Music:Hokago


最終章、出 迎 え

 第一話

 平成十○年九月○×日、僕は成田空港に向かう電車の中にいた。

 関東から西日本にかけて昨日から各地で大雨が降り続いており、愛知県名古屋市では河川の氾濫により大きな被害が出ていた。

 短いベトナム北部の旅から帰国して、早くも三週間近くが経過していた。
 八月二十一日にハノイで彼女と別れたあと、僕とオレンジさんはハノイのノイ・バイ空港からタイのバンコクに飛んだ。そしてドムアン空港の近くのゲストハウスで一泊したあと、オレンジさんは翌二十二日早朝便で日本に向かって発ち、僕は同じ日の深夜便で関空に向かい、二十三日の早朝帰国した。

 ハノイとベトナム北部のサ・パ、バック・ハーに滞在中、宿代や交通費や食事代など僅か一万数千円しか遣わなかったので、バンコクでは高級ホテルに泊まって贅沢な食事をしてもよかったのだが、せっかくの経済的旅行を最後まで通そうと思った。
 それに彼女がまだベトナムで貧乏旅行中なので、ここで僕が贅沢をするわけには行かないとも思ったので、オレンジさんお気に入りのドムアン空港近くの安宿に泊まった。

 僕とオレンジさんはザックを置いてからタクシーで市内の中心街に出て、オレンジさんが旅の目的の半分としていた(オレンジさんは今回の旅はベトナムのマイノリティー訪問とタイ式マッサージらしい)ワット・ポーのタイ式マッサージを受けに行ったのである。

 ワット・ポーは涅槃寺とも呼ばれ、バンコク最大の敷地を持つ寺院で、十八世紀の終わりにラマ一世の時代に建立された。敷地内にはタイ式マッサージの総本山である学校が残っており、技術者を養成する他、一般の人が受けることができるマッサージ場がある。その寺院に着くまでにちょっとしたトラブルになるところだった。

 僕等はタクシーをワット・ポーの裏通り辺りで降りて、正面入口に向かって歩いていたら、路上で客待ちをしていたトゥクトゥク(タイの名物でオート三輪車のタクシー)に呼び止められた。

 「マッサージに行くのか?」
 「そうだ」
 「今日はセレモニーがあるから、市内の寺院は全部休みだ」
 「何のセレモニーだ?」
 「※▲×○☆□。だから俺の知っているタイ式マッサージのところに案内してやろう。とてもチープだから安心しなよ」
 彼は肝心の部分をタイ語で言い、そしてトゥクトゥクに乗れというのだ。

 僕等は顔を見合わせて少し躊躇したが、ベトナムで今頃一人旅を続けている彼女が言っていた言葉、
 「基本的にアジアでは人を絶対に信じないこと。それがどんなに綺麗なおねえちゃんでもネ。あなたには無理だろうけど」という言葉を思い出した。
 「悪いが結構だ!」
 トゥクトゥクを振り切り、寺院の正面入口の方に歩いた。寺院の入口近くには観光バスも何台か停まっており、大勢の旅行者が出入りしていた。

 僕等は入場料を支払って、マッサージ場のある奥の方へ入っていったのだが、セレモニーなんて何処にも催されている様子はなく、マッサージ場の入口には番号札を持った客が十数人も順番を待っていた。
 案の定、彼は嘘をついて僕等を自分の知り合いのマッサージ場に連れて行こうとしたのである。しかしこんなことはタイでは日常茶飯事なのだ。タイ人とベトナム人とは勿論気質が違うのだろうが、したたかさという点では同じような雰囲気を感じた。

 ともかくアクシデントは回避できて、目的通りにオレンジさんはきっちり一時間のマッサージを受けて満足したようで、僕は普段肩こりなんて無縁であるので、三十分のハーフマッサージを受けたのだが、心なしか疲れが取れたような気分になった。

 そして僕等はバックパッカーのメッカともいわれる「カオサンロード」にトゥクトゥクで向かった。


 第二話

 ワット・ポーでタイ式マッサージを受けたあと、僕とオレンジさんはトゥクトゥクでカオサンロードに着いた。

 勿論僕は初めてだったが、欧米人や日本人をはじめ大勢の世界各国からの貧乏旅行者で溢れ返っていることに驚いた。オレンジさんはカオサンに着くなり、「以前のカオサンと随分変わっている」と言っていたが、僕はどこがどう変ったのか知るはずもなかった。

 この界隈には、オーバーに言えば世界各地への旅の手配を、格安でしかも迅速に行ってくれる旅行社が軒を並べており、また、一泊二百バーツ程度で泊まれる安宿もたくさんある。

 その他にも安く食事ができる屋台やレストラン、マッサージ屋やネットカフェなど、旅行者の要求を満たすものが殆ど揃っており、いわゆる「沈没」といわれる長期滞在をする旅行者も多いらしい。

 僕等は屋台のラーメンでとりあえず腹ごしらえをして(味は絶品だった)、それからオレンジさんがお土産を買うのに付き合った。通りを徘徊する旅行者は殆どが欧米人バックパッカーで、日本人は時々見かける程度であったが、その日本人の多くは見るからに長期滞在者という感じの奴等ばかりに思った。

 オレンジさんはカオサンロードの端から端を五往復ほどして、お気に入り雑貨類を何種類か購入し、二時間程が経ったので再びお腹がすいてきて、僕等は一軒のレストランに入り、チャーハンを食べてビールを飲んだ。

 そんな風にして最後の夜は終わり、翌日の早朝、僕は空港までオレンジさんを見送ってから、再びカオサンに出向いて衣類や小物などを数点買って深夜便でバンコクを発ち、ともかく翌二十三日の朝、なんとか関空に帰ってきたのである。

 話はもとに戻るが、九月十一日に僕は東京と千葉に仕事が入っていて、朝から降り続く雨の中、彼女の帰国を出迎えるために必死で仕事を消化していたのだ。彼女からはその後、サイゴンとカンボジアのプノンペンからメールが届いていたが、九月一日から音沙汰がなかったので、滞在先がカンボジアだったから随分心配していた。

 そしてようやく九月九日の深夜に、「バンコクから十一日の朝便で日本に帰る」とメールが届いたのだった。

 彼女からのメールにはプノンペンからアンコールワットの遺跡を三日間かけてじっくり見物したことや、「地雷を踏んだらサヨウナラ」の映画のモデルである一ノ瀬泰造さんが、クメール・ルージュに捕われて七日目に殺された場所に行って来たことなどが書かれてあったが、帰国に際しては朝七時二十分の便だから、寝坊しないように祈ってくれとリクエストが書いてあっただけだった。

 僕は前日の日曜日の夕方から千葉市内のホテルに入り、翌日早く起きて一応彼女が寝坊しないように祈ってから仕事に取りかかった。たまたま東京と千葉に仕事が入ったから出迎えに向っているのではなく、帰国日が予め分かれば会社を休んででも行かなくてはと思っていたのだ。

 僕はJR千葉駅近くでほぼ仕事が終わったので、総武本線から成田線を経て成田空港に向った。


 第三話  

 
彼女からのメールにはバンコクを午前七時二十分発だと書かれていた。
 成田空 港まではまで六時間プラス時差二時間だから、午後三時二十分頃に到着の筈だ。  JRの千葉駅から成田空港までど れくらい時間がかかるのか分からないが、千 葉を二時頃に出れば大丈夫だろうと僕は思っていた。

 ところが思いのほか電車 は時間がかかり、午後三時三十分頃にようやく成田空港第二ターミナルビル駅 に着いた。 しかし到 着しても荷物を受けたり税関を通ったりすると、少なくとも二十分以 上はかかるものだから、まだ間に合う筈である。

 第二ターミナルビルの到着ゲート付近は出迎えや帰国した人々で溢れており、 到着便の電光掲示板を見ると、タイ国際航空の飛行機はこの時間帯には表示が なかった。
 【おかしいなぁ】僕は空港案内カウンターで、「タイ国際航空のバンコクから の便が到着している予定なのですが?」と問い合わせてみた。  

 ところが案内の女性は、「この時間帯にタイ国際航空の便はありません。航空 会社はお間違いありませんか?」と逆に聞くのだ。  
 「他の航空会社のバンコクからの便はありますか?」  
 「ユナイティッド航空と全日空のジョイントの便が午後三時十五分到着予定で すが、まだ着いていないと思います」  
 しかもそれは第二ターミナルビルではなく、第一ターミナルビルだというので ある。

 「第一ターミナルビルにはどうやって行けば一番近いの?」  僕は焦ってその女性に聞いた。
 「出口を出て左側にリムジンバス発着場がありますから、それで連絡致してお ります」

 僕はその言葉を最後まで聞かないうちに猛ダッシュした。百メートル走なら九 秒台が出るのじゃないかと思われるくらいに全力で走ると、第二ターミナルビ ルの前にリムジンバスが停車していた。

 現在の時刻が午後三時五十分。定刻通りには着いていないとのことなので、お そらく彼女が到着ゲートから出てくるまでには 間に合うと思うが、僕はリムジ ンバスの中で苛立っていた。  バスが出発するまでの数分が僕には何倍にも感じられた。そし て午後四時八分、 やっと第一ターミナルに到着した。

 急いで到着ゲート付近に行くと、そこの電 光掲示板にはユナイティッドと全日空のバンコクからの便は、到着予定:十五 時十五 分、到着時刻:十五時四十九分と出ていた。 時計を見ると十六時八分、到着後二十分ほどしか経過していないから多分間に 合った筈である。

 到着ゲート出口は二ヶ所あり、それほど離れていないが、ともかく両方を見な いといけない。ここで普段の仕事が生きてくる。  僕は二ヶ所の出口が窺える中間の位置にて張り込んだ。どんなに大勢の人の中 でも彼女を見つける自信がある。

 この帰国の出迎えは何度も言うようだが、も し東京方面に仕事が入っていなくても行かなければならないと思っていた。な ぜ  なら今回の僕のベトナム旅行は彼女の帰国で終わりを迎えるのだから。

 大勢の人の中で万が一確認出来なければ、それはそういう結末ということだ。 確認出来て無事に出迎えを出来れば、それは  それでいいことだ。もし確認して もしばらく様子を見て、誰かが出迎えに来ていれば、それもそれでよい。僕に は今回の結末が必要だったのである。

 おかしな意義付けかもしれないが、僕には様々な思いを経験した今夏の小さな 旅行は、僕の帰国で終わったわけではなく、そ れを導いてくれた彼女の無事の 帰国によって、やっと安心して終わりを感じることができるのである。
 そんな風に思いながら、僕は二ヶ所の到着ゲート出口を注意深く見ていた。

 つづく・・・



 アイスコーヒー・ウイズ・ミルク

 二ヶ所の到着ゲートのほぼ中央に立って待つこと十数分、彼女は赤と緑と黄色の縞模様のサマーセーターにグレーのジーンズという姿を確認した。カートにザックと大きな布製バッグを載せて、向かって左側の出口付近に現れた。

 途中で立ち止まり、布製バッグに手持ちしていたミニリュックなどを押し込んでいる。しかしうまく入らないのか、苛々している様子でなかなか出て来ない。

 僕はそれをじっとたたずんで見ていた。そして数分後、ようやくカートを押しながらゆっくりと彼女は出てきた。

 気付かれないように遠めで後をついて行く。彼女は特に周り気にすることもなく、カートを押したままエスカレーターを降りた。そして京成電鉄本線東成田駅の改札で切符を購入してそのまま改札から入った。(ここではカートのまま入れる)

 僕はあとをつけながら、【これじゃ、本当にストーカーだな】と自分自身の行為を客観的に見て苦笑いした。

 改札から少し進んだ所で彼女は止まって、カートを放置できる所で荷物を降ろし始めた。状況から考えて、きっと誰も出迎えはいないのだろうと確信した。そして僕は一気に近づいた。

 「お帰り!」

 「うそ〜!?」

 「無事に帰ってきてくれて安心したよ」

 彼女は僕が突然現れたことに一瞬驚き、数秒間絶句していた。

 彼女が驚きで無防備になっている状態を狙って、僕はどさくさにまぎれて彼女の肩を抱いた。僕の勢いに押されてか、彼女は全然抵抗する素振りがなく僕に身をあずけるような感じになった。
 僕は人目も気にせずにキスをしようと彼女の顔をこちらに向けようとした。まるで映画のワンシーンだな、と頭の片隅で思った。しかしここからが彼女が普通の女性とはちょっと違うのだった。

 「ペロ吉、ちゃんと歯を磨いている?ちょっとトイレへ行ってくるから荷物見ててね!」

 そう言って僕の腕からスルリと抜けて、足早にトイレへ行ってしまった。

 僕はカートから降ろされたザックと布製の大きなバッグを見つめながら、【彼女はこんな大きな二つの荷物をどうやって家まで持って帰るつもりなんだろう】と不思議に思った。そして僕は【大して劇的でもなんでもないんだ】と肩透かしで土俵に叩きつけられたような感覚になった。

 「ペロ吉!三十五分の特急があるから荷物を一つ持って先に行って席を取っといてよ!」

 気がつけば既に彼女が戻ってきていて、偉そうに命令するのだった。

 僕は下僕よろしく布製バッグを持って(これがまた、石か鉄でも入っているんじゃないかと思うくらいに重いのだ)、肩には仕事のショルダーバッグを掛けて、サ・パのようにチンドン屋とまではいかないまでも、雨で汚れたヨレヨレのスーツ姿の冴えない格好で階段を下りて、停車中の特急電車の空席を探したのだった。

 相変らず年上の僕に指図をする彼女であったが、最後を彼女と二人になれたことには満足していた。それが独りよがりな満足であったとしても、今夏の旅がようやく本当に終わったことを感じた。

 僕は京成電車の特急の車内で、彼女と並んで座って窓外の景色を眺めながら、何故か懐かしいベトナムの「アイスコーヒー・ウイズ・ミルク」を飲みたいと思ったのであった。

 少しばかりのあとがき

 これは最初、僕が初めて経験した個人旅行で体験したことを、正確に書きとめておきたかったのですが、何故か独りよがりな思いばかりの物語風になってしまいました。

 しかし、所々に記憶違いや、少し誇張した部分があることを否定しませんが、ほぼ実際に僕が目で見て体で感じたことを文章にしました。

 ベトナムといっても南北に長い国で、今回はほんの北部の一部を旅したにすぎませんが、ぬるま湯に浸かっているような日本での日常生活から、冷水を浴びせられたような驚きの連続であったことを、僕のまずい文章から少しでも理解していただければと思います。

 ベトナムの湿気を大量に含んだ暑さからの汗と、風邪で体調を壊した際の汗と、ベトナム滞在中はずっと汗を一杯かき続けていたような気がします。それは、日本で体内に蓄積された長年の灰汁(あく)を一気に出し切ったもので、爽快感こそあっても、決して不快なものではありませんでした。

 Hiroshi Fujii


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