[14/6/14]日和見的平和主義・メルマガ版の創刊について あーあ、毎日イライラするね。 日常生活は大変だ。 したくもない仕事を生きるためにしなくちゃならないし、話したくもない相手と仕事や人間関係で話さなければならない。 しかも社会を見れば、相変わらずの景気対策に特効薬の見出せない頼りない腐敗政治と、極悪非道で陰湿な犯罪の数々や悲惨な事故だ。 My VoiceからI think about を経て今年から日和見的平和主義と名付けて、決して日和見的ではなく、けっして平和主義でもない僕が、様々な事柄に対して、独断と偏見の言いたい放題のコメントを述べてきた。 時には読者から「アホ!」といわれたり、「エロオヤジ!」と軽蔑されたり、「口からでまかせ男!」と罵られることもあったが、中には「痛快で面白い。 イライラしていた気持ちがスッとする」というお便りや、「いろいろと分からないことを分かりやすく説明してくれているのでためになる」という好意的なお褒めの言葉もいただいたり、僕としてはどちらにしてもその反響を嬉しく思っていた。 今度はこれをメルマガにした。 Web上では言いたい放題だった僕が、さてメールマガジンではどれだけ世相と人物を批判して斬り捨てられるか? 特定個人を中傷しないということに気を留めながら、いかに読者に的確かつスッキリとした気持ちになるコメントを提供できるか? これは探偵手帳・金融裏話・旅行記だけではないという意味も含んだ、自分への挑戦でもある。 |
[14/7/3]自分を知ろう 考えてみれば、田中真紀子も辻元清美も、僕が1年前から彼女等の無能を一生懸命日和見的平和主義などで言ってきたのだけど、とうとう2人とも政治生命をたたれる寸前まできてしまった。 共通しているのは、2人とも土壇場に来てジタバタしていることだ。 だから無能な人は、自分が無能ってことを本人が最もよく知っているのだから、引き際は弁明なしでお願いしたいものだ。 周りにも相変わらずのカッコつけ人間がいるんだな。 フラッシュかジャバか何か知らないが、自己満足のハード面だけにこだわって、何を言っているのか分からないWeb管理人や、自分が二流以下なのに、ジャズや歌舞伎などを一流だと誤った見方をして、訳分からずに浸っている可愛そうな自称知識人たちが、周りを見渡すと蔓延っているが、いい加減に背伸びはやめなさい。 |
[14/7/9]僕の伝えたかったことはこれからだ(友部正人さんのコンサートを聞いて) 7月7日の七夕の日。 大阪市の天王寺にあるライブハウス・ドクソドンタで夜6時半から行われた旅する詩人・友部正人さんの「七夕の夜の歌」コンサートに行った。 彼のコンサートを聞きに行くのは、昭和57年に この間、彼が2年に一枚ペース位で作っているアルバムを購入している程度で、彼の活動自体は雑誌やネットなどである程度掴んでいたが、コンサートに出向くのは本当に久しぶりだった。 彼の姿は20年前とちっとも変っていなかった。 少し髪の毛に白いものが見受けられたが、体型は相変わらずスリムで、ジーンズにTシャツ姿が本当に自然でカッコよかった。 僕と彼の距離は3メートルほど。 2曲目の「はじめ僕は一人だった」のイントロで僕は思わず涙が滲んでくるのを感じた。 彼の歌い方や曲には、人を異次元に引き込み、数々の通り過ぎていった事象を引き出し、そして感慨に耽らせる魔力があるようだ。 僕は最近、生き方というものを少し考えてみたり、過去の思い出やこれから先のやりたいことなどを、ふとしたとき思い耽ってみることが多くなった。 それは50才を2年後に控えて、これまで即興的ないい加減な人生を送ってきた僕が、無意識のうちに少しだけ、人生というものに対しての焦りを持っている表れではないかと思うのだ。 友部正人さんは、僕が大学1年生の頃に、バイトと学業に追われて気持ちの余裕のないまま、実家では親弟妹が極貧に喘いでいるというどうしようもない局面の時に、僕の落ち込んだ気持ちを彼の曲がさらに谷底に落としこんでくれるような、自虐的かつ刹那的要素を感じさせてくれた吟遊詩人なのだった。 彼のライブを当時はあちこちに聞きに行った。 彼の静かで強い歌い方が毎回僕の胃の腑を打った。 それはどん底から這い上がらせる力を持っている訳ではないが、日常生活や人間そのものの姿に対し、常に彼は前向きなメッセージを送っているのであった。 彼の曲は変わりなく聞いていたが、彼のライブを聞きに行かなくなったのは、僕自身の生活環境の変化だった。 バブル景気の登場とともに、僕の生活も比較的ゆとりが生まれ、彼のボディーブローを聞きに行かなくとも日常生活に自信を漲らせていたのかもしれない時期だった。 人間はなんでも調子よく事が運んでいる時は、もっとも近くにいる人や物が見えなくなり、過去に大切にしていたものも忘れがちになってしまう。 バブル経済の崩壊から現在まで、日本人の心は、あの異常な狂喜乱舞の時を忘れようとしている。 これからの時代は心の時代だとよく言われる。 心が貧しいから、陰湿な犯罪が蔓延り、傲慢から地位を蹴落とされたり、家庭がありながら他の方向に悦楽を求めるという、身の程知らずな行動に走ったりしてしまう。 最も大切なことは、限られた範囲での社会に於ける日常生活で、自分が大切なものは何か、自分が大切な人は誰か、自分が大切な未来は何か、をよく知ることなのだ。 友部正人さんの歌には、それらの回答がすべて収まっているような気がした。 彼も今、詩と歌という一見異なったコンセプトの融合を試みており、その活動がなかなか反応がないと呟いていた。 僕もちょっとした試みが、反応のないまま前に進んで行かなければならない。 僕の伝えたかったことはこれからなんだ。 |
またまた短絡的かつ痴呆的バカ番組がこのところTVに登場している。 現実からはるかに飛んだ、所々時間的背景が合わない、ミステイクかつファンタスティックなカストレンディードラマは言うまでもないが、ちょっと異議を申し立てたいのはいわゆる探偵を題材にしたドラマの登場である。 2時間もののドラマで女探偵何とかというのは時々放映されており、嘲笑以外の何も感じないが、ゴールデンタイムの時間帯などにも探偵ものが出てきた。 家族で探偵をしているといった話や、かっこいいミステリアスな私立探偵が次々と難解な事件を解決するというものだが、いい加減にしろよ。 普段寡黙で真昼にニヒルでアヒルな僕も、ちょっと怒ってしまうぞ。 日本でかっこいい私立探偵が、警察が解決できなかった事件を、頭を使って解決するなんてことがある筈ないじゃないか。 それでなくとも探偵は概して世間の落ちこぼれで構成されているのだから。 さらに家族で探偵だって? アホもここまで来たら立派だ。 何処の下請けで家族探偵を業としているのか、番組を見ないと分からないが、探偵調査業は資金力にものを言わせて広告宣伝費をガッポガッポ使っている表面的大手が半ば独占しているんだ。 家族で探偵なんて、甘っちょろいままごと感覚で探偵が成り立つ訳ないだろ。 アホかほんとうに。 いくらフィクションで、なんでもありで、アホバカ層を狙った番組だとはいえ、あまりなことをするなよ!TV製作者諸君。 探偵調査業界の発展を願ってやまない僕だから、無茶なことは言えないが、業界のことを知りたい人は僕のメールマガジンを購読してください。有料版はかなり詳細に記述します。(但しプライバシー及び業界の不利になる事柄は記述はいたしません) |