマンなど殆どないに等しい。旅人にもレベルがあることを僕はこの場で力説したい。

 そんなことを思って歩いているとM君が「この店にしましょうか」というので、裏通りの食堂に入った。ビールはさっき飲んだので、焼き飯にチキンをのせているものとペブシを注文し、彼も同じようなものを食べていた。さすがに味は良い。バンコクでまずい物を食べたことがない。

 しかし暑すぎる。こんなに暑いバンコクは初めてのような気がした。(と言ってもまだ六回目なのだが)

 さて、食事のあとはネットカフェに二人で行き、三十分ほどメールチェックをして宿に帰った。何度も言うようだが暑くてたまらないので、一階でフルーツシェイクを飲んで時間を潰した。この暑さではこれから先のアンコールワットへの再突撃が思いやられる。

 その時突然、小さな女の子とたくましい女性とがトラベラーズロッジに飛び込んできた。小さな女の子は顔が引きつり、目は充血していて泣きはらしたような感じだ。


 トラベラーズロッジ その四

 目を真っ赤にしてトラベラーズロッジに飛び込んできた小さな女性は日本人で、その女性をかばうようにしていた女性はタイ人だった。

 聞けば日本人の女の子は、ワーキングホリデーで数ヶ月前に日本を出てオーストラリアに渡ったらしい。しかしそこで働きながら英語を学ぶという生活はマンネリで、僅か二ヶ月ほどで飽きてしまったという。そしてインドネシアのバリ島に渡り、そこからタイを経てイギリスに留学するというふうに予定を変更した。

 この経路もおかしいなぁと思うが、この女の子はもっと変だった。

 彼女はバリ島で滞在したゲストハウスで、夜中に現地人に部屋の扉をドンドンと叩かれ、一晩中眠れずに怖い思いをしたという。そしてバリを速攻で脱出してバンコクに今夕到着し、カオサン通りより少し離れたホテルにチェックインしたが、そこでも従業員が部屋に入ってきて怖い思いをしたというのだ。

 「本当に怖かったのですよ。バリだけかと思ったらバンコクでもこんな目に遭うのですから」

 彼女は未だ興奮冷めやらぬ感じで、顔を上気させて言った。

 タイ人の女性は日本語があまり分からないようだったが、片言の英語と日本語で言うには、カオサンをウロウロと歩いているのを見て、心配で声をかけたらしい。見ていて危なっかしい感じがしたので、カオサンの日本人宿でよく聞くこのトラベラーズロッジへ連れてきたということだ。

 「じゃあこの宿に移ればいいんじゃない。ここはドミトリーだけど、三階は女性専用ルームになっているから」

 M君が彼女に言った。しかしどう見ても彼女は薬物をやっているか、そうでなければ何か性格的に変わった感じに思えた。顔が引きつった状態が変わらないし、言葉もどうも飛んでいる。

 「移るのなら早い方がいいよ。今から荷物を取りに行ってきたら?今日の宿代はダブルでもったいないけど、安心して寝られる宿のほうがいいでしょ」

 僕のこの言葉に彼女は反応して、たくましいタイ人女性とともに荷物を取りに出て行った。

 「いろんな女性がいますねぇ。あの子ちょっと危ないのじゃありませんか?」
 M君も僕と同じように感じていたらしい。

 「ワーキングホリデーなんかで留学する若者は、あんなのが多いのじゃないか?Tシャツの下からへそが飛び出てたね」
 「きゃはははっ、そういえばそうでしたね。ヤッパリちょっと変な子でした」

 そんなことを言いながら旅の初日は終わろうとしていた。シェイクが美味しくて、僕は再びバナナシェイクを注文し、味わいながら飲み干した。
 「M君、僕は明日早いからもう寝るよ」
 「僕も疲れましたから寝ます」

 五階に上がり、シャワーで汗を洗い流したあと、ベッドにバスタオルを敷いてパンツ一丁で体を横たえた。天井では大きなファンが生温い空気をかき回しているだけだ。気温はおそらく三十度をはるかに超えているだろう

 汗が背中を流れ落ちるのを感じながら、僕は知らないうちに寝ていた。明日はいよいよアンコールワットへ向かって再突撃だ。


 ゴートゥーシェムリアップ その一

 旅の二日目の朝、四時五十分ごろ目覚まし時計が鳴る前に目が覚めた。

 昨夜のうちに洗って屋上に干しておいたTシャツなどを取りに上がると、まだ薄暗い空の下でテーブルを囲んで日本人旅行者たちが五、六人喋っていた。

 どうやら彼等はこれからボチボチ寝るようだ。朝晩が逆で、本当に何をやっているのか理解に苦しむ。

 「アッ、おはようございます」

 グループの中から一人が僕に挨拶をしてきた。なかなか礼儀正しい奴じゃないか。要するに彼等は寂しいのだろう。日本であまり友人知人がいないから、「同病相哀れみ」のような感覚で、この宿にどっぷり浸かっている同じような奴らと仲良くなるのだろう。だからあまり冷たい目で見るのはやめよう。

 このように僕はたった一言で気持ちがガラリと変わってしまう単純な男なのだ。

 水シャワーを浴びてからガサガサとパッキングをしていたら、隣のベッドのM君がムックリ起きてきた。

 「ごめん、ごめん、起こしてしまったね」

「いえ、いいのですよ。迎えの車が来るまで下で見送ります」

 こんなに朝早くから、彼は僕のカンボジア行きを見送ってくれるらしい。たった一晩、メシを食ってビールを飲み、言葉を交わしただけなのに。それに二十才ほども年令が離れているのに、本当にこのM君はいい奴だと思った。

 六時に宿の前までシェムリアップ行きの迎えが来ると聞いていたので、十分ほど前に下に降りて行った。既に夜が明けて、近くの早起きのおばさんが道路のゴミ掃除をしていた。このカオサンでもニワトリの「コケコッコー!」がどこからともなく聞こえた。

 宿の前のコンクリートに腰を下ろし、M君と話をしながら迎えを待った。彼はビーマン・バングラディッシュ航空の成田行きがずっとフライトキャンセルなので、いつ帰国できるか分からないらしい。

 「やっぱりちょっとゴネてみて、いくらかでも滞在費を補償して欲しいですよね」

 航空会社の都合で帰れないのだから、それなりの補償は当然と思うのだが、ビーマン・バングラディッシュではなあ。

 そんな話をしていたら、一人の日本人青年が朝食のカオマンガイを食べながら現れた。聞けば今朝タイ北東部のノンカイからバンコクに戻って来たらしい。

 彼はノンカイで本がたくさん置いてあるゲストハウスを経営するのが夢らしい。ノンカイでは高校で柔道を教えていて、その関係からゲストハウス経営のスポンサーになってくれそうなタイ人が現れたと言っていた。

 なかなか楽しそうな話だ。

 彼は猛烈な読書家で、一ヶ月に三十冊ペースで本を読み漁っていると言う。本の話になったので、僕はそうだ!と気がついて、急いでバックパックを開けて「探偵手帳」を一冊取り出した。今回の旅で、もしこの本に興味がある旅行者が現れたら無料で差し上げようと二冊だけ持って来ていたのだ。その人があちこちの国を旅して、読み終わったら別の旅行者に譲ってくれれば、僕の本はそれで世界を旅することになるからと思ったのだった。

 ところがその青年は僕の本を知っていると言うのだ。


 ゴートゥーシェムリアップ その二

 その青年はN君という。N君といっても僕のほかの旅行記にたびたび登場する、一昨年のラオス以来の付き合いがあるN君とは別の人だ。

 N君は柔道に精通しているらしく、アジアの各地を訪れて高校や大学で柔道を教えて回っている。勿論それは不意に訪問して即興で教えるという形であり、ボランティア団体などから派遣されているようなものではない。

 彼が僕を知っていた理由は、昨年の夏にインドを旅した際に、僕の友人で関西在住のコピーライターであるU君と知り合い、何かの話でこの「探偵手帳」を出版しているおかしな中年男のことが話題に上ったからだった。日本人が泊まる宿は大体決まっているので、このような形で繋がりができることも多いのだ。

 「M君、この本よければ読んでみてよ。そして感想を僕にメールでもHPの掲示板ででもいいから聞かせてくれれば嬉しいな」

 僕は真っ赤な表紙の自分の本をM君に手渡した。隣でカオマンガイを食べ終えたN君もその本を手に取って、「是非読んでみますね」と言った。

 そこに一台のバイクが走行してきた。シェムリアップ行きのツアーバスへのお迎えだ。

 「じゃあ、行きますから。四、五日でここに戻ってくるけど、その時はもういないよね」

 二人ともビーマンバングラディッシュが飛ばないのでいつ帰れるか分からないのだが、ともかく帰国便が決まるまでどこかへ行くとのことだ。M君は南の島できれいな女性でも眺めてのんびりしたいと言っていた。

 バイクのうしろにバックパックを背負ってまたがり、彼等に手を振って別れた。ほんのつかの間の出会いだったが、M君とは様々な話ができてとてもよかった。

 さてシェムリアップまでのバスだが、とりあえずカンボジア国境まではエアコンのよく効いたミニバスだった。同じツアーには欧米人が八人と、日本人が僕を含めて二人だ。すぐに車は走り出した。

 午前七時ごろにスタートしたミニバスは、途中二回休憩して昼を少し過ぎた頃にアランヤプラテートに着いた。ここでヴィザを申請して、ついでに昼食だ。

 カンボジアのヴィザはこのツアーだと千二百バーツ(約三千三百円)だが、前回のように列車を利用して行って、国境でアライバルヴィザを自分で申請すると千バーツ(約二千八百円)である。二百バーツあればご馳走を食べられるが、ツアーだと手続きが楽なので、初めて行かれる方はこちらがお奨めです。それにオフならバンコクからシェムリアップまで百バーツ以下で連れて行ってくれますから。

 小奇麗なレストランに入り、ここでヴィザ申請を任せ、出来上がるまでチャーハンを食べた。僕がついた席の前には最初から飲みかけのペブシのボトルがあったのでおかしいなと思っていたら、トイレから出てきた日本人青年がその席に座った。

 この青年が新潟県出身のWesco君だった。

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