梅田スペース1マンション
愛すべき破滅男 その一 四月半ばから「扇」の女将さんの娘さんで律子さんという名の浪人生がバイトで手伝ってくれるようになった。 朝九時から午後五時までで、時給は千円でいかがですかと提案したところ、女将さんも律子さんも口をそろえて「そんなにもらって良いのですか?」と逆に聞かれ、このころの事務のバイトの世間相場からすれば、随分と良かったのかもしれない。 おかげで時には朝ゆっくりと家を出ることができるようになり、体力的にはもちろんのこと、気持ちの上でもグンと楽になった。 事務所に出ると、まず律子さんが熱いお茶を入れてくれる。そして朝から連絡のあった顧客の用件をキチンと詳しくメモを取っておいてくれていて、それを手渡しながらさらに説明までしてくれるのだ。これは助かった。 律子さんには電話応対と帳簿記帳、俺が忙しい時の銀行への入出金及び振込み手配、来客時のお茶出しなどを手伝ってもらった。ただ帳簿といっても、お客様からの受取利息を計上し、担保として預かった手形を売却する日に、今度は支払利息を計上、その差額が利益と出て、それに対して日々の経費をマイナスしていくもので、難しいものではない。 さて、仕事も順調に運び出したある日、最初に勤めた金融会社の同僚が不意に訪ねて来た。 松井という五十半ばを過ぎた金融ブローカーで、同僚と呼ぶには悪い気がするが、前々勤務先ではほぼ同期入社で、雑居ビルや町工場などを一緒に営業に回った人物だ。 俺がヤクザ金融業者へ転職したあとも、松井は辞めずに頑張っていたようだが、いつの間にか退職し、その後は筋の良くない不動参金融会社に出入りしていた。 時には客を紹介すると連絡があったが、少し話を聞いてみると箸にも棒にもかからない臨終手前の会社ばかりで、いったい何をやっているのか理解に苦しむのであった。 「やあ藤井君、葉書をもらっていたのでね、ちょっと来てみたよ。それにしても大したものやな、君は」 ポマードで光った頭髪が品のなさを感じさせるが、細い体を前かがみにして、右手を握手でも求めるように差し出しながら、飄々と語る口調は相変わらずであった。 「いえいえ、こんな小さな事務所でママゴト程度の仕事ですよ。松井さん、うちは真面目な金融業者なので、事件がらみや飛ばす日が決まった手形は要りませんよ。確実な話だったらいつでも歓迎です」 「どうぞ」とも言っていないのに、厚かましくもまだピカピカのソファーに座って足を組み、タバコを取り出したため、「松井さん、すみませんがここは禁煙なんですよ。若いお嬢様もいらっしゃいますからね」と俺は松井の出鼻をくじき、ピシャリと釘を刺した。 「そんな堅いこと言うなよ、藤井君。いい話を持って来てやったのに」 俺は律子さんに梅田Space−1マンションの階下にある喫茶店からコーヒーを三つ取ってもらうように頼み、どうせ今にも飛びそうな死に体の企業の案件なのだろうが、松井がわざわざ来てくれたので一応話を聞いてやることにした。 松井の経歴の詳細は知らないが、なぜか左手小指の第二関節から先が消えていた。 若いころは大手ゼネコンの営業マンだったらしく、背筋をピンと張って歩く姿勢は今も変わっておらず、過去は女性に随分モテたのではと思われた。その片鱗は彼の左手小指に窺われ、おそらく一部欠損は、関係した女がヤクザの幹部か何かで、その落とし前をつけさせられたに違いないと最初は思っていた。 松井は最初の婚姻で何人かの子供をもうけたらしいが、数年で離婚し、子供は妻側が引き取ったという。前妻と子供のことについては、彼が酔っ払っている時に何度か話を向けたことがあるが、その度になぜかかわされた。 現在の妻は松井より二十歳近くも年下で、ゼネコン会社で同僚OLであったとのこと、おそらく前妻との離婚は、現妻との社内不倫が原因だったのではないかと推察された。 現妻との間には一男一女をもうけているが、長女は知的な障害はないものの、先天性小児麻痺で、歩行に難があるのだとか。是非ともこの気の毒な長女のためにも頑張って欲しいと、俺は他人事でも常々思っているのだ。 がしかし、俺から見て松井は二度目の家庭のために必死で働こう、家族を守ろうという姿勢がハッキリ言って感じられなかった。彼は無類の酒好きなのだが、家で晩酌を楽しみにすれば良いものを、金の余裕もないのに会社帰りによく飲んでいた。誘われれば断れない意思の弱い性格もあるが、上司や同僚から誘われたら嬉々として俄然元気になるのだ。 飲めば気が大きくなってハシゴが当たり前、酔うと大きく崩れる傾向があり、飲み屋ではネクタイを頭に巻いて、若手に説教じみた言葉を浴びせるものだから、大方の同僚から疎ましく思われていた。 だが、俺は松井が好きであった。それは自分に共通した部分が少なからずあることに、俺自身が自然と気付いていたのかも知れない。計画性のない生き様、情に流されやすく、良く言えば自己犠牲の精神、逆を言えば感情のままの生き方に周囲を巻き込んでしまう自分勝手な人間ともいえる。そういった性格が似ているのだ。 そういえばこんなことがあった。それは寒い日が続いていたある年の年末のこと。松井は俺や同僚に、今度京都へ飲みに行こうと誘ってきた。京都市内の河原町にあるというその店へは、職場から小一時間もあれば行けるが、なぜ大阪から京都までわざわざ飲みに行くのかというと、松井の知り合いが店を出したからであった。 高瀬川沿いの小道から少し入ったところの小さな商業ビルに、「ムーブ」と書かれたその店はあった。 カウンター席が七、八席と数人がけのボックス席が五、六席といった大きくもなく小さくもないラウンジ。店は一週間ほど前にオープンしたばかりで、お祝いの盛り花や花束が店の入り口や店内に飾られていた。 松井を待っていたのはまだ三十半ばの比較的小柄なママで、妖艶なドレス姿で歓迎の言葉とともに俺たち五人を迎えてくれた。 松井はこの日行くことを前もってママに伝えていなかったようで、予期せぬ来店に「本当に来てくれたのね、松井さん。嬉しいわ」と表情を崩して、言葉だけではなく、本当に松井が来たことを喜んでいる風に思えた。 一番奥のボックス席にわれわれを案内し、他のグループ客や一人客もいたが、ママは終始松井のそばを離れず、他の女の子に客の相手を任せていた。 「松井さんの前のコレですか?」 俺は冗談半分に言った。 「俺は女と別れたら二度と会わん主義やからな。ママは単なる知り合いや」 松井はこの夜、いつものように崩れなかった。ウイスキーをチビチビ飲みながら、俺たちがカラオケを歌ったり楽しんでいる様子を、目を細めて楽しんでいるような感じであった。 時々ママと小声で話しをしている様子も、冗談などを言っている風はなく、むしろちょっと深刻な話をしているようにも見受けられた。ずっと先になってから、このママと松井の関係を酒の勢いで少しだけ聞きだしたことがあるが、おそらくヤクザのヒモがついていた彼女を救うため、松井は左小指一本を差し出して落とし前をつけたようだ。そしておそらくこの推測は当たっており、松井はだらしない日常に反して、こういった男気が強い一面を持っていた。 さて、松井が持ち込んできた手形は、裏書人が繊維販売会社で、振出人が製造業者のものであった。 「松井さん、こんな手形割れるはずないじゃありませんか。振出人と受取人がまったく逆ですよ。融通手形に間違いないですね、これは」 俺は松井に三枚の手形を、テーブルに放り出すようにして言った。 |
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愛すべき破滅男 その二 松井が持ち込んできた手形は、振出人が製造会社で受取人が販売会社のものであった。販売手数料としてメーカーが販社に支払うことももちろんあるが、通常は逆で、販社が仕入れ代金をメーカーに支払うものだ。しかも松井の持ち込んだ手形振出人の製造会社は弱小企業、信用度がきわめて低い。 「違う、違う、加工賃やで。この手形はきちんとした商取引のものや。間違いなく落ちるよ」 松井は何の根拠もないことを言う。 「こんな小さな会社が加工賃を手形で支払うわけありませんよ。落ちるのではなく、松井さんが落とすんじゃありませんか?」 俺は苦笑いしながら言った。 額面が五十万円程度のものが期日違いで三枚、高利で割り引いてやってもよいが、松井に裏書をさせても何の補償にもならないし、この日は悪いが断った。 松井はあきらめ切れなかった様子でブツブツと講釈をたれていたが、相手にしない俺の態度を見て、コーヒーを飲んでから「じゃ、また来るわ」と言って帰って行った。資金繰りに追われていることが、彼の背中から読み取れたが、金貸しは情をかけてはいけない。 松井は大阪市北区にあるイーストリースに出入りしていた。不動産担保融資がメインの独立系の金融業者であった。梅田Base−1の近くに所在していることもあって、松井の招きで気が進まないながらも数日後訪れた。 思いがけず広い事務所の雰囲気は悪くなく、受付の女性たちはセクシー美女揃いだったが、中にいる数人の従業員が見るからに戦闘的で、入室すると一斉に指すような眼で俺を見るのであった。悪徳金融丸出しの態度では、営業に回っても客をつかめないことは明白だ。 「藤井さん、そちらで断る案件があったらまわして下さいよ。ちゃんとお礼はしまっせ」 専務と書かれた名刺を俺に手渡したタコ坊主のような男が客の紹介を求めるのは、従業員から新規顧客の発掘が期待できないため、もっともなことだと思った。 松井はイーストリースにほぼ毎日顔を出して、特に仕事がない日は専務や社員とマージャンで暇をつぶし、時には法務局への急ぎの閲覧などの雑用を言われ、多少の小遣い稼ぎをしていたようだ。自身は、以前からの顧客がらみのオファーを、イーストリースや他の金融会社に持ち込んで、めでたく実行された場合は客から上前をはねていたという按配であった。 そんな松井との付き合いの中で、救いようのない悲しくも腹立たしい出来事があった。 松井は少し前に大阪府枚方市内にある中古の一戸建て住宅を買得していた。イーストリースの融資先がつぶれ、その関連で共同担保に取っていた中古物件をイーストリースが松井に売り渡し、同社の取引銀行から融資の便宜を図ってもらって得たものだ。 それまでは俺と同じJR東海道本線の沿線にある、かなり老朽化したアパートの二階で、家族四人が重なり合うように暮らしていた。松井にとっては家族のために、中古ではあるが念願の一戸建て住宅を手に入れたというわけであった。 昼間は少し蒸し暑くなった初夏のある日、「藤井君、明日午後一時過ぎから一時間程度、時間空いてないかな?」と松井から連絡があった。 何の用かと聞いてみると、明日自宅の家具類が競売されるので、それを抑えたいとのこと。具体的には某クレジット会社の債務を放置していいたら、かなり前に裁判所から赤紙を貼りに来られ、その後も無視していたら突如として競売通知が来たという。 競売通知が届いても、すぐに異議申し立てをするか、何か手を打てばこのような事態にならなかったはずだが、松井のだらしなさがこういうところでも見えるのだ。 明日は裁判所から執行官と競売物件を落札する業者が来るらしいのだが、その業者と競って、俺に家具や電化製品を落として欲しいというのだ。本当にそういうことが可能なのか、生活必需品をいくら裁判所であっても競売実施できるのか、俺は半信半疑でともかく翌日の昼過ぎに松井宅を訪れた。 京阪電鉄本線を枚方市駅で私市線に乗り換え、数駅行くとまだ田園風景が見られるベッドタウンとなる。俺が二十一歳の時、この沿線の郡津(こおづ)駅近くに数年間住んでいたのを懐かしく思い出した。 世の中のことが何も分かっていなかった男女が、傷つけ合いながら過ごした修羅場のような期間だった。あの時は悩み苦しみ、自分を取り巻くすべてのものが悪意に満ちていると、目を吊り上げるように生きていたが、今となっては単に懐かしさだけが蘇るのはおかしなことだった。 松井宅は同じような造りの居宅が十数軒集まった、いわゆる建売の新興住宅地に所在していた。 「悪いね、急に頼んで」 自宅には奥さんや子供の姿はなかった。平日のこの時間、仕事と学校とのことだった。執行官や業者と顔を合わすのは家族にとって辛いことだろうし、そういう意味ではホッとしたが、松井の表情は冴えず、疲れが顔ににじみ出ていた。 「一時を過ぎたら執行官が買取り業者と一緒に来るから、競売が始まったら競り落としてほしいんや。いくらの値段まで競ってもらうかは、手で合図するから頼む」 赤紙を張られた家具や電化製品を俺が落とさないと業者が持ち帰ってしまうと言うのだが、果たしてそんなものだろうかと納得がいかない気持ちであったが、そうしているうちに執行官たちが来た。 黒縁のメガネをかけた神経質そうな痩身をヨレヨレのスーツに包んでいるのが執行官、作業服のようなジャンパー姿の小太りの男が買取り業者とのことだ。 業者は某クレジット会社から委託されたものだ。簡単な説明のあと、本日の日付および時間を執行官が声に出して確認、競売を開始すると宣言した。 「では、お渡ししているリストに基づいて値段をつけていくわけですが、多品目あるので全部の合計の買取価格として値をつけます。よろしいですね」 黒縁メガネ執行官が競売リストに目を近づけながら言った。松井が執行官と業者に向かい合い、俺は松井の後ろに位置した。 「それでは一万円からはじめます」 執行官が言った。松井が後ろに回した両手の人差し指を俺に示した。 「一万一千円!」とそれを見て俺が意識的に低い声で言った。 「一万五千円」と業者。松井が両手で一と六を示した。 「一万六千円!」と俺。 「二万円」と業者。松井が二と一を示す。 「二万一千円!」と俺。 「二万五千円」と業者。以後も同様なやり取りが続いた。 結局、こちらがいくら業者の上値を提示しても、業者はさらにその上の値を言うのだ。途中で松井が後ろの手を振るような仕草を見せたため、俺は黙った。その時点での落札価格は七万五千円を示していた。松井も競っても無駄だと悟ったのだ。 執行官と業者は帰って行った。あとに残された書類には、競売価格七万五千円、これら品目の賃借料が月額一万五千円と記入されていた。つまり差し押さえられた家電や家具は生活必需品であるから、債務者が弁済するまでの期間、賃貸契約が発生する。自分の家財にレンタル料を支払うというおかしなことになってしまうわけである。 業者としても、落札したものを本当に換金するにはかなり面倒な手続きと手間を要すのだろう。その場で執行官が松井に「これらをあなたは利用しますよね。それでは賃借する形になります。ただし、あなたが債務弁済を履行した時点で、賃貸契約は解消されますのでご安心ください」と述べていた。 現在ではこういう形で競売が本当に実施されているのかは分からないが、俺は松井の要望だったとしても、徒労に終わったことで精神的にずいぶんと疲れ、意気も消沈していた。 「藤井君、今日は悪かったね。これは少ないけど日当として受け取ってよ」 松井は薄い茶封筒を手渡そうとした。 「こんなの受け取れないよ。今日はたまたま暇だったから俺への気遣いは不要だ」 俺は封筒を押し返した。 なぜクレジット会社の支払いを滞納しているかは知らないが、たとえブローカーだとしても金貸しを張っているのだ。「しっかりしろよ!」と俺は情けなくなって苛立ちの声で松井に言った。 「ちょっと駅前で飲もうか」 俺は松井を誘い出した。他人事とはいえ、やりきれない思いに支配されそうなので、酒で追い返したい。 午後四時を過ぎたばかりの駅前通りは、飲み屋はまだ開いておらず、やむなく一軒の小さな和食店に入った。腋と背中に少し汗をかいていたが、こんな時ビールは飲みたくない。俺は松井に断りもなくコップ酒を注文した。 「松井さん、こんなことしてたら奥さんや子供さんたちが可哀相だよ。しっかりしないと」 コップ酒を一気に飲み干して、代わりを注文したあと、俺は二十歳近くも年上の松井を睨みつけるようにして言った。 |
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