突撃!アンコールワット

Backmusic:Royalcafe

 創刊準備号

 インドシナ3国をとりあえず訪問したいと思っていた。

 前回ラオス人民民主共和国を訪問後、抱えていた仕事を全て投げ出して、長期の旅に出ようと身辺整理から金銭的問題等々に努力をしてみたが、身軽な学生や輝く未来が待っている若者(輝くかどうかは分からないけど)、或は現役をリタイアした気楽な壮年でもないので、結果的にもう少し現状のまま仕事を続けることにした。

 確かに僕は1人暮らしで気楽といえば気楽であるが、離れて暮らしている息子が来年2人とも大学受験を控えている(双子ではありません。 お分かりいただけるでしょうか)という状況から、やはり親としての金銭的援助はもう少し続けなければいけないという、僕らしい人間的思慮のもとにやむなく自己中心的行為を控えたという訳であります。

 話は元に戻って、カンボジアを訪問したいと思っていた理由は、僕のようなバックパッカ-初心者にとっては、差し当たり一つの地域をこなしたいという思いがあり(特別それに意味はないのですが)、ベトナム、ラオスと来たからには、インドシナのもう1国であるカンボジアを訪れるしかないではないかというものです。

 しかし年中無休の探偵調査会社に勤めていると、なかなかまとめて休暇は取れないのが現実であり、しかも周囲及び上司からは冷ややかな視線を浴びての旅でもある訳です。

 そこですべての社員に与えられている4日間の夏期休暇を、お盆や夏に取らずに馬車馬の如く働き、ついに9月の連休にその虎の子の4日間を組み入れての6日間(実際は7日間の旅)の休暇を勝ち取ることが出来たのでありました。

 それなら首都・プノンペンは無理だ。

 プノンペンはいつか機会があれば訪問することにして、やはり世界遺産の大遺跡群である“アンコールワット”に突撃するしかないではないか、という経過で今回の旅に至ったのでありました。

 目的は大きく3つ。

 1.バンコクから陸路で国境に行き、自分でカンボジアのビザを取得すること。

 2.2,3年前に公開された、浅野忠信さんが主演した“地雷を踏んだらサヨウナラ”のモデルと

  なった、一ノ瀬泰造さんの墓を訪れること。

 3.そしてアンコールワットの遺跡群を訪れること。

を抱いて、中年になってしまった僕がかなりハードだと聞いたアンコールワットを、空飛ぶ鉄板でビュンと一飛びするのではなく、陸路での経済旅行を敢行したのであります。

 今回も当初は、【ずっと一人じゃないのかな・・・】という懸念はすぐに吹っ飛び、国境で知り合った性格の良い大学生達と旅の期間中過ごすこととなり、又、雨季にもかかわらず天候にも恵まれ、幸運な恵まれた旅となりました。(ピックアップトラックには少々参ったけど)

 この物語は、アンコールワットやシェムリアップの旅行情報としては不十分かもしれません。(遺跡に関しては地球の歩き方などに詳細に掲載されています)

 しかし毎回そうなのですが、旅の期間中の僕が見たまま聞いたままの生の情報と、心の動きなどを物語としていますので、面白く読んでいただく自信はあります。

 それでは第一号発行までしばらくお待ちくださいませ。


突撃!アンコールワット

 創刊号

 1. 旅の行程

年月日

行程

宿泊先

平成13911

関空→バンコク・ドムアン空港→ホアラーンポーン駅

スリンクリンホテル・500B

(ホットシャワー・エアコン・TV付き)

平成13912

ホアランポーン駅→アランヤプラテート(列車)→ボーダー(カンボジアビザ取得)→ポイペト(入国)→シェムリアップ(ピックアップトラック)

バプーンゲストハウス

Baphoon GH12.5

(水シャワー・ファン・2ベッドをシェア)

平成13913

郵便局→ネットカフェ→朝食→バイヨン→アンコール・トム(昼食)→アンコール・ワット→GH→地雷博物館→サンセット(曇天)→夕食

平成13914

朝食→バンティアィ・スレイ→一ノ瀬泰造墓標→GH(昼寝)→郵便局→ネットカフェ→旅行代理店→昼食(屋台)GH→夕食

平成13915

サンライズ(好天)GH(朝寝)→トレンサップ湖→タ・プローム→タ・ソム他2ヶ所→アンコール・トム→GH(昼食・昼寝)→ネットカフェ→GH→夕食

平成13916

AM6:00起床、7:00見送り後再度寝る→オールドマーケット、ネットカフェ→朝食(屋台)GH(シャワー・整理)→昼食(レストラン)GH→シェムリアップ空港→バンコク→PM10:30シンガポール航空便で関空へ

機内泊

平成13917

AM5:30 関空着→自宅→出社

 

 1-2.慌しい出発

 

  平成13911日は、前日の雨で自宅前の路面が少し濡れていた。

 毎回そうなんだが、僕は旅に出る前日まで殆ど用意というものをしない。 これは切羽詰ってこないと何もしようとしない性格的なものなので仕方がない。

 今回も朝6時過ぎに起きて、菓子パンを食べながら大急ぎでパッキングをし、7時頃に慌しく家を出た。 忘れ物がないかどうかの確認もしないのだが、要するにパスポートと多少の現金とビザカード1枚もあれば何とかなるものなんだ。

 JR大阪駅までは環状線で一駅だ。

 下車して新阪急ホテル横の空港行きリムジンバス乗り場に着くと、すぐに関空行きが出発しますというので慌てて乗車したら席がなく、後部の補助席に座った。

 バスには当然旅行者も多く、特に若い女性のグループや中年女性グループが目立ち、やはり男性の旅行者は少なかったが、これは結果的にカンボジアでも同じ傾向が見られた。

 関空には40分程で到着し、シンガポール航空のカウンターですぐにチェックインをし、空港内の銀行で3万円をドルにチェンジしたら、230ドル程にしかならなかった。(勿論手数料込みだが、1ドル130円程の計算だ)

 空港施設利用料金として金2650円なりを支払い、出国手続きを終えてゲートでコーヒーを飲みながらくつろいだ。(しかし毎回思うのだが、この2650円は随分高いような気がする。 タイは500バーツだし、シェムリアップ空港は8ドルだった。 ただタイやシェムリアップの現地貨幣価値からすると安いということになるのだが)

 乗客がぞろぞろ集まってきた。 様々だが目立つのはやはり若い女性グループと一人では旅に出る勇気のない大学生風若者グループだ。 つるんで旅に出るのもいいだろうが、やはりいい大人の男が一人旅も出来ないようじゃ先が見えているというものだ。 余計なお世話には違いないけど。

 飛行機に乗り込み、運良く通路側の席があたり(何故通路側がいいかというと、トイレに立つのに気を遣わなくていいからなんだね)、神とご先祖に感謝をするとともに、この飛行機が事故のないようにとついでに祈った。

 定刻の10時より少し早くに飛行機は離陸し、あっという間に安定飛行に入り、間もなく機内食の準備に入った。

 僕の内側の2人は若いカップルだったが、この2人は乗機するとすぐに持ってきたおにぎりと唐揚げを食べ始め、僕が【何を考えているんだろう?】と思っていたら、すぐに機内食が出されたので、彼女の方が『お腹一杯やわ〜。 どうしよう』と悲鳴をあげていた。【バカみたい】

 シンガポール航空の機内食は本当に美味しいし、なかなかデラックスだ。 飲み物も各種揃っていて、リクエストをすれば何でも持ってきてくれる。 僕は朝からシャンペンをおかわりして、さらに普段は飲まない白ワインを飲み、気持ちよくなっていつの間にか寝てしまった。

 夢の中で空を飛んでいると、飛行機は予定通りに現地時刻の午後1時過ぎにバンコックに到着した。

 今回の目的地は、インドシナ3国の1国であるカンボジアだが、飛行機でビュンとその日のうちに入国しようと思えば、ここでシェムリアップ行の便に乗り換えればいいのであるが、なるべく節約の旅にしたいということと、陸路で国境に向かってビザを取得するという目的のため、どうしてもこの日はバンコクに泊まらざるを得ないのだった。

 入国手続きを終えて、ザックを受取り、アマリエアポートホテルに通じる通路の横から、ドムアン駅のプラットホームに降りて、ホアランポーン駅までの切符を5バーツで購入した。

 前回はホームに着いた時にちょうど列車が入ってきたので、慌てて10バーツ支払って乗車したが、5バーツが正確な運賃だった。 

 列車を待つ人は殆どが現地人で、欧米旅行者が数人見えたが日本人旅行者は誰もいなかったので、やはり皆バスかタクシーで行くのかもしれない。 鉄道は安いけど時間がかかるからね。

 10分ほど待つと列車が到着し、車内は前回と違って空席がたくさんあり、ザックを降ろして窓から見える景色を眺めながら、のんびりとした気持ちでホアランポーン駅に向かった。

 列車は天井にファンが回っているだけで、気温は35度位はあるのだろうか、みるみる全身から汗が吹き出てきた。

つづく・・・



2.Sri krung ホテル

 ドムアン駅からホアランポーン駅までの窓からの風景に毎回感じることは、バンコクにも当然貧民窟があるということだ。 今にも崩れかけそうな粗末な家屋に、昼間から上半身裸の大人がゴロゴロと何もせずに寝転んでいる様子が見える。 子供は泥川の周りで汚れた衣服を着て遊んでいる。
 【ゴミの収集などの環境や下水道は整備されているのだろうか?】と他国の行政を気にしてしまう。

 外から見て感じるほど、実際は貧しさを感じていないのかもしれないが、ビルが建ち並び大通りでは交通渋滞が頻繁に引き起こる大都会バンコクも、裏に入ればこのような暮らし振りの人々も多いようだ。

 そんなことをぼんやりと考えながら55分程列車に揺られると、バンコク中央駅であるホアランポーン駅に到着した。

 ここからカンボジアとの国境の町であるアランヤプラテートには、一日2便の列車が運行されているが、早朝の5:55と午後1:05発であり、既に午後便は出ているので、今夜はバンコクに1泊しないといけない。

 明日は朝早くの列車なので、今夜は駅近くのホテルで宿泊するつもりだった。

 ザックを背負って駅を出てすぐを右に曲がり、運河を越えて最初の大通りを右折して100m程歩くと左側にスルクリン(Sri krung)ホテルがそびえている。(読み方が曖昧だけど、スリクランと発音するのかもしれない)

 このホテルはガイドブックを見て、僕にとってはちょうど良い程度のホテルなので、ここにしようと前もって決めたいたのだ。 駅前にはステーションホテルという中国系安宿もあり(300B程度)、バンコクセンターホテルというそこそこのホテルもあるが(朝食付き900B程度)、経済旅行を目的とする僕には、1泊だけ贅沢をするという意味ではこのスルクリンホテルが適当に思えた。

 フロントにはポチャッとした女性がいて、僕の姿を見ると立ち上がり、『サワディー・カー』と微笑んだ。

 『シングルルーム、ウイズホットシャワーアンドエアコンディショニング?』と聞くと、『空いてるわよ。 部屋を見てみる?』と言うので、従業員の青年に案内してもらい、5階の端の綺麗な部屋でTVもあり、この部屋に決めることにした。(500B)

 ザックを置き、シャワーを浴びて汗を流し(どうせまた汗だくになるんだけどね)、一応列車の時刻変更がないかを確認するために、再度駅に出かけた。

 駅総合案内所で時刻表を貰って確認すると変更がないようなので安心し、ついでに構内のクーポン食堂に入り、恒例のぶっかけメシ(30B)とシンハビール(何故か70B支払った。前回は60Bだったのに)を購入し、一息ついた。

 ぶっかけメシは本当に美味しい。 2種類のシチューのようなものをご飯の上にかけてもらうだけなのだが、これがちょっとモーレツ辛かったりして、激辛好きな僕にはたまらないのだ。

 広い食堂をグルリンと見渡すと、昼間から食堂でビールを飲んでいる人は誰も見かけず、ちょっと恥ずかしい気もしたが、シンハビールの大瓶を1本飲み終えた頃には、別にどうってことはない大きな気持ちになっていた。()

 お腹が一杯になり少し気持ちも良くなったので、2階のネットカフェに入り、メールのチェックと自分のHPに少し書き込んだ。
 ここまでは前回のラオス旅行と同じようなことをしているが、前回と違っているのは、周りを見る僕の心にかなり余裕があるということである。
 僕はバンコクという町は
3度目で、行動した範囲もカオサン周辺や寺院めぐりを5ヶ所ほどした程度で、町自体を評価するまでの経験や知識もないが、この暑さだけは全く苦痛じゃなく、むしろ快適に感じるのである。
 通りに出れば膨大な交通量とクラックションの音などで喧騒を感じるが、皆が短パンにサンダル姿でリラックスして歩いており、いい加減な性格の僕には居心地が良いのかもしれない。

 一旦ホテルに戻り、ベッドにゴロリと横になってTVのスイッチを入れると、なんとクレヨン進ちゃんが放送されており、驚きと同時に一人で笑い転げてしまった。

 しばらくTVを見たり、出発前に殆ど読むことが出来なかったカンボジアのガイドブックに目を通したりしていたが、午後6時を過ぎると再びお腹が空いてきた。

 すっかり暗くなった町に出て、ステーションホテルの近くに並んでいる屋台を覗き、女将さんの呼び込みにつられてそのうちの1軒に腰をおろした。

 バーミナム(ラーメン)を注文し、ビールはちょっと控えてミネラルウオーターを飲みながらゆっくり食べた。
 周りを観察すると、欧米人旅行者風カップルがチャーハンのようなものを食べていたが、女性は半分以上も残して去って行った。
 味が合わないのかもしれない。
 さらに少し離れた所に、日本人と思われる若者数人がビールを飲んで焼鳥を食べていた。
 チョックラお邪魔しようかとも思ったが、明日は早いし、彼等と話が合わなければ精神的に疲れるなと思ったので、今夜はおとなしくホテルに帰って早寝をすることにした。

 TVを眺めながらウトウトしていたら知らないうちに寝てしまっていたが、午前2時頃に寒さで目が覚めた。 タイのエアコンはやはりガンガンに冷えている。 

 スイッチをlowにして、頭から掛け布団をかぶって再び寝ると、午前5時に目が覚める前に夢を2つ見たのだが、おかしなことにいずれも舞台はタイで登場人物もタイ人だった。

 急いでシャワーを浴びて、忘れ物がないかを何度も確かめて、さらに頭に紺のバンダナを巻きつけて出発だ。

 フロントの女性にバイバイして外に出ると、まだ真っ暗だというのに道路には既に車がビュンビュン走っており、バンコクの街は24時間営業なのではないかと思った。

つづく・・・


3.アランヤプラテートへ

 午前5時半頃ではまだ真っ暗なバンコクの街でも、既に道路では車がクラクションを鳴らしながら急ぎ足で駆けていた。

 忙しい街バンコク、眠りのない街バンコク、人々が交代で24時間休みなく動き回っている印象を受ける街バンコク。

 そんなことを考えながら重いバックパックを背負って歩いていると、僅か3分程でホアランポーン駅に着いた。 駅は早朝にもかかわらず、コンコースには大勢の人が集まり、飲食店やコンビニも既に営業を開始している。

 ドムアン空港も24時間眠ることはないが、この駅も一日中このように人々が途切れることがないのかもしれない。

 僕は眠い目をこすりながら、当日チケット売り場にてカンボジアとの国境駅であるアランヤプラテートまでの乗車券を購入し(48B)10番ホームに行くと既に列車には乗客がゾロゾロと乗り込んでいるところだった。

 僕も一番手前の車両から乗り、列車内をずっと前のほうの車両まで歩いて行った。

 早朝の列車でなので席はいくらでも空いていたが、座席に座っている人を見て回ると、日本人らしい人や欧米人旅行者などは全く見かけず、現地の人ばかりのようだった。

 座席は日本のJRの快速車両によく見られる、2人ずつが向かい合わせの4人ボックス席が並んでいる形で、3等車両なので勿論リクライニングなどという洒落たものはないが、板敷きの硬座ではなくクッションのあるシートだったので少し安心した。

 何しろこれから約6時間の列車の旅なのだからね。

 結局日本人の旅行者を捜し歩くのは諦め、真中辺りの車両の中程にザックを置いて腰をおろした。 しばらくすると向かいの席に20代後半位のタイ人と思われる女性が現れ、座る時に僕に向かってニコッと微笑んだような気がした。(これは本当ですよ)

 列車は座席のほぼ半分程度の乗客を乗せて、どういう訳か定刻のAM5:55に出発した。

 ゆっくりと走り始めた列車の窓から見えるバンコクの街は、次第に明るさを増して来て、通りでは車やバイクが相変わらず忙しそうに走り、クラクションやエンジンの騒音が早朝の静けさをあっという間に破ってしまっていた。

 列車は僕達乗客に対して、あたかもバンコクの街並みを見てくれと言っているかのように極めてゆっくりと走ったあと、郊外に出て風景に田園が見えてきた頃になると、次第に速度を増して行った。

 列車内には勿論エアコンなどはなく、天井でファンが回っているだけであるが、開け放たれた窓から朝の涼しい風が入り込み、気温が高い割には全然暑さを感じなかった。

 車窓は間もなく田園風景一色となり、これはその後比較的大きな町に到着する前後には街並みも窺えたが、終点のアランヤプラテート駅に到着するまではほぼ同じような単調な景色だった。

 到着した駅ごとに、降車客と乗車客とがほぼ同じ人数で、車両の半分の座席が空いている状況は変わらず、僕の前の席にタイ人女性が座っているのも変わらなかった。

 車内販売のお兄ちゃんとオバチャンが交互に、『※△○□☆×〜・・・!』と何やら声をかけながら時々通って行く。 お兄ちゃんは大きなバケツにビールやジュース、ミネラルウオーターなどを入れて売っており、オバチャンは籠の中におにぎりのようなものや、ご飯の上に何かを乗せたものを販売しているのだが、僕はどういう訳かお腹が空いておらず、ひたすら昨夜屋台で買ったミネラルウオーターを飲んでいた。

 列車が時々止まる駅は、日本の田舎の無人駅という感じで、乗降客は数人程度であり、タイの列車各線の中でも、この東線は途中駅にそんなに人口の多い都市も見当たらず、最も寂しい路線という印象を受ける。

 出発して2時間ほど経過した午前8時過ぎ頃に、さすがに僕もお腹が空いてきたので、ちょうど食べ物を売りにきたオバチャンを呼び止めて、腕に抱えている籠の中にあるチャーハンのようなご飯の上に目玉焼きが乗っかっている小さな弁当を購入した。(20B)

 ラップを外して付いていたプラスチックのスプーンで目玉焼きを退けると、その下に小さく切ったチキンが隠れていた。 一口食べると、これが言葉では形容出来ないくらい美味しかった。

 僕は弁当から米粒がこぼれるのも気にしない感じで、休みなくスプーンで一気に口に掻き込んだ。 チキンとチャーハンと目玉焼きという、なんてことのない取り合わせだが、日本にはない味だった。 旅先で食べるから美味しく感じるという、そんな曖昧な美味しさではなかった。 

 これを食べるだけでも、タイの列車に乗る価値があるのじゃないかとさえ思った。 タイの食べ物は美味しいと多くの旅行者が語っているが、こんな列車の弁当でさえ驚く程の美味しさなのだから、その話も頷けるような気がした。

 さて一気に食べ終わったのはいいが、ミネラルウオーターがなくなり、しばらく胸焼けに似た感覚を持ちながら、お兄ちゃんが売りに来るのを待っていた。 僕がお腹一杯になったことに満足げな顔をして、胸焼けでもがいていると、前のタイ女性が僕のしぐさが可笑しいのか、クスクスと笑っているようだった。

 ようやく飲み物を売る男性が現れたので、僕はミネラルウオーターを1本購入し(10B)、ホッとしてペットボトルのキャップをひねった。 しかしキャップは硬くて全然回らず、ボトルに付着している水滴のせいかも知れないと思って、ハンカチでキャップの辺りを拭ってから再び力を込めて回したが、やはり回らなかった。

 僕は汗をかきながらちょっと焦りと困惑とで、【おかしいなぁ】といった感じでペットボトルをどうしたものかと眺めていると、前のタイ女性が何やら言葉を発しながら、『ちょっと貸してみて』というふうに、ボトルを僕の手から取り上げて、キャップの周りにグルリンと付いていた鉢巻のようなものを(分かるかな? キャップにくっついている部分なんだけど)指先で下にカタン!カタン!と外していった。

 このペットボトルはキャップを回す前に、キャップの下の部分を下に押し下げることが必要だったのだ。 ちょっとややこしい説明だけど。

 僕は、『どうもありがとう』と言って、キャップを軽く回し、溢れるばかりの待望のミネラルウオーターを口にすることが出来たのであった。 

 しかし、『ありがとう』位はタイ語で言わないといけないと思った。

つづく・・・


4.タイ・カンボジア国境に到着・その1

 バンコクからカンボジアとの国境の町であるアランヤプラテートまでは、列車に揺られて約6時間を要するが、車窓からの景色は殆ど同じだった。

 それはベトナムの鮮やかなライスフィールドとは異なり、田畑が続いていると思えば雑種地のように荒れた原野が続くといったもので、タイはアジアの経済大国であり、バンコクの他いつくかの都市は繁栄しているが、農村部ではあまり肥沃ではない土地に、粗末な高床式の住居が点在している風景が見受けられ、まだまだ貧しい暮らしを余儀なくされているように思われた。

 このことは相変わらず農村部から都市部への出稼ぎ人が多いことや、雨季には水害で田畑が水没するニュースが毎年のように報じられるということからも窺える。

 僕は恥ずかしいことに、ミネラルウオーターのキャップを開けるのに戸惑い、前の座席に座っていたタイ女性に手助けをしてもらったのだが、それをきっかけにいろいろと話をした。 というより、話をしようとお互いに何度も試みた。

 彼女は日本語は勿論のこと、英語も理解できないようで、僕があやふやな英語で身振り手振り話しても、分かったような分かっていないような感じだった。

 逆に彼女の立場からすれば、僕がタイ語を話せないのはやむなしとしても、一生懸命話している英語も聞き取りにくいといった感じだった筈で、何かの話題をお互いに話しても、結局は理解していないから、最後は何がなんだか分からないがとりあえず微笑み合う、といった状況だった。

 でも人間というものは可笑しなものだね。

 そのようにお互い言っていることが相手に確実に伝わっていないのに、何故か雰囲気とジェスチャーで、【ウンウン・・・】と頷いたりして、いい感じになってしまうのだから不思議だ。

 例えば、彼女が僕の大きなバックパックを指差して、さらにその指を進行方向に指差したから、これはおそらく【こんな大きな荷物を持ってこの先どこまで行くのか?】と聞いているに違いないと思い、僕が、『トゥ アランヤプラテート アンド ボーダー。 ラーストデスティネイション イズ アンコールワット!』言うと、ニコニコしながら頷いたりするのであった。

 すると僕はますます嬉しくなり、『ファッチュアネイム? フォエア アーユーゴーイング?』と誰でも分かる英語で問いかけてみたりする。

 いくら僕の発音が悪くてもこの程度の英語なら分かる筈なのだが、それでも彼女はニヤニヤしているだけだったから、本当に英語を習ったことがないのだと思われた。

 【タイの語学教育事情は一体どうなっているんだろう】、と余計なおせっかいなことまで頭の中に浮かんだが、まあそれでも少し話して数分間黙り、お互いに窓の外を眺めながら心の中では次に何を言おうかと目まぐるしく考えて、どちらからともなくまた話し掛ける、といったことを繰り返した。

 彼女のおかげで全く退屈しないまま列車はドンドン走り続け、僕がホアランポーン駅の案内所でもらった各線の時刻表を広げて、【どの駅で降りるのか?】というふうに指を下に向けて聞いてみると、彼女は僕の質問の意味が分かったようで、『カビンブリ-(Kabin Buri)』というので、もうすぐ降りてしまうのだなと残念に思ったのだった。

 アランヤプラテートまでもし彼女が行くのだったら、一緒に昼食でも食べようと思っていた僕の目論見は、もろくも崩れ去ったのであった。

 列車は彼女が降りる駅が近づき、彼女が立ち上がって僕に向かって右手を差し出してきた。 僕は無条件反射で座ったまま右手を差し出し、意外に大きかったその手を握り、日本語で、『どうもありがとう。 お元気で』と言うと、彼女もなんだか分からない言葉で微笑みながら言葉を残して去って行った。

 僕は十数秒間、ほぼ放心状態に近かったが、急に思い出したように慌てて首にかけていたミニバックからカメラを取り出し、窓から体を乗り出してプラットホームに彼女の姿を探した。

 結構大きな町だったので乗降客が多かったが、人込みの中に運良く彼女が歩いてくるのが見えた。

 僕はちょっと大きな声で、『やあ!』と彼女のいる方向に叫んだ。

 すると彼女の方は窓から上半身を出している怪しげな日本人をすぐに見つけ、僕がカメラを向けると僕の窓の下に来て、【さあどうぞ撮って!】という感じのポーズをとったのだった。

 そして彼女は何か言葉を残して、手を振りながら改札口の方向に歩いて行き、やがて見えなくなった。

 僕は何も考えていなかったが、嬉しくそして切ない気持ちになった。

 出会いと別れはこのようにして、列車の旅の途中でもあるものなのだ。

 列車は終着駅、アランヤプラテートに間もなく到着する。

 つづく・・・

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