Part.Z
[14.4.8]流転 昨日は友人の引越し手伝いを頼まれていたのだが、車の手配がつかないからと直前に断り、久しぶりに自由気侭な休日となった。 友人はドタキャンにきっと怒り、僕との今後の付き合いをやめるに違いない。 友人を一人失うということは負荷が一つなくなったような感覚になり、とてもすっきりする。 友人なんて所詮は自分の心の平安のためだけにあるのだから、生活に必要なければ本当に邪魔なだけなんだ。 午後からちょっと体を動かさなければいけないと思って、ジョギングスタイルで歩いた。 ジョギングをしないところがミソなんだが、早足で歩くと結構汗が滴り落ちてくるものだ。 団地の丘から裏道を降りて行って、民家の密集地を抜けて名神高速道路の高架をくぐり、グルグルと歩くと何と40分程で駅前に着いた。 いつもはバスで20分から30分もかかる距離が、裏道を早足で歩くとこんなに早く着くことに驚いた。 日常生活で何の疑問も持たずに行っていることが、他の視点や行動でやってみると、思いがけない違った結果になることが時々ある。 現状を動かしたくない農耕民族の日本人には、変化や違った行いに踏み切ることが怖い傾向があるんだね。 駅前の書店に入ると、探していた書物がないのでさらに阪急電鉄方向に歩いた。 もう一軒の書店に立ち寄るも、ここにも見当たらなかったので、今日は諦めて近くのゲームショップでファイナルファンタジー]を買った。 ここまで家から大体4kmはあるはずだ。 いやもっとあるかもしれない。 再び来た道を引き返すと、背中を汗の玉が流れ落ちて行く感覚がある。 これは今日体にいいことをしたに違いない。 途中のスーパーマーケットにチョックラ立ち寄り、鮮魚売り場でトビウオとマグロの刺身を買い、さらに大好きなキムチとウインナーソーセージなどを購入した。 今度は丘の上にある家まで登り道が続く。 さすがに途中歩行速度が落ちてきて、歩幅も狭くなって来た。 ともかくなんとか家に帰り、衣服を脱ぐとTシャツが汗でびっしょりになっていたので、それらを洗濯機に放り込みシャワーを浴びてすっきりした。 真田広之がコマーシャルをしている膳というウイスキーをロックで注ぎ、かって来たトビウオとマグロの刺身をつまみながらぐいぐいと飲んだ。 さすがにトビウオの刺身を食べると、空を飛びたくなり、早くゴールデンウイークが来ないかなと思い、タイとミャンマーとラオスの地球の歩き方を引っ張り出してウイスキーを飲みながら何度も何度も読んだ。 ロックで5杯を飲み干した時には、地球が回っていて、そのまま気持ちよく寝てしまった。 せっかく汗を一杯かいたのに、ロック5杯ではダイエットには全く効果がないだろうと思った。 |
ここ2週間、旅行でトレッキングに行く可能性もあるので、体力を少し戻すためとダイエットを兼ねて日曜日に2時間程早歩きをしている。 普段やらないことをしたり、普段歩かないところを歩くといろいろと思いがけないことを見かけたり、それまで感じなかったことを感じたりする。 この前は古い住宅街の細い裏道を歩いていると、車がひっきりなしに通過するのに辟易した。 この辺りには小さな子供はいないのだろうかと心配してしまった。 子供は急に飛び出すから、細い道では徐行をするのが当然なのに、やたら飛ばしている車が多かった。 それもよく観察していると、運転しているのは若い男女が殆どだ。 以前ある大学の助教授が、車が好きで異常なほど凝る人間は人格欠陥者である可能性が高いと、どこかのポータルサイトで述べていたが、僕もそう思う。 僕のような年令になると、できれば車なんか仕事以外運転したくないものだ。 車の運転は好きな方だし、高速道路を軽快に飛ばすのはなんとも気持ちが良く、ストレス解消になることもある。 しかし今は交通機関を利用しての移動が好きで、その間本を読んだりいろいろ考え事をしたりできるので、時間を有効に使えるから嬉しい。 さらに事故を起こす可能性もない訳だし、排気ガスによる大気汚染にも係わっていないということで、気分的にも満足だ。 若者を中心に車となると目の色が変わり、運転に際しても性格が変わってしまうことが往々にして見受けられるのは何故だろう。 これは前述の助教授も言っていたが、要するに、世の中や自分のそれまでの生き方が思うようにならず、苛立ちを持っていた者が、ひとたび車という大人のおもちゃに遭遇すると、アレレ?アクセルを踏めば進み、ハンドルを右に回せば右に曲がり、ブレーキを踏めば止まってくれるという、自由自在に自分の思うように動くことに、あたかもそれが自分の力だと大きな錯覚をしてしまうかららしい。 殆どの若者(ばか者)が、自分の運転が最も上手だと思っているようだが、それは君が上手ではなく、車の性能が優秀なんだよ。(>_<) そのような大きな錯覚のまま横柄に運転する若者の事故が、警察のデータにもあるように最も多いのは事実である。 だからこの状況を軽減しようと思うのなら、自動車メーカーが、故障の比率をドンドン意識的に高めて、何キロ走るごとに必ずどこかが故障して自分で修理しなければ走らないという環境を設定すれば、こんな面倒な乗り物なら乗らない!と若者の車離れに結びつかないかな?(^^ゞ 僕の究極の意見は、自動車製造は全部国営にして、生産台数の制限と計画性を確立し、1台の車を大切に長く使うという社会的状況を作らないと、環境問題や交通事故の問題などは永久に解決しないと思う。 それで大量の失業者が出たとしても、現状では五十歩百歩のような気がする。 |