第七章  帰路

 3.ノーン・カーイの街並み
 
 2等寝台エアコン席のチケットがFullだと聞いて、ガックリとひざを折ってしゃがみ込んでしまいそうになるのを、かろうじて持ちこたえた僕に対し、窓口の駅員が、『2等エアコン寝台席は売り切れだけど、1(エアコン寝台、2人個室)ならありますよ。 どうしますか?』と言った。
 神は僕を見捨てなかった。 僕は当然の如く1等チケットを購入した。(1000B2,800円程)
 僕は狂喜乱舞し、この時本当に駅の構内で今度こそ阿波踊りを踊ってやろうかと真剣に考えたが、Hさんに気味悪がられて、『じゃ、ここで。 お疲れ様ぁ〜』などと言われては何のためにここまで一緒に来たのか分からないので、ここは残念ながら踏みとどまった。
 周囲を見渡すと、狭い駅の構内に並べられた椅子に座っているノーン・カーイの地元の人達や、欧米人達は僕のダンシングを今か今かと待っているような気がしたのに、誠に残念至極であった。
 ともかくめでたく帰りの寝台席チケットが買えたのでホッとし、僕達はザックを駅舎に預けたあと、彼女のお腹の具合が悪いので少し構内の椅子で休憩することにした。
 小さな駅なのだがプラスチックの椅子が十数列も並んでおり、その後方に彼女は横になった。
 彼女はハンカチを顔にかけて眠っているようだった。 時刻は午後3時頃だから、あと17時間程一緒に居られるだけだ。
 旅の2日目でヴィエンチャンのGHで彼女と知り合ってから、N君と3人でずっと一緒に過ごし、ルアンパバーンでは宿が別々になりながらも街歩きをしたり食事をしたり、体調が良ければ一緒に滝も訪れていたと思うのだが、ともかく僅か数日間過ごしただけで、彼女とは何年も前から知っているような錯覚を感じてしまった。
 彼女の方は、中年の危なっかしいオヤジだから、同じ日本人ということもあるので親切にしてあげようといった善意で行動をともにしてくれたのだと思うのだが、日本で普段若い女性との接触が全くない僕としては、思いがけない楽しい旅を演出してくれたと思うのだ。
 そんなことを考えていると、このままタイの国内事情ですべての交通機関が麻痺し、僕達がしばらく動けなくなればいいのに、などと不謹慎なことが頭に浮かんでは消えた。
 旅というものは一人で出ないと意味がないように思う。 しかし旅先で出会った人との行動や会話や様々な出来事が、一人旅に大きな潤いと、時には感動を与えてくれたりするものだと思った。
 もしヴィエンチャンのGHの前で彼女がFさんとビアラオを飲んでいなかったら、もしその時刻に僕がネットカフェから帰って来ていなかったら、彼女やN君とのこのような楽しい旅にならなかったに違いない。
 午後4時過ぎになって彼女は少し具合が良くなったのか、突然ガバッと起き上がって、『せっかくですからノーン・カーイの街中に行ってみましょうか?』と言った。
 僕達はトゥクトゥクに乗って10分程走り、最も賑やかな辺りで降ろしてもらった。(30B)
 そこはメインストリートのようで、既にガイ・ヤーン(焼き鳥)やフルーツ屋やラーメン屋などの屋台が並んでおり、車やバイク、それに人々の往来も多くて、ラオスの首都であるヴィエンチャンよりはるかに賑やかな気がした。
 又、ネットカフェもモダンで、入ってみると最新のパソコンが十数台設置され、地元の若者で結構流行っていた。 さらに携帯電話ショップもあって、日本のNTTドコモのような感じの店舗で、何から何までヴィエンチャンより進んでいるように思えた。
 僕たちは1軒のシルバーファッション・ショップに入り、彼女は友人にお土産としてイアリングなどを購入し、僕は自分のためにブレスレットを2個買った。
 彼女に旅を同行してもらったお礼に何かプレゼントしたかったのだが、僕はこんな時には全くだらしがなくて思い切った行動がとれず、一応『お礼に何かプレゼントしますから、遠慮なく選んでください』と言ってみたが、彼女が『そんなの悪いですよ。 私の方こそお世話になったのですから』と言うと、それ以上の強引な行動が取れない。
 こんな時プレイボーイならどうするんだろう? 
 『これどう? 似合うと思うよ。 ちょっとこれ出して!』などとドンドン自分のペースで事を運び、ズムーズにさりげなくプレゼントをするんだろうな。 僕にはそんな器用なことができないので、仕方なく諦めた。
 それから僕達は、雨が降ってきたので雨宿りを兼ねてネットカフェに入り、久しぶりに日本語変換でHPに書き込もうと思ったが、やはりうまく行かなかった。 彼女はそれでもなんとか頑張って、日本の御両親宛に無事のメールを送ったようだった。 その間僕は受付のタイ美女と雑談を交わしていたのだが、この女性がなんとモーレツな美女だった。
 ネットカフェを出て、ともかく何か食べようということになり、結構大きなオープンレストランに入り、2人とも野菜ヌードルを注文し、シンハビールの小ビンを頼んだ。
 しかし、お互いにヌードルスープは半分程残してしまい、ビールも全部飲めなかった。
 彼女が残したのには他にも原因があり、実は彼女は香草が全く駄目で、アジアで麺を食べる時は、香草や調味料などがテーブルに置かれていて、それを好みに応じて入れるのだが、時には香草が最初から入っている場合もあり、苦手な人は前もって香草抜きを言わなくてはならず、彼女は疲れていてそこまで気が回らなかったのだ。
 やはり2人とも腹具合を心配して、思い切った飲食には踏み切れなかったが、彼女はレストランを出てから屋台の果物屋で、何やら日本では見たことのない果物をいくつか買っていた。
 雨は次第に本降りになってきたので、少し早いが僕達はトゥクトゥクを拾って駅に向かった。
 つかの間のノーン・カーイの街は、メコンを挟んでこんなにも雰囲気が違うことに改めて驚いた。

 

 41等エアコン寝台列車
 
 ノーン・カーイ駅に到着してザックを受け取り(10B)、ホームを見ると既にバンコク行きの列車が停まっていた。
 降り続く雨は、暗闇の中に微かに確認できる色褪せた列車を濡らしていた。
 彼女の2等エアコン寝台車は7号車で、僕の乗る1等エアコン寝台車は2号車であるが、2号車の隣は3号車で、その隣が6号車というおかしな具合になっており、7号車は6号車の隣だから、間に3つの車両が繋がっていることになる。
 僕達はそれぞれの車両に別れた。
 1等エアコン寝台車は2人コンパートメントで、清潔な部屋の中に2段ベッドが置かれ、ミネラルウオーターのサービスもあってなかなか快適そうだ。
 僕が入ると薄紫色のバックパックが無造作にソファーに置かれており(ベッドメイクの前はソファーとなっている)、同室者が同じバックパッカーであることにホッとした。
 何処の国の旅人か、或いは女性か男性か(男性に決まっているんだけど)分からないが、今夜はいろいろと旅話が聞けると喜んだ。
 ザックを置いて彼女の車両を覗くと、彼女はやや疲れた顔で、まだベッドメイキングの済んでいない席に座って窓の外を眺めていた。 出会った当初から細いと思っていた体躯が、いまではファッションモデルのようにますます細くなっているように感じた。
 僕は一時より随分と体調が戻り、下痢もかなり楽な状態になっていたが、彼女は相変わらず体調が悪いのか元気が全くない様子なので、列車が出発してからも僕は心配でしばらくそこを離れることができずにいた。
 しかし明朝は早くにドムアン駅で降りないといけないので、少しだけ旅の話などをしてから、今夜はできるだけ早く寝ようと言って、僕は自分の部屋に戻った。
 部屋に戻ると日本人青年が座っており、僕が、『やっぱり日本の方でしたか。 安心しました』と言うと、彼は、『どうも、よろしくお願いします』と微笑みながら答えた。
 彼は服部君といって、決して忍者などではなく(これが分かる読者は年配の方に違いありません)、横浜に在住する30才の公務員さんである。
 “みなとみらい21”の推進関係に携わっており、職種は設計だが給料が非常に安く、なかなか結婚できないし、旅もこのような貧乏旅行になってしまうと話していた。(しかしここは1等エアコン寝台車だけど)
 旅には大学生の頃から、これまで十数カ国は訪れているらしく、今回は中国を駆け足で下り、ベトナムを経てラオスという二週間程の旅とのことである。
 もっと長期間を旅したいが、サラリーマンとしてはこれが限度ですと、僕と同じ様な意見を述べていた。
 旅は様々な出来事に遭遇し、日本の快適な交通機関からは程遠い代物に乗らなければならないこともあり、心と体の目まぐるしい変化を感じるものだが、それは日常を離れた事象であるという意味ではリラックスに似たものであるから、心身の疲れとは逆に精神的な別の部分で快感を得られているものなのだ。
 それは言い換えれば、現実からのつかの間のエスケープと言えなくもなく、誰かが言っていたように、『帰るところがあるから旅に出る』という絶対的なものに、甘えた行為といった見方もできなくはない。
 しかしともかく、旅に出るということ自体にいちいち意義付けをしなくとも、単に旅が好きだ、訪問国に興味がある、その国の食文化を楽しむ等々、楽しめばよいということには変わりはない。
 旅先で出会う人の大部分が、長期の旅に出たいが現実的には難しいと諦めの言葉が出る。 やはり仕事を思い切って辞めても、帰国後の自分の身の置き方に確固たる自信がないというところに、踏み切れない原因があると思うのだ。
 また、長期の旅と日本での現在の自分の状況とを天秤にかけてみて、現状の変化を望まない人は、長期の旅に出たい出たいと表面上は言いながらも、短期の旅を先程述べたように、現実からのつかの間のエスケープとして楽しむことで、差し当たりの満足を得ているのではあるまいか。
 僕はエアコンのよく効いた快適な2段ベッドの上段で、今日はHさんと2人でルアンパバーンから戻って来て、お互い体調が悪くてヨレヨレになりながらも、終わりに近づいた今回の旅を楽しんでいる自分に満足をしていたのだった。

 

 5.さよならHさん
 
 帰路のノーン・カーイからバンコクまでの1等エアコン寝台車では、同室となった公務員バックパッカーである服部君と様々な話をして有意義だった。
 話しながら無理をしてビールを少し飲んだが、やはり胃が受け付けなかった。
 彼の名刺をいただき、僕は名刺を持たないのでメールアドレスとHPURLをメモして手渡し、午後9時には寝た。(しかし彼の名刺をなくしてしまった)
 疲れていたのか途中一度も目が覚めないまま、目覚まし時計が鳴る前の午前4時ごろに目が覚めた。
 外はまだ真っ暗で、通路に出てみると乗務員がいたので、「ドムアン駅はまだですか?」と聞くと、「次の次ですよ」と言うので、急いで7号車まで彼女を起こしに向かった。
 彼女のベッドはカーテンが閉まったままだったが、少し開けると彼女の寝顔が見えた。
 しばらくどうしたものか戸惑っていたが、思い切って彼女の眉間の辺りを軽く触ると彼女の目が開いた。
 「まだ少し早いけどあと二駅でドムアンに着くよ」と言うと、「少し前に目が覚めたのですけど、まだ早いと思ってもう一度寝てしまいました」と眠そうに答えた。
 女性の寝起きの顔ってなかなか可愛いものだが、彼女の少し腫れぼったい顔は、それはそれで魅力的に感じたものだ。
 いよいよドムアン空港に到着だ。 僕の旅は今日の深夜便まで残っているが、彼女が帰路についてしまえばその時点で今回の旅は実質的に終ってしまうように思った。
 「じゃ、あとで」と言って部屋に戻り、起きていた服部君とザックの整理を始めた。
 
 午前6時頃に列車はドムアン駅に到着した。
 列車を降りて階段を上り、空港への通路を歩く。 10日前はこの通路を逆に歩いたのだった。
 そのときは期待と不安が入り混じったような複雑な気持ちであったが、今の心中は、満足感と空虚な気持ちとが交叉するすっきりしないものだった。
 今回の旅は多くの旅人と知り合い、様々なことを語り合い、出発前に予測をしなかったすばらしい旅に終りそうだ。 それなのに何故空虚な気持ちが生じているのだろう?
 僕はその原因を本当は十分理解していたのだった。
 
 鉄道駅からドムアン空港出発ターミナルに入り、彼女が第二ターミナルで中華航空にチェックインをしている間、僕は手荷物預かり所にザックを預け、ここで服部君とはお別れだ。 彼とは一夜だけの関係だったが()、とても気さくで穏やかな人柄には好感が持てた。 彼も今日の深夜便で帰国するのだが、バンコク市内の友人宅を訪れるとのことだった。
 彼女がチェックインを終えて、出発ロビーに入るにはまだ1時間半ほど時間があるので、空港内のハンバーガーショップに入った。 
 僕はチーズバーガーとホットコーヒーを注文したが、彼女は全く食欲がなくて、ティーを飲むだけであった。
 最後の最後になって彼女の体のことが心配になってきた。
 ルアンパバーンでは驚くほど元気で、爽やかな明るい笑顔を絶やすことのなかった彼女が、今はため息混じりの疲れた表情だ。
 きっとルアンパバーンでの最後の夜に、ニコン青年と夜遅くまであちこち遊んでいたからだ。 ニコンの野郎め、今度会ったらただじゃおかないぞ。
 観光ガイド中に昼寝をするな! 阪急電車のTシャツを嬉しそうに着るな!(彼は何故か阪急電車と書かれたTシャツを着ていた。 これには僕達は笑い転げて、N君はあごをはずしていた)
 まあなかなか良い奴だったから、今度行く機会があれば彼の宿に泊まってやろう。
 そんなことを考えながら、僕達はあまり口数もなく別れの時が刻まれていくのをを惜しんでいた。 いや正確には僕だけが惜しんでいたのかもしれない。
 時間が恨めしいくらいに早く過ぎて行き、いよいよお別れだ。
 さりげない別れの方が、今度日本でスムーズに会いやすいのは分かっていたから、彼女が、『じゃあ、いろいろありがとうございました。 家に国際電話をかけてから出発ロビーに行きます。 ここでお別れです』と言うので、僕も、『気をつけてね。 中華航空のパイロットに真剣に運転するようにきつく注意しておくから大丈夫だ』と言って、本当にさりげなく別れた。
 日本で何の躊躇もなく再会できるような気がした。 しかし、去年のベトナム旅行で、ハノイのバスターミナルであの人が走りながら手を振ってくれたのとは異なり、随分と簡単な別れに終わった。
 それはきっと、2人の気持に又日本で再会するという、自然な気持が既に生じていたからに違いないのだ。
-おわり-
 
 “サバイディー・ラオス感動旅行記”を、1年近くにわたりお読みくださりありがとうございました。
 今号でこの物語は完結です。 できましたら御感想などをいただければ嬉しいです。
 本当は彼女と別れたあと、バンコク市内に出て寺院を回ったりマッサージを受けたり、カオサンにも少し立ち寄り、ちょっとしたトラブルに巻き込まれたのですが、その部分はメールマガジンでは省きました。
 もしお知りになりたい方がいらっしゃいましたらメールをください。 参考になる話なので、こっそりお教えいたします。()

 

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